学位論文要旨



No 114425
著者(漢字) 牧野,伸一
著者(英字)
著者(カナ) マキノ,シンイチ
標題(和) 大腸菌細胞質膜に局在するATP依存性プロテアーゼFtsHの構造と機能
標題(洋)
報告番号 114425
報告番号 甲14425
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2033号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 助教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨

 大腸菌tolZ変異株は、殺菌性蛋白質コリシンE2,E3,Dなどに対して、そのリセプターは正常であるが、その殺菌作用を受けない耐性(Tol-表現型)変異株である。さらに、tolZ変異株UM21はグルコースを炭素源として生育できるが、コハク酸などの非発酵性炭素源では生育できず(Nfc-表現型)、電気化学的プロトン勾配の形成保持に欠陥がある。こうしたことから、tolZ変異株を研究することは、コリシン蛋白質の膜透過のみならず、広く生物界一般に見られる現象である、細胞質膜におけるエネルギー形成と保持の機構解明にも役立つことが期待される。

 当研究室において、tolZ変異株UM21をNfc+に転換する活性を用いてクローニングされたtolZ遺伝子はftsH遺伝子と同一であった。その産物のFtsH蛋白質は、N末端に2個の膜貫通領域を持ち、ATPと亜鉛依存性の膜内在性プロテアーゼで、ATPaseと金属プロテアーゼのコンセンサス配列は細胞質側の領域に存在する。その基質として、大腸菌熱ショックプロモーターを認識する32蛋白質や、cII、cIII蛋白質、SecYなどが知られている。しかし、FtsH蛋白質の機能とtolZ変異株におけるTol-とNfc-の表現型とを結びつけるものは、まだ知られていない。そこで、本研究ではこの溝を埋めるために、多方面から手がかりを探した。

1.tolZ変異の解析1-1.tolZ変異株における変異部位の同定

 15株のtolZ変異株(表現型はTol-,Nfc-あるいはTol-,Nfc+)にプラスミドによりftsH遺伝子を導入したところ、全ての株で変異株の表現型は回復した。そこでそのうち4株から変異ftsH遺伝子をプラスミドにクローニングし塩基配列を調べた。その結果、ftsH遺伝子中に変異が見い出され、一アミノ酸残基の置換、挿入、一塩基欠失によるフレームシフト、一塩基置換のサイレント変異、といった4株それぞれから全く異なる変異が検出された。

1-2.サイレント変異によるTol-表現型の発現機構

 tolZ変異株KHl10は、弱いTol-を示すがNfc+という、野生型に近い表現型を持っていた。この変異株のtolZ遺伝子に見い出された一塩基置換のサイレント変異により、開始コドンから第8番目のコドンCUA(Leu)がCUC(Leu)に変化していた。どのような機構で、このサイレント変異によりTol-表現型が現れたのかを調べた。

 変異株KHl10のFtsH蛋白質の量を抗FtsH抗体を用いたWestern blottingにより調べたところ、野生株に比べて大幅に減少していた。ロイシンのコドンCUCは、CUAに比べてtRNA存在比と使用頻度が大きく上回っていることが知られており、この実験事実は矛盾しているように見えた。そこで、同じ位置における他のサイレント変異(CUG,CUU)を作成し、比較したところ、その位置の変異塩基がCである場合にのみ、FtsH蛋白質の量の減少が見られることがわかった。mRNAの二次構造予測により、その塩基はSD配列を含むstem-loop構造の端に位置し、塩基がCになることで、反対側の塩基Gと塩基対を形成すると推測された。その一塩基対合により、恐らくSD配列付近の構造が変化し、リボソーム結合による翻訳開始の効率が低下したと考えられる。Northern解析によっても翻訳レベルでの差異であることが、確かめられた。

 これによりFtsH蛋白質の変異だけでなく、FtsH蛋白質の量の減少によってもTol-表現型が発現することが明らかとなった。

2.Nfc-表現型発現機構の解析2-1.Nfc-表現型と呼吸鎖電子伝達系、H+-ATPaseの関係

 tolZ21変異株UM21はTol-,Nfc-の表現型を示し、亜鉛依存性プロテアーゼFtsHの亜鉛結合モチーフに変異があることから、この変異株のFtsH蛋白質はプロテアーゼ活性を欠いているものと考えられる。既に当研究室において、変異株UM21で、膜内外のプロトン勾配の形成に重要な役割を果たす呼吸鎖末端酸化酵素シトクロムbd複合体について、機能と分光学的性質に異常が検出されている。その異常が蛋白質レベルではどのように捉えられるかを、Western blottingにより、H+-ATPaseとともにそれらの発現量を調べた。その結果、H+-ATPaseでは変化が見られなかったのに対して、シトクロムbd複合体では二つのサブユニットどちらも、変異株UM21は野生株と比べて、約10分の1程度の量に減少していた。そこで、変異株UM21でシトクロムbd複合体をプラスミドにより発現させたところ、野生株と同じ程度の量の蛋白質が作られているにもかかわらず、Nfc-の性質には変化が無かった。こうしたことから、FtsH蛋白質がシトクロムbd複合体の膜へのアッセンブリー、構造形成などに関わっていることが示唆されたが、Nfc-の表現型がシトクロムbd複合体のみの欠陥に起因するのではないことも明らかになった。

2-2.Nfc+への自然復帰変異株の遺伝学的解析

 tolZ21変異株UM21はTol-,Nfc-であるが、Nfc-のみがNfc+に変化した自然復帰変異株が高頻度で得られた。その復帰変異株におけるサプレッサー変異遺伝子について、ミニトランスポゾンを用いて染色体上の位置を決定し、DNA塩基配列決定により変異を検出した。その結果、10株中9株がenvA(lpxC)遺伝子内に変異が検出された。それらの変異は、6アミノ酸残基の重複、保存性の高いアミノ酸残基の置換が2種、という3種類に分けられた。一方、既にLpxC蛋白質はFtsH蛋白質の基質となることが報告されている。このように、Nfc-のサプレッサー変異遺伝子が基質であったことからも、FtsHが蛋白質分解による制御において重要な役割を担っていることが示唆された。

3.FtsH蛋白質の膜貫通領域の機能解析3-1.水可溶型各種FtsH蛋白質の精製とそれらの活性と多量体形成

 膜貫通領域を欠失し、C末端側の細胞質領域のみを持つ水可溶性型FtsHでは、32分解活性が極めて低く、Tol-の表現型回復もしないことから、膜貫通領域がこの酵素の機能に大きく関わっていることが示唆された。そこで、膜貫通領域とこの酵素の機能の関係を調べるため、FtsH蛋白質のN末端領域のそれぞれ異なる位置(第一の膜貫通領域直前、直後、ペリプラズム領域内、第二の膜貫通領域直前、直後)にmaltose-binding protein(MBP)を融合させ、5種類のMBP-FtsH融合蛋白質を作成した。これらを菌体内で発現させると、可溶性画分に生産された。これらを精製し、32分解活性を測定したところ、第二の膜貫通領域以降を持つものではほぼ同様に32を分解したが、C末端側の細胞質領域のみを持つものでは分解しなかった。ATPase活性はどの形でも保持していたが、C末端側の細胞質領域のみを持つものでは約10分の1程度に活性が落ちていた。沈降速度法による超遠心分析により、第二の膜貫通領域以降を持つものは多量体を形成していたのに対し、C末端側の細胞質領域のみを持つものは単量体で存在していると考えられた。

 以上より、FtsHは、単にC末端側の細胞質内の領域のみでは機能せず、32分解、多量体形成においては、第二の膜貫通領域を含めたC末端領域が必要であることがわかった。

3-2.FtsH蛋白質の膜貫通領域と表現型(Tol-,Nfc-)の関係

 膜蛋白質であるFtsH蛋白質が膜へ局在することの意義解明と、FtsH蛋白質の機能の分割を目指して、膜貫通領域のあるN末端側を欠失した変異蛋白質をtolZ21変異株で発現させ、それによる表現型の回復を調べた。上記5種類のMBP-FtsH融合蛋白質を発現させたところ、N末端側を欠失したどの変異蛋白質でもNfc-の表現型は回復しなかったが、Tol-の表現型は第二の膜貫通領域以降を持つものでは回復した。さらに、シグナルペプチド付きのMBPを用いた膜局在型MBP-FtsH融合蛋白質でも、Tol-の表現型のみ回復が見られた。このことから、Tol-の表現型回復には、Nfc-の表現型回復に必要なFtsHの機能のうちの一部分(恐らくプロテアーゼ活性)だけで可能であると考えられる。

4.FtsH蛋白質の基質探索-tolZ21変異により量的変化のある蛋白質の検索

 tolZ21変異が引き起こす顕著な影響を調べることにより、FtsH蛋白質の生体内における機能を解明しようという目的で、tolZ21変異株において特異的に量が変化する蛋白質を検索した。野生株と変異株で、SDS-PAGEによる蛋白質のバンドパターンを比較した。変異株で量の増減が見られたバンドのN末端アミノ酸配列を決定したところ、減少したものはトリプトファン分解酵素(TnaA)、増加したものはグルコサミン合成酵素(GlmS)とそれぞれ同定された。これらの蛋白質の発現制御や分解にFtsH蛋白質が何らかの形で関わっているものと考えられる。

 以上の研究から得られた知見としては、Tol-表現型はFtsHの機能低下によって引き起こされていること、そしてTol-表現型の回復にはEtsHの一部の機能だけで十分であること、また、細胞質膜蛋白質の構造形成などの機能発現におけるFtsHの関与、蛋白質分解を介した制御におけるFtsHの重要性の示唆、FtsHのC末端側の細胞質領域と第二の膜貫通領域を合わせたATP依存性プロテアーゼドメインの存在、などが挙げられる。

審査要旨

 大腸菌tolZ変異株は、殺菌性蛋白質コリシンE2,E3,Dなどに対して、その殺菌作用を受けない耐性(Tol-)変異株である。tolZ21変異株UM21は、コハク酸などの非発酵性炭素源では生育できず(Nfc-)、電気化学的プロトン勾配の形成保持に欠陥がある。クローニングされたtolZ遺伝子はftsH遺伝子と同一であり、その産物のFtsH蛋白質は、N末端に2ケ所の膜貫通領域を持ち、ATPと亜鉛に依存性の膜内在性プロテアーゼで、ATPaseを含む酵素領域は細胞質側に存在する。tolZ21変異は亜鉛結合モチーフの変異である。本論文は、FtsHの構造と機能、ならびにtolZ変異株におけるTol-とNfc-の相関関係を解明することを目的として研究を行ったものであり、序論、4部と総合考察より構成されている。

 序論において研究の背景を述べた後、第1部においては、既に取得されていた15株のtolZ変異の解析について述べている。tolZ変異株はftsH遺伝子に変異をもち、4株の変異ftsH遺伝子の塩基配列を調べた結果、一アミノ酸残基の置換、挿入、一塩基欠失によるフレームシフト、一塩基置換のサイレント変異と、それぞれから異なる変異が見い出された。

 tolZ10変異株KHI10は、一塩基置換のサイレント変異により開始コドンから第8番目のロイシンのコドンCUAがCUCに変化していた。本変異株のFtsH量を抗FtsH抗体により調べたところ、野生株に比べて大幅に減少していた。ロイシンのコドンCUCはCUAに比べて、tRNA存在比と使用頻度が大きく上回っていることが知られており、この実験事実は矛盾しているように見えた。そこで、同じ位置における他のサイレント変異CUG,CUUを作成し、比較したところ、その位置の変異塩基がCである場合にのみFtsH量の減少が見られた。ノーザン解析により、翻訳レベルでの差異であることがわかった。mRNAの二次構造予測により、その塩基はSD配列を含むstem-loop構造の端に位置し、塩基がCになることで反対側の塩基Gと塩基対を形成すると考えられた。一塩基対合の増加により、リボソーム結合による翻訳開始効率が低下したと推定され、FtsHの変異だけでなく、FtsHの量の減少によってもTol-となることが明らかとなった。

 第2部においては、Nfc-表現型の発現機構の解析について述べている。tolZ21変異株UM21はTol-,Nfc-であるが、Nfc-のみがNfc+に変化した自然復帰変異株が高頻度で得られた。その復帰変異株におけるサプレッサー変異遺伝子を解析した結果、10株中9株がlpxC(envA)遺伝子内に変異が検出された。既にLpxC蛋白質はFtsHの基質となることが報告されている。Nfc-のサプレッサー変異が基質蛋白質であることからも、FtsHが蛋白質分解による生育制御において重要な役割を担っていることが示唆された。

 第3部においては、FtsHの膜貫通領域が蛋白質機能の発現において重要な役割を果たしていることが述べられている。膜貫通領域を欠失し、C末端側の細胞質領域のみを持つ水可溶性型FtsHでは基質蛋白質32分解活性が極めて低く、膜貫通領域がこの酵素の機能に大きく関わっていることが示唆された。そこで、N末端領域のそれぞれ異なる位置にマルトース結合蛋白質(MBP)を融合させ、5種類のMBP-FtsH融合蛋白質を作成し精製した。第2の膜貫通領域を持つものは32を分解したが、細胞質領域のみを持つものでは分解しなかった。ATPase活性はどの形でも保持していたが、細胞質領域のみを持つものでは約10分の1程度に活性が落ちていた。超遠心分析により、第2の膜貫通領域を持つものは多量体、細胞質領域のみを持つものは単量体で存在していると考えられた。以上より、FtsHの32分解、多量体形成において、第2の膜貫通領域を含めた領域が必須であることがわかった。

 上記5種類のMBP-FtsH融合蛋白質をtolZ21変異株で発現させたところ、どの変異蛋白質でもNfc-は回復しなかったが、Tol-は第二の膜貫通領域を持つものでは回復した。このことから、Tol-の表現型回復には、Nfc-の回復に必要なFtsHの機能のうちの一部分だけで可能であると考えられる。

 総合考察においては、本研究により得られた結果について総合的に討論している。

 以上、本論文は、大腸菌細胞質膜に局在するATP依存性プロテアーゼFtsHの構造と機能について解析し、特にFtsHの多量体形成と酵素機能の発現における膜貫通領域の重要性を明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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