学位論文要旨



No 114402
著者(漢字) 金,正鎬
著者(英字)
著者(カナ) キム,ジョンホ
標題(和) 微胞子虫Glugea plecoglossiに対するアユの宿主反応に関する研究
標題(洋) Studies on host responses of ayu,Plecoglossus altivelis,against a microsporidian parasite,Glugea plecoglossi
報告番号 114402
報告番号 甲14402
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2010号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 助教授 鈴木,譲
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 小川,和夫
内容要旨 1.序論

 微胞子虫Glugea plecoglossi(以下,グルゲア)はアユに寄生して’グルゲアシスト’を作り、商品価値を落とすことによってアユ養殖に重大な被害をもたらしている。今までに有効な対策はほとんど確立されておらず、昇温処理が有効であると報告されたのもごく最近にかってからに過ぎない。

 微胞子虫は主に節足動物や魚類に寄生することが知られていたが、十数年前からエイズ患者に高い頻度で検出されることが明らかになって以来微胞子虫研究が飛躍的に発展し、新しい成果が続々と発表されている。魚類寄生の微胞子虫の場合、研究が分類学や宿主の組織反応などに偏り、他の側面からの研究はほとんどされていなかった。魚類の微胞子虫は感染実験が比較的容易であり、コントロールされた飼育環境で実験が出来るなど、研究モデルとして人間の微胞子虫と比べて様々な長所を持っている。本研究はアユの微胞子虫を用いて宿主が微胞子虫に感染を受けた際にみられる免疫反応、特に細胞性免疫反応を調べ、微胞子虫に対する免疫反応の基礎知識を得ることにその目的がある。

2.微胞子虫Glugea plecoglossiに対するアユの抗体産生

 微胞子虫に対する魚類の免疫反応に関しては、Glugea stephaniの感染によるカレイの免疫抑制に関する研究やウナギに寄生するHeterosporis anguillarumとヨーロッパ産カレイ類のターボットに寄生するTetramicra brevifilumの特異抗体の産生に関する研究があるに過ぎない。Glugea plecoglossiに関しては、組織反応(キセノマに対する宿主の被包形成)に対する報告があるだけで免疫反応に関する研究はまだなされていない。そこで本章ではまず、アユの体液性免疫反応をELISAを用いて調べたところ、自然感染魚も胞子を経口投与した人工感染魚も胞子表面に対する抗体を産生することがわかった。さらに経口投与した胞子の行方を組織学的に調べたことろ、胞子は腸管上皮細胞から取り込まれることが確認された。これらのことから、腸管から取り込まれた胞子に対して抗体が産生されると思われた。しかし抗体の有無と感染強度、すなわちグルゲアシストの数との間には関連が認められなかったことから抗体は防御反応には有効に働かないと考えられた。おそらく抗体以外に微胞子虫感染症に有効に働く防御機構があると思われる。また、自然感染魚では人工感染魚と比べて高い抗体価を示したことから、自然感染魚では人工感染魚より抗原にさらされた回数が多い可能性が示唆された。

3.アユの頭腎マクロファージのレスピラトリバースト

 マクロファージは好中球とともに病原体の侵入に対する第一次防御線として病原体を貪食し、活性酸素あるいは様々な酵素を分泌して死滅させ、消化するという重要な役割を果たしている。しかし、細胞内寄生体は細胞に侵入して寄生するために、多様な戦略を持って免疫系細胞に対応していることが知られている。グルゲアは宿主細胞に感染して宿主細胞と寄生体の複合体(キセノマ)を形成する。胞子形成が終了するとキセノマは崩壊し、胞子は貪食される。一方、魚類の貪食細胞が魚体内に侵入した胞子に対し、どういう反応をみせるかは全く知られていない。本章では宿主の防御反応を調べる目的でアユの頭腎マクロファージを用い、グルゲア胞子が貪食される際に発生される活性酸素の量を測定した。

 スーパーオキシドの産生量は、グルゲア胞子で刺激した場合、ザイモザンと比べてごくわずかであった。また、ザイモザン刺激で産生されるスーパーオキシドの量はグルゲア胞子を同時に添加することによって減少した。減少は胞子の添加量と相関関係にあり、ホルマリンで固定した胞子より生の胞子で減少が著しかった。また、過酸化水素についてはザイモザン刺激より胞子で刺激した時に多量に産生された。微胞子虫は極管を弾出させることによって、胞子内部の原形質を標的細胞内に注入して感染すること、過酸化水素の存在下で極管の弾出がみられることから、これらの結果は、グルゲア胞子が感染のために宿主側の貪食反応を利用している可能性を示唆すると思われた。しかし、in vitroではほとんどの胞子が極管を弾出せずに貪食されたことから、in vivoでは極管の弾出には多量の過酸化水素以外に他の条件を必要としている可能性か考えられた。

 アユのマクロファージとグルゲア以外の胞子、そしてアユ以外の魚種(コイ)のマクロファージとグルゲア胞子という二通りの組み合わせで実験を行い、上記の結果と比較した。その結果、微量のスーパーオキシド、多量の過酸化水素産生という現象にはかなり宿主特異性があるということがわかった。すなわち、本来の宿主と微胞子虫の組み合わせの場合にのみ上記の現象が著しかった。またコイの頭腎マクロファージは胞子の生死と関係なく、多量のスーパーオキシドを産生した。グルゲア胞子が自然界でアユ以外の魚種に感染したという報告がないことやコイに微胞子虫感染症が知られていないこともこれらの現象と関連していると思われる。

4.グルゲア胞子のレクチン反応性

 レクチンは自然界に広く分布している糖結合性タンパク質であり、様々な生物現象に関与している。特に寄生虫学分野においては、寄生虫がレクチン結合性糖タンパク質あるいはレクチンそのものを持っている性質を利用して寄生虫の発達ステージの同定、標識、病原性種と非病原性種の鑑別などに使われてきた。一方、細胞内寄生性原虫では細胞内に侵入するためにまず宿主細胞と物理的に接触する必要があり、この接触がきっかけで次の段階の細胞内侵入へ進む。このプロセスはレセプター媒介性であることが様々な原虫で証明されており、多くの場合、レクチンと糖との結合であることも明らかにされている。

 微胞子虫には糖タンパクの存在はまだ証明されていない。そこで本章ではグルゲア胞子を用いて、レクチンとの反応性を調べ、糖タンパクの存在の可能性を調べた。さらにアユの頭腎マクロファージのレクチン処理胞子に対する貪食能を調べ、実際の感染との関連性を考察した。

 市販のレクチンキットに含まれている8種類のレクチンを用いて蛍光レクチン染色およびレクチンブロットを行った結果、グルゲア胞子の表面と反応性のあるレクチンはConA,WGAであることが分った。レクチンブロットではConA,WGAに対しそれぞれ数本の薄いバンドと分子量55kDの太いバンドが現れた。他のレクチンに対しては蛍光レクチンの実験で無反応あるいは弱い反応がみられ、レクチンブロットでもほとんど反応がみられなかった。貪食能実験ではConAで処理した胞子は貪食されにくいことがわかった。WGAは蛍光レクチンおよびレクチンブロットではConAと同じ結果であったが、貪食能の著しい低下は示さなかった。以上のようにグルゲア胞子の表面にはConA,WGAとそれぞれ反応性のある糖蛋白があり、さらにConAと反応性のある糖タンパクはマクロファージの貪食に関与していることが示唆された。

5.頭賢マクロファージによる胞子貪食とレクチンとの関係

 第3章で胞子貪食の際にマクロファージが産生する活性酸素を測定し、第4章でマクロファージの胞子貪食はレクチンと糖タンパクとの反応が関与していることが分った。マクロファージは異物を認識、貪食し、活性酸素を出して殺すという一連の宿主反応を示す。胞子表面のConA結合性糖タンパクがマクロファージの活性酸素産生、すなわち微量のスーパーオキシド、多量の過酸化水素の産生という現象とも関連があるかどうかを確かめる必要がある。そこで第3章で反応性があった2種類のレクチンでそれぞれ胞子を処理して、第3章と同一条件でレスピラトリバースト実験を行い、比較した。

 ConAまたはWGAで処理したグルゲア胞子を用いてレスピラトリバースト実験を行った結果、ConA処理でスーパーオキシドの産生量は増加し、過酸化水素の産生は減少して、スーパーオキシドと過酸化水素の産生量は逆転した。一方、WGAの場合、著しい変化はみられなかった。これらの結果から、胞子とマクロファージの接触でレスピラトリバーストを引き起こすためにはConA反応性の糖タンパクの認識が必要であることが示唆された。一方、ConA自体によるマクロファージへの刺激効果も否定できず、さらに検討が必要と思われる。

 実際にConA媒介性貪食が感染の成立に関与しているのかは感染実験で確かめる必要がある。ConAで処理した胞子と無処理の胞子をそれぞれ経口投与でアユに感染させた結果、無処理投与区(コントロール)とConA処理投与区との間には感染率に有意差はなかったものの、シストの出現部位及びシスト数に著しい差が認められた。すなわち、コントロール区では主に幽門垂と腹腔内脂肪組織にシストが観察されたに対してConA処理投与区ではほとんどが幽門垂に限定しており、シストの数に関してもConA処理投与区の方がはるかに少なかった。また、コントロールでは実験期間中、グルゲア感染によると思われる数尾の供試魚の死亡がみられたが、ConA処理投与区では観察されなかった。本実験の結果から、ConA処理によってマクロファージへの胞子感染が阻止された可能性、そしてConA処理によって魚体内でマクロファージが刺激され、殺胞子能力が高まることによってシストの数が減った可能性が考えられた。しかし、ConA処理をしたにもかかわらず、幽門垂でシストがみられたことはマクロファージ以外の細胞にもグルゲアが感染することを示唆する。実際に魚類由来培養細胞を用いてグルゲアのin vitro培養が可能であったことからも(未発表)、グルゲアは魚体内で様々な細胞に感染する能力があるかもしれない。

 アユはグルゲアに感染する際に抗体を産生するが、この抗体は防御免疫には働かないと考えられた。また、貪食細胞が産生する活性酸素はグルゲアの感染のために利用されている可能性が示唆された。しかし、宿主の体内ではこの戦略以外に他の未知の条件が感染の成立に必要と思われた。なお、胞子貪食にはレクチン反応性糖タンパクの認識が重要な役割を果たしていることが明らかになり、この認識を遮断することによって胞子のマクロファージへの感染および感染細胞の体内移動を大幅に阻止することができた。これらのことから貪食細胞は微胞子虫の体内での感染および移動に重要な役割を担当していると考えられた。

審査要旨

 微胞子虫Glugea plecoglossi(以下、グルゲア)はアユに寄生して’グルゲアシスト’を作り、商品価値を落とすことによってアユ養殖に重大な被害をもたらしている。有効な対策は今のところほとんど開発されていない。本研究はアユがグルゲアに感染を受けた際にみられる免疫反応、特に細胞性免疫反応を調べ、微胞子虫に対する免疫反応の基礎知識を得ることを目的とした。

2.微胞子虫Glugea plecoglossiに対するアユの抗体産生

 アユの頭腎マクロファージを用い、グルゲア胞子が貪食される際に発生される活性酸素の量を測定した。スーパーオキシドの産生量は、グルゲア胞子で刺激した場合、ザイモザンに比べてごくわずかであった。また、ザイモザン刺激で産生されるスーパーオキシドの量はグルゲア胞子を同時に添加することによって減少した。減少は胞子の添加量と相関関係にあり、ホルマリンで固定した胞子より生の胞子で減少が著しかった。また、過酸化水素はザイモザン刺激より胞子で刺激した時に多量に産生された。微胞子虫は極管を弾出させることによって、胞子内部の原形質を標的細胞内に注入して感染すること、過酸化水素の存在下で極管の弾出がみられることから、これらの結果は、グルゲア胞子が感染のために宿主側の貪食反応を利用している可能性を示唆すると思われた。アユのマクロファージとグルゲア以外の胞子、コイのマクロファージとグルゲア胞子という二通りの組み合わせで実験を行った結果、微量のスーパーオキシド、多量の過酸化水素産生という現象にはかなり宿主特異性があるということがわかった。すなわち、本来の宿主と微胞子虫の組み合わせの場合にのみ上記の現象が著しかった。コイの頭腎マクロファージは胞子の生死と関係なく、多量のスーパーオキシドを産生した。

4.グルゲア胞子のレクチン反応性

 本章ではグルゲア胞子を用いて、レクチンとの反応性を調べ、糖タンパクの存在の可能性を調べた。さらにアユの頭腎マクロファージのレクチン処理胞子に対する貪食能を調べ、実際の感染との関連性を考察した。

 市販のキットに含まれている8種類のレクチンを用いて蛍光レクチン染色およびレクチンブロットを行った結果、グルゲア胞子の表面にはConAとWGAそれぞれに反応性のある糖タンパクがあり、さらにConA処理胞子は貪食されにくいことがわかった。

5.頭腎マクロファージによる胞子貪食とレクチンとの関係

 ConAまたはWGAで処理したグルゲア胞子を用いてレスピラトリバースト実験を行った結果、ConA処理でスーパーオキシドの産生量は増加し、過酸化水素の産生は減少して、スーパーオキシドと過酸化水素の産生量は逆転した。一方、WGAの場合、著しい変化はみられなかった。これらの結果から、胞子とマクロファージの接触でレスピラトリバーストを引き起こすためにはConA反応性の糖タンパクの認識が必要であることが示唆された。次に、ConA媒介性貪食が感染の成立に関与しているのかを感染実験で確かめた。その結果、無処理投与区(対照)とConA処理投与区との間には、シストの出現部位及びシスト数に著しい差が認められた。すなわち、対照区では主に幽門垂と腹腔内脂肪組織にシストが観察されたのに対し、ConA処理投与区ではほとんどが幽門垂に限定しており、シストの数もはるかに少なかった。本実験の結果から、ConA処理によってマクロファージへの胞子感染が阻止された可能性、そしてConA処理によって魚体内でマクロファージが刺激され、殺胞子能力が高まることによってシストの数が滅った可能性が考えられた。しかし、ConA処理をしたにもかかわらず、幽門垂でシストがみられたことはマクロファージ以外の細胞にもグルゲアが感染することを示唆する。

 以上のように本研究の結果、アユはグルゲアに感染する際に抗体を産生するが、この抗体は防御免疫には働かない可能性があること、グルゲアは貪食細胞が産生する活性酸素を感染のために逆に利用している可能性があること、胞子貪食にはレクチン反応性糖タンパクの認識が重要な役割を果たしていること、この認識を遮断することによって胞子のマクロファージへの感染および感染細胞の体内移動を大幅に阻止できること、などが明らかになった。これらの成果は、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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