学位論文要旨



No 114407
著者(漢字) 末継,淳
著者(英字)
著者(カナ) スエツグ,アツシ
標題(和) 不飽和水分下での土壌中の有機物の分解特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 114407
報告番号 甲14407
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2015号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 助教授 山路,永司
 東京大学 助教授 島田,正志
内容要旨

 乾燥地・半乾燥地を中心とする地球規模での土壌劣化は、土壌中の有機物含有量の低下とともに進行している。このため、土壌劣化の防止には新たな有機物の供給が必要である。土壌劣化が深刻化する途上国では、下水・廃棄物処理システムの普及にともなって、有機性廃棄物の排出量の増加が懸念されている。よって、有機性廃棄物の土壌還元による、土壌劣化の新たな解決法を検討する必要があると考えられる。有機性廃棄物の土壌還元を適正に行い、土壌中に安定に有機物を蓄積させるためには、乾燥地・半乾燥地において通常成立している、不飽和水分下での土壌中の有機物の分解過程に対する理解が必要である。

 不飽和水分下での土壌中の有機物の分解は、土壌水分の形態や移動の様式に左右される。このため、土壌の孔隙構造や孔隙表面の水和特性は、有機物の分解に対して重要な役割を果たしている。土壌鉱物種による孔隙構造の違いは、数nmのスケールのものであるため、-100kJ/kg(平均孔隙径3nm相当)付近の非常に低い水分ポテンシャル下での有機物の分解に影響を与えていることが予想される。特に、allophane質の火山灰土にはミクロ・メソ細孔(孔隙径50nm以下)が多量に含まれる(Rousseaux et al.1977)ため有機物の分解にも関与している可能性があるが、このような低水分ポテンシャル下での有機物の分解には不明な点が多い。また、孔隙表面に存在する有機物の水和特性は、親水基・疎水基それぞれの配向性・分子運動性に関与しているために、有機物分解のされやすさにも影響を与えているものと予想される。

 そこで本研究の目的を、不飽和水分下での有機物施用土壌中の炭素・窒素成分の分解過程と水分との関係をa)一定水分下、b)蒸発下において調べ、この分解の機構を、孔隙表面の水和による親水性成分・疎水性成分の配向性・分子運動性の変化から明らかにすることとした。このために、以下の(1)〜(4)の実験を行った。

(1)砂+有機物系の培養実験

 細孔を含まない砂(豊浦砂)に対して、有機物として下水汚泥(土浦下水汚泥)を施用して温度30℃、水分ポテンシャル-7.3、-3.5、-2.8J/kgの一定水分下で培養すると水分ポテンシャルが高いほど、全炭素・全窒素の減少率は高くなり、有機態窒素のアンモニウム態窒素への無機化が進行した。一方、いずれの水分ポテンシャルにおいても、硝化は進行しなかった。蒸発下では、乾燥が進行した表層部0〜10cmを除いて一定水分下と同様に嫌気的分解が生じた。以上から、砂に下水汚泥を添加した場合、不飽和水分下でも嫌気的な分解が進行することがわかったこの理由は、細孔を含まない砂では、水溶性有機物の収着能が低いために、間隙水中に水溶性有機物が高濃度で残留して、下水汚泥の粒子表面を被覆し、嫌気的ミクロサイトを形成するためであるとの仮説を立てた(図1)。さらに、この仮説を下水汚泥の比表面積、水溶性炭素濃度、水抽出液の動粘度の濃度依存性から検証した。

図1 嫌気的ミクロサイト形成作用の概念図
(2)土壌+有機物系の培養実験

 マクロ細孔(細孔径50nm以上)質の沖積土(深谷沖積土B層)、およびミクロ・メソ細孔質の(細孔径50nm以下)火山灰土(田無火山灰土B層)に対して下水汚泥を施用し温度30℃で培養すると、水分ポテンシャルが-30J/kgの場合、火山灰土、沖積土とも炭素残留率(図2)は0.7前後まで低下した。-100000J/kgの場合、沖積土では残留率は低下しなかったが、火山灰土では0.9前後まで残留率の低下が認められた。したがって-100000J/kgという非常に低い水分ポテンシャルでも、火山灰土のメソ・ミクロ細孔内の水分によって有機物の分解が進行することがわかった。これらの傾向は、窒素残留率についても同様であった。蒸発下では(図3)、沖積土の表層1〜3cmでは残留率はほとんど低下せず、下層4〜10cmでは0.8前後にまで低下した。火山灰土では、深さにしたがって0.9から0.8まで直線的に低下した。表層で火山灰土の残留率が低くなったのは火山灰土に含まれるミクロ・メソ細孔内の水分が、有機物の分解に利用されたためであると考えられた。下層で沖積土の残留率が低くなったのは、含水比が高い状態に保たれたためであると考えられた。この含水比分布は、水溶性有機物が溶出して水分の粘性が増加することを考慮してシミュレーションを行うと、溶解率10%を仮定した場合によく表現できた(図4)。

図2 炭素残留率の推移(定常法)図3 蒸発後の炭素残留率(70日後)図4 蒸発後の含水比分布(沖積土+汚泥)
(3)有機物の組成変化

 培養時の水分ポテンシャルが、有機物の組成に及ぼす影響を、FT-IR(Fourier Transform InfraRed spectroscopy)およびCP/MAS(Cross Polarization/Magic Angle Spinning)13C NMR(Nuclear Magnetic Resonance spectroscopy)によって調べた。FT-IRスペクトルの脂肪族メチレンに対するカルボキシル基のピーク強度比(図5左)は、培養期間の進行とともに増加した。70日後には、-30J/kgでのピーク強度比は1.212に達したが、-100000J/kgでは0.923にとどまった。脂肪族メチレンに対する炭化水素のピーク強度比(図5右)は、70日後には、-30J/kgでは、2.312まで増加し、-100000J/kgでは1.962まで減少した。CP/MAS13C NMR(図6)によると脂肪族、カルボキシル、カルボニル成分が減少した。特に脂肪族性成分の減少は著しく、-30J/kgでは培養前の11.5%から7.7%まで減少した。

図5 FT-IRスペクトル強度比の推移図6 CP/MAS13C NMRによる化学組成

 以上より、-30J/kgでは、下水汚泥に含まれる脂肪族性成分が分解されて、カルボキシル、炭化水素成分の割合が増加するが、-100000J/kgでは、分解による組成変動はわずかであることが示された。

(4)有機物の水和による分子運動性の変化

 有機物(下水汚泥)が水和した場合の分子運動性の変化を、(a)固体状有機物、(b)土壌鉱物と複合体を形成した有機物、のそれぞれについて調べた。

(a)固体状有機物

 CP/MAS法に対するPST(Pulse Saturation Transfer)/MAS法のピーク面積比から分子運動性を評価した。測定原理から、この面積比が大きいほど分子運動性が高い。乾燥試料では、脂肪族、カルボキシル成分の分子運動性が高く(図8)、水和試料(30%D2O添加)では、脂肪族性成分の分子運動性は-100000J/kgの場合に上昇し、-30J/kgの場合には低下した。-100000J/kgの場合には、分解による構造の崩壊や、疎水基である脂肪族性成分などの界面への配向により分子運動性が増加するのに対して、-30J/kgの場合には、これらの分子運動性が増加した成分が無機化され、分子運動性の低い成分が残留して、試料全体の分子運動性が低下したものと推察された。この考察は、(3)の組成変化において培養水分が-30J/kgの場合に脂肪族性成分が著しく減少したことに対応している。

図7 下水汚泥の固体NMRスペクトル図8 CP法に対するPST法のピーク面積比
(b)土壌鉱物と複合体を形成した有機物

 土壌鉱物と有機物の複合体を調整するために、下水汚泥から抽出した水溶性有機物の収着実験を行った。この結果、水溶性有機炭素(Dissolved Organic Carbon:DOC)の収着は細孔内への拡散過程を伴わない外表面への収着が主体であると推察された。平衡時の収着量は沖積土で4200mg/kg、火山灰土では12500mg/kgとなり、沖積土よりも火山灰土の方がDOCの収着能が高いことが示された。次に、土壌鉱物の持つ親水性成分・疎水性成分の収着に対する選択性を調べるために、収着平衡後の水溶液の表面張力と収着量の関係を求めた(図9)。この測定値を直線近似して、単位収着量あたりの表面張力の低下率を求めると、沖積土で3.92×103mN/m/mgC/kg、火山灰土で8.70×104mN/m/mgC/kgとなった。この低下率が小さいほど疎水性成分の収着に対する選択性が高いため、沖積土は親水性成分を選択的に収着し火山灰土は疎水性成分を選択的に収着することが分かった。

図9 収着量と平衡溶液の表面張力との関係

 沖積土と複合体を形成した有機物のFT-IRスペクトルでは脂肪族性メチレンのピーク波数が、水和(水分ポテンシャル-305kJ/kgから-7.77kJ/kgへの変化)により2cm1高波数側にシフトした。この高波数側へのシフトは、メチレン鎖の分子運動性の高まりを示すものであるため、沖積土に収着した脂肪族性成分の分子運動性は、水和によって増加したものと考えられた。火山灰土では、-305kJ/kgの水分ポテンシャルでも水酸基のピークが著しく大きいために、脂肪族性メチレンのピークが観測できなかった。したがって、火山灰土に収着した水溶性有機物中の脂肪族性成分は、沖積土よりも水分による影響を強く受けていると推察された。

 以上の(1)〜(4)より、水溶性有機物の収着能が低い砂および沖積土では孔隙水に残留した水溶性有機物による保水効果が、不飽和水分下でも嫌気的な分解を進行させることが示された。火山灰土で分解が低水分ポテンシャルでも進行したのは、ミクロ・メソ細孔内に水分が多量に残留し、収着した有機物が水和による撹乱を受けやすいためであることが示された。これらの有機物の分解は、脂肪族性成分が、水和による撹乱を受けて分子運動性が高められるために生じることが示された。

審査要旨

 今日の世界の土壌劣化は、人類を含む地球上の生物資源の存続にとって、深刻な危機を予測させるに至っている。その中でも、土壌中の有機物成分の減衰は深刻で、土壌有機物の適正な集積、分解、循環を失うことにより、熱帯雨林の喪失や農耕地の不毛化につながった例は、近年多く指摘されているところである。逆に、土壌に人為的に有機物を投入することにより、土壌の団粒化促進、肥沃度向上、緩衝能増大など、有益な効果をもたらすことも期待されている。

 こうした状況を背景として、本研究は、土壌へ人為的に有機物を投与した場合の土壌の変化と有機物自身の変化について、実験的に明らかにしたのである。特に、従来、現象の複雑さと実験系の設定の困難を理由として解明が遅れていた、不飽和水分条件下での有機物分解について詳細に論じたところに独創性がある。研究の方法と成果の概要は以下の通りである。

1.砂に有機物を混入した場合の現象

 実験用の有機物素材として、下水汚泥コンポストを用い、これを豊浦砂へ混入した培養実験により、有機物は土壌水分が多いほど分解・無機化されやすいことが分かった。次に、同一試科を高さ30cmのカラム内に充填し、初期含水比を18%としておよそ40日間表面蒸発を起こさせたところ、表層5cm以内では全窒素、全炭素ともほぼ全量残存したが、深さ5cm以下の層では窒素の約20%、炭素の約30%が分解消失した。この現象は、蒸発下の不飽和水分移動条件下でも有機物の嫌気的分解が起こることを示した重要な知見であり、不飽和水分移動条件下といえども局所的な嫌気的領域(嫌気的ミクロサイト)が残存してその領域で有機物分解を起こしていると結論した。そこで、下水汚泥水溶液中の水溶性有機炭素量、水溶性有機窒素量、水溶性有機物の1H、13C-NMR、FT-IR表面張力、動粘度の測定を行った結果、下水汚泥水溶液濃度1.0〜3.4%の範囲内でゲル化を生ずることを確認し、このゲル化現象が不飽和水分移動条件下での豊浦砂中の局所的嫌気的領域を生み出す原因であると結論した。

2.沖積士と火山灰土に有機物を混入した場合の現象

 沖積土や火山灰土は、砂と比較しておよそ50〜150倍の比表面積を持つので、これらに混入された有機物の分解速度や土壌の物理性変化は、砂と異なる特徴を持つと予測された。そこで、砂の場合と同様に、静的な不飽和水分条件(培養実験)下で有機物成分の変化を調べたところ、沖積土が乾燥している場合は有機物の分解がほとんど停止するが、同程度に乾燥した火山灰土では有機物の分解が砂と同程度かそれ以上に進行することが分かった。火山灰土が乾燥していても有機物分解が起こりうる理由は、アロフェンの細孔内の水が、水分ポテンシャルがかなり低くなっても消失せずに内部に存在し、この水が有機物分解に必要な環境を生み出していることを、有機物の水和による分子運動性の変化などの測定に基づいて論証した。

 次に、下水汚泥を混入した土壌試料を高さ10cmのカラムに充填し、-30J/kgの初期水分ポテンシャルを与えて70日間このカラム上端からの蒸発を起こさせて有機物の分解を調べたところ、全窒素量には分解の進行が認められず、全炭素量は明瞭に減少し、全窒素量と全炭素量とで変化の仕方が異なることを見いだした。本実験で特筆すべきことは、火山灰土では有機物を混入しても土壌の不飽和透水係数に変化が起きず、従って蒸発に伴って土が乾燥しやすいこと、一方、沖積土では有機物を混入すると不飽和透水係数が数オーダー低下して、蒸発は表面だけで進行するようになり、土壌内部の乾燥化がほぼ停止する、という対照的な特徴を発見したことである。

3.土粒子表面に収着され、水和した有機物の配向性と分子運動性の解析

 水溶性有機物の土壌への収着量測定、収着平衡水溶液の表面張力測定、有機物収着試料のFT-IRスペクトル解析などを行って、土粒子表面に収着、水和した有機物の配向性や分子運動性が収着前と比較してどう変化したかを調べた。その結果、下水汚泥に含まれる有機物は、成分の分子量が大きいので、土壌の外表面のみに収着される傾向があり、その場合、火山灰土の内表面に存在する水分子が収着された有機物を水和させるので、こうして水和された有機物の分子運動性が高く維持され、結局有機物由来の土壌の撥水性が発現しにくいという重要な知見が得られた。

 以上の研究成果は、土壌中に投与された有機物の分解過程とそれに伴う土壌の変化について、従来解明が遅れていた不飽和水分条件の下で実験的に明らかにしたもので、農地圃場における土壌改良、下水汚泥のリサイクル活用、環境保全型農業の確立、土壌中の物質循環現象の解明などを進める上で、大きな寄与を収めたものと高く評価される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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