学位論文要旨



No 114410
著者(漢字) 伊藤,賢一
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ケンイチ
標題(和) 中性ロジンエステル系サイズ剤のサイズ発現機構
標題(洋)
報告番号 114410
報告番号 甲14410
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2018号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾鍋,史彦
 東京大学 教授 飯塚,堯介
 東京大学 助教授 磯貝,明
 東京大学 助教授 空閑,重則
 東京大学 助教授 竹村,彰夫
内容要旨

 サイズ剤は親水性の高いセルロース繊維を主体とする紙に疎水性を付与し、液体の浸透を抑制する効果(サイズ効果)をもたらす製紙用薬品であり、筆記用紙などへのインキの滲みの抑制、段ボールなどへの水の浸透による強度低下の抑制など、用途に応じた機能を紙に付与し、紙の性質を決定する重要な役割を果たしている。サイズ剤として古くから松脂を原料とするロジンを,-不飽和カルボン酸とのDiels-alder反応により変性した強化ロジンを鹸化し、溶液状にしたロジン石鹸が使用されており、現在では界面活性剤により強化ロジンを乳化分散したロジンエマルションが主に用いられている。この2種のロジン系サイズ剤はいずれもパルプスラリーに添加される際にアラム(硫酸アルミニウム)を紙への定着剤として併用することで成紙にサイズ効果を与えている。ロジン系サイズ剤はその殆どがアニオン性の性状を持つため、アラム由来のAlカチオンを介してアニオン性のパルプ表面に定着すると考えられている。アラムの使用により抄紙系はpH4〜6の酸性となり、抄造された紙も酸性を示す。しかし、酸性紙には経年劣化の問題があるため、また安価で白色度が高い軽質炭酸カルシウムの填料としての使用を目的として、書籍用紙、筆記用紙を主として酸性抄紙から中性抄紙への移行が進みつつある。従来のロジン系サイズ剤の主成分である強化ロジンは酸基を有しているためにpHの上昇に伴って水相中に溶出することが知られており、中性抄紙においてサイズ効果、操業性の点で満足できるものではない。そのため、中性抄紙用サイズ剤としてはAKD(alkyl ketene dimer)、ASA(Alkenyl succinic anhydride)が現在では主流となっている。しかし、AKD、ASAにも操業性および紙質に種々の問題が生じているのが現状である。このような状況の中、中性ロジンエステル系サイズ剤が開発され、その応用が広がりつつある。

 中性ロジンエステル系サイズ剤は、ロジン系サイズ剤の主成分である強化ロジンにロジン多価アルコールエステル(ロジンエステル)を混合しエマルション化したもので、中性領域においてロジンエマルションサイズよりサイズ効果が優れるという特徴を有する。ただし、サイズ効果の発現に対するロジンエステルの役割については解明されていない。また、中性ロジンエステル系サイズ剤をパルプスラリーに添加する際にも従来のロジン系サイズ剤と同様、アラムなどAlカチオンを生成するAl化合物を併用することが必要とされているが、中性の水溶液中でAlはイオン性を失い、凝集することが知られており、中性のパルプスラリーに添加されたAlイオンの挙動と中性ロジンエステル系サイズ剤のサイズ発現の関連についても解明されるまでには至っていない。

 そこで本研究では、中性ロジンエステル系サイズ剤のサイズ発現機構の解明を目的として、中性のパルプスラリーにおけるAlイオンの挙動とサイズ剤のパルプへの定着機構、サイズ剤粒子に含まれる各成分のサイズ発現への役割、およびパルプ表面におけるサイズ剤の挙動として特にパルプ表面に存在するロジンの化学的構造がサイズ性能に及ぼす影響について検討を行った。

 抄紙系のpH、アラム、サイズ剤およびカチオン性ポリマーのパルプ乾燥重量に対する添加率、および手すき紙に定着したAl量、ロジン量、手すき紙のサイズ度の関係を調べ、中性におけるロジンエステル系サイズ剤のサイズ特性について知見を得た。パルプは市販の広葉樹漂白クラフトパルプを使用した。なお本研究で用いた中性ロジンエステル系サイズ剤は強化ロジン/ロジンエステルの重量比約1/1の混合物をスチレン/アクリル酸系ポリマーで分散安定化したエマルションである。紙中のAl量は蛍光X線分析により、また紙中のロジン量はオンラインメチル化熱分解ガスクロマトグラフィーにより定量を行った。アラム添加率、サイズ剤添加率の増加に伴い紙中Al量、紙中ロジン量は増加し、サイズ度も向上した。これより、中性のパルプスラリーに添加されたアラム由来のカチオン性Alは速やかにパルプ表面に定着してカチオン性サイトを形成し、サイズ剤粒子はこのカチオン性サイトを介してパルプ表面に定着すると考えられる。また、紙中のロジン量と手すき紙のサイズ度には特定の関係がみられ、紙中ロジン量の増加に伴ってサイズ度が向上する傾向がみられた。ただしアラムの代わりにカチオン性ポリマーを使用した場合、サイズ剤の定着量が十分であっても低いサイズ効果しか示さない場合があった。これはパルプ表面におけるロジン成分の分布状態が不均一であることに由来する現象であり、紙のサイズ効果は紙中ロジン量のみではなく、紙中におけるロジンの分布状態にも関連することを示唆する結果である。

 ロジンエステル、強化ロジンのそれぞれの役割について検証するため、ロジンエステルのみを含むエマルションを調製しサイズ性能の評価を行った。中性ロジンエステル系サイズ剤と比較すると、添加率に対する紙中のロジン定着量、サイズ効果はロジンエステルエマルションが大きく劣っていた。サイズ剤粒子に含まれる成分がロジンエステルのみである場合は粒子がパルプ表面に定着しにくいことから、中性ロジンエステル系サイズ剤においては粒子に含まれる強化ロジンがサイズ剤の定着に寄与していると推察される。ただし、ロジンエステルエマルションを使用した場合、紙中のロジンエステル量が十分であればサイズ効果も向上する結果が得られた。これより、ロジンエステルはサイズ効果の発現に貢献していることが確認できた。また、サイズ剤希薄分散液へのアルカリの添加による分散液の透過率とpHの変化から、ロジンエステルが中性において強化ロジンの水相への溶出を抑制する働きを持つことを確認した。

 アラム由来のAlカチオンはパルプ表面のカルボキシル基に静電的な作用により定着し、カチオン性サイトを形成すると考えられる結果が得られている。そこでカルボキシル基をアミド化によって封鎖したパルプを使用して紙中Al量、紙中ロジン量、サイズ効果を調べ、通常のパルプとの比較を行った。アミド化パルプを使用した場合においても紙中にAlが十分に存在し、サイズ剤を紙中に定着させて手すき紙にサイズ効果を付与するという結果が得られた。これより、Alは単体のAl3+として定着するだけではなく、多核アルミニウム化合物などのカチオン性を有するAlとカチオン性を失ったAl凝集物の複合体としてパルプ表面に定着し、カチオン性サイトをパルプ表面に形成する可能性があることが示された。ただし、カチオン性サイトはアラム添加後の時間の経過によりカチオン性を徐々に失い、サイズ剤粒子の定着量を減少させると考えられる結果が得られた。パルプ表面におけるAlのカチオン性の消失は、AlとOHとの結合による電荷の中和によるものと考えられる。これより、効率的なサイジングを行う場合、Alがカチオン性を失う前にサイズ剤を添加する必要があると考えられる。また、パルプ表面に定着したサイズ剤粒子が剪断力により脱離しやすいのに対し、Alはパルプと強固に定着していることが示された。

 紙の抄造では、ワイヤー上で形成された湿紙がプレスパートで搾水され、さらにドライヤーパートで熱を受けて乾燥されて成紙となる。熱によるサイズ剤粒子の形状の変化を走査型電子顕微鏡で観察し、サイズ剤粒子に含まれるロジン成分が約80℃以上の高温処理により溶融することを確認した。溶融したロジン成分が広がることで親水的なパルプ表面が疎水化され、サイズ性能が向上することを示唆する結果である。また、熱はサイズ剤粒子の溶融による物理的な変化だけでなく、パルプ表面に存在するAlと強化ロジンの反応によるロジンAl塩の形成という化学的な変化もサイズ剤にもたらしている可能性が考えられる。ロジンAl塩の形成に関してパルプのモデル物質としてカルボキシメチルセルロース(CMC)を用い、CMCのカルボキシル基にイオン交換したAlとロジンの相互作用について検討した。その結果、加熱によってロジンより疎水性が高いロジンAl塩の形成が示唆される結果が得られた。また、サイズ剤のモデル物質として脂肪酸とロジンエステルの混合物のエマルションを添加して手すき紙を作成し、セルラーゼ処理によりロジン成分を濃縮した手すき紙のCP/MAS13C NMRスペクトルの解析により、紙中のロジンの一部はAl塩を形成していることがわかった。ただし、紙中のロジンAl塩量とサイズ度に相関は無く、少量のロジンAl塩が効率的なサイズ効果の発現に寄与している可能性が示唆された。また、ロジンCa塩、遊離のロジン酸もサイズ発現に寄与していると考えられる結果が得られた。

 以上より、中性ロジンエステル系サイズ剤のサイズ効果は下記のような機構により発現するという結論に至った。

 中性のパルプスラリーに添加されたアラム由来のAl種がカチオン性を保持したままパルプ表面に定着し、サイズ剤粒子をパルプ表面に定着させる。サイズ剤粒子に含まれるロジンエステル、強化ロジンは熱により溶融して広がり、また強化ロジンがAl、Caと塩を形成することによりパルプ表面を疎水化する。

 酸基を有する強化ロジンは水相中においてサイズ剤粒子が安定に存在するため、またパルプ表面に定着するために必要である他、パルプ表面で塩を形成して疎水性を高める効果を持つ。酸基を持たないロジンエステルは中性の水溶液中において強化ロジンの水相への溶出を抑制する役割、およびパルプ表面を疎水化する働きを有する。

審査要旨

 紙の経年劣化問題発生以降、酸性抄紙から合成サイズ剤を用いる中性抄紙への大幅な移行が行われたが、種々の問題点が発生してからは従来のロジンを改良し、中性領域で用いようという動きがある。特に中性ロジンエステル系サイズ剤は従来のロジンエマルション系サイズ剤の主成分であった強化ロジンにロジン多価アルコールエステルを混合し、エマルション化したもので、サイズ効果の優秀性が知られているが、サイズ発現機構が解明されていない。そこで本研究では中性ロジンエステル系サイズ剤のサイズ発現機構の解明を目的として実験を行った。

 第1章は緒言であり、サイズ剤の開発の歴史とサイズ発現機構に関する従来の研究を総括し、本研究の必要性についての問題提起を行っている。

 第2章から第5章までは本論文の中心であり4章より構成されている。

 第2章は中性ロジンエステル系サイズ剤のサイズ特性について記述している。抄紙系の各種の因子を変え、定着したアルミニウムイオン量、ロジン量およびサイズ度の関係を調べ、検討したところアラム添加率、サイズ剤添加率の増加に伴い紙中Al量、ロジン量が増加し、サイズ度も向上する傾向がみられた。この結果からサイズ剤粒子はパルプ表面に形成されたアラムに基づくカチオンサイトを介して定着し、ロジンの均一な分布がサイズ発現において重要なことが明かにされた。

 第3章はロジンエステルと強化ロジンの役割について記している。ロジンエステルのみを含むエマルションを調製し、サイズ性能の評価を行った結果、紙中のロジン定着量が減少し、サイズ効果も低下するという結果が得られ、サイズ剤粒子に含まれる強化ロジンがサイズ剤の定着に寄与していることが明かにされ、またロジンエステルの役割として、中性のpH領域において強化ロジンの水中への溶出抑制効果が示唆された。

 第4章は歩留まり機構について記述している。アラム由来のAlカチオンはパルプ表面にカチオン性サイトを形成するが、アラム添加後の時間の経過によりカチオン性を徐々に失いサイズ剤粒子の定着量を減少させることが示された。この結果から効果的なサイズ処理を行うにはAlがカチオン性を失う前にサイズ剤を添加する必要があり、また定着したサイズ剤粒子は製紙工程での水流の高速せん断力により脱離しやすいが、Alは強固な定着がなされていることが示唆された。

 第5章はサイズ発現機構を記述している。加熱処理したサイズ処理シートではサイズ剤粒子の溶融という物理的変化だけでなく、ロジンAl塩の形成という化学的変化をもたらす。この塩形成のモデル実験としてCMCをモデル物質として用い、カルボキシル基にイオン交換したAlとロジンの相互作用について検討したところ加熱によるロジンAl塩の形成が示唆された。またサイズ剤のモデル物質として脂肪酸とロジントリグリセライドの混合物のエマルションを用い、セルラーゼ処理によりロジン成分を濃縮した手すき紙のNMRスペクトルの解析から紙中ロジンの一部はAl塩を形成している可能性が示唆された。ただし紙中のロジンAl塩の量とサイズ度の間に相関関係はなく、少量のロジンAl塩が効率的なサイズ効果発現に寄与していることが明かにされた。さらにロジンCa塩、遊離のロジン酸もサイズ効果の発現に寄与していることが示唆された。

 第6章は本論文全体の総括を行っており、本論文が中性ロジンエステル系サイズ剤のサイズ発現機構について、サイズ剤の定着とパルプ表面におけるサイズ発現機構の両面から検討を行ったことを記している。Alが中性のパルプスラリー中においてもカチオン性を保持し、パルプへの定着およびサイズ剤の定着を可能にすることが明かにされた。ロジンエステルの役割は強化ロジンの溶出の抑制のみでなく、サイズ効果の発現にも寄与しているという結果が得られた。さらにサイズ発現に関わると考えられる強化ロジンは遊離の酸、Al塩、Ca塩として親水性のパルプ表面を疎水性に変換し、サイズ性能を発現させているだけでなく、サイズ剤粒子の定着にも寄与していることが明かにされた。

 以上、本論文は多様な条件下における中性ロジンエステル系サイズの定着とサイズ発現機構に関する実験結果からサイズ発現機構を明かにした。更にこの結果から既存のサイズ剤を改良し、新たな機能を持つサイズ剤の開発のための基礎的データが数多く得られた。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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