学位論文要旨



No 114399
著者(漢字) 村松,麻衣子
著者(英字)
著者(カナ) ムラマツ,マイコ
標題(和) コイ普通筋ミオシン重鎖遺伝子の構造と転写調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 114399
報告番号 甲14399
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2007号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 助教授 渡邊,俊樹
 東京大学 助教授 小林,牧人
内容要旨

 ミオシンは筋線維の主要構成タンパク質で,約200kDaの重鎖2本と約20kDaの軽鎖4本から1分子が構成される。ミオシン重鎖のN末端側は,軽鎖とともに,ATPase活性能を有する球状頭部のミオシンサブフラグメント1(S1)を形成し,一方,C末端側はフィラメントを形成し線維状の尾部ロッドとなる。高等脊椎動物のミオシン重鎖は,多重遺伝子族によってコードされ,発生段階や異なる組織で特異的なアイソフォームを持つことが明らかにされている。さらに遺伝子構造も詳しく解析されている。ところで近年,広温度域性魚類のコイで,馴化温度に依存して発現量が変動する3種類の普通筋ミオシン重鎖のcDNAがクローン化された。10℃型および中間型ミオシン重鎖は低温馴化に伴い,30℃型は高温馴化に伴い,それぞれ発現量が増加した。しかしながら,その遺伝子構造には未知の部分が多く,また,発現調節機構も不明のままとされてきた。

 本研究では,このような背景の下,コイを対象に,ゲノムライブラリーから29種類のミオシン重鎖遺伝子を単離し,その多重性を示した。次に,その中から一クローンを選び出し,全構造遺伝子領域の塩基配列を決定し,エキソン-イントロン構造を明らかにした。また,低温馴化で発現する遺伝子の転写調節領域の配列と機能解析を行った。得られた研究成果の大要は以下の通りである。

1.コイ・ミオシン重鎖遺伝子のクローニング

 上述のようにコイでは,水温の変化に伴って発現が調節される3種類の普通筋ミオシン重鎖アイソフォームが存在する。そこでまず,コイ肝膵臓からゲノムライブラリーを作製した。次に,既報のコイ普通筋ミオシン重鎖cDNAの塩基配列を基にプローブを作製し,スクリーニングを行った。その結果,78個のクローンを単離することができた。一方,ミオシン重鎖のloop2領域では,アイソフォーム間で多くの変異が認められることが知られている。そこで,クローンを鋳型としてPCRを行い,loop2コード領域近傍を増幅した後,サブクローン化した。得られた42クローンについて塩基配列を決定したところ,配列の異なる29種類のクローンを得ることができた。これらクローンのコード領域の塩基配列を,既報のコイ普通筋ミオシン重鎖cDNAのそれと比較したところ,10℃,中間,および30℃型と一致するクローンが,それぞれ1,3,および1個認められた。また,29種類の塩基配列から,9種類のアミノ酸配列が演繹された。これらのアミノ酸配列を,コイ普通筋型,および高等脊椎動物の骨格筋,心筋,平滑筋型の相同配列と比較したところ,全てのクローンが骨格筋型ミオシン重鎖をコードすることが示唆された。以上の結果から,コイ骨格筋ミオシン重鎖は多重遺伝子族によってコードされて,その遺伝子数は,ヒトのそれの2倍以上あることが明らかとなった。

 さらに,コイおよび高等脊椎に加え,無脊椎動物のミオシン重鎖の演繹アミノ酸配列を用いて分子進化を検討したところ,コイ普通筋ミオシン重鎖遺伝子の多重性は,コイの祖先魚におけるゲノム倍加現象に起因している可能性が示された。

2.コイ普通筋ミオシン重鎖遺伝子MyoHC I-9の構造解析

 現在まで,脊椎動物の骨格筋型ミオシンでは,ラットおよびニワトリ胚の骨格筋で発現する遺伝子の全構造が明らかにされているが,魚類のものは未だ不明とされてきた。そこで,先に単離したクローンの中から,普通筋ミオシン重鎖の全構造遺伝子領域を含むクローンMyoHC I-9を選び,インサート領域の全塩基配列14,356bpを決定した。この配列と既報のコイ普通筋ミオシン重鎖cDNAの配列を比較したところ,MyoHC I-9の構造遺伝子領域の全長は11,387bpで,41エキソンと40イントロンからなることが明らかとなった。このエキソン-イントロン構造は,ラット胚骨格筋型ミオシン重鎖遺伝子のそれと一致した。ちなみにニワトリ胚のそれは,40エキソンと39イントロンから構成されていることが報告されている。MyoHC I-9の配列をラット胚ミオシン重鎖遺伝子と比べたところ,エキソン領域の長さはほぼ同じで,塩基同一率は72.1%を示した。しかし,MyoHC I-9のイントロン領域は著しく短く,全長はラット胚のそれの約1/2であった。

 一方,コイ中間型ミオシン重鎖cDNAと本遺伝子のエキソン領域間の塩基同一率は98.8%,演繹アミノ酸の同一率は99.5%であった。また,アイソフォーム間で置換が多く認められるloop1やloop2のコード領域,および3’非翻訳領域の塩基配列は,完全に一致した。さらに,S1重鎖のATP結合部位近傍のアミノ酸配列は良く保存されていた。また,ロッド領域には,coiled-coil構造に特徴的なアミノ酸7残基の繰り返し構造が認められた。従って,MyoHC I-9は中間型に極めてよく類似したミオシン重鎖をコードしており,コイ普通筋で発現していることが推測された。

3.コイ普通筋ミオシン重鎖遺伝子MyoHC10の構造と5’非転写領域の解析

 コイ10℃型ミオシン重鎖mRNAの普通筋における蓄積量は,低温馴化に伴って増大することが報告されている。この転写調節機構を明らかにするためには,10℃型ミオシン重鎖をコードする遺伝子の5’非転写領域の配列を決定する必要がある。そこで,先に単離したクローンの中から,loop2コード領域が10℃型ミオシン重鎖cDNAと同一であるMyoHC10を解析し,インサート領域の制限酵素地図を作製した。その結果,本クローンはS1重鎖コード領域に加え5’非転写領域を含むことが示された。そこで,塩基配列の解析を進め,S1重鎖をコードする第1〜第22エキソンの5,437bpと,5’非転写領域4,799bpの配列を決定したところ,本遺伝子のエキソン-イントロン構造は,先述のMyoHC I-9と一致した。また,本遺伝子のS1重鎖コード領域は,既報の10℃型ミオシン重鎖cDNAと99.2%の塩基同一率を示した。さらに,両者のアミノ酸同一率は99.7%で,loop2を含む4つのアクチン結合領域やloop1の配列は完全に一致した。

 一方,S1重鎖のN末端側領域をコードするプライマーを作製し,10℃馴化コイの普通筋に存在するミオシン重鎖mRNAの5’側領域をRACE法を用いて増幅して塩基配列を決定したところ,MyoHC10のそれと一致した。従って,MyoHC10は10℃馴化コイ普通筋で発現していることが示された。次に,MyoHC10の推測転写開始点から5’上流4,799bpを解析したところ,TATA box,CAAT box,C/EBPといった基本転写因子結合配列に加え,E box,MEF2結合領域といった筋特異的転写因子の結合配列が多くの箇所に認められた。従って,これら配列の少なくとも一部が,普通筋特異的あるいは馴化温度特異的な発現に関与するものと推測された。

4.コイ普通筋ミオシン重鎖遺伝子MyoHC10の転写調節活性の解析

 コイの低温馴化に伴って発現する10℃型ミオシン重鎖遺伝子の転写活性化機構を明らかにするため,レポーターアッセイ系の構築を試みた。まず,MyoHC10の5’非転写および転写領域,それぞれ765および20bpからなるDNA断片をPCRによって増幅した後,ルシフェラーゼ遺伝子の上流に組込んでレポーターベクターpGL3-MyoHCを作製した。次に,これをSV40プロモーター活性をもつレポーターベクターpRL-SV40とともに,10および30℃で5週間馴化させたコイの背側普通筋部に注入した。さらに同じ水温で3日間飼育した後,普通筋を採取して両レポーター活性を測定した。その結果,10℃馴化魚におけるpGL3-MyoHCの活性は,30℃馴化魚における活性と比べて約5倍高い値を示した。また,pGL3-MyoHCの活性値をpRL-SV40の値で標準化したところ,10℃馴化魚の値は30℃馴化魚のそれの約35倍となった。次に,同様にしてベクターを注入し,2,4,および6日間飼育した後にアッセイを行った。その結果,pGL3-MyoHCの活性は,10および30℃馴化群の間で有意な差を示さなかった。しかし,pRL-SV40の値による標準化を行ったところ,2,4,および6日目の10℃馴化魚の値は30℃馴化魚のそれの,約70,200,および6倍となった。

 以上の結果,各1個のTATA box,CAAT box,C/EBP,およびMEF2結合配列,さらには8個のE boxを含むMyoHC10の5’非転写領域765bpが,プロモーター/エンハンサーとして機能することが明らかとなった。また,本領域には,低温馴化コイ普通筋においてミオシン重鎖遺伝子の転写を活性化する配列が含まれている可能性が示された。

 以上,本研究により,コイの骨格筋型ミオシン重鎖遺伝子の多重性,普通筋型ミオシン重鎖遺伝子の全エキソン-イントロン構造,およびその低温発現遺伝子の転写活性調節領域が明らかとなった。本研究で得られた成果は,高等脊椎動物とは異なる様式をもつ魚類筋肉の発達や温度適応機構を解明する上で重要な基礎的知見となるもので,比較生理生化学上に資するところが大きいものと考えられる。

審査要旨

 高等脊椎動物のミオシン重鎖は,多重遺伝子族によってコードされ,発生段階や異なる組織で特異的なアイソフォームをもつことや遺伝子構造が明らかになっている。一方,広温度域性魚類のコイでは,馴化温度に依存して発現量が変動する3種類の普通筋ミオシン重鎖のcDNAがクローン化されている。しかしながら,コイ・ミオシン重鎖遺伝子構造には未知の部分が多く,また,発現調節機構も不明のままとされてきた。そこで本研究では,コイ・ゲノムライブラリーからミオシン重鎖遺伝子を単離し,ゲノム内構成や,転写調節機構を明らかにすることを試みた。

 まず,コイ・ゲノムライブラリーからミオシン重鎖遺伝子を含むと考えられる78クローンを単離した。次に,ミオシン重鎖中,アクチンと結合するloop2コード領域をPCRによって増幅し,これをサブクローン化した。得られたクローンについて塩基配列を決定したところ,異なった配列をもつ29クローンが確認された。これらクローンで,コード領域の塩基配列がコイ普通筋ミオシン重鎖10℃,中間および30℃型と一致するものが,それぞれ1,3および1個認められた。また,29種類の塩基配列から,9種類のアミノ酸配列が演繹された。これらのアミノ酸配列を,他生物種のミオシン重鎖の相同配列と比較したところ,全てのクローンが骨格筋型ミオシン重鎖をコードすることが示唆された。したがって,コイ骨格筋ミオシン重鎖は多重遺伝子族にコードされており,その遺伝子数は,ヒトの2倍以上あることが明らかとなった。

 次に,コイ・ミオシン重鎖遺伝子MyoHCI-9の塩基配列を決定した。その結果,本ミオシン重鎖構造遺伝子領域は11,387bpで,既報のラットおよびニワトリ胚骨格筋型の約1/2であった。本遺伝子は,既報のコイ普通筋型ミオシン重鎖cDNAとの比較解析から41エキソン-40イントロンで構成され,ラット胚型ミオシン重鎖遺伝子の構造と一致することが示された。さらに,コイ中間型ミオシン重鎖と本遺伝子のエキソン領域間の塩基同一率は98.8%,演繹アミノ酸同一率は99.5%であった。また,ラット胚骨格筋型ミオシン重鎖との塩基およびアミノ酸同一率は,それぞれ72.1%および92.5%であった。

 次に,低温馴化に依存したミオシン重鎖遺伝子の転写調節機構を明らかにするために,コイ10℃型ミオシン重鎖をコードする遺伝子MyoHC10とその5’転写調節領域の塩基配列を決定した。その結果,本ミオシン重鎖コード領域はコイ10℃型cDNAと99%の塩基同一率を示した。さらにこの遺伝子は,10℃に馴化したコイ普通筋で発現していることが5’RACE法により確認された。一方,本遺伝子の5’転写調節領域4,799bpの塩基配列には,TATA box,CAAT boxなどの基本転写因子の結合配列に加え,E box,MEF2結合領域といった筋特異的転写因子の結合配列が多数認められた。

 次に,MyoHC10の低温馴化における転写活性化機構を明らかにするために,レポーターアッセイ系の構築を試みた。MyoHC10の5’転写調節領域765bpを,ルシフェラーゼ遺伝子の上流に組込んでレポーターベクターpGL3-MyoHC10を作製し,SV40プロモーター活性をもつレポーターベクターpRL-SV40とともに,10および30℃で4週間馴化させたコイの背側普通筋部に注入した。DNAを導入した数日後,コイ筋肉抽出液を調製し,プロモーター活性を測定した。その結果,pGL3-MyoHC10プロモーター活性値は,10および30℃馴化魚では有意な差が認められなかった。しかし,pRL-SV40の値による標準化を行ったところ,10℃馴化魚の値は30℃馴化魚のそれよりも6倍以上高く,その差は有意と認められた。したがって,MyoHC10の5’転写調節領域765bpが,プロモーター/エンハンサーとして機能し,低温馴化コイ普通筋においてミオシン重鎖遺伝子の転写を活性化する配列が含まれていることが示唆された。

 以上,本研究により,コイ・ミオシン重鎖遺伝子が多重遺伝子族によってコードされていることが示された。また,コイ・ミオシン重鎖遺伝子の全エキソン-イントロン構造が明らかにされた。さらに,低温型ミオシン重鎖遺伝子の転写活性化に関わる調節領域が推定されるなど,本研究は,魚類筋肉の発達や温度適応機構を解明する上で重要な基礎的知見を示したもので,学術上,応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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