内容要旨 | | 細胞内情報伝達が、きわめて複雑な制御ネットワークによって調節されていることはいうまでもないが、そのひとつひとつの素反応は蛋白質の結合、修飾、分解などの生化学反応であり、それら理論上特異的な阻害剤によってブロック可能なものである。抗生物質として開発されたペニシリンやストレプトマイシンが細菌の細胞壁合成や蛋白質合成のメカニズムの解明に重要な役割を果たしたのと同様に、真核生物の生命現象の解明においても特異的阻害剤は画期的なブレークスルーになりうる。その代表的な一例が、近年、急速に進歩しつつあるヒストンアセチル化の生理的意義の解明におけるヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害剤トリコスタチンA(TSA)の役割である。TSAは我々の研究室で真核細胞の細胞周期を停止させる分化誘導物質として再発見され、その標的分子がHDACであることが明らかにされた放線菌代謝産物であり、現在世界中でHDACの特異的阻害剤として利用されている。ヒストンアセチル化は転写制御に重要な役割を果たしていることから、TSAの細胞周期停止や分化誘導など、様々な生物活性は遺伝子発現の変化によるものと推定されるが、その分子レベルでの作用機構は不明であった。本研究はヒストン脱アセチル化の阻害により引き起こされる細胞周期停止のメカニズムと転写や分化に及ぼす影響を明らかにし、HDAC阻害を標的とする新たな抗がん剤開発の可能性を示したものである。 1.TSAによる細胞周期停止機構の解析 TSAはHeLa細胞など様々なヒト腫瘍細胞に対し細胞周期のG1期で増殖を阻害する。一般にG1期からS期への進行には、G1サイクリンと結合したサイクリン依存性キナーゼ(CDK)の活性化とそれによるレチノブラストーマがん抑制蛋白質(Rb)のリン酸化が必要である。そこでTSA処理したHeLa細胞中でのRbのリン酸化レベルを解析したところ、著しい脱リン酸化が観察され、細胞内CDK活性が抑制されていることが示された。TSAによるヒストンの高アセチル化によって遺伝子発現が大きく影響を受けることが考えられたため、CDKとその活性制御に関わる各種因子の中からTSAにより発現量が変化するものを検索したところ、CDK自身の量的変動は認められなかったが、CDK阻害蛋白質であるp21WAF1/Cip1とp16INK4AおよびサイクリンEの発現上昇と、サイクリンAの発現の低下が観察された。中でもTSA処理による細胞周期停止と最もよい相関を示したものはp21WAF1/Cip1の増加とサイクリンAの減少であった。一方、発現上昇したサイクリンEは発現が低下したサイクリンAに代わりCDK2と複合体を形成していた。また、サイクリンDの発現にはあまり変化が認められなかったが、サイクリンDファミリーと結合するCDKの阻害蛋白質であり癌抑制遺伝子としても知られているp16INK4Aの発現が増加しており、サイクリンDファミリーと結合するCDK4,CDK6が阻害されている可能性も考えられた。そこでTSAによって引き起こされるRbの脱リン酸化がどのCDKの不活性化によるものかを解析したところ、サイクリンDファミリーと結合するCDK4,CDK6の活性はp16INK4Aの発現上昇にもかかわらずほとんど影響を受けず、サイクリンE、サイクリンAと結合するCDK2のみが不活性化されていることが判明した。さらに発現が増加したp21WAF1/Cip1は細胞内でCDK2と複合体を形成し、そのキナーゼ活性を阻害していることをゲル濾過法によって確認した。よってTSAによるHeLa細胞のG1期停止にはp21WAF1/Cip1の発現上昇によるCDK2の阻害が最も重要であると結論した。 2.TSAによるp21WAF1/Cip1転写活性化機構の解析 p21WAF1/Cip1の発現はDNAダメージなどに伴ってがん抑制蛋白質p53依存的に起こることが知られている。p53の変異はヒトのがんで高頻度に見られ、p53が変異した細胞では、DNAダメージに応答したp21発現誘導と細胞周期停止が起こらなくなる。そこでTSAよるp21の発現誘導のメカニズムを解析した。まず、ノーザン解析によりTSAによるp21の発現誘導は転写レベルで起きること、p53変異や欠失を持つ細胞株を含め、調べた限り全ての細胞でTSAによる誘導が観察されることからp53非依存的な転写誘導によるものであることが示唆された。実際、TSAよるp21遺伝子の活性化に必要な領域を解析するために、種々の欠失を導入したp21プロモーターにルシフェラーゼ遺伝子を連結させたプラスミドを安定に保持する細胞を作製し、TSAによる活性化に必要な領域を解析したところ、3ヶ所のp53結合部位はいずれも必要ないことが明らかになった。さらにTSA応答性には、転写開始点の上流60〜75塩基の領域で十分であり、この部分には転写因子であるSp1の結合部位のみが存在することが明らかになった。TSAによるp53非依存的なp21発現誘導は、HDAC阻害剤がp53機能を失った細胞にもそのターゲト遺伝子の一部を発現することによって抗腫瘍活性を発揮する可能性を示唆する。 3.TSAによるp21WAF1/Cip1の発現誘導とNeuro 2a細胞の分化について p21の発現は細胞周期停止のみならず、細胞分化にも関与するといわれている。神経芽細胞腫のNeuro2a細胞を10ng/mlのTSAで処理すると分化の特徴である突起伸長が観察される。そこでTSAによる分化誘導時におけるp21の発現を解析したところ、TSA処理後6時間からp21の発現誘導が観察されることがわかった。興味深いことにp21のレベルは12時間後にピークに達し、24時間から減少した。ヒストンのアセチル化レベルもTSA添加後12時間をピークに低下することから、この条件ではTSAが徐々に失活、分解を受けていることが示唆された。ところが、TSAの失活を避けるため、12時間おきに繰り返しTSAを添加すると分化は誘導されないことがわかった。さらにCMVプロモーターによって強制的にp21を発現させた場合には分化誘導は起こらなかったことから、TSAによるNeuro 2a細胞の分化誘導には、p21の一過的な発現による細胞周期の停止とその後のp21レベルの減少が重要であると推定される。同様のp21レベルの一過性の上昇と引き続く減少は、プロテアソーム阻害剤ラクタシスチンによるNeuro 2a細胞の分化の際にも観察された。 4.抗腫瘍活性を持つ新しいヒストン脱アセチル化酵素阻害剤の同定 FR901228は微生物の生産する環状のデプシペプチドであり、OFNはヒドロキサム酸を有する芳香族スルホンアミド系合成化合物である。FR901228およびOxamflatin(OFN)はvrasなどのがん遺伝子によってトランスフォームした細胞の形態正常化誘導物質として単離あるいは合成された抗腫瘍化合物である。本研究ではこれらの化合物が新しいHDAC阻害剤である可能性を検討した。これらの化合物によるがん細胞の形態変化は蛋白質合成阻害剤のシクロヘキシミドやRNA合成阻害剤のアクチノマイシンD処理によって阻害されるので、細胞の形態変化には新たに合成される蛋白質が必要であると考えられた。実際、両化合物は細胞に遺伝し導入したSV40やCMVプロモーターを活性化した。種々のトランスフォーム細胞への形態正常化やウィルスプロモーターの活性化など、両化合物の生物活性は構造が異なるにもかかわらず、やはりTSAのそれと類似していた。両化合物は予想通りともに低濃度で細胞内に高アセチル化ヒストンを蓄積させることが明らかになった。さらにマウス細胞株より部分精製したHDACをin vitroで強く阻害し、IC50はそれぞれFR901228が0.93nM、OFNが15.7nMであることが判明した。これらの化合物による内在性遺伝子発現の変化は、TSA処理の場合とほぼ同じであり、特にp21遺伝子の発現誘導が細胞周期停止に伴って観察された。FR901228は動物実験で強力な抗腫瘍活性を示すことがすでに明らかにされており、現在米国NCIで臨床試験が始まっている。OFNについてもBDF mouseに移植したB16メラノーマに対して抗腫瘍活性を示した。これらの結果は、HDACが抗腫瘍剤の標的として重要であることを示している。 5.まとめ TSAによるHDACの阻害とそれに伴うクロマチンの高アセチル化により、様々な内在性の遺伝子発現が影響を受けるが、なかでもヒト腫瘍細胞の細胞周期停止の原因の一つとして、CDK阻害蛋白質p21WAF1/Cip1の発現誘導が重要であることを明らかにした。ついでp21の発現誘導機構を解析してp21プロモータのTSA応答領域を決定し、がん抑制蛋白質p53とは独立したp21遺伝子発現の活性化機構であることを示した。また、p21の発現は、TSAによる神経芽細胞腫Neuro 2a細胞の分化誘導時にも認められ、一過的な発現上昇がその分化誘導活性と関連する可能性を示した。さらに抗腫瘍活性物質FR901228とOFNが新しいHDAC阻害剤であることを同定した。HDACの阻害によってある特定の遺伝子の発現のみが大きな影響を受けるが、そのメカニズムは不明である。本研究の成果はHDACの阻害による選択的遺伝子発現機構の解明に端緒を与えただけでなく、今後のがん化学療法におけるHDAC阻害剤の重要を示した。 参考文献1)Kim,Y.B.,Honda,A.,Yoshida,M.and Horinouchi,S.(1998).phdl+,a histone deacetylase gene of Schizosaccharomvces pombe,is essential for the meiotic cell cycle and resistance to trichostatin A.FEBS Letters 436:193-1962)Nakajima,H.,Kim,Y.B.,Terano,H.,Yoshida,M.and Horinouchi,S.(1998).FR901228,a potent antitumor antibiotic,is a novel histone deacetylase inhibitor.Experimental Cell Research,241:126-1333)Kim,Y.B.,Lee,K.H.,Sugita,K.,Yoshida,M.and Horinouchi,S.(1999).Oxamflatin is a novel antitumor compound that inhibits histone deacetylase.Oncogene(in press)4)Kim,Y.B.,Yoshida,M and Horinouchi,S.(1999).Selective induction of cyclin-dependent kinase inhibitors and their roles in cell cycle arrest caused by trichostatin A.an inhibitor of histone deacetylase.Annals of the New York Academy of Sciences(in press) |
審査要旨 | | 特異的な細胞周期阻害剤は様々な生命現象の解明において重要な役割を果たしてきた。その代表的な一例が、近年、急速に進歩しつつあるヒストンアセチル化の生理的な意義の解明におけるヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害剤トリコスタテンA(TSA)の役割である。現在世界中でTSAは研究に用いられているが、まだその多様な生物活性の分子レベルでの作用機構は不明であった。本研究はヒストン脱アセチル化の阻害により引き起こされる細胞周期停止と分化のメカニズムと転写や分化に及ぼす影響を明らかにし、HDAC阻害を標的とする新たな抗がん剤開発の可能性を示したものであり、6章からなる。 研究の背景と意義を述べた第1章に続き、第2章ではTSAの細胞周期停止の機構を解明した。TSA処理したHeLa細胞はRbのリン酸化が低下し、CDK活性が抑制されていた。TSAによるヒストンの高アセチル化によって遺伝子発現が大きく影響を受けることが考えられたため、CDKとその活性制御に関わる各種因子の中からTSAにより発現量が変化するものを検索したところ、CDK自身の量的変動は認められなかったが、CDK阻害蛋白質であるp21WAF1/Cip1とサイクリンEの発現上昇と、サイクリンAの発現の低下が観察された。中でもTSA処理による細胞周期停止と最もよい相関を示したものはp21の増加とサイクリンAの減少であった。一方、発現上昇したサイクリンEは発現が低下したサイクリンAに代わりCDK2と複合体を形成していた。そこでTSAによって引き起こされるRbの脱リン酸化がどのCDKの不活性化によるものかを解析したところ、サイクリンDと結合するCDK4,CDK6の活性はほとんど影響を受けず、サイクリンE、サイクリンAと結合するCDK2のみが不活性化されていることが判明した。さらに発現が増加したp21は細胞内でCDK2と複合体を形成し、そのキナーゼ活性を阻害していることをゲル濾過法によって確認した。よってTSAによるHeLa細胞のG1期停止にはp21の発現上昇によるCDK2の阻害が最も重要であると結論した。 第3章ではTSAによるp21の発現機構について検討した。p21の発現はがん抑制蛋白質p53依存的に起こることが知られている。そこで、p53機能が欠損した細胞株で調べたところ、TSAによる誘導が観察されることからp53非依存的な転写誘導によるものであることが示唆された。実際、種々の欠失を導入したp21プロモーターにルシフェラーゼ遺伝子を連結させたプラスミドを安定に保持する細胞を作製し、TSAによる活性化に必要な領域を解析したところ、3ヶ所のp53結合部位はいずれも必要なくて、転写開始点の上流60〜75塩基の領域で十分であり、この部分には転写因子であるSp1の結合部位のみが存在することが明らかになった。 第4章では、神経芽細胞腫のNeuro 2a細胞のTSAによる分化誘導時におけるメカニズムを解析した。TSA処理後6時間からp21の発現誘導が観察され、12時間後にピークに達し、24時間から減少した。ヒストンのアセチル化レベルもTSA添加後6時間をピークに低下することから、この条件ではTSAが徐々に失活、分解を受けていることが示唆された。ところが、TSAの失活を避けるため、24時間おきに繰り返しTSAを添加すると分化は誘導されないことがわかった。さらに強制的にp21を発現させた場合には分化誘導は起こらなかったことから、TSAによるNeuro 2a細胞の分化誘導には、p21の一過的な発現による細胞周期の停止とその後のP21レベルの減少が重要であると推定される。同様のp21レベルの一過性の上昇は、プロテアソーム阻害剤ラクタシスチンによるNeuro 2a細胞の分化の際にも観察された。 さらに、第5章ではHDAC阻害剤が抗腫瘍活性をもつ可能性を検討し、抗腫瘍化合物であるFR901228およびOxamflatin(OFN)が新しいHDAC阻害剤であることを明らかにした。これらの化合物による細胞の形態変化には新たに合成される蛋白質が必要であり、実際両化合物は細胞に導入したSV40やCMVプロモーターの活性化するなど、両化合物の生物活性は構造が異なるにもかかわらず、TSAのそれと類似していた。両化合物は低濃度で細胞内に高アセチル化ヒストンを蓄積させ、マウス細胞株より部分精製したHDACをin vitroで強く阻害し、IC50はそれぞれFR901228が0.9nM、OFNが15.7nMであることが判明した。これらの化合物による内在性遺伝子発現の変化は、TSA処理の場合とほぼ同じであり、特にp21遺伝子の発現誘導が細胞周期停止に伴って観察された。これらの結果は、HDACが抗腫瘍剤の標的として重要であることを示している。 第6章の総括では、本研究のまとめとその成果の意義、今後の研究への応用について論じている。 以上、本論文はヒストン脱アセチル化酵素阻害剤であるトリコスタテンAの細胞周期停止と分化に関する作用機序および新規薬剤のヒストン脱アセチル化酵素阻害を解明したもので、学術上、応用上意義深いものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |