学位論文要旨



No 114426
著者(漢字) 益本,創
著者(英字)
著者(カナ) マスモト,ハジメ
標題(和) バキュロウイルスの発現系を使ったカルパインの構造と機能の解析
標題(洋)
報告番号 114426
報告番号 甲14426
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2034号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 反町,洋之
 東京大学 助教授 前田,達哉
内容要旨 はじめに

 カルパインは高等動物の細胞質内に存在し、カルシウムによって活性化されるシステインプロテアーゼである。カルパインには初期の研究においてタンパク質レベルで発見された組織普遍的に存在する分子種と、90年代に入り、核酸レベルの相同性をもとに発見されてきた組織特異的な分子種がある。カルパインの生理機能や構造と機能相関の解析において、タンパク質レベルでの解析が必要であることは疑う余地はない。組織普遍的なカルパインのタンパク質レベルでの研究はかなり進んでいるが、組織特異的カルパインのほとんどは核酸レベルで同定されているだけでタンパク質レベルでの生化学的解析は遅れている。また組織普遍的、特異的カルパインを問わず、さまざまな変異体を利用した解析は構造と機能の研究には必須であり、そのためにはカルパインの大量発現系の確立が重要である。発現系には大腸菌、酵母、枯草菌、培養細胞を用いたものなどがあるが、バキュロウイルスを用いた昆虫細胞の系はカルパインなど高等動物のタンパク質を発現する場合には生理活性のあるタンパク質が発現する可能性が高く、また強力なポリヘドリンプロモーターを使用しているため大量に発現しやすい傾向がある。これまでバキュロウイルスの発現系では組織普遍的カルパインの一つである-カルパインの発現が報告されているが、活性化に必要なCa2+感受性が異なるもう一つの主要な組織普遍的カルパインであるm-カルパインの発現は報告されていない。そこでm-カルパインに着目することにし、バキュロウイルスを用いたカルパインの大量発現系を確立した。次にバキュロウイルスのカルパイン発現系を用い、変異型カルパイン、組織特異的カルパイン等を発現・精製し、精製標品の様々な性質を解析した。

1.カルパインの大量発現系の確立

 m-カルパインは天然臓器から、プロテアーゼドメインとCa2+結合ドメインを持つm80KサブユニットとCa2+結合ドメインを持つ30Kサブユニットからなるヘテロダイマーとして精製される(図1)。そこでm-カルパインを発現するために、m80Kバキュロウイルスと30Kウイルスを作製し、昆虫細胞Sf9に共感染した。発現後、細胞破砕液の上清にカルパイン活性が確認できたので、天然m-カルパインと同様に、DEAE-Toyopearl、ゲル濾過Superdex200、Mono Qとカラムクロマトグラフィーを行ったところ、ほぼ単一まで精製できた。精製標品はヘテロダイマーであり、Ca2+感受性(Ka=0.4mM)、比活性(カゼイン分解活性;690U/mg)、至適pH(pH7.8)は、天然ウサギm-カルパインの性質とほぼ同一であった。また1Lの細胞懸濁液から約20mgの精製m-カルパインが得られ、バキュロウイルスを用いた発現系が質的にも量的にも優れていることが明らかになった(以上の結果を文献1に発表)。

 次にm-カルパインの発現系を利用して活性中心のシステインをセリンに置き換えた変異体、m-C105S-カルパインを同様な方法で、感染、発現及び精製した。精製標品は、Ca2+依存的なプロテアーゼ活性(自己消化活性、カゼイン分解活性、人工基質SLLVY-MCA分解活性)は全く検出できなかった。パパインの場合には活性中心のシステインをセリンに変換した変異体が弱いながらもセリン酵素としての活性を示すが、カルパインの場合には同様な変換で活性は完全に失われた。天然型のm-カルパインはCa2+存在下で自己消化を起こして分解するが、今回作製したm-C105S-カルパインはCa2+存在下で安定なので、Ca2+存在下でのカルパインの構造研究の良い材料になり、Ca2+によるカルパインの活性化機構解明に役立つことが期待される。

2.カルパインの結晶化

 Ca2+によりカルパインが活性化する時には、自己消化、大小サブユニットの解離、活性発現がほぼ同時に起き、非常に複雑な現象が起きる。よって活性化機構解明の一方法として、X線回折等による構造学的側面からの解析が急務であったが、大量発現系が確立されるまでは結晶化のためのサンプルを大量に天然臓器から精製することは難しかった。また天然型のカルパインはその自己消化能のため、Ca2+結合型の構造を解析することは不可能だった。これまでカルパインに関しては小サブユニットのCa2+結合ドメインの結晶構造が報告されているのみであったので、全長のカルパインの結晶化を試みた。確立したのバキュロウイルスの系を用いて、結晶化に使える純度の高いm-カルパインを150mg、m-C105S-カルパインは210mg精製し、その大半を結晶化材料とした。結晶化はドイツのMax Planck研究所のW.Bode教授、S.Strobl博士との共同研究で、初めてm-カルパインの結晶を得ることに成功した(図2)。

 m-C105S-カルパインはCa2+存在下、および非存在下で結晶が得られているが、現在のところ良好な回折像が得られていない。

3.カルパインフラグメント(mCL/2’)の発現、精製及び性質

 m-カルパインの構造と機能相関を解析するため80Kのさまざまなフラグメントをバキュロウイルスの系で作製した。第1ドメインから第3ドメインの途中までのカルパインフラグメント(mCL/2’)は特に発現が良かったため、これを精製、性質決定することにした。発現後、ウエスタンブロッティングにより細胞破砕液の上清にタンパクが確認できたので、天然m-カルパインと同様に、DEAE-Toyopearl、ゲル濾過Superdex200、MonoQカラムによる精製を行った。精製標品は非常に弱いCa2+依存的自己消化活性と、カゼイン分解活性をもっていた。またE64で2つの活性は阻害された。しかし、潜在的なCa2+結合部位が存在するにも関わらず、45Ca2+の結合アッセイ(カルシウムオーバーレイ法)ではCa2+の結合は検出できなかった。

4.組織特異的カルパイン(nCL-2’)の発現、精製及び性質

 組織特異的カルパインの解析は、カルパインの生理機能解明の突破口になることが予想されて非常に重要であるが、タンパク質レベルでの解析は遅れていた。それは酵素の天然臓器からの精製が非常に困難であったからである。nCL-2’はスプライシングの違うnCL-2とともにmRNAが胃(平滑筋)に特異的に発現し、Ca2+結合ドメイン(第4ドメイン)が存在しないことから、その特異的な役割が推測され、注目されている。住血吸虫Schistosoma mansoniのカルパインの研究から、このnCL-2’にも第2ドメインと第3ドメインの境界に潜在的なEF-ハンド構造が存在することが予想されるため、生体内でCa2+によって制御されている可能性がある。今回バキュロウイルスの系を用いて初めて胃特異的に発現しているnCL-2’を単一まで精製することに成功した。精製標品には弱いCa2+依存的な自己消化活性が検出できたが、E64により自己消化阻害はされなかった。またカゼインや人工基質SLY-MNAの分解活性は検出できなかった。

5.まとめ

 バキュロウイルスの系で発現させた組換えm-カルパインは十分な活性を持ち天然の酵素と区別できないことが明らかになった。またこの発現系は量的にも優れていたので結晶解析のための十分な材料を得ることが出来た。さらにバキュロウイルスの系を用いてこれまで天然臓器から精製が困難だった組織特異的カルパインp94,nCL2,nCL-2’,nCL-4,capn5,6を大量に調製することが可能になり、これらの酵素のタンパク質レベルでの解析に有用であることが分かった。本研究ではその中でnCL-2’の発現に初めて成功し、性質を調べた。nCL-2’の酵素活性は非常に弱く、本来の基質、活性化因子の検索が必要である。

発表論文

 1)Masumoto,H.,Yoshizawa,T.,Sorimachi,H.,Nishino,T.,Ishiura,S.,and Suzuki,K.(1998)Overexpression,Purification,and Characterization of Human m-Calpain and Its Active Site Mutant,m-C105S-Calpain,Using a Baculovirus Expression System.J.Biochem.124,957-961

図1 発現させたカルパイン及びフラグメント図2 m-カルパインの結晶
審査要旨

 カルパインは高等動物の細胞質に存在し、Ca2+によって活性化されるシステインプロテアーゼである。細胞内のCa2+によるシグナル伝達に関わり、細胞内で重要な役割をしていると考えられている。近年カルパインはプロテアーゼドメインの相同性から,スーパーファミリーを構成することが明らかとなってきたが、それらの多くはmRNAのレベルで発見されてきたものであり、タンパク質レベルでの解析は遅れている。また、他のプロテアーゼの立体構造が明らかとなるなか、カルパインは立体構造レベルでの研究が依然遅れている。本論文ではバキュロウイルスの大量発現系を用いて、カルパインの構造と機能の相関について解析を行ったものである。

 論文の構成は「序論」、「材料」、「方法」、「結果と考察」、「総合討論」、「参考文献」よりなっている。「序論」ではカルパインの歴史、カルパインの活性化機構など、本論文の研究に至った背景および研究目的について述べている。

 「結果と考察」の章は「カルパインのバキュロウイルス大量発現系の確立」、「カルパインの結晶化」、「mCL/2’の発現、精製・性質」、「nCL-2’の発現、精製・性質」の4項に分かれている。第1項の「カルパインのバキュロウイルス大量発現系の確立」では組織普遍的に発現している主要なカルパインの1つであるm-カルパインをバキュロウイルス系で発現させた。大腸菌の系ではm-カルパインは不活性な封入体タンパク質として発現するが、変性可溶化後、活性のある状態に再生するのは非常に困難であったので、バキュロウイルスの系を使用した。組み換えm-カルパインは酵素学的に天然のものと同等であり、バキュロウイルス系がカルパイン発現系として非常に有用であることが明らかとなった。次にこの系を用いて、活性中心のシステインをセリンに変換したm-カルパイン(m-C105S-カルパイン)の性質を調べた。プロテアーゼ活性は全く検出されなかった。また、Ca2+存在下で自己消化活性はないものの、構造変化を起こして沈殿することが明らかとなった。この変異体は自己消化をしないのでCa2+存在下での構造などを研究する材料として非常に有用であると考えられる。

 第2項では、現在カルパイン研究の主要なテーマであり、非常に競争の激しい分野であるカルパインの結晶化について述べている。カルパインの構造は、カルパインの活性化機構の解明に重要であるにも関わらず、その全体構造は依然明らかとなっていない。本研究では、2.5Åの解像度を示すm-カルパインの結晶をうることに成功した。これは、結晶化に270mgの大量のカルパインを投入した結果であり、「カルパインのバキュロウイルス大量発現系の確立」無くしては、なし得なかったものである。

 第3項では、第1項で確立した方法を用いて普遍的なm-カルパイン大サブユニット(m80)の様々な断片のウイルスを作製し、発現を行った。そのうちの一つのmCL/2’は、組織特異的カルパインnCL-2’に相当する断片で、アミノ酸の相同性は71%と高く、まだタンパクレベルで同定されていないnCL-2’のモデルタンパクであることが予想された。精製標品の性質を調べた結果、Ca2+結合ドメインを欠くにも関わらずCa2+依存的な自己消化と基質分解活性が検出された。

 第4項では、まだタンパク質レベルで同定されていない胃に特異的に発現しているnCL-2’について、第1項で確立した方法を用いて解析を行った。nCL-2’は1次構造の解析から5つのEF-ハンドからなるCa2+結合ドメインを持たないが、プロテアーゼドメインのすぐ後ろに1つのEF-ハンドの存在が知られていた。本研究でnCL-2’についてCa2+依存的な自己消化活性を確認したことはプロテアーゼドメインの直後のEF-ハンド構造がCa2+を結合することを示唆している。mCL-2’とnCL-2’が活性を保持する形で発現できたので、胃に特異的なnCL-2’の基質の検索やカルパインの生理機能の解明の有効な手段が得られたことになる。

 総合討論では以上をふまえ、カルパイン大量発現系の開発と利用、ならびに胃特異的カルパインnCL-2’について総合的な考察を行っている。

 以上、本論文は、カルパインの大量発現系を確立し、大量に調製したカルパインを使ってカルパインを結晶化し、結晶解析の基盤を確立すると共に、構造と機能の相関を解析したものであり、学術上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク