受精卵はいずれの細胞にもなる能力(分化全能性)をもっているが、発生に伴い、細胞系列・種に限定された遺伝子発現のパターンが形成される。胎盤を構成する栄養膜細胞は発生の最も早期に分化が決定される細胞である。哺乳類の体を構成する様々な細胞は、一部の例外はあるが、全て同じ遺伝子セットを有している。 本研究では、細胞分化の基礎を明かにすることを目的に、上記のepigenetic機構成立の条件に矛盾しないゲノムDNAの化学修飾としてCpG二塩基中のシトシンのメチル化に着目し、胎盤栄養膜細胞の分化機構について、胎盤栄養膜細胞のゲノムDNA CpGアイランドのメチル化について解析した。本論文は3章から構成され、要約すると以下のようになる。 第1章では、げっ歯類特有の、核内に二倍体細胞の数百倍ものDNAを持つ栄養膜巨細胞についてRestoriction Landmark Genomic Scanning(RLGS)法を用いて解析した。栄養膜巨細胞を多く合むラット胎盤Junctional zoneのゲノムDNAを用いて、Not I、Bss HIIをランドマークとしたRLGS法を行った。その結果、それぞれ1,033、1,918スポットの合計2,951スポットが検出され、このうちの98.9%に当たる2,920スポットは、二倍体細胞である胎盤Labyrinth zone、母体腎臓と同一パターンで観察された。したがって、巨細胞ではゲノム全体が複製されてpolyploidになっていることが明かとなった。また、残りの1.1%のスポットは、用いた三組織間でスポットパターンに差が見られた。その中で、10個のDNAスポットは胎盤特異的に脱メチル化されていた。遺伝子セットは細胞・組織間では同じでも、組織特異的なメチル化パターンが存在することが明かになったが、ゲノム全体には約40,000のCpGアイランドが存在するので、約400のCpGアイランドが細胞特異的なメチル化パターンを形成していることになる。 第2章では、胎盤内でもJunctional zoneとLabyrinth zoneのメチル化スポットの差が、胎盤栄養膜細胞の分化に伴って起きているのかを調べるために、ラット胎盤絨毛ガン細胞由来のRcho-1細胞を用いメチル化座位についてをRLGS法で解析した。Rcho-1細胞は培養条件により未分化と分化を誘導することができる。分化細胞では1,228スポットが検出され、そのうちの4個が分化細胞のみで、残り4個が未分化細胞のみで検出され、計8個の座位のメチル化状況が、分化に伴い変化することが明かになった。 第3章では、第1章で明かにされた10個の胎盤特異的に脱メチル化されているCpGアイランドの近傍に位置する遺伝子のクローニングを行った。6つの遺伝子断片のクローニングに成功し、塩基配列を決定した。これらの塩基配列から、5個がCpGアイランド内にあり、残り1個もCpGアイランド近傍に位置していることが確認できた。このうちの2個はそれぞれ、ミトコンドリア内膜タンパク質C3(citrate)トランスポーターと新規のZnフィンガータンパク(Zn finger protein regulated by methylation、ZRM)をコードするエクソンを合んでいた。これらの遺伝子の発現は胎盤特異的であることが示された。したがって、胎盤での組織特異的遺伝子発現の制御に脱メチル化が必要であることが示された。 以上、本論文はラット胎盤に存在する栄養膜巨細胞は、ゲノム全体が再複製されてpolyploidになることを明らかにした。そして、数千のCpGアイランドのメチル化状況を解析し、いわゆるハウスキーピング遺伝子群と考えられる98%以上の座位は細胞・組織間ではメチル化されていないが、1.1%は胎盤と腎臓間、あるいは胎盤Junctional zoneとLabyrinth zone間で異なり、組織特異的なメチル化パターンを示すことをはじめて明らかにした。その中で、胎盤で脱メチル化される座位に関連した遺伝子(C3トランスポーター、ZRM)を検出し、メチル化による制御を受けていることを証明した。さらに、メチル化パターンは培養細胞の分化に伴って変化しうることも明らかにした。これらの発見は応用動物学における生殖生物学領域に貢献しているところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |