学位論文要旨



No 114395
著者(漢字) 桐生,郁也
著者(英字)
著者(カナ) キリュウ,イクナリ
標題(和) 魚体表面における水中懸濁微粒子の取り込みと排除に関する研究
標題(洋)
報告番号 114395
報告番号 甲14395
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2003号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 助教授 鈴木,譲
 東京大学 助教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 助教授 小川,和夫
内容要旨

 水界に生息する魚類はその体表面で接する様々な水中懸濁微粒子の影響を受けながら生存している。微生物の中には魚体表面に付着またはそこから侵入し、魚に病気を引き起こし、死亡させるものもある。このような病原微生物による感染の予防法の1つとして特定の病原微生物を不活化したワクチン液に魚を浸漬して免疫する浸漬ワクチン法があるが、そのワクチン液の粒状抗原は魚体表面から取り込まれる。さらに水中に懸濁した砂や生物の死骸などの微粒子が魚体表面から取り込まれることもある。

 水中に懸濁する微粒子の性質は多種多様であり、また体内に取り込まれた場合、その多くは追跡が困難である。このことが微粒子の魚体表面からの取り込みや排除の機構の解明を妨げている大きな要因となっている。そこで本研究では、魚体表面や組織切片において蛍光顕微鏡で容易に確認でき、さらに組織内での定量も可能な直径1mの蛍光ラテックスビーズを使用して水中懸濁微粒子の取り込みと排除のモデル実験を行った。実験魚としてニジマス(1-10g)を使用し、これをビーズ懸濁液に浸漬し、皮膚、鰭および鰓の魚体表面における懸濁微粒子の付着と取り込みさらに取り込まれた後の微粒子の行方を追跡した。

1.魚体表面における水中懸濁ビーズの付着部位

 ビーズ懸濁液(1×107個/ml)に魚を5分間浸漬して魚体表面のビーズ付着部位を調べた。

1-1.皮膚と鰭

 ビーズ浸漬処理した魚をトリパンブルー(TB)溶液に浸漬し、生体染色を施してからウエットマウント法で皮膚と鰭を落射型蛍光顕微鏡で観察すると、ビーズはTBに染まる部位に認められた。これらの部位の組織切片を光顕および透過型電子顕微鏡で観察すると、ビーズは創傷部位に認められ、多くは最外層の膨化した上皮細胞に付着して一部は露出した鰭条や鱗などの真皮にも付着していた。このような創傷はハンドリングや魚同士の噛み合い等により生じる微細な創傷、すなわちマイクロインジャリー(MI)であり、飼育魚にはよく認められる。MIは皮膚では表皮の欠損、脱鱗または鱗の露出として、また鰭では噛み跡や鰭が裂けた傷として辺縁部に認められた。魚を麻酔してから、剃刀を用いて皮膚では深さが1〜2mmになるようにし、鰭では尾鰭の尖端の一部を切り落とした実験的な切創を施した魚を同様にビーズ浸漬処理して切創部の組織切片を光顕で観察すると、ビーズは最外層の膨化した上皮細胞や露出した真皮に付着することが確認された。

 以上より、ビーズは体表最外層の扁平上皮細胞が分泌するクチクラには付着できず、MI表面のクチクラのない部位に付着することが明らかとなった。

 次にビーズ浸漬処理した魚を飼育水に戻して24時間後まで経時的に採取し、皮膚と鰭のビーズを定量した。定量法は浸漬処理した魚を解剖して個体ごとに組織別にバイアル瓶に入れ、強アルカリとEDTAで組織を完全に溶解した。そしてこれを濾過し、濾紙に付着したビーズを光顕で数え、組織当たりのビーズ数を算出した。飼育水に戻してから1分後の体表に付着したビーズは魚1尾当たり5.9×103〜5.4×104個であった。TBに染まる細胞が鰭の方に多く、付着ビーズの3/4は鰭に認められた。しかし2時間後の体表のビーズは1分後の4.5%に、24時間後には1.2%に減少した。

 なお、魚を麻酔し、魚体の片側を吸水紙に密着させて実験的にMIを片体側一面に作った。これらの魚を飼育水に戻して24時間後まで経時的に採取し、TB溶液で生体染色を施し、魚体表面を同様に観察すると、TBに染まる細胞は2時間後には顕著に減っており、膨化した上皮細胞は脱落して正常な皮膚への回復が認められた。

 以上より、皮膚や鰭のMI部位に付着した懸濁ビーズの多くは2時間以内に膨化した上皮細胞などに付着したまま水界へ離脱していくことが示唆された。

1-2.

 ビーズ浸漬処理した魚を1-1と同様にTB溶液で生体染色を施し観察したが、鰓にはTBに染まる部位はなく、粘液に捕らえられて凝集したビーズの塊が認められた。組織切片を光顕で観察すると、ビーズは皮膚や鰭のようには付着せずにビーズの塊を被覆している粘液が鰓弁の表面に認められた。

2.皮膚、鰭ならびに鰓における水中懸濁ビーズの取り込み量

 24時間ビーズ浸漬処理した魚を24時間飼育水に戻して魚体表面に付着したビーズを洗い流した。そして皮膚、鰭および鰓からの取り込みビーズを定量および観察した。

 1-1と同じ方法で取り込みビーズ数を定量した。全魚体表面の1尾当たりの平均ビーズ取り込み数はばらつきが大きく、1.8×104〜3.6×105個であったが、各個体の部位別のビーズ数の割合は統計的に有意であり(P<1%)、皮膚が54.8±15.1%、鰭が34.1±13.9%そして鰓が11.1±8.1%であった。

 ウエットマウント法で観察すると、皮膚のビーズは集族し、直径が0.2〜1mmのパッチとして皮膚全体に散在していた。鰭のビーズも集族していたが、0.1mm以内の幅で鰭辺縁部を縁取るように観察された。鰓のビーズは鰓弁上に点在していた。

 以上より、ビーズは鰓では個別に、皮膚や鰭では集団で取り込まれることが解った。さらに皮膚では平面状に、鰭では辺縁に沿って線状に取り込まれることから、皮膚における取り込み面積が最も広く、主要なビーズ取り込み部位と考えられた。

3.魚体表面における水中懸濁ビーズの取り込み部位

 魚をビーズ浸漬処理し、経時的に24時間後まで採取して、魚体表面のビーズが認められる部位の組織切片を光顕および電顕で観察した。

 3〜6時間浸漬処理した魚の皮膚や鰭の表皮ではMIを修復する遊走性の上皮細胞がビーズを取り込んでいた。真皮でもMI部位にビーズが取り込まれていた。24時間浸漬処理した魚の体表では、同様にMI部位にビーズが取り込まれていたが、一部は治癒したMI部位にも取り込まれていた。表皮では上皮細胞がビーズを取り込んでいた。また、鰭の真皮では吸水により浮腫した線維周辺に、皮膚の真皮では真皮表層の疎性結合組織にビーズが取り込まれていた。そしてビーズの多くは線維芽細胞に付着していたり、基質や壊死細胞にとどまっていたが、一部はマクロファージに貪食されていた。さらに、皮膚と鰭に1-1と同様な実験的な切創を施した魚をビーズ浸漬処理し、経時的に24時間後まで採取して切創部の組織切片を光顕で観察したところ、同様にビーズが取り込まれることを確認した。鰓を電顕で観察するとマクロファージがビーズを貪食していた。

 以上より、皮膚や鰭では、ビーズはMI部位から取り込まれ、それ以外の部位からは取り込まれないこと、表皮ではビーズは遊走性の上皮細胞に取り込まれ、真皮ではMIにより露出した真皮の基質や細胞に付着し、遊走性の上皮細胞に被覆されることが明らかとなった。

4.魚体表面から取り込まれた水中懸濁ビーズの行方

 24時間ビーズ浸漬処理した魚を飼育水に戻して経時的に20日間後まで採取し、魚体表面のビーズが認められる部位と脾臓、腎臓の組織切片を観察した。

 光顕観察によると、0〜3日目の皮膚と鰭の細胞の外に認められていた真皮のビーズの多くは、8日目には細胞内に認められた。20日目の体表の電顕観察によると、表皮のビーズの多くはマクロファージ内に、一部は上皮細胞内に認められた。真皮においてもビーズの多くはマクロファージ内に、一部は線維芽細胞内に認められた。上皮細胞やマクロファージはメラニン顆粒を持っていた。さらに皮膚と鰭に1-1と同様な実験的な切創を施した魚を24時間ビーズ浸漬処理し飼育水に戻して経時的に採取し、切創部の組織切片を光顕および電顕で観察し同様な結果を確認した。

 以上より、ビーズを取り込んだ遊走性の上皮細胞は周囲の上皮細胞の分裂に伴いやがては最外層から離脱していく。真皮のビーズは最終的にはマクロファージが貪食し、一部は表皮に遊走して上皮細胞にビーズを受け渡し、その上皮細胞も同様に最外層から離脱していくと推察された。

 20日目の光顕観察によると、脾臓や腎臓ではメラノマクロファージセンターにビーズが認められた。これらは皮膚や鰭のビーズを貪食したメラニン顆粒を有するマクロファージから供給されたと推察された。鰓のビーズはマクロファージ様細胞に認められたままだった。

5.まとめ

 本研究に基づき、魚体表面における水中懸濁ビーズの取り込みと排除を総括すると以下のようになる。

 ビーズ懸濁液にニジマスを浸漬すると、皮膚や鰭では、ビーズは最外層のクチクラに付着できず、MI最外層の膨化した上皮細胞や露出した真皮に付着する。ビーズを付着した細胞の多くは2時間以内に離脱していくが、一部の付着ビーズはMIを修復する遊走性の上皮細胞に取り込まれたり、真皮に取り残されて遊走性の上皮細胞に被覆される。MIの生じ方は皮膚と鰭とで異なり、ビーズ取り込み面積が広い皮膚の方が主要なビーズ取り込み部位である。ビーズを取り込んだ上皮細胞は周囲の上皮細胞の分裂に伴い体外へ排除される。一方、真皮のビーズはマクロファージに貪食されて一部は上皮細胞に受け渡され同様に体外へ排除され、一部は脾臓や腎臓のメラノマクロファージセンターとなる。鰓においては、粘液で被覆されたビーズの塊が鰓弁表面に付着し、遊走してきたマクロファージに一部が貪食される。そのため鰓はビーズを点状に取り込む。

 従来、皮膚や鰭の創傷部位に細菌が付着すること、皮膚の実験的な創傷部位に懸濁炭素微粒子が取り込まれること、皮膚に投与された炭素微粒子をマクロファージが排除すること、鰓のマクロファージが懸濁微粒子を貪食することなどが既に知られている。しかし、微粒子の取り込みと排除が認められる部位を魚体表面全体にわたって観察した研究はなかった。特に皮膚や鰭のMI部位が水中懸濁微粒子の主要な取り込みと排除の部位であるということは新しい知見である。

審査要旨

 水界に生息する魚類は体表面と接する微生物を含む様々な水中懸濁微粒子の影響を受けながら生存している。水中に懸濁する微粒子の性質は多様であり、また体内に取り込まれた場合、その多くは追跡が困難である。このことが微粒子の魚体表面からの取り込みや排除の機構の解明を妨げている大きな要因となっている。そこで本研究では、蛍光顕微鏡で容易に観察でき、さらに組織中の定量も可能な直径1mの蛍光ラテックスビーズを水中懸濁微粒子として、その取り込みと排除のモデル実験をニジマス(1-10g)を使って行った。

1.水中懸濁ビーズの付着部位

 魚をビーズ懸濁液(1×107個/ml)に5分間浸漬した後、さらに0.05%トリパンプルー(TB)溶液に10分間潰けて生体染色を施してからウエットマウントで皮膚と鰭を落射型蛍光顕微鏡で観察したところ、ビーズはTBに染まる部位に認められた。これらの部位の組織切片を光顕および透過型電子顕微鏡で観察したところ、ビーズは創傷部位に認められ、多くは最外層の膨化した上皮細胞に付着し、一部は露出した鰭条や鱗などの真皮に付着していた。このことから、ビーズは体表最外層の扁平上皮細胞が分泌するクチクラには付着できず、体表の微細な傷、すなわちマイクロインジェリー(MI)表面のクチクラのない部位に付着することが明らかとなった。

 次にビーズ浸漬処理した魚を飼育水に戻して24時間後まで経時的に採取し、皮膚と鰭のビーズを定量した。その結果、飼育水に戻してから1分後の体表に付着したビーズは魚1尾当たり5.9×103〜5.4×104個であった。2時間後の体表のビーズは1分後の4.5%に、24時間後には1.2%に減少した。このことから、皮膚や鰭のMI部位に付着した懸濁ビーズの大部分は2時間以内に膨化した上皮細胞などに付着したまま水界へ離脱していくことが示唆された。鰓にはTBに染まる部位はなく、粘液に捕らえられて凝集したビーズの塊が認められた。組織切片を観察すると、ビーズは皮膚や鰭のようには付着せずにビーズの塊を被覆している粘液が鰓弁の表面に認められた。

2.水中懸濁ビーズの取り込み量

 24時間ビーズ浸漬処理した魚を24時間飼育水に戻して魚体表面に付着したビーズを洗い流した後、皮膚、鰭および鰓からの取り込みビーズを観察および定量した。ウエットマウントで観察すると、皮膚上のビーズは直径が0.2〜1mmのパッチとして散在し、鰭上のビーズは0.1mm以内の幅で鰭辺縁部を縁取るように観察された。鰓のビーズは鰓弁上に点在していた。1尾当たりの取り込み数はばらつきが大きかったが、各個体の部位別のビーズ数の割合は統計的に有意であり(P<1%)、皮膚が54.8±15.1%、鰭が34.1±13.9%そして鰓が11.1±8.1%であった。

3.水中懸濁ビーズの取り込み部位

 魚をビーズ浸漬処理し、経時的に24時間後まで採取して、魚体表面のビーズが認められる部位の組織切片を光顕および電顕で観察した。その結果、皮膚や鰭では、ビーズはMI部位から取り込まれ、それ以外の部位からは取り込まれないこと、表皮ではビーズは遊走性の上皮細胞に取り込まれ、真皮ではMIにより露出した真皮の基質や細胞に付着し、遊走性の上皮細胞に被覆されることが明らかとなった。

4.魚体表面から取り込まれた水中懸濁ビーズの行方

 24時間ビーズ浸漬処理した魚を飼育水に戻して経時的に20日間後まで採取し、魚体表面のビーズが認められる部位と脾臓、腎臓の組織切片を観察した。0〜3日目の皮膚と鰭の細胞の外に認められていた真皮のビーズの多くは、8日目には細胞内に認められた。20日目の電顕観察によると、表皮のビーズの多くはマクロファージ内に、一部は上皮細胞内に認められた。真皮においてもビーズの多くはマクロファージ内に、一部は線維芽細胞内に認められた。上皮細胞やマクロファージはメラニン顆粒を持っていた。さらに皮膚と鰭に実験的な切創を施した魚においても同様な観察結果が得られた。

 以上の一連の研究の結果、水中懸濁粒子は魚の皮膚や鰭の最外層のクチクラに付着できず、マイクロインジェリーにより膨化した上皮細胞や露出した真皮に付着し、多くは2時間以内に細胞とともに排除されるが、一部は遊走性の上皮細胞に取り込まれたり、真皮に取り残されて遊走性の上皮細胞に被覆されることが明らかとなった。また、MIの生じ方は皮膚と鰭とで異なり、取り込み面積が広い皮膚の方が主要な取り込み部位であることも判明した。これらの成果は、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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