学位論文要旨



No 114428
著者(漢字) 吉澤,達也
著者(英字)
著者(カナ) ヨシザワ,タツヤ
標題(和) ビタミンDレセプター(VDR)の高次機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 114428
報告番号 甲14428
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2036号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 秋山,徹
内容要旨 1.目的

 ビタミンDは抗クル病因子として発見された脂溶性ビタミンであり、カルシウム代謝の代表的な調節因子の1つである。この様な作用に加え、ビタミンDは細胞の増殖・分化、免疫応答制御など多彩な生理作用を有する事が知られている。ビタミンDには多くの代謝物が存在するが活性本体は1,25(OH)2D3であり、その生理作用発現はビタミンDレセプター(VDR)を介した遺伝子発現により発揮される事が明らかとなっている。VDRはリガンド依存性転写調節因子であり、ステロイド・甲状腺ホルモン・エイコサノイド核内レセプター群の1つである。現在ビタミンD作用発現機構においてVDRを介した情報伝達系のみが証明されているため、VDRはビタミンDの生理作用発現において主要な役割を果たしていると考えられている。しかしながら、この様な考えは主としてin vitro系から得られた観察に基づいたものであるため、個体レベルでのVDRの機能は十分に明らかではなかった。又、従来in vivo系、in vitro系で解析された個々のビタミンD生理作用は必ずしも一致したものではなく、実際の高等動物でのビタミンDの生理学的意義については定かではなかった。

 この様な背景から本研究では個体レベルでのビタミンDの作用、及びVDR個有の高次機能を明確にする事を目的とし、VDR遺伝子欠損マウスを作出、その表現型を調べた。

2.VDR遺伝子欠損マウスの解析2-1遺伝子欠損マウス(ノックアウトマウス)を用いた解析法の意義

 1990年代初期から報告されはじめた核内レセプターノックアウトマウスの解析により、核内レセプターを介した情報伝達経路は高等動物の発生、細胞の増殖・分化、恒常性の維持などをはじめとした高次生命現象に重要な役割を果たすことが明らかとなっている。同時に核内レセプターノックアウトマウス(KOマウス)による解析は、リガンドの持つ生理学的意義を明確にする事ができた。このため、リガンドの欠乏や投与といった従来法の限界を解決できるものであった。そこで本研究ではこの手法を用いる事で、ビタミンDの生理作用、VDRの生体での高次機能を明らかにする事を試みた。

2-2VDRKOマウスの作製

 マウスVDRゲノムの翻訳開始点とDNA結合領域を含むエクソン2付近をネオマイシン耐性遺伝子に置換したターゲティングベクターを構築した。これをES細胞(TT2 line)に導入し、サザンブロット解析により相同的組換えを起こした2クローンを単離した。得られたES細胞からアグリゲーション法によりキメラマウスを作成し、更にヘテロ接合体、ホモ接合体を得た。ヘテロ接合体では全く変異はなく、以下ホモ接合体をVDRKOマウスとして解析した。

2-3VDRKOマウスの表現型の解析a)成長・生存の障害

 VDRKOマウスは胚性致死ではなく正常に誕生するが、離乳時期である3週以後、顕著な成長障害が見られた。更に、これらマウスは8週齢以後死亡しはじめ、15週までに90%が死亡した。したがって、ビタミンDは離乳後においてのみ成長・生存に必須な栄養素である事を証明した。

b)血中カルシウム、リン、ビタミンD代謝物量の変動

 ビタミンDは小腸、腎臓、副甲状腺、骨に対して働きかけ、血中カルシウム、リンの恒常性を制御する。更にビタミンD代謝はビタミンD自身によって制御される。そこで、血中カルシウム、リン、ビタミンD代謝物値を測定した結果、離乳1週間後の4週齢で有意に低カルシウム、低リン、高1,25(OH)2D、低24,25(OH)2Dを認めた。

 この事は、授乳中はビタミンDに依存しないカルシウム恒常性維持機構が存在する事を示唆するものであった。更に今回の結果は、ビタミンD依存性クル病II型患者での血中内分泌学的指標の変動とよく一致するものであった。ビタミンD依存性クル病II型とは、ヒトVDR遺伝子の点変異によるレセプター機能障害により引き起こされる、遺伝性のクル病性疾患である。したがって、本研究で作製したVDRKOマウスは、ビタミンD依存性クル病II型発症の分子メカニズムを実証したものであった。

c)骨・軟骨組織での異常

 ビタミンD欠乏ではクル病が発病することから、骨・軟骨組織の解析を行った。まず栄養学的なビタミンD欠乏マウスでは解析困難であった形態形成期での変異を探る目的で、18.5dpcの胚体の軟骨と骨の染色を行った結果、同腹の野性型との間に骨格においては差異は見られなかった。又、3週齢までは変化ないが、7週齢では脛骨・大腿骨は短くなり、骨端が肥大化した。そこで組織切片を作製したところ、骨端では、軟骨細胞の増加と規則的な整列の喪失、類骨(未石灰化の骨基質)量の増大が認められた。骨密度は、野性型の60%にまで減少していた。

 軟骨細胞数の増加が認められた事から、更に軟骨細胞の分化マーカーを用いたin situ hybridization法により軟骨細胞群の異常について検討した。その結果Type X collagenが発現する前期肥大軟骨細胞までの形態的変化は認められなかったが、Osteopontinを発現する後期肥大軟骨細胞から骨に置き換わる段階で軟骨細胞の増加が認められた。

 次に、in vitroでは骨吸収に関与する破骨細胞の形成促進にビタミンDが重要な役割を果たす事が知られているため、VDRKOマウス脛骨骨端部の破骨細胞数を検討した。その結果、破骨細胞数には変化は認められなかった。

 これらの事から、従来から考えられていた破骨細胞形成に対するビタミンDの効果は必須ではなく、むしろ軟骨細胞の分化に効果があることが示唆された。しかし骨形成にカルシウムは必須であるため、今回現れた変異が血中カルシウム濃度低下による間接的な効果の可能性が排除できなかった。

d)皮膚での異常

 ビタミンDは培養ケラチノサイトの分化を促進することが知られている事から、個体での表皮ケラチノサイトの正常な分化にビタミンDが重要な役割を果たしていると考えられていた。そこでVDRKOマウス皮膚の組織切片を作製したところ、顕著な変異は見いだせなかった。

 しかしVDRKOマウスでは、外見上5〜6週齢で顔面の脱毛が見られ、約50週齢で全身的な脱毛が観察された。そこで毛包の組織切片を作製したところ、3週齢で毛包の上部の細胞の嚢胞化が見られ、週齢とともに下部の細胞にも嚢胞化が進行し、約25週齢では全ての毛包が空洞化した。この脱毛の組織学的な表現型がポリアミン代謝異常による脱毛に類似していた事から、ポリアミン代謝酵素群遺伝子の発現をノザンブロット法にて検討した。その結果、S-Adenosylmethionine decarboxylase mRNA量の増加とOrnithine decarboxylase mRNA量の減少を見出した。この様な遺伝子発現の変動が脱毛を引き起こす要因の1つであると推察された。

 以上の結果から、従来から考えられていた表皮細胞分化へのビタミンDの効果は必須ではなく、毛包の細胞の正常な増殖・分化周期の維持についてのみ重要である事が判明した。しかしこの毛包の細胞の異常は、重篤な血中カルシウム濃度低下により引き起こされた可能性が排除できなかった。

e)子宮・卵巣での異常

 VDRKOマウスの解剖により子宮の萎縮を見出したため、子宮・卵巣、精巣の解析を行った。その結果精巣での変異は顕著ではなかったが、意外なことに卵巣・子宮に重度の萎縮が見られ、同時に卵巣に未成熟の卵胞は見られるが成熟したグラーフ卵胞が認められなかった。又、VDRKOマウスでは雌雄共に交配しない事が分かった。これはビタミンD欠乏マウスでは見られなかった変異であり、雌の生殖作用におけるVDRを介したビタミンDの新たな作用が示唆された。

f)まとめ

 以上の結果から、ビタミンDは離乳後に必須な栄養素である事を初めて明確にした。更に、離乳後の成長・生存、カルシウム代謝、ビタミンD代謝、骨形成、軟骨細胞の正常な分化、毛包の細胞の正常な増殖・分化、正常な卵胞形成が、VDRを介したビタミンD作用によるものである事が強く示唆された。

 しかしVDRKOマウスでは離乳後重篤なカルシウム濃度低下を引き起こすため、今回現れた各種異常がカルシウムを介した間接的作用なのか、標的細胞群へのビタミンDの直接的作用なのかは明らかにできなかった。

2-4カルシウム補充によるビタミンDの直接的効果の検討

 そこで、ビタミンDの各組織への直接的効果を検討する目的で、VDRKOマウスへの高カルシウム食投与による血中カルシウム濃度矯正時での各組織を解析した。

 離乳期である3週齢から野生型、VDRKOマウスに高カルシウム・高リン食(通常食+ラクトース20%:Ca2%,P1.25%)を与え、7週齢で屠殺後、血中カルシウム濃度測定と各組織切片作製を行った。その結果血中カルシウム濃度は完全に改善され、骨では脛骨長、骨端幅はほぼ改善され、組織学的にも類骨の異常な増大も殆ど見られなかった。又、生殖作用の低下はカルシウム補充により改善された。

 これに対し、軟骨異常は完全には改善されず、依然肥大軟骨細胞の増加が認められた。又、脱毛も改善されなかった。

 したがってVDRKOマウスに現れた骨形成不全の大部分はカルシウムを介した二次的な影響であり、骨形成に関与する骨芽細胞や骨吸収に関与する破骨細胞に対するビタミンDの作用は必須ではない事が分かった。一方、軟骨細胞の分化がビタミンDの直接的な効果である事が示唆された。更に、毛包の細胞の増殖・分化への効果と軟骨細胞の分化への効果もビタミンDの直接的な作用である事が強く示唆された。

3.細胞種特異的VDRKOマウス作製の試み

 VDRKOマウスの表現型の解析からVDRを介したビタミンDの直接的作用が存在すると強く示唆された組織群(毛包と軟骨)に焦点を絞り、さらに詳細にビタミンDの作用点を解明する目的で、Cre-loxPシステムにより細胞種特異的VDRKOマウスの作製を考えた。本研究では、VDR遺伝子にloxP配列を組み込まれたマウスの作製を試みた。VDRの翻訳開始点とDNA結合領域を含むエクソン2及び3前後にloxP配列を挿入したターゲティングベクターを構築した。これをES細胞(TT2 line)に導入し、サザンブロット解析により相同的組換えを起こした2クローンを単離した。現在得られたES細胞からアグリゲーション法によりキメラマウスを作成している。

 今後これらマウスと目的の細胞種特異的にCre組換え酵素を発現するトランスジェニックマウスを掛け合わせ、細胞種特異的VDRKOマウスを作製する予定である。毛包特異的VDRKOマウスの作製には、Keratin-5,14遺伝子のプロモーターを用いたCre発現マウスを使用し、軟骨細胞特異的VDRKOマウスの作製には、Type II,Type X collagen遺伝子のプロモーターを用いたCre発現マウスを使用する予定である。

4.考察

 本研究からビタミンDが離乳後にのみ必須な栄養素である事を証明した。更に、ビタミンD作用発現においてVDRが中心的な役割を果たす事をin vivoで初めて明らかにする事ができた。又、従来分離して理解できなかった、ビタミンDのカルシウム代謝を介した間接的作用と標的細胞群への直接的作用を個体レベルで明確にしたものである。

 一方、従来から示唆されてきたビタミンDの作用の中には、VDRKOマウスで観察されなかった作用がある。免疫系へのビタミンDの作用は、T細胞から分泌されるリンホカインの産生制御、B細胞から産生される抗体の産生抑制、単球からマクロファージへの分化促進などがin vitroで認められてきた。しかしながら、VDRKOマウスでの免疫応答やリンパ球のサブセットには変異が認められなかった。これらはVDRを介したビタミンDの情報伝達経路が必須ではない事を示したが、VDRを介さない他のビタミンD情報伝達経路がその機能を補ったのかは定かではない。離乳期以前に変異をきたさなかった理由も、VDRを介さない他の情報伝達経路によるビタミンDの作用である可能性も考えられた。最近ビタミンD代謝物の一つである24,25(OH)2D3が胎生期の骨形成に効果がある事が報告されており、胎生期、授乳期に機能している未知ビタミンDレセプターの存在の可能性も示唆された。

 今回VDRKOマウスでのカルシウム補充実験により、ビタミンDのカルシウム代謝を介した間接的な作用は軽減できたが、いまだ他の未知因子が作用する可能性が考えられた。そこで、今後はVDRノックアウトマウスでは解析困難なビタミンDのより正確な作用点を明確にするため、毛包特異的、軟骨細胞特異的VDRノックアウトマウスを作製し、解析する予定である。

1.T.Yoshizawa et al.:Mice lacking the vitamin D receptor exhibit impaired bone formation,uterine hypoplasia and growth retardation after weaning.Nature Genetics,16,391-396(1997).
審査要旨

 脂溶性ビタミンの1種であるビタミンDはカルシウム代謝、細胞の増殖・分化、免疫応答制御など多彩な生理作用を有する事が古くから知られている。ビタミンD活性本体は1,25(OH)2D3であり、その生理作用発現はビタミンDレセプター(VDR)を介した遺伝子発現により発揮されると考えられている。しかしながら動物個体のビタミンD作用は、ビタミンD欠乏動物を用いた観察によるため、動物個体でのVDRの機能は十分に明らかではなかった。又、in vivo、in vitro系から推察された個々のビタミンD生理作用は必ずしも一致したものではなく、高等動物でのビタミンDの生理学的意義についても不明な点が多く存在していた。本論文はこの様な背景のもとで、動物個体でのビタミンD作用の再評価およびVDRの高次機能を明確にする事を目的とし、VDR遺伝子欠損マウスを作出、その表現型を調べた。本論は以下四章より成る。

 第一章の序論では、本研究の目的を説明しており、ビタミンDの作用、生合成、作用発現機構を述べている。

 第二章は、さらに三つの節より成る。第一節では核内レセプターノックアウトマウスの作出の意義について述べている。第二節では、VDRノックアウトマウスの作製について述べている。マウスVDR遺伝子を取得し、翻訳開始点とDNA結合領域をコードするエクソンを欠損させたベクターを構築した。これを用いてVDRノックアウトマウスを作製した。第三節では、VDRノックアウトマウスの表現型の解析について述べている。VDRノックアウトマウスの解析から、個体レベルでのVDRを介したビタミンDは、離乳後の成長、生存、ビタミンD代謝、毛包の細胞の増殖・分化、卵巣での卵胞形成、骨形成、カルシウム代謝、軟骨細胞の分化の正常な制御に必須であることを明らかにし、ビタミンD作用発現においてVDRが中心的な役割を果たす事を動物個体で初めて明らかにする事ができた。しかし、VDRノックアウトマウスでは離乳後重篤なカルシウム濃度低下を引き起こすため、今回明確にできた作用がカルシウムを介した間接的なものなのか、標的細胞群へのビタミンDの直接的なものなのかは明らかにできなかった。そこで、ビタミンDの直接的作用を検討する目的で、VDRノックアウトマウスへの高カルシウム食投与による血中カルシウム濃度矯正時での各変異組織を調べた。その結果、軟骨細胞の分化と毛包の細胞の増殖・分化への効果がビタミンDの直接的な作用である事が強く示唆された。

 第三章では、細胞種特異的VDRノックアウトマウスの作製について述べている。VDRノックアウトマウスを用いた解析では、ビタミンDのカルシウム代謝を介した間接的作用を明確にしたが、他の未知因子の作用の可能性排除には到っていない。そこで、より詳細にビタミンDの作用点を明確にする目的からCre-loxPシステムにより細胞種特異的VDRノックアウトマウス作製を試みた。本研究では、VDR遺伝子にloxP配列が組み込まれたマウスの作製を試みた。VDRの翻訳開始点とDNA結合領域を含むエクソンの前後にloxP配列を挿入したベクターを構築した。これをES細胞に導入し、相同的組換え体を二つ単離した。現在得られたES細胞からキメラマウスを作成している。今後これらマウスと細胞種特異的Cre組換え酵素発現マウスを掛け合わせ、細胞種特異的VDRノックアウトマウスを作製する予定である。

 第四章では、VDRノックアウトマウスの表現型の解析からの考察について述べられている。ビタミンD欠乏動物に比べVDRノックアウトマウスでは新たな変異が見出されたため、これら両マウスの差異が何に起因するかについて考察している。更に第二のVDR存在の可能性や、膜レセプターからのビタミンD作用についても論じている。

 以上、本論文はノックアウトマウスを用いた解析法により、ビタミンD作用におけるVDRの重要性を全動物で初めて明らかにすることができた。又、従来分離不可能であったビタミンDの間接的、直接的作用を明確にすることができた。更に、本知見を踏まえた研究の発展も試みており、本論文は学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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