学位論文要旨



No 114397
著者(漢字) 林,周
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,アマネ
標題(和) 魚類の耳石に記録された生態情報の抽出とその応用
標題(洋)
報告番号 114397
報告番号 甲14397
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2005号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 谷内,透
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 助教授 中田,英昭
 東京大学 助教授 渡邊,良朗
内容要旨

 耳石は硬骨魚類の内耳に存在する硬組織であり、炭酸カルシウムの沈着によって成長する。そして一旦沈着した炭酸カルシウムは、骨や鱗などの他の硬組織と異なり、再吸収されないことが知られている。そこで耳石が成長する際に形成された内部構造や、同時に取り込まれた微量元素は、終生保存されると考えられている。耳石にはしばしば、透明な部分と不透明な部分が交互に形成されて同心円状の輪紋が出現し、多くの魚種でこれが年輪であることが確かめられている。耳石には年輪の他に、更に細かい微細輪紋が形成され、これも多くの魚種で一日一本づつ形成される日周輪であることが確認され始めている。また、耳石に含まれる微量元素のひとつであるストロンチウムと主成分のカルシウムの比は、形成時の環境水温や塩分と密接に関係していることが明らかにされている。このように、耳石を解析することによって魚が過去に経験してきた様々な生態学的情報を抽出することができると考えられている。本研究では魚類耳石の年輪や日周輪、月周輪形成を証明するとともに、成長速度、年齢構造、生息水温履歴等の生態情報を抽出し、それらを生態研究に具体的に応用してその有効性を確認した。

1.マイワシおよびウルメイワシの耳石日周輪の証明とその応用

 マイワシおよびウルメイワシを例に、飼育実験によって微細輪紋数と日齢の関係から耳石日周輪形成を証明した。卵より飼育して日齢の明らかなマイワシ仔魚31個体(5〜30日齢)とウルメイワシ仔魚26個体(5〜25日齢)において、微細輪紋数(N)と孵化後日齢(D)の回帰式は、

 

 

 と求められた。両種の回帰式の勾配は、1.00と統計的有意差を示さず(p>0.05)、マイワシおよびウルメイワシ仔魚の耳石に形成される微細輪紋が日周的に形成されていることが証明された。また、回帰式の切片は、マイワシでは-2.00と、ウルメイワシでは-1.00と統計的有意差を示さず(p>0.05)、それぞれ孵化後3日目および2日目に日周輪形成が開始され、これは摂餌開始日に相当していることを明らかにした。

 この結果を応用して、沿岸域と黒潮流軸域に分布するマイワシ仔魚の成長速度を日齢査定結果から推定し、栄養状態の比較を試みた。1986年3月に沿岸域と流軸域から採集されたマイワシ仔魚それぞれ53および45個体について日齢を査定し、日齢(D)と体長(SL)の関係を求めると、

 

 

 というモデルが最も適合度が高いことが明らかとなった。従って、同一日齢のマイワシ仔魚であっても、沿岸域に分布するものの方が成長速度が速く、黒潮流軸域に分布するものより栄養状態が良いと考えられた。更に別の栄養状態の指標として体長-乾燥体重関係を求め、沿岸域、黒潮流軸域及び流軸域の沖合側の黒潮外側域の間でその関係を比較した。同一体長における乾燥体重は黒潮の外側域が最も軽く、黒潮流軸域、沿岸域の順で重くなり、沖合から沿岸に近付くにつれて栄養状態が良くなっていたと考えられ、成長速度から得られた結果と一致した。RNA/DNA比からも同様の報告があり、これらのことから耳石解析による栄養状態判定の有効性を確認した。

2.アラハダカの耳石日周輪の証明とその応用

 孵化からの飼育が極めて困難で、日齢が明らかな標本を得ることができないハダカイワシ科魚類の一種であるアラハダカにおいて、天然採集仔魚から耳石日周輪形成を証明することを試みた。1996年2月および1997年6月に、黒潮流域および移行域において採集されたアラハダカ稚魚および未成魚37個体について、最外縁の成長輪の幅を、その内側に位置する2本の微細輪紋の平均幅に対する割合として測定した。その割合の採集時刻別変化から、アラハダカの耳石は20:00〜08:00の間に成長し、それ以外の時間帯では成長がほぼ停止することが示された。このことから、アラハダカの耳石に形成される微細輪紋は、一日に一本形成される日周輪であることを証明した。

 この耳石日周輪形成を応用して、アラハダカの成長様式を明らかにした。アラハダカ48個体について、仔魚から稚魚へ変態した後の日齢を査定した。得られた体長(SL)と変態後日齢(D)の関係は、

 

 というロバートソンの成長曲線に最もよく適合した。これによると本種は僅か3ヶ月で体長20mmから50mmへ成長し、従来の同属のススキハダカで報告されている12ヶ月より遥かに速い成長を示した。

3.アラハダカの耳石における月周輪の確認

 ハダカイワシ科魚類の耳石成長には、月齢と同調したリズムの存在の可能性が指摘されているので、1994年8月に移行域において採集したアラハダカ成魚11個体を用いて、稚魚期以降に形成された日周輪の幅を連続的に測定し、周期性を解析した。すると11例中7例は25〜32日の、3例は55〜59日の周期を示し、前7者の平均値(28.4日)は1大陰月(29.53日)と、後3者の値(57.7日)は2大陰月(59.06日)と近似した。この結果はアラハダカの耳石日周輪幅には月齢と同調した周期性が存在することを示している。更に採集日から逆算された、満月を中心とした5日間における平均耳石日周輪幅と、隣接する新月を中心とした5日間(計10日間)における平均耳石日周輪幅とを比較すると、33例中16例で、満月周辺における平均耳石日周輪幅は、隣接する新月周辺の平均耳石日周輪幅より有意に狭かった(p<0.01)。このような満月周辺における成長の遅れは、本種の日周鉛直移動の上昇深度が月光によって深くなること、即ち夜間の生息水温が低くなることと深く関係していると考えられる。また周期性の認められない場合もかなりあることから、月光の効果は天候により大きく左右されると考えられる。

4.カサゴの耳石年輪証明及び年齢査定法の改良とその応用

 沿岸漁業における重要資源であるカサゴの耳石による年齢査定法の再検討を行なった。九州沿岸で採集したカサゴ175個体について、表面法と断面法の両法によって計数された不透明帯数を比較すると、表面法では8本までしか不透明帯が計数されなかったのに対し、断面法では5個体で10〜11本の不透明帯が計数された。95個体で断面法による計数値が表面法より多かったのに対し、表面法による計数値が断面法を上回ったのは5個体のみであった。両法による計数差は、断面法による計数値が増えるに従って増加し、最大5本に達した。従って、従来よりカサゴに適用されてきた表面法による耳石輪紋計数を基礎とした年齢査定は、年齢を過小評価していることが明らかとなった。

 断面法で観察される輪紋が年輪であることを確認するために、2ヶ月おきに採集したカサゴ241個体を用いて、耳石縁辺部の状態を観察した。6-8月には縁辺部が不透明帯の個体が、10月には縁辺部に狭い透明帯のある個体が、12-4月には縁辺部が広い透明帯の個体が優占し、カサゴの耳石断面に見られる不透明帯は、夏期を中心にして1年に1本形成される年輪であると結論された。更に仔魚より飼育したカサゴ39個体の耳石を観察した結果、耳石年輪は冬に仔魚が産出されてから約1.5年後の夏から形成されることが明らかとなった。

 断面法によるカサゴの年齢査定法が確立されたので、それを応用して同一海域におけるカサゴを9年間に亘って計580個体採集し、年齢組成の変化を調査した。採集されたカサゴの最高年齢は雄で11歳、雌で21歳であった。1987年には1980〜81年冬産まれの6歳魚が全体の51%を占める卓越年級群を形成していた。以後、卓越群の不透明帯数は毎年1本ずつ増加し、1992年には11歳の個体が全体の41%を占めるようになった。このことからも耳石不透明帯が1年に1本形成される年輪であることが支持された。これらのことから、従来の方法によるカサゴの年齢の過小評価は、資源管理の上でも問題であり、今後カサゴの年齢査定は断面法によるべきと結論した。

5.ハダカイワシ科魚類3種の耳石Sr/Ca比と生息水温との関係

 成長に伴って生息深度と水温を変化させるハダカイワシ科魚類3種(ミカドハダカ、ナガハダカ、ゴコウハダカ)について、耳石Sr/Ca比を中心核から縁辺にかけて連続的に測定して、生息水温との関係を調べた。ミカドハダカの耳石Sr/Ca比(×1000:以下同じ)は、仔魚から稚魚に成長するにつれて6.50から4.41へと減少した後、成魚に成長するにつれて4.41から14.35へ増加した。これは本種が成魚になると日周鉛直移動をやめ、水温5℃以下の500m以深に生息するようになるという知見によく対応する。仔魚の生息層は未知であるが、Sr/Ca比から100m付近またはそれ以深に分布すると予想された。ナガハダカの耳石Sr/Ca比は、仔魚期の5.83から成長するに従って減少し、稚魚期以降はおよそ3.05という一定の値をとった。これは本種の仔魚が16℃以下の25m以深に分布し、稚魚期に入り夜間高水温の海面付近まで上昇するようになり、以後成魚になっても同様の日周鉛直移動を続けるという知見とよい対応を示した。ゴコウハダカの耳石Sr/Ca比は、仔魚から稚魚に成長するにつれて6.91から4.95へと減少した後、成魚に成長するにつれて4.95から7.09へと増加した。これは本種が稚魚期以降成長に伴い、高温の黒潮域から低温の移行域に分布するようになることと対応していたが、水温が20℃以上の黒潮域表層に出現する仔魚が、稚魚に成長するにつれ、何故Sr/Ca比が減少するかは不明であった。これらを説明するためには、ゴコウハダカの仔・稚魚期の分布生態を明らかにするとともに、Sr/Ca比と生息塩分濃度との関連も明らかにする必要があると考えられる。

審査要旨

 耳石は硬骨魚類の内耳に存在する硬組織であり、炭酸カルシウムの沈着によって成長し、一旦沈着した炭酸カルシウムは、骨や鱗などの他の硬組織と異なり、再吸収されないことが知られている。そこで耳石が成長する際に形成された内部構造や、同時に取り込まれた微量元素は、終生保存されると考えられている。このような耳石の内部構造や微量元素を解析することによって魚が過去に経験してきた様々な生態学的情報を抽出することができる。本研究は魚類耳石の年輪や日周輪、月周輪形成を証明するとともに、その魚種の成長速度、年齢構造、生息水温履歴等の生態情報の抽出手法を確立し、それらを生態研究に具体的に応用して多くの新知見を得ている。研究の概要は、以下の通りである。

1.マイワシおよびウルメイワシの耳石日周輪の証明とその応用

 マイワシおよびウルメイワシを飼育し微細輪紋数と飼育日数の関係から耳石日周輪形成を証明した。微細輪紋数(N)と孵化後日齢(D)の回帰式は、

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 と求められた。両種の回帰式の勾配は、1.00と統計的有意差を示さず(p>0.05)、マイワシおよびウルメイワシ仔魚の耳石に形成される微細輪紋が日周的に形成されていることを証明した。また、回帰式の切片は、マイワシでは-2.00と、ウルメイワシでは-1.00と統計的有意差を示さず(p>0.05)、それぞれ孵化後3日目および2日目に日周輪形成が開始され、これは摂餌開始日に相当していることを明らかにした。

 この結果を応用して、沿岸域と黒潮流軸域に分布するマイワシ仔魚の成長速度を日齢査定結果から推定し、栄養状態の比較を試みた。1986年3月に沿岸域と流軸域から採集されたマイワシ仔魚の日齢を査定し、日齢(D)と体長(SL)の関係は、以下の式で表されることを明らかにした。

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 これにより、同一日齢のマイワシ仔魚であっても、沿岸域に分布するものの方が成長速度が速く、黒潮流軸域に分布するものより栄養状態が良いことを示した。更に別の栄養状態の指標として体長-乾燥体重関係を求め、沿岸域、黒潮流軸域及び黒潮外側域の間でその関係を比較し、黒潮外側域、流軸域、沿岸域の順で重くなり、沖合から沿岸に近付くにつれて栄養状態が良くなっていたことを示し、これは成長速度から得られた結果と一致した。

2.アラハダカの耳石日周輪の証明とその応用

 孵化からの飼育が極めて困難で、日齢が明らかな標本を得ることができないハダカイワシ科魚類の一種であるアラハダカにおいて、天然採集仔魚から耳石日周輪形成を証明することを試みた。1996年2月および1997年6月に、黒潮流域および移行域において経時的に24時間採集されたアラハダカの最外縁の成長輪の幅の測定結果より、アラハダカの耳石は20:00〜08:00の間に成長する日周輪であることを証明した。

 この耳石日周輪のデータに基づき、アラハダカの成長様式を明らかにした。得られた体長(SL)と変態後日齢(D)の関係は、

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 というロバートソンの成長曲線に最もよく適合した。これにより本種は僅か3ヶ月で体長20mmから50mmへ急成長することを明らかにした。

3.アラハダカの耳石における月周輪の確認

 1994年8月に移行域において採集したアラハダカ成魚11個体を用いて、稚魚期以降に形成された日周輪の幅を連続的に測定し、周期性を解析し、アラハダカの耳石日周輪幅には月齢と同調した周期性が存在することを証明している。更に新月時と満月時の日周輪幅とを比較し、満月周辺で成長の遅れることを示し、これが本種の日周鉛直移動の上昇深度が月光によって深くなること、即ち夜間の生息水温が低くなることと深く関係していることを示唆している。

4.カサゴの耳石年輪証明及び年齢査定法の改良とその応用

 佐賀県玄海町地先のカサゴ漁場で採集したカサゴ175個体について、表面法と断面法の両法によって計数された不透明帯数を比較すると、従来よりカサゴの資源研究に通用されてきた表面法では、7歳以上の年齢査定は不可能であったのに対し、断面法では21歳までが査定可能であることを示した。更に仔魚の飼育に基づき、耳石年輪は冬に仔魚が産出されてから約1.5年後の夏から形成されることを明らかにした。

 確立したカサゴの年齢査定法に基づき、漁場内のカサゴ資源の動態を9年間に亘って明らかにした。これらの結果から、従来のカサゴの資源管理は、大幅な見直しが必要なことを指摘している。

5.ハダカイワシ科魚類3種の耳石Sr/Ca比と生息水温との関係

 成長に伴って生息深度と水温を種固有のパターンで変化させるハダカイワシ科魚類3種(ミカドハダカ、ナガハダカ、ゴコウハダカ)について、耳石Sr/Ca比を中心核から縁辺にかけて連続的に測定して、生息水温との関係を調べ、Sr/Ca比は、3種の生活史の中での、生息水温の変化とよい対応を示すことを明らかにした。

 以上本論文は、耳石輪紋の解析により、日齢、月齢、年齢という時間情報を、Sr/Ca比から魚類の生息水温履歴に関する情報を抽出する方法を確立、応用することにより、水産上重要なマイワシ、ウルメイワシ、カサゴの資源生物学的研究に、また未知の部分の多い深海性のハダカイワシ科魚類の生態研究に大きく貢献している。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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