農薬が人の健康を害し生態系破壊を引き起こすという指摘がされている。このためその使用を極力少なくする環境保全を念頭においた農法や都市空間管理は必要不可欠の課題といえる。農薬を低減するためには植物の生体情報を得てまず健全かどうかの診断をし、さらにどのようなストレスに植物が侵されているかその原因を特定するといった植物診断が作物管理や街路樹管理において重要な位置を占める。正確かつ早期診断が出来て正しい早期防除や処置が可能となるからである。 しかしながら実際に行われている植物管理と診断は現状としていくつかの問題点を抱えている。まず管理の多くは被害が大きくなってからの事後処置であり、このため農薬の使用と処置費用の増大をまねくことが挙げられる。次に管理対象に対する専門家の数が少ないことが挙げられる。例えば東京都の街路樹管理においては、39万本(平成7年)にのぼる多量の樹木を管理する必要がある。そして診断基準のあいまいさが挙げられる。専門家が少数であることからエキスパートシステムを構築して問題解決をはかることが考えられるが、従来のエキスパートシステムも具体的に以下の問題点を有している。 1)診断基準の不確実性が存在し、知識ベースを構築するにも多大なコスト(時間・労力)がかかる。 2)人をシステムの入力部にすることにより診断の不確実性が生じ、診断に要する時間もかかる。またUSER自身がシステムを正確に使いこなす経験値を必要とする。 以上から本研究の目的はこのエキスパートシステムの問題点を解決し、センシングから診断までのシステムに人が介さない自動診断を構築することである。これによりエキスパートシステムの持つ第2点目の問題点が解決され、作業効率向上と省力化も達成される。第1点目に関しては将来入力データに応じて自動的に診断基準や構造変更が行え、自動知識抽出が可能となるようにしたいと考えている。この自動診断は常時巡回・監視を行うロボットや走行車両用の技術として想定されている。植物診断にとって重要なのは正確性と被害が増大する二次伝染を防ぐことであり、これらの診断を本研究では対象にしている。本研究では伝染性病害であり比較的作成しやすい炭そ病菌を使用した。これを用いまず炭そ病の自動診断を行い、将来的には他の病気にも応用できる自動診断の雛形を作成することを考えている。 論文の構成は次のようになっている。 第1章は序論的内容であり、研究背景、目的、論文構成について述べている。 第2章ではこれまでの植物管理・診断の問題点を明確にし、それらを解決する植物病害の自動診断システムの提案を行った。これまでの植物管理・診断やエキスパートシステムでは専門家不足やあいまいさの生起といった問題点が存在するため、この問題点を解決するより総合的な植物管理を念頭にした自動診断システムの構想を挙げた。 第3章では本研究で用いた測定装置・システムの説明を行った。センサ情報として診断に寄与の高い視覚情報である反射率(輝度)を用いた。 第4章では植物病害とはどのようなものかに触れた。次に試料とした病害葉の作成方法や病害認識の評価方法を説明した後、病徴が視認出来ないステージと、視認出来るステージにおける知見をまとめ、病害を認識しやすい波長情報の同定を行った。それぞれの知見は以下となった。 1.病徴が視認できないステージ:近赤外領域に関して反射率の変化が認められた例があるが、一般的に変化が複雑である 2.病徴が視認できるステージ:650nmの波長情報で可視害部を認識しやすく、その次に500,600nmも認識に適している。 病気の進行による典型的な植物の反射率変化は病原菌による葉緑体の破壊に伴うのではないかと推測している。葉緑体に含まれる色素の光吸収帯と植物病害の認識しやすい波長がほぼ一致しているためである。そして完全に細胞が死滅すると枯渇してしまうため、1400nmの波長情報に変化がでると考えている。 第5章では第4章で得られた知見を基に、可視害まで至った病気に関してその識別を可能とするパラメータを作成して識別実験を行っている。識別パラメータはいくつか作成し検討を行った。これらのパラメータは650nmのフィルター画像を用いて算出している。次の二つを主として考案した。 1)P0=F650/A:650nmのフィルター画像を用いて判別分析法で二値化した明部(F650)と葉の面積(A)の比 2)Th_M0:650nmのフィルター画像における葉の輝度分布の最頻値と判別分析法で求められる最適閾値の差 作成したパラメータと分類器の評価を目的に診断プログラムを作成して各識別誤り割合を算出した。サンプル数は健全葉、病害葉ともに30である。識別実験は遠隔画像(Remote image)と近接画像(Adjacent image)の2通りの場合について行った。また識別率を向上させるため、遠隔画像では葉縁除去処理(Leaf Margin Ablation、以下L.M.A.)、近接画像では葉脈除去処理(Leaf Vein Ablation、以下L.V.A.)を行った結果を比較している。また病気に限らず標本数が少ない場合の実験的な識別評価には少数の標本による誤差推定法があり、その代表的なものとして全標本学習法(R-法)、ブートストラップ法(B-法)、一つ抜き法(L-法)、分割学習法(H-法)があり、これらを用いた。識別実験は遠隔画像、近接画像、光源である太陽光が変動する屋外診断について行った。この結果、いずれも良好な結果を得た。屋外診断における結果を表1示す。 表1 屋外診断における識別結果PeR:Distinction error rate by R-method PeB:Distinction error rate by B-method PeL:Distinction error rate by L-method PeH:Distinction error rate by H-method これらは単一のパラメータによる識別であった。このため、更なる識別率向上を目指し、複数のパラメータを組み合わせ新たな識別パラメータの作成を行った。この組み合わせ方法として本研究では遺伝的プログラミング(GP)を用いた手法を提案し導入した。一般的な数式が木構造で表現できることからこれまでに作成した健全葉と病害葉の識別パラメータを組み合わせ、GPで識別指標D.I.を最大とする遺伝子を探索し、識別率の高い新しい識別パラメータを作成した。この結果、各識別誤差割合を0.0%にするパラメータが作成できた。この時作成された識別パラメータは(P4-P3)/(P3+P4)-P10.5/(P3-P4)で、それぞれP1=P0、P3=P0(L.V.A.)、P4=Th_M0(L.V.A.)を表している。 第5章までは植物が伝染性病害に侵されているか、すなわち健全葉か病害葉かの識別を行ってきた。正確な処置を施すには植物が病害に侵されていると判断した後、どのような原因によるものかを特定する必要がある。そこで次の段階として第6章では病種特定を試みた。本研究ではその初期のアプローチとし、可視害部の形状情報から伝染性病害の識別を行った。使用した病気はこれまでに用いた炭そ病と、新たに導入した渇班病である。GPを応用して病徴の基本形状特徴量を組み合わせ、炭そ病と渇班病の識別を行った。GPで作成されたパラメータはP4-0.33-P4-1+P1-1+(P4-2+P43)-2である。ここでP1=AREA(病徴の実面積)、P4=SF1(丸さ度合い)を表す。このパラメータを使用したところ識別誤差割合が5%以下であり、比較的良好な結果を得た。しかし、様々な病種の特定には事前情報、葉に対する位置情報なども加える必要があると考えている。 第7章は結言である。まとめると本研究ではこれまでの植物管理・診断の問題点を明確にし、それらを解決する総合的な植物管理を念頭においた植物病害の自動診断システムの提案を行った。本論文ではこの自動診断システムを構築する際に中心となる基礎研究として視覚情報における病気の知見を得、これを基に識別パラメータを作成してその有効性を示した。本論文における成果は次に集約される。 1.これまでなかった植物病害の自動診断システムを提案し、その構築に必要な研究事項等を考察した。 2.病徴が視認出来ない病気のステージでは近赤外領域でその兆候を捉えることが出来る可能性を得た。しかし分光反射率のみを情報とした時、その確実な診断はまだ困難といえる。 3.病徴が視認出来るステージにおいては650nmがその認識に最適である。同様に500,600nmも有効で、逆に400や800nmの波長情報では困難である。500,600,650nmの波長情報が有効なのは病原菌による典型的な反射率変化が葉緑体の積極的な破壊と密接な関係があると考る。 4.健全葉と病害葉を識別するパラメータとしてP0,Th_M0,またこれに葉脈除去処理(L.V.A.)や葉縁除去処理(L.M.A.)を行ったものを考案した。識別実験の結果、これらのパラメータにより高い識別が可能であることが示された。 5.光源である太陽光が変動する屋外においてもこれらの識別パラメータは有効であった。 6.GPによる複数の識別パラメータを組み合わせる手法を考案し、より識別率の高い新たなパラメータを作成することが可能となった。 7.病徴の基本形状特徴量をGPで組み合わせ、病種の特定を試みた。これにより病種特定の一手段となる可能性を示すことが出来たと考える。 |