魚類は変温動物であることから、体温は環境水温に依存して変化し、この変化は魚類の生体内代謝に大きな影響を及ぼす。とくに、温帯の淡水域に生息するコイは、季節的な環境水温の大きな変化にさらされるが、温度馴化することにより、筋原線維ATPase活性を変化させ、遊泳運動の恒常性を維持している。また、この適応が、モーター活性の異なるミオシン・アイソフォームの発現に依存していることが、タンパク質レベルから明らかにされている。ミオシン分子は、ATPase活性およびアクチン結合部位をもつ球状のサブフラグメント-1(S1)と、フィラメント形成に関与する線維状の尾部ロッドの、2つの機能ドメインに分けられる。モーター活性は、重鎖2本と軽鎖4本のサブユニットから構成されるS1部分に存在するが、コイが温度馴化に伴ってS1の構造をどのように変化させ、その機能変化に結び付けているのかは不明のままとされてきた。 本研究ではこのような背景の下、コイ普通筋のS1重鎖および軽鎖のcDNAクローニングを行い、各サブユニットおよびそのアイソフォームの全一次構造を決定するとともに、温度馴化に伴う転写産物量の変化を調べた。さらに、粘菌ミオシンの発現系を用いて、S1重鎖アイソフォーム間の機能の差を調べたもので、得られた研究成果の大要は以下の通りである。 1.コイ・ミオシン軽鎖のcDNAクローニング S1には各2本の必須および調節軽鎖が存在する。これら軽鎖のクローニングのため、まず、10℃および30℃馴化コイの背側普通筋約0.5gから、常法によりcDNAライブラリーを作製した。次に、既報のカツオ必須軽鎖LC1に対するウサギ抗血清を用いてライブラリーのスクリーニングを行い、2種類の軽鎖、全長193アミノ酸残基のLC1および151残基のLC3をコードするクローンを得た。LC1およびLC3のクローンにつき、演繹アミノ酸配列を比較したところ、両軽鎖の相同領域におけるアミノ酸の同一率は、84%であった。また、LC1のN末端領域には、他生物種のものと同様に、LC3にはみられないアラニン、プロリン、およびリシンに富んだdifference peptideの存在が確認された。 ところで、高等脊椎動物の必須軽鎖では、同一遺伝子上の2つのプロモーターから転写されて選択的スプライシングを受け、difference peptide以外の領域で同一の配列をもつLC1およびLC3が発現することが知られている。コイの場合、両軽鎖のアミノ酸変異は全領域にわたって散在してみられ、両軽鎖が異なる遺伝子から発現することが示唆された。また、LC1およびLC3の3’非翻訳領域の特異的プローブを用いたサザンブロット解析の結果も、この遺伝子発現様式を支持した。なお、この特異的プローブを用いたノーザンブロット解析の結果、LC3とLC1のmRNA蓄積量の比は、10℃および30℃馴化魚で、それぞれ3.10および3.93と、高温馴化に伴い、有意に増大することが示され、S1モーター活性に影響を及ぼす可能性が示唆された。 次に、既報のカツオ調節軽鎖LC2に対するウサギ抗血清を用いて、先と同様のライブラリーをスクリーニングしたところ、コイ普通筋LC2の全長169残基をコードし、3’非翻訳領域の長さが異なる、約0.8および1.4kbpの2種類のcDNAクローンが得られた。これらのcDNAの相同領域の塩基配列には17個の置換が見られたが、演繹アミノ酸配列は完全に一致した。 調節軽鎖は必須軽鎖とともに、CaやMgイオンを結合するためのEF-hand構造をもつタンパク質のスーパーファミリーに属する。コイLC2のアミノ酸配列を他生物種のものと比較したところ、N末端から2および4番目のEF-handモチーフ上の、それぞれヘリックスDおよびHの保存性が高く、この領域が調節軽鎖の機能にとって重要であることが示唆された。 上述したように、コイは複数存在するポリアデニレーションシグナルの選択の仕方によって、0.8および1.4kbの2種類のLC2mRNAを発現する。そこで、両成分を共通して認識するプローブを用いてノーザンブロット解析したところ、10℃馴化魚のLC2mRNA量は、30℃馴化魚のそれより約3.3倍高かった。また、この変化は主に1.4kb成分の量的変化に起因することが示された。 2.コイ・ミオシンS1重鎖アイソフォームのcDNAクローニング 10℃および30℃馴化コイ普通筋で主要成分の、それぞれ10℃および30℃タイプのほか、両者の中間的なアミノ酸配列をもつ中間タイプ・ミオシン重鎖アイソフォームが、既にcDNAクローニングにより得られている。そこで既報のクローン中、最長のものを制限酵素PstIで消化し、S1重鎖のC末端側をコードする約300bpのcDNA断片を調製した。これをプローブに、先の10℃および30℃馴化コイのcDNAライブラリーをスクリーニングしたところ、中間および30℃タイプについては、S1重鎖の全長をコードするクローンが得られた。一方、10℃タイプについては、S1重鎖のN末端側をコードするクローンは得られなかった。そこで、10℃馴化コイ普通筋から全RNAを抽出し、1st strand cDNAを合成した。さらに、既に明らかになった中間および30℃タイプcDNAクローンの5’非翻訳領域の塩基配列を参考にプライマーを作製し、1st strand cDNAを鋳型にPCRを行ったところ、10℃タイプS1重鎖の未決定部分をコードするDNA断片が増幅できた。なお、3タイプのS1重鎖の全長は833〜836アミノ酸残基を含んでいた。 コイ普通筋10℃、中間、および30℃タイプS1重鎖の演繹アミノ酸配列を比較したところ、相同性はいずれも90%以上と著しく高かった。さらに、ATP、アクチン、および軽鎖結合部位の構造は比較的よく保存されていた。しかしながら、各タイプ間のアミノ酸変異はS1重鎖全長にわたって散在し、とくに立体構造上S1分子の表面に位置する2つのループ構造、ループ1および2のアミノ酸配列は、3タイプ間で大きく異なった。また、N末端側約60残基のアミノ酸配列も、保存性が低かった。 次に、3タイプの特異的プローブを、ループ2周辺域をコードする塩基配列から作製し、10℃、20℃、および30℃馴化コイ普通筋から調製した全RNAを対象に、ノーザンブロット解析を行った。その結果、10℃タイプのmRNA蓄積量は10℃および20℃で多く、30℃馴化魚で少なかった。逆に、30℃タイプのmRNA蓄積量は30℃馴化魚で最も多く、10℃および20℃馴化魚で少なかった。また、中間タイプの発現パターンは、10℃タイプのものとよく類似したが、発現量は10℃タイプのものより少なかった。 3.粘菌キメラミオシンを用いたコイS1重鎖の機能解析 まず、コイS1重鎖全長を含む粘菌キメラミオシンの発現ベクターを、ミオシンを欠損させた粘菌細胞に導入したが、ミオシン重鎖の発現はみられず、粘菌は増殖しなかった。 前述のように、馴化温度依存的に発現するコイS1重鎖アイソフォームの一次構造は、ループ1および2の領域で大きく異なった。既往の研究から、S1のATP結合部位の近傍にあるループ1は、アクチン線維との滑り速度を規定していることが知られている。一方、アクチン結合部位の1つであるループ2は、アクチンとミオシンの弱い結合から強い結合への転移に関与し、このステップは、ATPase活性の律速段階となっている。そこで、モーター活性に大きな影響を与えるループ1および2の配列をコイのものと入れ換えた粘菌キメラミオシンの発現ベクターを導入したところ、粘菌は正常に増殖し、高純度キメラミオシン標品を十分量、調製することができた。 そこで、コイの10℃および30℃タイプS1重鎖のループ1の配列をもつキメラミオシン、それぞれloop1-10およびloop1-30の、アクチン活性化Mg2+-ATPase活性を測定したところ、両キメラミオシン間で差は認められなかった。一方、10℃タイプのループ2を含むキメラミオシンloop2-10のVmaxは、対応する30℃タイプのloop2-30より約1.4倍高い値を示した。この差は、10℃馴化コイ普通筋から調製したミオシンのVmaxが、30℃馴化魚のそれより1.6倍高いとする既報の結果とほぼ一致した。しかしながら、いずれのキメラミオシンともin vitro motility assayでアクチン線維を滑らせる速度は同じで、10℃馴化コイのミオシンが30℃馴化コイのそれより速く滑らせたとする既報の結果とは異なった。したがって、コイの温度馴化に伴って発現するS1アイソフォームのモーター活性の差は、ループ1および2以外の領域の変異にも起因することが示唆された。 以上、本研究により、コイ普通筋ミオシン軽鎖およびS1重鎖アイソフォームの全一次構造が決定され、温度馴化に伴い、それらの発現量が大きく変化することが示された。さらに、S1重鎖のアイソフォーム間で、とくに分子表面に位置する2つのループ領域の一次構造が相違することが明らかにされた。また、粘菌ミオシンの発現系を用いて、ループ2の構造がS1のモーター活性に影響を及ぼすことを明らかにするなど、本研究はコイの温度馴化機構の一端を分子レベルで示したもので、比較生化学上に資するところが大きいものと考えられる。 |