学位論文要旨



No 114418
著者(漢字) 及川,恒輔
著者(英字)
著者(カナ) オイカワ,コウスケ
標題(和) プラスチドRNAポリメラーゼシグマ因子に関する研究
標題(洋)
報告番号 114418
報告番号 甲14418
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2026号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 田中,寛
内容要旨

 葉緑体に代表されるプラスチドは、植物細胞特有の細胞内小器官であり、高等植物では、外部環境や器官・組織分化に対応して様々に分化する。プラスチドは独自のゲノムDNAを持っており、核とは独立した転写翻訳系を有する。

 プラスチドゲノム上には、真正細菌型のRNAポリメラーゼのコア酵素サブユニットに対応する遺伝子が全て存在し、また、大腸菌のRNAポリメラーゼによっても認識され転写開始されるプロモーターが存在することから、プラスチド内の遺伝子の転写には真正細菌型のRNAポリメラーゼが関わっていると考えられた。しかしながら、真正細菌において、プロモーターを認識し、転写特異性と転写開始を制御する転写因子であるシグマ因子に対応する遺伝子は、既に多くの植物種でプラスチドゲノムの全塩基配列が決定されているにもかかわらず、プラスチドゲノム上には見い出されない。ところが、シグマ因子活性を持つ細胞抽出画分が存在することや、シアノバクテリアのシグマ因子タンパク質の抗体と交差反応するタンパク質が存在することなどの断片的な報告により、プラスチドシグマ因子は核にコードされていると考えられていた。真正細菌では、外部環境や細胞内の生理条件に対応して、複数のシグマ因子が遺伝子発現に関して役割分担をすることが知られている。おそらく、プラスチドにおいても、シグマ因子は、遺伝子発現とその調節に重要な役割を担っているに違いないと考えられる。

 本研究では、プラスチドゲノムの転写制御機構を解明することを最終目標として、原始紅藻Cyanidium caldarium strain RK-1より、葉緑体シグマ因子遺伝子を検出、クローン化し、解析を行なった。その後さらに、高等植物のタバコ(Nicotiana tabacum)より、プラスチドシグマ因子をコードするcDNAをクローン化し、発現状況の解析を行なった。

(1)原始紅藻Cyanidium caldarium strain RK-1からの葉緑体シグマ因子遺伝子群の検出と構造決定

 真正細菌の主要シグマ因子間で保存性の高い領域に対応する合成DNAプライマーを用いて、C.caldariumのtotal DNAより、DNA増幅断片を得た。その塩基配列を検討した結果、真正細菌のシグマ因子において最も強く保存される"rpoD box"をコードする塩基配列が見い出されたため、rpoD boxに対応する合成DNAプローブ(rpoDプローブ)を用いてC.caldariumのtotal DNAに対してサザン解析を行なった。その結果、3種のシグナルが検出されたが、本研究ではその中の2種のDNA領域の解析を行なった。所属の研究室グループの解析結果と併せ、3種のDNA領域はシグマ因子相同遺伝子をコードすることが明らかになったため、それぞれの遺伝子をsigA、sigB、sigCと命名した。sigBとsigCは、極めて相同性が高く、アミノ酸レベルで97.4%という相同性を示した。これらの遺伝子は、分離精製した核及び葉緑体DNAを用いたサザン解析により、核にコードされていることが証明された。

(2)C.caldariumのSigA、SigB、SigCのシグマ活性

 塩基配列から予想されるsigB、sigC遺伝子産物をそれぞれ、大腸菌内で大量発現させた。これらは封入体として回収されたが、サルコシルにより可溶化され、陰イオン交換カラムで精製した。得られたSigB、SigCタンパク質を大腸菌RNAポリメラーゼのコア酵素と再構成し、大腸菌のコンセンサスプロモーターtac及びRNA Iを持つプラスミドを鋳型にして、in vitro転写実験を行なった。その結果、既に結果が示されていたSigAと同様、SigB、SigCを用いてもこれらのプロモーターからの転写が認められたため、これら3種のタンパク質は、大腸菌主要シグマ因子(70)と類似したプロモーター認識特異性を有するシグマ因子であることが示された。また、SigAは葉緑体内に局在することが示されていたため、SigB、SigCもその相同性から、葉緑体内に局在すると考えられ、これらが葉緑体シグマ因子として機能することが示唆された。

(3)C.caldariumのsigA、sigB、sigCのmRNA蓄積量に対する光の影響

 C.caldariumを12時間/12時間の明暗周期で3日間培養した後、4日目に、6時間おきに細胞をサンプリングし、それぞれからtotal RNAを回収した。それらのRNAに対し、sigA及びsigB DNA断片をプローブに用いて、ノーザン解析を行なった。sigBとsigCの極めて高い相同性から、sigBプローブはsigCのmRNAも検出すると考えられる。その結果、sigAでは、明条件下では2種、暗条件下では1種の転写産物が検出されたが、それらの合計量は光条件によらずほぼ一定であった。これに対し、sigB/sigCのmRNAは、主に明条件下で検出され、葉緑体内の光誘導性の遺伝子発現との関連が示唆された。

(4)タバコ(Nicotiana tabacum)におけるシグマ因子をコードするcDNAのクローン化と構造決定

 本研究の前半では、原始紅藻Cyanidium caldarium strain RK-1を用いて解析を行なった。しかし、シグマ因子によるプラスチド分化制御は高等植物において特に顕著であると考えられることから、次に、植物材料として操作の容易なタバコを用いた解析を行なった。既に単離されていたシロイヌナズナのプラスチドシグマ因子をコードする3種のcDNAをプローブとして、タバコのcDNAライブラリーを検索した。その結果、SigAのホモログをコードする2種のcDNAが得られたため、それらに対応する遺伝子をそれぞれsigA1、sigA2と命名した。sigA2のcDNAについては、5’側の部分が欠けていたため、5’-RACEによって全長の塩基配列を決定した。サザン解析の結果からも、タバコにはSigA相同遺伝子が2種存在することが示唆された。現在では、シロイヌナズナ、イネ、カラシナ等よりSigAホモログをコードするcDNAが単離されているが、相同遺伝子が2種存在する例は、本研究のタバコが初めてである。

(5)タバコに於けるプラスチドシグマ因子SigA1、SigA2の発現状況の解析

 光によるmRNAの蓄積量への影響を調べるために、12時間/12時間の明暗周期で培養したタバコ緑色培養細胞から、3時間おきにtotal RNAを回収し、sigA1のcDNAをプローブとしてノーザン解析を行なった。sigA1とsigA2は極めて相同性が高く、sigA1プローブは、sigA2のmRNAも同時に検出すると考えられる。その結果、sigA1/sigA2のmRNAは暗条件下に比べ、明条件下で多く蓄積していることが判明した。ところが、明暗周期で培養した後、連続明条件下に移してからサンプリングした細胞でも、sigA1/sigA2のmRNA量に明暗周期下と同様な周期性が見られたため、sigA1/sigA2のmRNAの蓄積量は、サーカディアンリズム様の内因性のリズムで増減していることが明らかになった。

 大腸菌で発現させたシロイヌナズナのSigAを抗原に用いて、マウスで単クローン抗体を作成した。この単クローン抗体を用いてタバコ植物体の茎頂分裂組織、若葉、成葉、根などに対してウエスタン解析を行なった結果、SigA相同タンパク質は、特に成葉で多く蓄積していることが明らかになった。また、茎頂分裂組織及び根では、発現しているSigA相同タンパク質の大部分は、トランジットペプチドを含む前駆体タンパク質として存在していることが示唆された。対応するタンパク質がSigA1、SigA2のいずれか、あるいは双方に対応するのかは現在のところ不明である。これらの結果より、SigA相同タンパク質は、プラスチドの形成や分化よりもむしろ、プラスチドの機能の維持に働いていることが示唆される。

 以上のように、本研究において、プラスチドシグマ因子の構造が初めて明らかになり、その発現状況も明らかになってきた。プラスチドシグマ因子が核にコードされていることから、核がシグマ因子の発現を制御することで、プラスチド内の真正細菌型RNAポリメラーゼの転写を制御していると考えられる。本研究で得られた知見は、プラスチドの形成・分化の制御、並びに核とプラスチドのクロストークの解明に、大きく貢献すると期待される。

References1.Tanaka,K.,Oikawa,K.,Ohta,N.,Kuroiwa,H.,Kuroiwa,T.and Takahashi,H.(1996)Nuclear encoding of chloroplast RNA polymerase sigma subunit in a red alga.Science,272,1932-1935.2.Oikawa,K.,Tanaka,K.and Takahashi,H.(1998)Two types of differentially photo-regulated nuclear genes that encode factors for chloroplast RNA polymerase in the red alga Cyanidium caldarium strain RK-1.Genc,210,277-285.
審査要旨

 葉緑体に代表される植物細胞特有の細胞内小器官プラスチド(plastid)は、高等植物においては外部環境や器官・組織分化に対応してさまざまな構造、機能体に分化する。また、プラスチドは、独自のゲノムDNAと転写翻訳系を持つことが知られている。

 本論文は、核コードのプラスチドRNAポリメラーゼシグマ因子(転写開始因子)遺伝子の発見と解析、及び光による発現制御について解析した結果について述べたものであり、6章よりなる。

 序章では植物のプラスチドおよび光合成真正細菌ラン藻(シアノバクテリア)との系統的近縁性、およびプラスチドゲノムと真正細菌型遺伝情報発現システム、葉緑体の原始シアノバクテリアによる細胞内共生起原説などについて概括している。

 第1章は、原始紅藻Cyanidium caldarium RK-1株の核ゲノムより、真正細菌のシグマ因子蛋白質に共通に保存されているアミノ酸配列を元にして葉緑体RNAポリメラーゼシグマ因子遺伝子群のクローン化に成功したこと、更にそれら遺伝子の塩基配列を決定した結果について述べている。得られた塩基配列から予想された蛋白質のN-末端領域には、プラスチドへの輸送シグナルと考えられるSerとThrに富むトランジットペプチドが存在した。また、C-末端領域の配列は、ラン藻を含む真正細菌の主要(型)シグマ因子と骨格構造を共有することが分かった。

 第2章では、C.caldariumの3つのsig遺伝子(sigA,sigB,sigC)による大腸菌における過剰発現系の構築、それぞれの遺伝子産物を精製、更に精製Sig蛋白質と大腸菌のコア酵素によるホロ酵素の再構成などについて述べている。精製したSig蛋白質は、コア酵素に特異的な転写開始能を付与すること、すなわちsig遺伝子産物がシグマ因子であることが確認された。

 第3章は、C.caldariumのsigA,sigB,sigCの転写発現に対する光の影響を調べた結果を述べている。sigB/sigC遺伝子が光誘導発現を行うことをノーザン解析により明らかにした。

 第4章は、タバコ(Nicotinana tabacum)より、シグマ因子をコードするcDNAクローンの取得とそれらの塩基配列の決定について述べたものである。得られたタバコのプラスチドシグマ因子の配列について、紅藻類、シロイヌナズナ、イネ、カラシナなどのsig遺伝子産物との類縁関係について解析した結果、高等植物のsig遺伝子間の系統的関連が確認された。

 第5章は、タバコにおけるプラスチドシグマ因子遺伝子sigA1,sigA2の発現について解析した結果を述べている。明暗周期条件下で培養したタバコ緑色培養細胞におけるsigA1/sigA2のmRNAの蓄積量は、概日様に周期変動している可能性が示唆された。また、シロイヌナズナのSigA蛋白質に対するモノクローナル抗体を用いて、タバコ芽生えにおけるSigA1/SigA2蛋白質の消長をウエスタン解析により調べた。その結果、播種後明所で2日目頃から、60kDの前駆体SigA1/SigA2が認められ、6日、9日と成長に伴って50kD(成熱型)へと移行することが分かった。

 第6章は総合討論である。

 以上要するに本論文は、原始紅藻Cyanidium caldarium RK-1株及び高等植物であるタバコより、世界に先駆けて核コードのプラスチドRNAポリメラーゼシグマ因子遺伝子を単離し、それらの構造と発現制御について解析を行ったものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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