学位論文要旨



No 114421
著者(漢字) 高宮,正也
著者(英字)
著者(カナ) タカミヤ,マサナリ
標題(和) 脊髄神経細胞の生存に関わる新規骨格筋由来因子に関する研究
標題(洋) Studies on a novel,muscle-derived factor essential for spinal neuron survival
報告番号 114421
報告番号 甲14421
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2029号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 上田,卓也
 東京大学 助教授 片岡,宏誌
内容要旨 第一章序論

 発生初期における神経回路網の形成過程では、まず過剰の神経細胞が産生される。その後、標的組織と機能的シナプス結合を形成できなかった神経細胞は、アポトーシスに特徴的な細胞体の萎縮、核の凝集、DNAの断片化などが観察される選択的細胞死によって除去される。この発生過程における選択的細胞死は、中枢神経系(脳、脊髄)および末梢神経系の多くの神経細胞において認められ、その機構については、NGF(神経成長因子)に代表される標的組織由来の栄養因子を獲得できたかどうかによって説明されている。また一方では、標的組織以外からの外因性因子の関与を示唆する結果も得られている。この発生初期における神経細胞の生存を制御する機構については十分に解明されておらず、未知の因子が関与していることが強く示唆されている。本研究では、脊髄運動神経とその標的器官である骨格筋との神経回路形成をモデルとして、発生初期の神経細胞の新規生存因子を単離することを目的として以下の実験を行った。

第二章生物検定法

 神経生存維持活性の検定系には、選択的細胞死の開始期にあたるニワトリ6日胚の脊髄神経細胞初代培養系を用いた。具体的には、無血清培地中に各検定試料を添加し、培養2日後に神経突起を伸展し、生存している神経細胞数を顕微鏡下で数え、各試料中の神経生存維持活性とした。この生物検定法では、骨格筋抽出液など生存維持活性を示す物質を培地中に加えると、脊髄神経細胞は2日間生存して神経突起を伸展させたが、何も加えないとすべての細胞が2日以内に死滅した。また、試料中に含まれる生存維持活性の定量は、1mlの培地中で活性を示す最小量を1単位(unit)として回収率などの計算を行った。

第三章骨格筋由来脊髄神経生存因子の精製

 選択的細胞死の開始期にあたる6日胚の肢芽から骨格筋を大量に集めるのは不可能であったため、出発材料として胚期後期の骨格筋を用いた。なお、重量あたりの神経生存維持活性は、6日胚の肢芽と同程度であった。集めた18-19日胚の骨格筋から各種緩衝液等で活性物質の抽出を試みたが、骨格筋には大量の脂質が含まれていたため、抽出操作が困難であった。そこで、脂質を除くためにアセトンによる脱脂を行い、このアセトン粉末から各種緩衝液等で抽出を行った。その結果、2%食塩水による抽出が最も効率が良いことが分かった。この2%食塩水抽出物を30-50%アセトン沈澱、次に硫安沈澱による分別沈澱を行い、粗精製物を50%硫安溶液として得た。

 この粗精製物を用いて、さまざまなカラムクロマトグラフィーによる精製法の検討を行うとともに、予備的に活性物質の化学的性質を調べた。その結果、活性物質はpH7-8で安定であるが、96℃、5分間の熱処理によって完全に失活し、また、還元剤や界面活性剤などにやや不安定であることなどが分かった。また、ゲルろ過の溶出位置から分子量が17000-47000と推定されたことから、活性物質はタンパク性の物質であると予想された。一方、カラム展開液などの諸条件を検討した結果、Phenyl-SepharoseおよびDEAE-Sepharoseを用いることで活性物質を効率よく精製することができることが分かった。そこで、1kgの骨格筋由来の粗精製物について2段階のカラムクロマトグラフィーを行い、部分精製物を得た。ここまでの活性の回収率は約20%であった。

 この部分精製物を、HPLCを用いたイオン交換DEAE-5PWおよび疎水性クロマトPOROS50PEによってさらに精製した。両カラムにおける活性の回収率はそれぞれ75%、15%であり、複数の分画に活性が認められた。そこで、これらのうち活性が最も高い分画について、さらに逆相カラムクロマトグラフィーによる精製を検討した。その結果、溶出液としてトリフルオロ酢酸/アセトニトリル系を用いた場合、検討したいずれの逆相HPLCカラムでも活性の回収率が極端に悪く、唯一Capcell-Pak C18カラムを用い、10mM酢酸アンモニウム(pH8.9)/メタノールで溶出した場合のみ、ややブロードではあるが、単一なピークとして活性物質を回収することができた。

第四章活性物質の化学的性質

 第三章にも述べたように活性物質はタンパク性の物質であることが予想された。そこで、得られたピークの一部を用いてアミノ酸配列分析を行ったが、配列は見い出されなかった。また、得られたピークのUVスペクトルを測定したところ258nmに極大吸収を持ち、A260/A280の比率は1.9であることからタンパク性の物質ではないことが示唆された。そこで、精製した活性物質がどのような物質であるかを明らかにするために1H-NMRを測定した。得られた1H-NMRのスペクトルから活性物質は、紫外吸収から予想された通りタンパク性の物質ではなく、RNAのスペクトルに特徴的なリボース、プリン環およびピリミジン環に由来するプロトンシグナルが観測され、リボヌクレオチドを構成単位とするポリマー、すなわちRNAである可能性が高いことが分かった。また、活性物質がRNAとした場合、1kgの骨格筋からの収量は360gであり、神経生存維持活性に必要な最小濃度は分子量を47,000とすると0.33nMであった。ところで、最終精製物が単一なRNAであるかどうかを確かめるために、溶出溶液のpHを6.5に変え、同じCapcell-Pak C18による分析を行った。その結果、活性はブロードなピークの肩にのみ認められ、最終精製物中には複数の物質が含まれていることが示された。しかしながら、UV吸収から含まれる物質はいずれもRNAであると考えられた。また、この段階で活性が極端に減少したため、これ以上の精製を行うのは困難であった。一方、あらかじめDNase処理をした試料をポリアクリルアミドゲルを用いて電気泳動したところ、2本鎖DNAマーカーで70bpから160bpの間に約20本のバンドが認められた。さらにこれらを切り出して活性を調べたが、失活が著しく、どのバンドが活性本体であるか不明であった。

 ところで、神経細胞生存維持活性を指標に精製した最終精製画分の主な物質はRNAと思われるが、RNAが神経生存維持活性を担っている物質であるかどうかを確かめる必要がある。そこで、2%食塩水抽出物について核酸抽出の常法であるフェノール・クロロホルムで抽出、さらにエタノール沈澱を行い、試料中の活性を調べたところ、食塩抽出物と同等の活性を有していた。次にこのエタノール沈殿物を用いてDNase、Proteinase KおよびRNase Aの3種類の酵素処理による失活実験を行った。その結果、DNase処理では活性は完全に維持され、Proteinase K処理では約30%、RNase A処理では約2%に活性が減少した。さらに、精製を進めた試料(後述のDEAE-5PW活性画分)についても同様に酵素処理実験を行った。処理後、HPLCによって各酵素を除き、生物検定を行ったところ、Proteinase KについてはHPLCのパターンには変化がなかったが、約30%に失活した。また、RNase Aについては、HPLC上で著しい分解が認められ、さらに活性についても1%以下に失活していた。

 以上の結果から骨格筋抽出物中に含まれる神経生存活性の大部分はある種のRNAが担っていると思われた。そこで、活性物質がRNAであると考え、精製法の改変を行った。

第五章精製法の改変

 第二章で述べた方法にしたがい、ニワトリ胚後肢骨格筋485gをアセトン粉末とし、2%食塩水抽出、アセトン沈澱、硫安沈澱を行った。次に、この粗精製物についてフェノール・クロロホルム抽出を行うことでタンパク性の物質を除いた後、第三章と同様にPhenyl-Sepharoseによるカラムクロマトグラフィー、分取用Capcell-Pak C18(pH6.5)、DEAE-5PW、さらにCapcell-Pak C18(TEA-A、CH3CN)によるHPLC、最後に分析用Capcell-Pak C18逆相HPLC(pH6.5)による精製を行った。その結果、第三章の最終精製と同一条件下で、同じ保持時間に神経生存維持活性が認められた。また、この活性画分のUVスペクトルは前回同様、A260/A280の比率は1.9であった。次にここで精製したRNAの塩基配列の決定を試みた。

第六章活性物質の構造解析

 酵素処理による失活実験等から、このRNAはかなり強固な2次構造を有していることが考えられた。そこで、第五章で得た最終精製物について高温耐性逆転写酵素を用いた逆転写を試みた。T4 RNA ligaseにより1本鎖オリゴDNAアダプターを3’末端に導入した後、[-32P]-dCTP存在下で65℃にて逆転写を行なったが、逆転写産物は認められなかった。

 そこで、逆転写反応を用いた配列決定は困難と判断し、マキサム・ギルバート法に類似した化学修飾分解法および塩基特異的切断酵素を用いた酵素分解法を併用してRNAそのものの塩基配列を決定することを試みた。まず、最終精製物の純度を確かめるために、T4 RNA ligaseで[5’-32P]-pCpを3’末端に導入した後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動を行なった。その結果、第四章と同様、160bpの2本鎖DNAマーカー近辺に標識されたバンドが11本認められ、最終精製物が単一なRNAでないことが分かった。そこで、各々のバンドを切り出し、再度、電気泳動を行うことで純度を高め、このうちの4本のバンドについて塩基配列を決定した。解析の結果、3’末端から約20塩基については配列を明らかにすることができたが、他の部分については確実な配列を明らかにすることはできなかった。その原因はRNA中に修飾塩基が含まれているために、その塩基部位で化学反応および酵素切断が起きなかったことが一因であると考えられた。現在、それぞれのRNA分子の全塩基配列を決定するために反応条件等の改良を行っている。さらに、明らかになった配列から4つのうち3つのRNA分子は、同じRNA分子から3’側、または5’側が部分的に欠失したRNAであると考えられた。また、第二章で精製した活性物質のいくつかのバンドについて塩基配列を決定したところ、上記の4つのうち3つのRNA分子に共通な配列と同じ部分配列が得られた。以上の結果から、胚期骨格筋中のある特定の配列をもったRNAが脊髄神経細胞の生存維持活性を有しているものと考えられた。また、これまで得られた部分配列と相同性をもつ遺伝子は見い出されなかった。

第七章総括

 以上のように、後肢骨格筋より胚期の脊髄神経細胞の生存に関与する因子の精製を行い、その部分構造を明らかにした。しかしここで用いた生物検定系には、運動神経細胞以外の介在神経、感覚神経なども存在するため、単離された物質がどの神経細胞に作用するのかは改めて検討する必要がある。さらに、ここで得られた活性物質はある限られた培養系においてのみ、その脊髄神経細胞に対する作用が認められたに過ぎず、生体内でも作用するのか明らかにする必要がある。今後は、この脊髄神経細胞の生存に関わるRNA分子の全構造を明らかにし、神経細胞でどのような機構によって本活性物質が認識されているのか、などについて一層詳細な解析を行うことにより、発生初期における神経細胞数を制御する機構の解明に貢献できるものと考えている。

審査要旨

 発生初期における神経回路綱の形成過程では、まず過剰の神経細胞が産生され、その後、標的組織と機能的シナプス結合を形成できなかった神経細胞は、選択的細胞死によって除去される。この選択的細胞死は、中枢神経系(脳、脊髄)および末梢神経系の多くの神経細胞において認められ、標的組織由来の栄養因子を獲得できなかったために起こると考えられている。本研究は、脊髄運動神経に対して生存維持活性を持つ物質を、その標的器官である骨格筋から精製し、構造解析を行なったもので、8章からなっている。

 研究の背景と意義を述べた第1章に続き、第2章ではニワトリ6日胚の脊髄神経細胞初代培養系を用いた生物検定法を述べている。この生物検定法では、骨格筋抽出液など生存維持活性を示す物質を培地中に加えると、脊髄神経細胞は2日間生存して神経突起を伸展させたが、何も加えないとすべての細胞が2日以内に死滅した。

 第3章では胚期後期18-19日胚の骨格筋からの活性物質精製法について述べている。アセトンによる脱脂、2%食塩水による抽出、アセトンおよび硫安による分画沈澱、さらに2段階のカラムクロマトグラフィーを行い、回収率約20%で部分精製物を得ることに成功した。また、96℃、5分間の熱処理によって完全に失活すること、還元剤や界面活性剤などに不安定であること、ゲルろ過の溶出位置から分子量が17000-47000と推定されたことなど、活性物質の基本的性質を明らかにした。引き続き、部分精製物を陰イオン交換HPLCおよび疎水性クロマトPOROS50PEによって精製し、さらに逆相HPLCでブロードではあるが、単一なピークとして活性物質を回収した。

 第4章では最終精製物が258nmに極大吸収を示し、A260/A280の比率は1.9であること、さら1H-NMR測定の結果、高磁場側から順にリボースのH2’,H3’,H4’,H5’,H5"に帰属される重なり合ったシグナル、およびリボースのH1’とピリミジン環のH5の重なったシグナル、およびプリン環のH8とピリミジン環のH6の重なったシグナルがそれぞれ観測されたことから、リボヌクレオチドを構成単位とするポリマー、すなわちRNAである可能性が高いことを明らかにした。

 次に、RNAが神経生存維持活性を担っている物質であることを確かめるため、核酸抽出の常法であるフェノール・クロロホルムで抽出、また、DNase、ProteinaseKおよびRNaseAの3種類の酵素処理による失活実験を行った。その結果、フェノール・クロロホルムで抽出を行っても活性が完全に維持されること、DNase処理では活性は維持され、ProteinaseK処理ではやや失活するものの、RNaseA処理ではほぼ完全に失活することを明らかにし、骨格筋抽出物中に含まれる神経生存活性を示す物質はRNAであると結論した。第5章では、活性物質がRNAであることから、フェノール・クロロホルム抽出など核酸精製に有効な方法を加え、効率の良い精製法を確立した。

 第6章では活性物質であるRNAの配列を明らかにするために化学修飾分解法を用いて、塩基配列の決定を試みた。まず、最終精製物の純度を確かめるために、[5’-32P]-pCpを3’末端に導入した後、ポリアクリルアミド電気泳動を行なった。その結果、160bpの2本鎖DNAマーカー近辺にバンドが11本認められ、最終精製物が単一なRNAでないことが分かった。そこで、各々のバンドを切り出し、再度、電気泳動を行うことで純度を高め、このうちの4本のバンドについて塩基配列を決定した。解析の結果、3’末端から約20塩基については配列を明らかにすることができたが、他の部分については確実な配列を明らかにすることはできなかった。その原因はRNA中に修飾塩基が含まれているために、その塩基部位で化学反応および酵素切断が起きなかったことが一因であると考えた。さらに、明らかになった配列から3本のバンドは、同じRNA分子から3’側、または5’側が部分的に欠失したRNAであると考えられた。また、第2章で精製した活性物質のいくつかのバンドについて塩基配列を決定したところ、同じ部分配列が得られた。以上の結果から、胚期骨格筋中のある特定の配列をもったRNAが脊髄神経細胞の生存維持活性を有しているものと結論された。

 第7章は総合討論で本研究のまとめと今後の展望を、また、第8章は実験方法を述べている。

 以上本論文は骨格筋由来の運動神経生存因子を精製し、この因子がある特定の配列をもったRNAであることを示したもので、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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