学位論文要旨



No 114412
著者(漢字) 横山,朝哉
著者(英字) Yokoyama,Tomoya
著者(カナ) ヨコヤマ,トモヤ
標題(和) 酸素-アルカリ漂白過程における多糖類の分解機構に関する基礎的研究
標題(洋) Fundamental Studies on the Degradation Mechanisms of Carbohydrate during Oxygen-Alkali Bleaching Process
報告番号 114412
報告番号 甲14412
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2020号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,堯介
 東京大学 教授 飯山,賢治
 東京大学 助教授 磯貝,明
 東京大学 助教授 松本,雄二
 農水省森林総合研究所 研究室長 細谷,修二
内容要旨 はじめに

 酸素-アルカリ漂白は、その環境面、経済面への利点から、現在、多くの工場で前漂白として採り入れられている。しかし、セルロースの分解が激しいという問題点は解決されていない。従来から、酸素漂白に関する研究には、応用的、工業的なものが多く、基礎的なものは少ない。したがって、例えば、セルロースの保護という点に関しては、マグネシウム、シリカ、キレート剤の添加、高酸素圧の適用、また、漂白設備の向上、などが効果的であるという知見は数多く存在する。しかし、これらによるセルロースの保護機構については全く理解されていない。また、酸素漂白中の化学反応に関しては、脱リグニンとセルロースの分解に大きく寄与しているのは活性酸素種であるが、その反応性についての知見はほとんど存在しない。そこで、本研究では、酸素-アルカリ漂白過程における活性酸素種の生成機構、そして、そのパルプ構成成分との反応について、また、セルロースの分解に及ぼす金属の影響について、その基礎的知見を得ることを目的とした。また、酸素漂白過程における活性酸素種の生成、ならびに、その反応性、の両者に対する漂白反応条件の影響を、忠実に再現することができるモデル実験系の確立も目的とした。

酸素-アルカリ漂白条件下におけるモデル化合物の分解と酸素圧の影響

 本章では、セルロースモデル化合物methyl -D-glucopyranoside(MGP)を、フェノール性化合物2,4,6-trimethylphenol(TMPh)とともに、異なる酸素圧の下で酸素-アルカリ処理し、酸素圧のMGP、TMPh間の反応選択性への影響について検討するとともに、TMPhの分解挙動を詳しく解析することによって、活性酸素種のTMPh、MGPの分解への関与を明らかにしようとした。なお、本研究において、活性酸素種は、フェノール性化合物であるTMPhと酸素との反応によって生成させた。これにより、活性酸素種の反応性だけでなく、その生成機構も解析できると考えられる。

 MGPは単独の酸素-アルカリ処理に対して非常に安定であった。TMPhが共存することによって、MGPは分解された。したがって、TMPhと酸素との反応によって生成する活性酸素種がMGPを分解していることがわかる。高酸素圧によって、MGPの分解はTMPhの分解に対して相対的に遅れ、反応選択性は改善された。TMPhの全分解反応過程は、経験式(1)-d[TMPh]/dt=k[TMPh]n([TMPh]:TMPhの濃度、k:反応速度定数、n:反応次数、t:反応時間)でよく近似され、その反応次数nはすべての反応条件の下で1より小さかった。また、MGPが共存する場合には、共存しない場合よりもnが大きくなった。これらの結果は、反応中に生成する活性酸素種が、TMPhとMGPの分解に寄与していること、そして、これらの分解が、活性酸素種との反応において競合的であることを示している。酸素が十分に存在するとき、TMPhを分解する化学種が、分子状酸素と活性酸素種であることを考慮すると、式(2)-d[TMPh]/dt=k1[TMPh]+k2[TMPh][active]([active]:活性酸素種の濃度、k1、k2:反応速度定数)が成り立つ。また、[active]が反応時間に依存していることから、k1+k2[active]=kobs(t)とおいて、式(3)-d[TMPh]/dt=kobs(t)[TMPh]が得られる。経験式(1)の解を式(3)に代入することによって、kobs(t)が時間の関数として表される。この関数の解析により、活性酸素種のTMPhの分解への関与をより明確に表すことが可能となった。

酸素-アルカリ漂白条件下におけるモデル化合物の分解への金属の影響

 酸素漂白反応中にセルロースやリグニンを分解する活性酸素種は、主に二次的に生成する過酸化物が金属の触媒効果によって分解することで生成する。したがって、セルロース、リグニンの分解の程度は、共存する金属に大きく依存している。

 本章では、まず、Fe3+またはMn2+、そして、セルロースの保護剤として知られるMgの共存下において、MGPをTMPhとともに酸素-アルカリ処理し、これらの金属のMGPの分解への影響を検討した。さらに、反応系中に存在する過酸化物の量を調べることによって、MGPの分解と過酸化物の安定性との関係についても検討した。次に、酸素漂白反応中に二次的に生成する過酸化物のモデル化合物として過酸化水素を用い、Fe3+、Fe2+、Mn2+そしてMgの共存下でMGPのアルカリ性過酸化水素処理を行い、MGPの分解と過酸化物の分解の相関を詳しく検討した。また、過酸化水素の持つ酸化力を有効に基質との反応に用いる方法についても検討した。

 酸素-アルカリ処理において、MgにはFe3+と共存した場合、その量比によって、MGPの分解の促進(Mg/Fe3+<7)、そして、その抑制(Mg/Fe3+>7)、双方の効果があることが見出された。これらの条件の下で、反応溶液中に存在し検出された過酸化物は、どの条件下でも少量であった。したがって、MgのMGPの分解への効果は、生成する過酸化物の安定性への影響にあるのではなく、過酸化物が分解するときに生成する活性酸素種の量への影響にあると考えられる。Mn2+が存在するときには、Mgの有無にかかわらずMGPの分解は少なかった。また、過酸化物もほとんど検出されなかった。これらは、Mn2+が存在すると、生成する過酸化物が、速やかに、かつ、活性酸素種を生成せずに分解していることを示唆している。

 アルカリ性過酸化水素処理において、3つの遷移金属はいずれも過酸化水素の分解を促進した。遷移金属存在下へのMgの添加はいずれも過酸化水素を安定化したが、その程度は遷移金属の種類によって異なっていた。Fe3+またはFe2+の存在下では、Mgの過剰量の添加はMGPの分解を抑制した。Mn2+の存在下では、Mgの添加はMGPの分解にほとんど影響しなかった。したがって、アルカリ性過酸化水素処理におけるMg添加の効果は、Fe3+またはFe2+の存在下では、過酸化水素の安定化、および、その分解に伴う活性酸素種の生成量の抑制に、Mn2+の存在下では、過酸化水素の安定化だけにあると結論できる。

 アルカリ性過酸化水素処理において、生成する活性酸素種が過酸化水素自身と主に反応していることが示唆された。そこで、過酸化水素を段階的に添加することにより、過酸化水素濃度が常に低く保たれる反応系でMGPを処理した。Fe3+の存在下では、この反応系におけるMGPの分解は、反応開始時に一度に過酸化水素を添加した系よりもかなり多かった。これは、段階的添加によって、過酸化水素の持つ酸化力が有効に基質の酸化に用いられたことを示す。Fe2+またはMn2+の存在下では、段階的添加の効果は見られず、MGPの分解はどちらの添加法の場合も同程度であった。この結果から、MGPを分解する活性酸素種の反応性が、Fe3+とFe2+の存在下では異なることがわかる。Mn2+の存在下では、過酸化水素の分解が活性酸素種を生成しないため、差が認められないのであろう。過酸化水素の酸化力を有効に用いるための他の方法として、酸素加圧過酸化水素処理が考えられる。酸素加圧は、過酸化水素を安定化したが、MGPの分解には影響しなかった。酸素加圧には、活性酸素種とMGPの反応を促進する効果はなかった。

 酸素-アルカリ処理とアルカリ性過酸化水素処理では、金属の影響、特に、Fe3+存在下でのMgの影響は異なっているため、酸素-アルカリ処理中に生成する主な過酸化物は、過酸化水素ではなく、有機過酸化物であると考えられる。

酸素-アルカリ漂白条件下における活性酸素種の反応選択性

 酸素漂白反応において多糖類を分解する活性酸素種は、脱リグニンにも寄与している。活性酸素種は、分子状酸素では分解できないリグニン中の非フェノール性の部分を分解することによって、脱リグニンに寄与する。したがって、活性酸素種の多糖類、リグニン中の非フェノール性の部分への相対反応性について検討することが非常に重要である。

 本章では、まず、非フェノール性リグニンモデル化合物3,4-dimethoxybenzyl alcohol(veratryl alcohol,VA)とMGPを、TMPhとともに、異なる温度、pHの下で酸素-アルカリ処理し、生成する活性酸素種の反応性の温度、pH依存性について検討した。さらに、非フェノール性リグニンモデル化合物1-(3,4-dimethoxyphenyl)-1,2-ethanediol(veratryl glycol,VG)とMGPを、TMPhとともに酸素-アルカリ処理し、この系における両者の分解を、MGP、VAの反応系でのこれらの分解と比較することによって、MGP、VA、VG中の芳香族部分、脂肪族部分の反応性についても検討した。次に、特に水酸基と活性酸素種との反応に注目し、alditol類ethylene glycol、glycerol、erythritol、pentaerythritolそしてribitolをTMPhとともに酸素-アルカリ処理し、hydroxyl methyl基、hydroxyl methylene基と活性酸素種の反応性について検討した。また、立体配置の異なる、ribitol、D-arabinitolそしてxylitolを同様に処理し、活性酸素種の反応性に及ぼす立体配置の影響についても検討した。

 70℃におけるVA、MGPの分解量はほぼ同じで、95℃における分解量は、MGPの方がかなり多かった。活性酸素種のVA、MGPへの反応選択性(VA/MGP)は、反応溶液のpHが高くなるにつれて小さくなり、高pH下(pH=13.1)では、MGPが選択的に分解された。これらの結果から、生成する活性酸素種の反応性は、温度とpHに大きく依存していることがわかる。また、酸素-アルカリ漂白反応のパラメーターとしては、低温、低pHが望ましいと考えられる。活性酸素種のVG、MGPへの反応選択性(VG/MGP)も、pHが高いときの方が低いときよりも小さくなったが、高pH下(pH=13.1)でのVGの分解は、この条件下におけるVAの分解よりもはるかに多かった。この結果は、高pH下では、脂肪族構造であるVA、VGの側鎖部分、そして、MGPのhydroxyl alkyl部分が、活性酸素種によって攻撃されやすいことを示している。MGPには、このhydroxyl alkylが数多く存在するために、高pH下での分解が激しくなると考えられる。

 5つのalditol類の酸素-アルカリ処理における分解は、速い順にribitol、erythritol、glycerol、pentaerythritol、ethylene glycolであった。したがって、活性酸素種のhydroxyl methyl基、hydroxyl methylene基に対する反応性は異なり、後者との反応の方がはるかに速いことが確認された。また、立体配置の異なるalditol類の酸素-アルカリ処理における分解は、速い順にxylitol、D-arabinitol、ribitolであり、水酸基の立体配置が活性酸素種との反応に影響を及ぼすことが確認された。

 Fig.に、本研究で用いた化合物の化学構造を示す。

Fig.Chemical structures of compounds used in this work
審査要旨

 製紙用パルプの漂白において、酸素を用いた脱リグニン工程の導入が進んでいる。この工程は、パルプ中の残存リグニンをアルカリ性条件下で酸素処理し、分解除去することを目的とするが、その際、多糖類の分解を低く抑え、リグニン分解反応に対する反応選択性を高く保つことが重要となる。しかし、極めて複雑な反応系と不安定な活性種の存在が、反応機構の解明と、反応条件の抜本的改善を困難にしているのが実状である。

 本論文においては、第2章で酸素-アルカリ漂白条件下におけるモデル化合物の分解とそれに対する酸素圧の影響について論じている。リグニンと多糖類の間の反応選択性と、それを支配する因子および反応機構を検討するためのモデル実験系の確立を目的とし、セルロースのモデル化合物としてメチル--d-グルコピラノシド(MGP)を、リグニンのモデル化合物として2,4,6-トリメチルフェノール(TMPh)を選択した。酸素-アルカリ漂白条件下において、MGP単独は非常に安定であったのに対して、TMPhが共存することによって著しく分解された。このことは、酸素-アルカリ漂白においてパルプ強度低下の原因となる多糖類の分解が、分子状酸素による直接的な反応によるものではなく、分子状酸素とリグニン中のフェノール性水酸基を持つユニットとの反応を開始反応とする酸化反応によって生成する過酸化物が分解することによって、二次的に生成する活性酸素種に起因することを示している。また、分解反応の時間経過を詳細に検討した結果、時間と共に見かけの反応速度が急速に増大することから、反応の進行に伴ってより多くの活性種が系中に生成することが明らかとなった。

 第3章においては、酸素-アルカリ漂白条件下におけるモデル化合物の分解への金属の影響について論じている。リグニンと酸素との反応によって生成した過酸化物の分解には、系中に存在する金属イオンが大きく影響することが知られている。工業的には過酸化物を安定化して活性酸素種の生成を抑制するマグネシウムイオンが、セルロース保護剤として反応系に添加されることが多いのはこのためである。酸素-アルカリ処理において、MgとFe3+が共存した場合、その量比によってMGPの分解促進(Mg/Fe3+<7)、抑制(Mg/Fe3+>7)の2様の効果が確認された。これらの条件で系中に存在が確認された過酸化物の量は、いづれの条件でも少量であったことから、このような金属イオンの量比の影響は、過酸化物の安定性に対するものではなく、分解の様式に対するものであることを結論した。また、Mn2+は活性酸素種を生成しないかたちで、速やかに過酸化物を分解することが明らかとなった。酸素-アルカリ処理とアルカリ性過酸化水素処理における金属イオンの影響の比較から、前者において系中に生成している過酸化物は、過酸化水素ではなく、何らかの有機過酸化物であると考えられる。

 第4章においては、酸素-アルカリ漂白条件下における活性酸素種のセルロースとリグニンに対する反応選択性について検討している。セルロースのモデルとしてはMGPを、非フェノール性リグニンモデル化合物としてベラトリルアルコール(VA)、活性酸素種の生成源としてTMPhを用いて検討した結果、高pH条件ではMGPの方がVAよりも分解されやすいことが明らかとなった。これはヒドロキシラジカルを用いた検討によって、リグニンモデル化合物の方がセルロースモデル化合物よりも5-6倍速く分解されるとしているスエーデンの研究者等の結果と異なるものである。しかし、実際の漂白工程の条件を考慮すると、本研究の結果がより実際の結果に近いと考えている。また、セルロースとリグニン間の反応選択性は、pHおよび反応温度の低下とともに向上することが見出されている。さらに、多糖類の部分構造と反応性について主に各種アルジトールを用いて検討した結果、ヒドロキシメチレン基が、ヒドロキシメチル基に比較して著しく大きな反応性を有することが明らかとなった。このことは活性酸素種の反応部位を考えるうえで重要な知見である。

 以上要するに、本論文は極めて複雑な酸素-アルカリ漂白反応における反応機構を、巧みなモデル実験系を用いて明らかにしようとしたものであり、学術上、応用上貢献するところが大である。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるもと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54707