学位論文要旨



No 114415
著者(漢字) 佐野,元昭
著者(英字)
著者(カナ) サノ,モトアキ
標題(和) 麹菌の菌体内ヌクレアーゼに関する遺伝生化学的研究
標題(洋)
報告番号 114415
報告番号 甲14415
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2023号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 正木,春彦
内容要旨

 麹菌は酒、味噌、醤油等醸造食品の製造に用いられる等、応用上非常に重要な微生物である。糸状菌では、培養後期になると細胞質成分が分解し死に至る自己消化現象が起こることが知られている。日本酒などの麹菌を用いた醸造過程では、この現象により呈味成分が生じるなど、自己消化現象は応用上も非常に重要である。しかし、この現象に科学的にメスを入れた研究はまだ少なく、十分解析がなされたとは言えない。

 以前の麹菌の自己消化現象に関する研究では、この過程で菌体内ヌクレアーゼ活性が増大することが報告され、自己消化と菌体内ヌクレアーゼとの関連が示唆された。また、この研究の際に、自己消化過程で活性化されるヌクレアーゼとしてヌクレアーゼOが発見された。ヌクレアーゼOは、一本鎖DNAとRNAに作用してオリゴヌクレオチド5’リン酸を生成するが、その活性にはMg2+もしくはMn2+を要求し、EDTAの添加によって完全に活性を失う。また、本酵素は至適pHが7.4-8.2で、60℃で10分間加熱することによって失活するという特徴を持つ。また本酵素には、特異的に作用する熱安定なインヒビター蛋白質が存在し、このインヒビターはA.oryzae由来の他のヌクレアーゼに対しては全く活性阻害を示さなかった。

 本研究では、Aspergillus oryzaeの菌体内ヌクレアーゼの生理学的役割や自己溶菌現象との関連を解明することを最終的な目的として、以下の研究を行った。

1ヌクレアーゼOとそのインヒビターの精製

 A.oryzae IAM2608株を可溶性澱粉とペプトンを含むSP培地中で、200lタンクもしくは30lジャーファーメンターを使用して培養し、合計1600lの培養から35kgの菌体を得た。得られた菌体を、ヌクレアーゼOではトルエン存在下30℃で48時間静置し自己消化させた後、ろ液を集め粗酵素液とした。インヒビターの場合は、菌体をホモジナイザーにかけて破砕し、この破砕物を予め加熱しておいた釜に直ちに投入して煮込み、ろ過したろ液を粗酵素液とした。このようにして調製した粗酵素液を硫安沈殿後、各種クロマトグラフィーにより、SDS-PAGE上でそれぞれシングルバンドになるまで精製を行なった。SDS-PAGE上でのヌクレアーゼOおよびそのインヒビターの分子量はそれぞれ30,000と18,000であった。

2ヌクレアーゼO遺伝子のクローニング

 精製したヌクレアーゼOのN末端部分とプロテアーゼ分解により得られたペプチド断片のアミノ酸配列を決定した。それをもとに合成した4種のオリゴヌクレオチドをプローブとして、A.oryzaeの染色体DNAに対するサザンハイブリダイゼーションを行なった。その結果全てのプローブがPstI消化の4.7kbの位量にハイブリダイズすることが認められ、そのバンドをコロニーハイブリダイゼーションによりクローン化した。詳細なサザンハイブリダイゼーションの結果、このDNA断片中のXbaI-SacI約640bp部分に、内部アミノ酸配列から作製したプローブがハイブリダイズすることが確認された。そこで酵素の分子量から推定してHindIII-SalI約2.5kbの間にヌクレアーゼOの全領域が含まれると考えられ、この部分の塩基配列を決定した。塩基配列中には決定した部分アミノ酸配列全てをコードする部分が見いだされたが、1つのreading frame上になく、イントロンの存在が示唆された。そこで、RT-PCRによる増幅及び塩基配列の決定により、イントロンの存在位置4ヶ所を同定した。これらのイントロンには、糸状菌のイントロン中に共通して見いだされる配列が認められた。スプライシング後のヌクレアーゼO遺伝子(nucO)ORFは、990bpからなり、コードする蛋白質の推定分子量35,004は、SDS-PAGE上での精製酵素の分子量約3万とよい一致を示した。また、プロモーター領域にはCAATモチーフとTATAモチーフが存在し、終始コドンの下流域には典型的なpoly A付加シグナルの存在が認められた。

3ヌクレアーゼO遺伝子の発現系の構築

 クローン化したヌクレアーゼO遺伝子を、cotransformation法を用いてA.nidulans FGSC89株に導入し発現させたところ、形質転換体のヌクレアーゼO活性は、ベクターpSal23による形質転換体の活性と比べて最大2.35倍に上昇した。また、この活性はインヒビター蛋白により完全に阻害された。この結果から、クローン化したDNA断片中に実際にヌクレアーゼO遺伝子がコードされていることが確認できた。

4ヌクレアーゼO蛋白質の局在性

 ヌクレアーゼO蛋白が細胞内のどこに局在化しているか調べてみた。A.oryzae IAM2608株をプロトプラスト化したのち破砕し、密度勾配遠心にかけることにより細胞分画を行った。各画分のヌクレアーゼO活性や、精製したヌクレアーゼO蛋白に対して作製した抗体でウェスタンブロットを行った結果、ヌクレアーゼOはミトコンドリア画分に存在することが示唆された。

5ヌクレアーゼO遺伝子破壊株の作製と解析

 ヌクレアーゼOが生育に必須なものであるかどうか調べるために、ヌクレアーゼO遺伝子の破壊株を構築した。構築にはDNA供与体であるIAM2608株が形質転換に使用できる適当なマーカーを持たないため、アルギニン要求性を持つA.oryzae M-2-3株を使用して実験を行った。M-2-3株は高いヌクレアーゼO活性を有しており、しかも染色体DNAに対してnucOをプローブとしてサザンハイブリダイゼーションを行ったところ、IAM2608株と同一の分子量の位置にバンドが1つだけ観察された。よって、M-2-3株にもヌクレアーゼO遺伝子が存在すると判断し、またnucO遺伝子は染色体上に1コピーのみ存在していることが明らかとなった。

 nucO遺伝子のコード領域内のXhoI部位にargB遺伝子を挿入し、nucO遺伝子を破壊したプラスミドを作製した。この断片をM-2-3株に導入し、アルギニン非要求性の形質転換体を選択した。その結果、多数の形質転換体の取得に成功し、得られた形質転換体20株から、サザンハイブリダイゼーションによりnucO遺伝子破壊株を6株取得した。次に、得られた形質転換体のヌクレアーゼO活性とインヒビター活性の測定を行ったところ、形質転換体のヌクレアーゼO活性はほぼなくなっていたが、インヒビター活性は野生株と比べてほとんど差はなかった。更に、形質転換体2株についてミトコンドリア画分を分画した後、ヌクレアーゼOに対する抗体でウエスタンブロッティングを行ったが、形質転換体ではバンドが確認されなかった。このことから形質転換体ではnucO遺伝子が構築通りに破壊されており、ヌクレアーゼO蛋白を生産していないことが判明した。形質転換体が野性株と同様の生育を示すことから、ヌクレアーゼOは細胞に必須のヌクレアーゼではないと判断した。また、自己消化過程と、UVや突然変異誘発物質によるDNA障害の修復機構に対するヌクレアーゼO遺伝子破壊による影響はほとんど見られなかった。

6新規ヌクレアーゼの精製

 菌体内ヌクレアーゼについての解析はヌクレアーゼO以外については余り進んでいない、そこでA.oryzaeの菌体内ヌクレアーゼの全体像を明らかにして行くため、新規ヌクレアーゼを精製し、その諸性質の解析を行った。A.oryzae IAM2608をSP培地200lで30℃、30時間攪拌培養し、菌体を集菌した。菌体をホモジナイザーにかけ破砕し、この破砕物を粗酵素液として酵素の精製を行った。精製は硫安沈殿、CM-トヨパール、Mono Sの陰イオン交換クロマトグラフィーを用いて行った。本酵素の分子量はSDS-PAGE上44,000であり、その至適pHは9.0、至適温度は30℃であり、Mg2+要求性の酵素であった。また本酵素はDNA,RNA共に作用し、本酵素はヌクレアーゼOに特異的なインヒビター蛋白による阻害を全く受けなかった。この結果から、今回精製した蛋白は新規菌体内ヌクレアーゼであると判断し、ヌクレアーゼQと命名した。

7ヌクレアーゼQ遺伝子のクローニング

 精製酵素からプロテアーゼ分解により得られたペプチド断片のアミノ酸配列を決定した。それをもとに合成したオリゴヌクレオチドプライマーを用いてPCRを行い、得られた増幅断片約260bpをプローブとして、A.oryzaeの染色体DNAに対するサザンハイブリダイゼーションを行なった。その結果、プローブがXba I消化の3.5kbの位置にハイブリダイズすることが認められ、そのバンドをコロニーハイブリダイゼーションによりクローン化し、塩基配列を決定した。塩基配列中には決定した部分アミノ酸配列と一致するreading frameが存在し、この部分にヌクレアーゼQ遺伝子が存在することが確認できた。またこの遺伝子中には、1つのイントロンが存在していると推測される。

8まとめ

 本研究ではヌクレアーゼOの遺伝子構造と細胞内の局在性を明らかにした。また、新規菌体内ヌクレアーゼとしてヌクレアーゼQを見出し、その諸性質と遺伝子構造を明らかにした。このようにして得られた知見は、麹菌の菌体内ヌクレアーゼの生理学的役割を解明していくうえで、多いに役立つと考えられる。

審査要旨

 本論文は、麹菌Aspergillus oryzaeの菌体内の新規なヌクレアーゼを精製してその性質を明らかにするとともに、2種の菌体内ヌクレアーゼの遺伝子をクローン化して解析し、遺伝子破壊等によってそれらの生理的意義を探求したものであり、6章より成っている。

 第1章序論では、麹菌の自己消化とヌクレアーゼとの関連などについて論じている。

 第2章では、既報の菌体内のヌクレアーゼOとその特異的阻害蛋白を新しい方法で改めて精製し、その諸性質を再確認するとともに、液体培養の経過に伴うヌクレアーゼO活性と阻害蛋白含量の変化を観察した。また、ヌクレアーゼOの部分アミノ酸配列を決定した。

 第3章では、上記の部分アミノ酸配列をもとにして作成した数種のプライマーを組み合わせたPCRによってA.oryzaeのゲノムから増幅されるDNA断片をプローブとして、ヌクレアーゼO遺伝子をクローン化し、塩基配列を決定するとともに、mRNAからRT-PCRによって作成したcDNAとの比較により、4個のイントロンを同定した。スプライシング後のヌクレアーゼO遺伝子(nucO)のORFは、990bpからなり、コードする蛋白質の推定分子量35,004は、SDS-PAGE上での精製酵素の分子量約3万とよい一致を示した。また、プロモーター領域にはCAATモチーフとTATAモチーフが存在し、終始コドンの下流域には典型的なpoly A付加シグナルが存在することを見だした。次に、nucO遺伝子でA.nidulansを形質転換して、ヌクレアーゼO活性の発現を確認した。

 第4章では、ヌクレアーゼOの機能を解析するために、A.oryzaeのプロトプラスを作成した後これを破壊して密度勾配遠心などで分画し、菌体内でヌクレアーゼOは主としてミトコンドリアに存在し、阻害蛋白は主としてて可溶性画分に存在することを明らかにした。

 さらに、nucO遺伝子のコード領域内のXho I部位にargB遺伝子を挿入してnucO遺伝子を破壊したプラスミドを作製し、この断片を用いてA.oryzaeのアルギニン要求株を形質転換して、アルギニシ非要求株20株を得、サザンハイブリダイゼーションによって、そのうち6株において計画通りにnucO遺伝子が破壊されたことを示すバンドを確認した。

 これらの遺伝子破壊株では、ヌクレアーゼO活性はほぼなくなっていたが、阻害蛋白含量は野生株と比べてほとんど差はなかった。これらの内2株についてミトコンドリア画分を分画しヌクレアーゼOに対する抗体でウエスタンブロッテイングを行い、ヌクレアーゼO蛋白が存在しないことを確認した。

 これらのnucO遺伝子破壊株が野性株と同様の生育を示すことから、ヌクレアーゼOは細胞の生育に必須のヌクレアーゼではないと判断した。また、液体震盪培養の経過に伴う自己消化過程と、紫外線やメチルメタンスルホネートなど突然変異誘発物質によるDNA障害の修復に対する、ヌクレアーゼO遺伝子破壊の影響をほとんど認めなかった。

 第5章では、A.oryzaeの菌体内に存在する新規なヌクレアーゼに着目し、これを精製して、ヌクレアーゼQと命名した。本酵素の分子量はSDS-PAGE上44,000であり、その至適pHは9.0、至適温度は30℃であり、活性にMg++あるいはMn++イオンを要求し、RNA、熱変成DNA、2本鎖DNAのいずれをも塩基非特異的に分解し、3’末端に燐酸基のついた産物を生じた。また、ヌクレアーゼOの阻害蛋白は、ヌクレアーゼQには全く作用しなかった。

 つぎに、ヌクレアーゼQの部分アミノ酸配列を決定し、これを元に作成したプライマーを用いてPCRにより増幅されるDNA断片をプローブとし、A.oryzaeのゲノムからヌクレアーゼQ遺伝子(nucQ)をクローン化して塩基配列を決定した。その結果、本酵素は1146塩基からなるORFによってコードされる382アミノ酸からなると判定され、その分子量(41909)は、精製酵素のSDSゲル電気泳動による分子量44000と一致していた。また、nucQ遺伝子によってA.nidulansを形質転換し、形質転換株中のヌクレアーゼ活性の上昇とヌクレアーゼQに相当する蛋白バンドの生成をSDSゲル電気泳動で認めた。

 第6章は、A.oryzaeの菌体内ヌクレアーゼに関する総括と今後の研究の展望である。

 以上、本論文は麹菌のヌクレアーゼOと、新規な菌体内ヌクレアーゼQの遺伝子をクローン化して解析し、ヌクレアーゼOとその阻害蛋白質の菌体内分布の解明、ヌクレアーゼO遺伝子の破壊株の作成などを通じて菌体内ヌクレアーゼの生理的役割について探求して新たな知見を得たものであり、学術上貢献するところが少ない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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