学位論文要旨



No 114409
著者(漢字) 五十嵐,圭日子
著者(英字)
著者(カナ) イガラシ,キヨヒコ
標題(和) 白色腐朽菌Phanerochaete chrysosporiumによるセルロース生分解におけるセロビオース脱水素酵素の機能
標題(洋) Function of cellobiose dehydrogenase in cellulose biodegradation by the white-rot fungus Phanerochaete chrysosporium
報告番号 114409
報告番号 甲14409
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2017号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐分,義正
 東京大学 教授 飯塚,堯介
 東京大学 助教授 空閑,重則
 東京大学 助教授 鮫島,正浩
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨

 微生物によるセルロースの分解は、一般にセルラーゼによる加水分解反応を中心に議論されてきた。しかしその一方で、多くのセルロース分解性糸状菌がセルロース分解時にセロビオース脱水素酵素(CDH)を生産することが知られていることから、セルロース生分解過程において酸化還元反応が重要な役割を担っていると考えられる。

 白色腐朽菌Phanerochaete chrysosporiumがセルロースを唯一の炭素源として成長するとき、一連のセルロース加水分解酵素(セルラーゼ)とともにCDHを菌体外に生産する。CDHは補欠分子族としてフラビンとヘムを含むフラボヘモ蛋白質で、セロビオースおよびセロオリゴ糖の還元末端を酸化してラクトンにし、その際の電子受容体として様々なキノンや鉄化合物を利用することが知られている(Fig.1)が、その生理的機能に関しては複数の可能性が示唆されており、依然不明な点が多い。

Fig.1 Catalytic reaction of cellobiose dehydrogenase

 そこで本研究ではP.chrysosporiumが生産するCDHを研究対象として、そのセルロース分解過程における機能を明らかにすることを目的とした。

Phanerochaete chrysosporiumによるセルロース分解過程におけるセロビオース脱水素酵素の局在性

 P.chrysosporiumをセルロースを炭素源として培養するとき、一般に振とう培養系が利用されるが、振とう下での培養は明らかに天然の状態とかけ離れていると考えられたため、通気静置培養系を使用して培養を行い、菌体外液中の酵素活性を振とう培養系と比較した。その結果、通気静置培養では振とう培養に比べて菌体の成長には差が見られないが、菌体外液中にCDH活性は検出されなかった。光学顕微鏡によって2つの培養系における菌糸の様子を観察したところ、通気静置培養系の菌糸表面にはセルロースの粒子が吸着して菌糸/セルロース複合体を形成しているのに対して、振とう培養系ではそのような複合体は観察されなかった(Fig.2)。この菌糸/セルロース複合体にラミナリナーゼ(-1,3-グルカナーゼ)を作用させると菌糸とセルロースが分離することから、このような複合体形成に菌体外壁であるグルカン層が関与していることが示された。また通気静置培養系から得られた菌体外液と菌糸/セルロース複合体のCDH活性を酸化還元電極によって測定したところ、菌糸/セルロース複合体からは明らかにCDH活性が検出されたことから、通気静置培養系においてもCDHは生産されているが、菌体外液中に遊離してこないことが明らかになった。CDHに特異的に反応する1次抗体と蛍光標識された2次抗体を用いて菌糸/セルロース複合体中のCDHを蛍光染色し、共焦点レーザー顕微鏡によって観察したところ、CDHはそのほとんどがセルロース表面に吸着していることが明らかになった(Fig.3)。CDHの吸着は特にセルラーゼの作用によって形成された「ひび割れ」付近に局在していたことから、CDHはセルラーゼと共役してセルロースを分解に関与している可能性が示唆された。

Fig.2 Morphology of the interaction between hypha of P.chrysosporium and cellulose in 10-day-old shake(A)and static(B)cultures.Scale bar indicates100m.Fig.3 Localization of cellobiose dehydrogenase(CDH)by confocal laser scanning microscopy on in 10-day-old static cultures.H,Hypha;C,cellulose.Scale bar indicates25m.
セロビオース脱水素酵素の生産と精製の最適化

 CDHの研究を進める上で大量の酵素を生産し、効率良く精製することは非常に重要な行程である。本研究において仔牛血清の培地への添加が、P.chrysosporiumによるCDH生産を著しく増大させる結果が得られたため、仔牛血清添加培養系の最適化を行った。仔牛血清は45ml/L、培養3または4日目に添加した時に最も高いCDH活性が得られ、仔牛血清を添加していない培養系と比較して3.5〜4倍ものCDHが生産された。仔牛血清の培地への添加は-グルコシダーゼの生産も2倍程度増大させたが、他のセルラーゼおよびヘミセルラーゼ活性にはほとんど影響を与えなかった。また、得られた菌体外液から強陰イオン交換、弱陰イオン交換、疎水の3段のカラムクロマトグラフィーによってCDHを分離、精製し、その収率と純度を調べたところ、菌体外液中に生産された活性の75%が精製酵素として回収されており、純度の指標となるRz値(A421/A280)も0.625と高かったことから、今後の実験では上述の生産および精製法を用いることとした。

セロビオース脱水素酵素によるセロビオヒドロラーゼI活性促進機構の解析

 これまでにCDHの存在下でセルラーゼによる結晶性セルロースの分解が促進されるという実験結果が報告されているが、その機構に関しては十分な説明がなされていない。そこで本研究ではP.chrysosporium由来のセロビオヒドロラーゼI(CBHI)によるバクテリアセルロース(BC)およびセロビオースp-ニトロフェノール誘導体(pNPC)の分解に与えるCDH酸化還元系の影響を調べ、セルロース分解過程におけるCDHの機能を考察した。CBHIによるBCの分解はCDHとその電子受容体であるferricyanideの存在下でのみ促進された。その促進機構を解析するためにpNPCを基質として同様の実験を行ったところ、CBHIによるpNPCの分解はBCの時と同程度の促進が観察された。さらにpNPCの系に対して酵素学的パラメータを比較したところ、CDH酸化還元系の存在によってMichaelis定数(Ki)が384Mから142Mに低下しているのに対して、分子活性(kcat)はどちらの系においても0.025s-1と全く変化が無いことが明らかになった(Fig.4)。この結果からCDHの酸化還元反応がCBHIの基質に対する親和性を高めていることが示唆された。CBHIはセロビオースによって生成物阻害を受け、その阻害定数(Ki)は65Mであったが、セロビオースをCDHによって酸化したところ阻害が解除されたことから、CDHはCBHIの加水分解生成物を酸化することでCBHIの生成物阻害を解除し、活性を促進していることが示唆された。しかしCDHの生産が確認されていないTri-choderma viride由来のCBHIではCDH酸化還元系による生成物阻害の解除が起こらなかったことから、二つの菌によるセルロース分解機構の違いが示唆された。

Fig.4 Velocity for PhNO2-cellobiose hydrolysis of by P.chrysosporium CBHI toward substrate concentration with(●)and without(〇)CDH/ferricyanide rdox system.
セロビオース脱水素酵素のフラビンおよびヘムドメインの酸化還元電位の測定

 CDHはセロビオースやセロオリゴ糖の還元末端を酸化し、その際に様々な電子受容体を利用するが、キノンおよびキノン類似化合物と鉄化合物では反応のpH依存性が異なることが知られている。これにはCDH内の補欠分子族であるフラビンとヘムの間での電子伝達が関与していると考えられている。そこでCDHの補欠分子族であるフラビンとヘムの酸化還元電位のpH依存性を測定し、pH依存性の違いを与える原因を探るとともに、CDHの酸化還元における各反応の電位の比較を行った。P.chrysosporiumの菌体外液から精製されたCDHによるユビキノンおよびチトクロームc還元活性は、pH4.0付近ではほぼ同程度であった。しかし、pH6.0におけるチトクロームc還元活性はpH4.0における活性の4%しかないのに対して、ユビキノン還元活性は65%保たれていた。この現象はpHの上昇に伴うフラビンからヘムへの電子伝達阻害が原因であると考えられているため、CDHにタンパク質分解酵素を作用させてフラビンとヘムを含むドメインを単離し、それぞれの酸化還元電位を測定した。フラビンドメインの電位は酸化還元色素存在下における亜二チオン酸ナトリウムによる還元滴定で行い、ヘムドメインの電位はサイクリックボルタンメトリーによって測定した。さらにこれら補欠分子族の電位のpH依存性を調べたところ、ヘムの電位はフラビンの電位と比較して、測定したpH範囲内のいずれにおいても電子伝達を行うのに十分高いものであり、また、フラビンとヘムの酸化還元電位の差はpHの上昇に伴って大きくなっていた(Fig.5)。この結果から、pH上昇に伴う補欠分子族間の電子伝達阻害は、電位の変化によって起こるのではなく、タンパク質の構造がpHの上昇によって変化することが原因であると考えられた。またCDHの酸化還元系における反応の電位差を比較したところ、生体内酸化還元の終点であると考えられる酸素の水への還元反応における電位とヘムの電位差が著しく大きいことから(Fig.6)、CDH酸化還元系からさらに酸素の還元反応にまで電子伝達を行う酸化還元系が存在する可能性が示唆された。

Fig.5 pH dependence of midpoint potential of flavin(〇)and heme(●)domain.Potentials of flavin domain and heme domain were determined by reductive titration and direct electrochemical technique,respevtively.Fig.6 Comparison of redox potential of flavin and heme in CDH with cellobiose and molecular oxygen.The potential of cellobiose/cellobionolactone was refered from that of glucose/gluconolactone.
総括

 P.chrysosporiumによるセルロース分解過程においてCDHはセルロース表面の特にセルラーゼが機能している場所にCDHが局在していたことから、CDHがセルラーゼと共役してセルロース分解に関与する可能性が示唆された。

 CDHが生成物(セロビオース)阻害を解除することによって、P.chrysosporium由来のCBHIの活性が促進されていたという結果は、この菌における「CDHとセルラーゼの共役」を裏付けるもので、セルロース分解過程におけるCDH酸化還元系の機能を示唆するものであった。

 CDHの補欠分子族であるフラビンとヘムの酸化還元電位のpH依存性を測定し、電子受容体によって活性のpH依存性が異なるという現象が、電位の変化によるものではないことを示唆した。今回得られたフラビンとヘムの酸化還元電位は、その存在が不明であるCDHの電子受容体の解明、さらにCDH酸化還元系の全容を知るために非常に有益な情報となった。

審査要旨

 微生物によるセルロースの分解は、一般にセルラーゼによる加水分解反応を中心に議論されてきた。しかし一方で、多くのセルロース分解性糸状菌がセルロース分解時にセロビオース脱水素酵素(CDH)を生産することが知られていることから、セルロース生分解過程において酸化還元反応も重要な役割を担っていると考えられる。

 白色腐朽菌Phanerochaete chrysosporiumがセルロースを唯一の炭素源として成長する時、一連のセルロース加水分解酵素セルラーゼと共にCDHを菌体外に生産する。CDHは補欠分子族としてフラビンとヘムを含むフラボヘモ蛋白質で、セロビオースおよびセロオリゴ糖の還元末端を酸化してラクトンにし、その際の電子受容体として様々なキノンや鉄化合物を利用することが知られているが、その生理的機能に関しては複数の可能性が示唆されており、依然不明な点が多い。

 そこで本論文ではP.chrysosporiumが生産するCDHのセルロース分解過程における機能を解明するために種々の観点から検討を加えたものである。

 論文は6章より構成され、1章は緒言、6章は総括で、2章から5章が本文である。

 2章では本菌によるセルロース分解過程におけるCDHの局在性について考察した。すなわち、CDHの機能を考える上でセルロース生分解過程における局在性を明らかにすることは非常に重要であり、本菌が通気静置培養系で成長するとき、菌糸がセルロースと複合体を形成しておりCDH活性がこの複合体のみに検出されることを見出した。さらにCDHの局在性を免疫共焦点レーザー顕微鏡で観察した結果、CDHは複合体中のセルロース表面に吸着しており、特にセルラーゼの作用によって形成された「ひび割れ」付近に局在していたことから、CDHはセルラーゼと共役してセルロース分解に関与している可能性を明らかにした。

 3章では、CDHの研究を進める上で大量の酵素を生産し、効率よく精製することの重要性を考慮し、CDHの生産方法ならびに精製方法を確立した。本研究過程で、仔牛血清の培地への添加がCDH生産を著しく増大することを見出し、添加培養系を最適化した。また、得られた菌体外液から強陰イオン交換、弱陰イオン交換、疎水の3段のカラムクロマトグラフィーによってCDHを分離・精製する方法を確立し、以後の実験に用いている。

 4章では、CDHとセルラーゼの関係を明らかにするために、本菌由来のセロビオヒドラーゼ(CBHI)も分離・精製し、本酵素によるバクテリアセルロース(BC)およびセロビオースp-ニトロフェノール誘導体(pNPC)の分解に与えるCDH酸化還元系の効果を考察した。その結果、CBHIによるBCおよびpNPCの分解は、CDHとその電子受容体であるferricyanideの存在下でのみ促進することを見出した。さらに、pNPCの系に対して酵素学的パラメータを比較し、CDH酸化還元系の存在によってkm値が小さくなるのに対してkcatは全く変化のないこと、また、CBHIはセロビースによって生成物阻害を受けるが、セロビースをCDHによって酸化した生成物では阻害がないことから、CDHはCBHIの加水分解生成物を酸化することでCBHIの生成物阻害を解除し、活性を促進することで分解過程に寄与していることを明らかにした。

 5章では、CDHの酸化還元酵素としての性質を明らかにするために、タンパク質分解酵素を作用させ、フラビンとヘムを含むドメインを各々分離・精製し、それぞれの酸化還元電位のpH依存性を検討している。その結果、ヘムの電位はフラビンの電位と比較して測定したすべてのpHの範囲で電子伝達可能なことを見出し、pH上昇に伴う補欠分子族間の電子伝達阻害は、電位の変化ではなく、タンパク質の構造がpHの上昇によって変化することが原因であることを明らかにした。

 以上要するに、本論文はセルロース生分解において、加水分解酵素系であるセルラーゼの作用を、酸化還元酵素であるCDHの機能を詳細に検討、考察することにより明らかにしたもので、学術上、応用上価値の高い論文であり、よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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