学位論文要旨



No 114429
著者(漢字) 若月,修二
著者(英字)
著者(カナ) ワカツキ,シュウジ
標題(和) カビ由来の新規蛋白質を用いた神経突起伸長調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 114429
報告番号 甲14429
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2037号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 中島,春紫
内容要旨

 脳神経系は生物が生きていく上で欠かすことのできない情報を受容し、処理し、伝達する複雑なシステムである。ヒトの脳にはおよそ1011個の神経細胞が存在し、それらが1014ものシナプス結合を形成して神経回路網を構築している。この構造的にも機能的にも複雑な脳神経系の形態形成および維持に不可欠な蛋白質因子として神経成長因子(NGF)に代表される神経栄養因子は発見された。NGFは細胞表層に存在する受容体型チロシンキナーゼTrkAを介して細胞内情報伝達系を活性化し、神経突起伸長や生存維持作用などさまざまな生理作用を示す。これまでにNGFが誘導する細胞内情報伝達系は蛋白質リン酸化リレーにより巧妙に制御されていることが明らかとなっている。一方、このような栄養因子による刺激を増強・修飾する活性物質は、情報伝達の過程を解明してゆく上で有用であるばかりでなく、臨床などの応用面でも利用価値が高いと考えられる。

 当研究室ではこのような背景を踏まえ、神経突起伸長に対して作用を有する活性物質のスクリーニングを行い、Helicosporium属のカビが生産する相対分子量15kDaの蛋白質p15を見出した。p15はPC12細胞に対して、NGFが誘導する突起伸長を顕著に亢進することが明らかにされている。本研究ではこのp15をプローブに用い、神経突起伸長に関わる細胞機能の調節機構を明らかにすることを目的として解析を行った。

第1章 p15の精製と一次構造の解明

 p15は70%アセトン中でも沈殿せず活性を保持する性質を持つ。この性質を利用して菌体から70%アセトンによる抽出を行い、PC12細胞からNGFが誘導する突起伸長を増強する作用を指標として、硫安沈殿、陰イオン交換カラムを用いてp15を精製した。アミノ酸組成分析の結果、p15はアミノ酸118残基から構成されることが明らかになった。さらにAchromobactorプロテアーゼI、エンドプロテアーゼAsp-Nによる酵素消化断片、臭化シアンおよびBNPS-スカトールによる化学分解断片のアミノ酸配列をそれぞれ自動エドマン分解法により決定し、p15の全アミノ酸配列を決定した。またジスルフィド結合の位置を決定する目的で、p15に対して還元下、非還元下にヨード酢酸によるSH基の修飾を行い、それぞれのアミノ酸組成およびAchromobactorプロテアーゼI消化断片の質量を比較した。その結果、p15には2組のジスルフィド結合が存在することが明らかになった。

 一方、p15の遺伝子構造を明らかにするため、決定したアミノ酸配列から複数の混合オリゴヌクレオチドを作製し、生産菌のゲノムを鋳型としたPCRを行った。その結果、アミノ末端およびカルボキシル末端をもとに作製した混合オリゴヌクレオチドの組み合わせから、1つのイントロンを含み、p15の成熟体部分のアミノ酸配列をコードするDNA断片を取得した。決定したアミノ酸配列および塩基配列をもとにデータベース検索を行ったが有意な相同性を持つ配列は見出されず、p15が新規な作用機序により生理作用を示すことが示唆された。

第2章 p15の作用の解析

 p15はPC12細胞に対し、単独では突起伸長を示さない低濃度NGFの作用を顕著に亢進し、突起伸長を誘導する。一方NGF依存的に生育することが知られる初代培養後根神経節神経細胞に対するp15の作用を検討したところ、低濃度NGF存在下での生存維持作用を示すことがわかった。こうしたp15の作用がNGFシグナルに特異的なものかどうかを調べる目的で、NGF以外の刺激に対するp15の添加効果をPC12細胞からの突起伸長を指標にして調べた。その結果、p15は40mM KClによる脱分極刺激、および線維芽細胞増殖因子による突起伸長誘導も顕著に亢進した。こうしたp15の刺激増強作用はL型Ca2+チャネルの阻害剤ニカルジピンで抑制された。

 また、培養基質を変更することにより、p15が単独でも突起伸長誘導能を持ち、神経突起のマーカーであるニューロフィラメントMの発現を誘導することがわかった。この場合もニカルジピンの濃度に依存して突起伸長が抑制された。一方、p15単独の処理による突起伸長はTrkAの阻害剤K252aでは全く抑制されなかった。さらに、Ca2+キレート剤BAPTA/AMおよびCa2+-freeの培地を組み合わせた培養系ではp15による突起伸長は誘導されなかった。増殖因子や脱分極による突起伸長刺激は細胞内へのCa2+流入により増強されることが知られている。以上の結果から、p15がCa2+シグナル伝達系に作用すること、低濃度NGFに対する増強効果はその活性化を介した現象であることが強く示唆された。

第3章 p15が誘導するシグナル伝達系の解析

 上記の結果より、p15はCa2+の細胞内流入を誘導するものと予想された。しかし蛍光Ca2+指示薬Fura-2を用いてp15処理したPC12細胞内のCa2+濃度の変化を調べたところ、顕著な上昇は認められなかった。そこでCa2+シグナル伝達系において下流に位置する因子の活性化を調べることにより、p15の作用が同シグナル系を経由するかどうかを検討した。脱分極刺激に伴うCa2+流入が誘導する細胞内情報伝達系には諸説あるが、非受容体型チロシンキナーゼSrcを介した経路が有力視されており、活性化されたSrcは低分子量G蛋白質Rasを含む複数のシグナルを活性化することが知られている。そこで優性不活性型Rasを発現するRasN17細胞、あるいは優性不活性型Srcを発現するSrcDN細胞を用いてp15の突起伸長誘導作用を調べた。その結果、RasN17細胞ではp15を与えた場合には細胞体から棘状のスパイクが生じる部分的な形態変化が認められたが、SrcDN細胞では全く影響が認められなかった。さらに抗Src抗体による免疫沈降物を用いてそのチロシンリン酸化能をELISA法により測定したところ、p15の刺激によりSrcが活性化することが分かった。これらの結果から、p15はSrcを介して突起伸長を誘導することが明らかになった。また、p15の突起伸長誘導作用とMAPK(mitogen-activated protein kinase)カスケードとの関連を調べる目的で、MEK(MAP/ERK kinase)阻害剤PD98059を用いてp15あるいはNGFが誘導する突起伸長への影響を比較した。その結果、同阻害剤の存在下ではNGFが誘導する突起伸長は強く阻害されるのに対し、p15が誘導する突起伸長は部分的にしか阻害されなかった。さらにミエリン塩基性蛋白質(MBP)を基質としたゲル内リン酸反応においても、p15で刺激した場合には刺激後5minに一過性の活性化が認められたが、NGFに見られるような持続した強い活性化は認められなかった。したがって、NGFによる突起伸長がMAPKカスケードに強く依存するのに対し、p15による突起伸長ではその他の経路も必要とすると考えられる。一方、ビオチン標識したp15をPC12細胞に作用させ、アビジン結合FITCで検出すると細胞表層が染色された。以上の結果を総合すると、p15は細胞表層に存在する何らかの分子を介して細胞に結合し、L型Ca2+チャネルの機能に影響することにより、Ca2+シグナル伝達系を活性化していると結論した。

第4章 総合考察

 p15と類似の作用を有する蛋白質としてコレラトキシンBサブユニット(CTB)が知られている。CTBはガングリオシドGM1を介して細胞膜に結合し、L型Ca2+チャネルの機能を促進的に修飾することが明らかになっている。p15の配列は新規であり受容体の予想は困難だが、今後は細胞膜表在性の脂質類を含めた検討が必要であると思われる。

 神経系では神経細胞の生存、軸索の伸長、シナプスの可塑性など、Ca2+が担う役割は多岐にわたる。またシナプス予定領域と考えられる成長円錐には成熟シナプスとは異なりL型Ca2+チャネルが量的にも多く、機能的にも活性があることが明らかになっている。本研究で得られた知見により、p15が新たなCa2+シグナル経路を解明する手がかりになると期待している。

審査要旨

 脳神経系は外界の刺激を受けてその情報を処理し、目的に沿った出力に変換する役割を果たす。ヒトの脳にはおよそ1011個のニューロンが存在し、それらが1014ものシナプス結合を形成して神経回路網を構築している。神経回路網は個々のニューロンから伸長する軸索が正確にその標的を認識し、シナプスを形成することで完成される。このような軸索の伸長を制御する因子としては神経成長因子に代表されるニューロトロフィン類が知られている。申請者はNGF依存の突起伸長を顕著に亢進する活性物質として見出されていたカビ由来の蛋白質p15を精製し、その構造決定および作用機序の解析を行い、本論文にまとめている。論文は序章、第1章、第2章、第3章および総合考察から成る。

 第1章ではp15の精製およびその一次構造解析の結果について述べている。まずPC12細胞からのNGF依存の突起伸長の亢進活性を指標として、生産菌Helicosporiumの菌体アセトン抽出物より活性物質の精製を行った。酢酸エチル、ジエチルエーテル処理により脂質成分を除去したのち、硫酸アンモニウム沈澱、DEAE-Toyopearlカラムにかけ、15kDaの蛋白質(p15)をSDS-PAGEにおいてほぼ単一バンドにまで精製した。本カラムにおいて活性とp15の挙動が一致すること、プロテアーゼ処理によりバンドの消失と共に活性も失われたことから、p15が活性の本体であると結論した。収量は菌体培養液1Lより約3mgであった。

 次に精製したp15を酵素的、化学的に切断し、得られた断片をエドマン分析することによりp15の全アミノ酸配列を解析した。その結果、p15は118残基のアミノ酸で構成される分子量13,304の蛋白質であることが明らかとなった。また分子内には4個のシステインがあるが、隣接した2個のシステイン間で2組のジスルフィド結合を作っていた。p15を還元カルボキシメチル化することで活性が失われることより、これらのジスルフィド結合がp15の生物活性に必須であることが示された。

 得られたアミノ酸配列をもとに生産菌のゲノムおよびcDNAをテンプレートにしてPCRを行い、p15をコードする遺伝子を取得した。塩基配列から予想されるアミノ酸配列は、エドマン分解により得られていたアミノ酸配列と完全に一致した。ゲノムとcDNAの比較から、1つのイントロンを含むことが示された。アミノ酸配列のデータベース検索を行ったところ、Streptomyces clavuligerusのRhsAと呼ばれる推定ORFのC末端付近と高い相同性を示すことが分かった。しかしRhsAの機能は明らかではなく、p15が新規な作用機序により生物活性を発揮するものと予想された。

 第2章ではp15の作用メカニズムについて、PC12細胞を用いた解析結果を述べている。培養基質をコラーゲンに変更することにより、p15が単独でも突起伸長誘導能を有すること、その作用はNGFと共働的なものであることが明らかとなった。p15が誘導する突起伸長はK252aでは阻害されないことより、p15はNGF受容体チロシンキナーゼの活性化とは別経路で作用すると予想された。一方p15の作用はL型カルシウムチャネルの阻害剤ニカルジピンで抑制された。また培地からカルシウムを除去することによりp15の突起伸長誘導作用は失われた。以上より、p15はL型カルシウムチャネルを活性化し細胞内へのカルシウム流入を引き起こすことにより突起伸長を誘導するものと予想された。しかし、fura-2を用いた測定からはp15による細胞内カルシウム濃度の上昇は明瞭には観察されなかった。

 第3章では第2章での結果を受け、p15が活性化するシグナル伝達系を解析し、それを既知のカルシウム情報伝達系と比較している。PC12細胞においてカルシウムの細胞内流入は非受容体型チロシンキナーゼSrcを経由する経路により突起伸長を誘導することが知られている。そこでp15処理に伴うSrcの活性の変化を調べたところ、処理後10分で活性化していることがわかった。またキナーゼ不活性なSrcを高発現するPC12細胞に対するp15の作用を調べたところ、突起伸長が誘導されず、p15の作用がSrcを介したものであることが明らかとなった。またSrcの下流に位置し、突起伸長に関与することが知られるRas、MEKをそれぞれ優性不活性型Rasあるいは阻害剤PD98059を用いて阻害すると、p15による突起伸長が部分的に抑制された。さらにMAPKの活性化を調べると、NGF処理と比較すると弱かったが、p15処理後5分で一過的に観察され、それは脱分極刺激によるものと同レベルであった。以上の結果より、p15が活性化するシグナル伝達系路はカルシウムの細胞内流入によって活性化するそれと同様であると考えられた。第2章、第3章の結果を併せ、申請者はp15が細胞内へのカルシウム流入を促進することにより種々の生理活性を発揮しているものと結論した。

 以上本論文は、カビ由来の新規蛋白質p15の一次構造をアミノ酸配列、遺伝子の塩基配列の両面から明らかにし、それをプローブに用いてPC12細胞からの神経突起伸長誘導機構を解析したもので、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるのもと認めた。

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