学位論文要旨



No 114416
著者(漢字) 天野,進
著者(英字)
著者(カナ) アマノ,ススム
標題(和) ショウジョウバエの組織普遍的カルパインの生理的基質の同定と生化学的解析
標題(洋)
報告番号 114416
報告番号 甲14416
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2024号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 前田,達哉
内容要旨

 カルパインは、カルシウム依存的に基質を限定分解し、機能修飾あるいはダウンレギュレーションを担うバイオモジュレイターである。近年、ショウジョウバエ、ジストマ、線虫といった無脊椎動物や麹カビなどにカルパイン類似分子の存在が遺伝子的に明らかにされたことから、カルパインシステムが哺乳類から無脊椎動物に至るまで保存されており、生物の基本的な生理機能にとって重要な役割を果たしていることが明らかになってきている。これらの生物においては、哺乳類よりも多様な解析手段を用いることが出来るという利点を持つことから、カルパインの生理機能に重要な知見を与える実験系として注目されている。しかし、ショウジョウバエのカルパイン(Dm-カルパイン)を含めた無脊椎動物のカルパインに関しては、生化学的知見が殆ど得られておらず、特に基質に関する情報は皆無であるのが現状である。そこで本研究では、哺乳類の組織普遍的カルパインと高い相同性を有するDm-カルパイン及びそのスプライスバリアントであるDm-カルパインに関して、基質に関する情報を含めたその生化学的諸性質を検討し、はじめて無脊椎動物カルパインの発現系・生化学的実験系を確立した。さらに、同定した基質の1つであるゲルゾリンに関して、Dm-カルパインによる切断反応と、生じた断片の機能を解析することにより、その分解の生理的意義を考察した。

結果<Dm-カルパインの大腸菌での発現及びその酵素学的性質>

 これまでにも、哺乳類のカルパインを大腸菌に発現する試みが多くなされてきたが、活性サブユニットのみの発現ではその大半が不溶性画分に回収されてしまい、成功した例はない。しかし、本研究において幾つかの条件を検討した結果、発現プロモーターにlacZを用いること、また発現用の株に大腸菌AD202を用いること、さらに培養温度を32℃に設定することによって活性のあるショウジョウバエカルパインを大腸菌可溶性画分に得ることに成功した。このDm-カルパインの酵素学的諸性質を検討した結果、カルシウム依存性、至適温度、阻害剤の影響、自己消化のいずれの点においても哺乳類のm-カルパインと非常に類似していることを明らかにした。

 哺乳類の組織普遍的カルパインは、活性サブユニットと調節サブユニットからなるヘテロダイマーであるが、Dm-カルパインはゲル濾過クロマトグラフィーの溶出位置から、活性サブユニットのみからなるヘテロダイマーであることが明らかとなった。

<Dm-カルパインの発現及びその酵素学的性質>

 Dm-カルパイン遺伝子からは4つのカルパイン特有の領域を持つ全長のDm-カルパインの他に、第3ドメインの一部と、第4ドメイン(カルシウム結合領域)を持たないスフライス・バリアント(Dm-カルパイン)がつくられる。このような一部の領域を欠いたカルパインは哺乳類においても知られているが、その生化学的諸性質は明らかにされていないので、本研究では上述した発現系を用いてこのDm-カルパインの活性と性質を検討した。このDm-カルパインのショウジョウバエ各世代における発現をRT-PCR法によって検討したところ、Dm-カルパインの1/2〜1/3程度、いずれの世代時期にも発現していることが明らかになった。次に、Dm-カルパインを大腸菌において発現してその活性を調べたところ、第4ドメインを含まないにも関わらずカルシウム依存的なプロテアーゼ活性を示した。これは触媒ドメインのC末端側に存在する1個のEFバンド構造によりカルシウム依存性が生じたものと考えられた。カルシウム要求性はKa=1.5mMとDm-カルパインよりも若干低い値を示した。また、Dm-カルパインをゲル濾過クロマトグラフィーにより分離すると、モノマーと思われる位置に溶出されたことから、Dm-カルパインは、Dm-カルパインがホモ2量体として存在するのに対し、モノマーとして存在することが予想された。

<Dm-カルパインの内在性基質の同定>

 ショウジョウバエの卵巣においてDm-カルパインは卵細胞、保育細胞及び濾法細胞の細胞質と細胞膜直下に一様に存在することが抗体染色法により明らかとなった。そこで次に、ショウジョウバエの卵巣におけるDm-カルパインの基質の検索を試みた。卵巣の塩抽出画分をDm-カルパインで消化したところ、幾つかのバンドがカルシウム依存的に消失することが明らかとなった。消失したバンドに相当するものをリシルエンドペプチターゼにより消化し、逆相クロマトグラフィーによって分離した後、得られたペプチドのアミノ酸配列を決定した。その結果、蛋白質合成関連因子であるEF-1、リボゾーム蛋白質のL6,L7,L8サブユニットなどがDm-カルパインの基質となることが明らかとなった。そのうちの1つEF-1は蛋白質伸長の調節機能の他に、細胞骨格蛋白質であるアクチンやミオシンと相互作用し、それらを切断する活性があることが近年明らかとなり、注目されている。そこでEF-1に関してはGST融合体として発現させ、これをDm-カルパインによって消化したときの分解様式を検討した。その結果、Dm-カルパインはEF-1を数カ所で限定分解することが示され、その分解様式は哺乳類のカルパインによる限定分解と相同であることが明らかとなった。以上の結果から、Dm-カルパインは一次構造上のみならず、生化学的な性質や基質に対する作用という点においても哺乳類の組織普遍的カルパインに非常に近い分子であると結論された。

<Dm-カルパインの細胞骨格蛋白質に対する作用の解析>

 これまでにDm-カルパインはショウジョウバエの胚発生の過程においてアクチン細胞骨格に沿った形で局在し、その再編成に関与していることが示唆されている。そこで各種の細胞骨格関連タンパク質が基質となるか否かを上述した発現系を用いて検索した結果、幾つかの細胞骨格調節タンパク質が基質となることが明らかとなった。その一つ、ゲルゾリンは約140アミノ酸残基の繰り返しユニット6個からなるが、Dm-カルパインはその分子のほぼ中央を一カ所切断し、3個ずつの繰り返しユニットを含む2つの断片を生じさせた。Dm-カルパインによるゲルゾリン切断断片のアクチンに対する機能を調べたところ、2つの断片は共にアクチン結合活性を有するが、カルシウム感受性などの性質が異なる機能ドメインに対応していた。次に、ゲルゾリンの切断点近傍のアミノ酸を置換することによってDm-カルパインによる切断が起こらない変異体ゲルゾリンを作製した。この変異ゲルゾリンはアクチンに対する作用は野生型と変わらないが、Dm-カルパインによる切断感受性のみが低下していた。

考察

 これまでに行われてきたカルパインの生理機能の解析は、主として哺乳類の組織普遍的カルパインを対象としていた。本研究では、哺乳類の組織普遍的カルパインと一次構造上非常に類似したDm-カルパインを持つショウジョウバエに着目し、解析を行った。ショウジョウバエは、遺伝子産物の生理機能を個体レベルで解析することのできる真核多細胞生物である。つまり解析系をショウジョウバエに置くことによって、将来哺乳類では解析では難しかったカルパインの生理機能が明らかになることが期待される。本研究では、こういった遺伝学的解析を行うための足がかりとして、まず、Dm-カルパインの酵素学的性質の解析、及び基質に関する情報を含んだ生化学的解析を行った。その結果、哺乳類の枠を越えた生物種間においてカルパインの機能の比較を初めて可能とし、Dm-カルパインが一次構造のみならず、カルシウム依存的な活性を初めとして阻害剤の影響などの酵素学的な性質、さらにはin vitroでの幾つかの基質に対する作用などのあらゆる点で、哺乳類の組織普遍的カルパインと相同であることが示された。

 さらに本研究において、無脊椎動物のカルパインの基質を初めて同定し、その切断様式は哺乳類カルパインと同様、限定分解であることを明らかにした。同定した基質には細胞骨格関連蛋白質と蛋白質合成関連因子が含まれており、恐らくDm-カルパインはこれらの蛋白質を分解することによって機能修飾、もしくはダウンレギュレーションを介して細胞機能を調節していることが予想される。

 Dm-カルパインはゲルゾリンを1カ所限定分解し、機能の異なる2つの断片にすることが明らかとなった。現在のところ、このカルパインの切断により生じたゲルゾリン断片が、生体内でどの様な機能を果たしているのか、あるいは切断断片がその後どの様に代謝されていくのか明らかではない。またさらに、部位特異的突然変異を導入することによって、ゲルゾリンの本来の機能は保ちながらカルパインによる切断を受けない変異ゲルゾリンを作製した。この変異系列を用いて今後、ショウジョウバエ個体への遺伝子導入を行うことによってin vivoでゲルゾリンがDm-カルパインによって切断を受けること、あるいは切断されなくなることの生理的意義を明らかにする予定である。さらに、現在までにDm-カルパインの近傍にPエレメントが挿入したラインを同定しており、Pエレメントの再転移によってDm-カルパインの欠失変異体を作製し、本格的な遺伝学的解析を行うことを予定している。本研究は、こうした分子遺伝学的解析を生化学的、細胞生理学レベルで支える基盤となる知見と実験系を確立したものである。

審査要旨

 カルパインは、カルシウム依存的に基質を限定分解し、機能修飾あるいはダウンレギュレーションを担うバイオモジュレイターである。近年、無脊椎動物や菌類などにカルパイン類似分子の存在が遺伝子的に明らかにされたことから、カルパインの機能解析に新たな知見を与えうる実験系として注目されている。しかし、無脊椎動物や菌類のカルパインに関しては、生化学的知見が殆ど得られていない。そこで本論文では、哺乳類の組織普遍的カルパインと高い相同性を有するDm-カルパインに着目し、基質に関する情報を含む生化学的諸性質を検討してた。さらに、同定した基質の1つであるゲルゾリンに関して、Dm-カルパインによる切断反応と、生じた断片の機能を解析することにより、その分解の生理的意義を考察したもので、3章より成る。語句説明をした後、「序」は研究の流れ、本研究の意義と目的を述べた全体の導入部である。次に、材料と実験方法をまとめた。

 第一章では、まずDm-カルパインの大腸菌での発現を行い、その酵素学的性質を解析している。発現条件を幾つか検討した結果、活性のあるショウジョウバエカルパインを大腸菌可溶性画分に得ることに成功し、このDm-カルパインの酵素学的諸性質を検討したところ、カルシウム依存性、至適温度、阻害剤の影響、自己消化のいずれの点においても哺乳類のm-カルパインと非常に類似していることを明らかにしている。

 次に、Dm-カルパインのスプライス・バリアントであるDm-カルパインに関してその活性と性質を検討している。このDm-カルパインはショウジョウバエ各世代においてDm-カルパインの1/2〜1/3程度発現しており、Dm-カルパインを大腸菌において発現してその活性を調べたところ、第4ドメインを含まないにも関わらずカルシウム依存的なプロテアーゼ活性を持つことが示されている。これは触媒ドメインのC末端側に存在する1個のEFハンド構造によりカルシウム依存性が生じたものと考えられる。本章の結果は、カルパインに見られる4つのドメイン構造をすべて持たない分子の酵素学的性状を初めて明らかにしたものである。

 第2章では、Dm-カルパインの内在性基質の同定を行っている。ショウジョウバエの卵巣におけるDm-カルパインの基質の検索を試みたところ、卵巣の塩抽出画分をDm-カルパインで消化すると幾つかのバンドがカルシウム依存的に消失した。この消失したバンドに相当するものをマイクロシークエンシングした結果、蛋白質合成関連因子であるEF-1、リボゾーム蛋白質のL6,L7,L8サブユニットであることが明らかとなった。そのうちの1つEF-1をGST融合体として発現させ、これをDm-カルパインによって消化したときの分解様式を検討してたところ、Dm-カルパインはEF-1を数カ所で限定分解することが示された。本章では、無脊椎動物のカルパインの基質を初めて同定し、その切断様式は哺乳類カルパインと同様、限定分解であることを明らかにしている。Dm-カルパインは基質に対する作用という点においても哺乳類の組織普遍的カルパインに非常に近い分子であると結論された。

 第3章では、Dm-カルパインのアクチン構造変化に対する作用を検討するために、各種の細胞骨格関連タンパク質が基質となるか否かを検討している。その結果、ゲルゾリンをDm-カルパインはその分子のほぼ中央を一カ所切断し、3個ずつの繰り返しユニットを含む2つの断片を生じさせることを明らかにした。Dm-カルパインによるゲルゾリン切断断片のアクチンに対する機能を調べたところ、2つの断片は共にアクチン結合活性を有するが、カルシウム感受性などの性質が異なる機能ドメインに対応していた。次に、ゲルゾリンの切断点近傍のアミノ酸を置換することによってDm-カルパインによる切断が起こらない変異体ゲルゾリンを作製している。この変異体ゲルゾリンのアクチンに対する作用は、野生型ゲルゾリンのものとほぼ変わらないことから、ここで作成されたゲルゾリン変異体は、ゲルゾリンの本来の機能は保ちながらカルパインによる切断を受けない分子であるといえる。この変異系列を用いて今後、ゲルゾリンがDm-カルパインによって切断を受けること、あるいは切断されなくなることの真の生理的意義が明らかになると考えられる。

 最後に、「総合討論」では、全体の結果をまとめ、その意義や今後の発展方向を文献を引用しながら総合的に討論し、末尾に参考文献と謝辞がついている。

 以上、本論文はショウジョウバエのカルパインについて初めて物質レベルで様々な解析を行い、カルパインの生理機能やカルパインの構造機能相関について新しい知見を得たもので、学術上きわめて貴重である。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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