学位論文要旨



No 114434
著者(漢字) 大鐘,潤
著者(英字)
著者(カナ) オオガネ,ジュン
標題(和) ゲノムメチル化による胎盤細胞の分化機構
標題(洋)
報告番号 114434
報告番号 甲14434
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2042号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨 -序論-

 受精卵はいずれの細胞にもなる能力(分化全能性)をもっているが、発生に伴い、細胞系列・種に限定された遺伝子発現のパターンが形成される。個体発生においては、細胞分裂を繰り返して組織・器官を形成しつつ、いったん形成された遺伝子発現パターンは維持されてゆく。哺乳類の体を構成する様々な細胞は、一部の例外はあるが、全て同じ遺伝子セットを有していることが、近年のクローン動物研究より証明された。したがって、遺伝子発現パターンの制限機構は、塩基配列自体には変化がなく細胞分裂後も親細胞のパターンを受け継ぐものでなければならない。

 哺乳類ではCpG配列に富む領域、いわゆるCpGアイランドはゲノムあたり30,000-40,000存在する。多くのCpGアイランドは遺伝子のプロモーター領域に存在することが知られている。そこで、本研究では、上記のepigenetic機構成立の条件に矛盾しないゲノムDNAの化学修飾として、CpG二塩基中のシトシンのメチル化に着目した。CpG配列中のシトシンのメチル化は、脊椎動物で唯一見られる分子修飾であり、しかも、細胞分裂後も維持されることが知られている。

 哺乳類の個体発生において、胎盤栄養膜細胞はもっとも早期に分化する細胞である。そして、DNAメチル基転移酵素遺伝子ノックアウトマウスは胎盤形成期に死亡することが報告されている。したがって、胎盤細胞の分化や胎盤形成機構にゲノムDNAのメチル化が関与しているとも考えられる。

 以上を背景に、本研究では細胞分化の基礎を明かにすることを目的に、胎盤栄養膜細胞の分化機構について、一挙に1,000以上の座位を解析することが可能なRestriction Landmark Genomic Scanning(RLGS)法を行い、ゲノムDNAメチル化状況を解析した。

-結論-第一章

 げっ歯類の胎盤では、核内に二倍体細胞の数百倍ものDNAを持つ栄養膜巨細胞の存在が知られており、妊娠期特有の胎盤性ホルモンの産生細胞として重要な細胞である。しかし、現在まで、その膨大なDNA量のために、巨細胞の分化に際しての核分裂を伴わないDNA複製過程(endoreduplication)で、どの部分がどの様に複製されているか等を、ゲノム中の多数のマーカーを用いて包括的に解析した報告はなされていない。まず、栄養膜巨細胞を多く含む妊娠20日目ラットの胎盤Junctional zoneのゲノムDNAを用いて、Not I、Bss HIIをランドマークとしたRLGS法を行った。その結果、それぞれ1,033、1,918スポットの合計2,951スポットが検出され、このうちの98.9%に当たる2,920スポットは、二倍体細胞である胎盤Labyrinth zone、母体腎臓と同一パターンで観察された。したがって、巨細胞では、昆虫細胞で見られるように、ゲノム中の必要な領域を特に複製する(polytene構造)のではなく、ゲノム全体が複製されてpolyploidになっていることが明かとなった。

 胎盤ではゲノム全体のメチル化シトシン量が腎臓などの成体組織と比べて約半分しかないことが報告されているが、胎盤CpGアイランド領域は、98.9%が他の組織と比べて変化がなかった。したがって、胎盤においても遺伝子発現に重要なCpGアイランドのメチル化が他の組織と同程度に保たれており、異なるのはCpGアイランド以外のCpG部位のメチル化であることを示していた。ところで、残りの1.1%のスポットは、用いた三組織間でスポットパターンに差が見られ、組織間のメチル化パターンの差を反映しているものと思われる。この中には、胎盤Junctional zoneとlabyrinth zoneとの間でも差のあるCpGアイランドも含まれる。胎盤でも、CpGアイランドのメチル化は他の組織と同様に厳密に制御されていたことから、積極的な機構により、胎盤部位特異的なメチル化パターンを獲得したものであることが示唆された。

第二章

 胎盤内でもJunctional zoneとLabyrinth zoneでメチル化パターンが違ったことから、これが胎盤栄養膜細胞の分化に伴って起きているのかを調べるために、in vitroで巨細胞様の細胞に分化するRcho-1細胞を用いた解析を行った。未分化、分化細胞(分化8日目)のRLGS解析により、分化細胞で1,228スポットが検出され、そのうちの8スポットに分化によるメチル化パターンの差が検出された。この8スポット中、4個が分化細胞のみで、残り4個が未分化細胞のみで検出された。未分化細胞、または分化細胞のみで検出されたスポットは、対応するNot I部位がそれぞれメチル化、または脱メチル化されて、分化前後のスポットパターンが変化したことを示している。従って、栄養膜細胞系の分化に伴うメチル化パターンの変化が、in vitroでも起きていることが明かとなった。また、巨核細胞への分化に伴い、CpGアイランドのメチル化、脱メチル化双方が起こっていることが明かになった。

第三章

 第一章では、胎盤部位特異メチル化パターンが観察され、第二章では、部位特異メチル化パターンの獲得が分化に伴って起きていることが示唆された。そこで、本章では、第一章で胎盤特異的に脱メチル化されて近傍の遺伝子活性化が予想されるCpGアイランドのクローニングを行った。そのうちの6個のクローニングに成功し、塩基配列を決定した。これらの塩基配列から、5個がCpGアイランド内にあり、残り1個もCpGアイランド近傍に位置していることが確認できた。このうちの2個はそれぞれ、C3(citrate)トランスポーター、新規のZnフィンガータンパクをコードするエクソンを含んでいた。

 C3トランスポーター遺伝子では、胎盤特異的に発現しているmRNAの存在がnorthern blotにより示された。よって、この遺伝子の発現には、胎盤での脱メチル化が必要であることが示された。

 新規Znフィンガータンパクの遺伝子も、第一章で用いた三組織では、胎盤Junctional zoneのみで発現していたことから、Junctional zoneでの発現に先立って、この遺伝子座の胎盤での脱メチル化が必要であることが示唆された。

 以上の2つの遺伝子発現パターンから、胎盤におけるCpGアイランドの脱メチル化と、遺伝子発現が相関していることが明らかとなった。

-考察-

 本研究では、ラット胎盤に存在する栄養膜巨細胞は、ゲノム全体が再複製されてpolyploidになることを明らかにした。そして、数千のCpGアイランドのメチル化状況を解析し、いわゆるハウスキーピング遺伝子群と考えられる98.9%は細胞・組織間で、全て一致して脱メチル化されていることを示した。一方、残りの1.1%は胎盤と腎臓間、あるいは胎盤Junctional zoneとLabyrinth zone間で異なり、組織特異的なメチル化パターンを示すことがはじめて明らかになった。すなわち、遺伝子セットは細胞・組織間では同じでも、組織特異的なメチル化パターンが存在するのである。その中で、胎盤で脱メチル化される座位に関連した遺伝子(C3トランスポーター、Zn finger protein regulated by methylation、ZRM)を検出し、メチル化による制御を受けていることを証明した。さらに、メチル化パターンは培養細胞の分化に伴って変化しうることも明らかにした。これらの発見は、哺乳類細胞の遺伝子発現パターンの制限機構として、また細胞分化の基本機構として重要である。

 近年のクローン動物作出の成功により、哺乳類の体細胞の中にも、発生・分化の過程でゲノムDNAの配列自体に不可逆的な変化が起きていない細胞が存在することが証明された。逆に、体細胞系列での全能性の消失は、シトシンメチル化等のepigenetic機構による可能性が考えられる。したがって、細胞分化に伴うepigenetic機構を、シトシンメチル化と遺伝子発現に焦点をあて、細胞系譜ごとに系統的に解析してゆくことが、今後ますます重要になると考えられる。

審査要旨

 受精卵はいずれの細胞にもなる能力(分化全能性)をもっているが、発生に伴い、細胞系列・種に限定された遺伝子発現のパターンが形成される。胎盤を構成する栄養膜細胞は発生の最も早期に分化が決定される細胞である。哺乳類の体を構成する様々な細胞は、一部の例外はあるが、全て同じ遺伝子セットを有している。

 本研究では、細胞分化の基礎を明かにすることを目的に、上記のepigenetic機構成立の条件に矛盾しないゲノムDNAの化学修飾としてCpG二塩基中のシトシンのメチル化に着目し、胎盤栄養膜細胞の分化機構について、胎盤栄養膜細胞のゲノムDNA CpGアイランドのメチル化について解析した。本論文は3章から構成され、要約すると以下のようになる。

 第1章では、げっ歯類特有の、核内に二倍体細胞の数百倍ものDNAを持つ栄養膜巨細胞についてRestoriction Landmark Genomic Scanning(RLGS)法を用いて解析した。栄養膜巨細胞を多く合むラット胎盤Junctional zoneのゲノムDNAを用いて、Not I、Bss HIIをランドマークとしたRLGS法を行った。その結果、それぞれ1,033、1,918スポットの合計2,951スポットが検出され、このうちの98.9%に当たる2,920スポットは、二倍体細胞である胎盤Labyrinth zone、母体腎臓と同一パターンで観察された。したがって、巨細胞ではゲノム全体が複製されてpolyploidになっていることが明かとなった。また、残りの1.1%のスポットは、用いた三組織間でスポットパターンに差が見られた。その中で、10個のDNAスポットは胎盤特異的に脱メチル化されていた。遺伝子セットは細胞・組織間では同じでも、組織特異的なメチル化パターンが存在することが明かになったが、ゲノム全体には約40,000のCpGアイランドが存在するので、約400のCpGアイランドが細胞特異的なメチル化パターンを形成していることになる。

 第2章では、胎盤内でもJunctional zoneとLabyrinth zoneのメチル化スポットの差が、胎盤栄養膜細胞の分化に伴って起きているのかを調べるために、ラット胎盤絨毛ガン細胞由来のRcho-1細胞を用いメチル化座位についてをRLGS法で解析した。Rcho-1細胞は培養条件により未分化と分化を誘導することができる。分化細胞では1,228スポットが検出され、そのうちの4個が分化細胞のみで、残り4個が未分化細胞のみで検出され、計8個の座位のメチル化状況が、分化に伴い変化することが明かになった。

 第3章では、第1章で明かにされた10個の胎盤特異的に脱メチル化されているCpGアイランドの近傍に位置する遺伝子のクローニングを行った。6つの遺伝子断片のクローニングに成功し、塩基配列を決定した。これらの塩基配列から、5個がCpGアイランド内にあり、残り1個もCpGアイランド近傍に位置していることが確認できた。このうちの2個はそれぞれ、ミトコンドリア内膜タンパク質C3(citrate)トランスポーターと新規のZnフィンガータンパク(Zn finger protein regulated by methylation、ZRM)をコードするエクソンを合んでいた。これらの遺伝子の発現は胎盤特異的であることが示された。したがって、胎盤での組織特異的遺伝子発現の制御に脱メチル化が必要であることが示された。

 以上、本論文はラット胎盤に存在する栄養膜巨細胞は、ゲノム全体が再複製されてpolyploidになることを明らかにした。そして、数千のCpGアイランドのメチル化状況を解析し、いわゆるハウスキーピング遺伝子群と考えられる98%以上の座位は細胞・組織間ではメチル化されていないが、1.1%は胎盤と腎臓間、あるいは胎盤Junctional zoneとLabyrinth zone間で異なり、組織特異的なメチル化パターンを示すことをはじめて明らかにした。その中で、胎盤で脱メチル化される座位に関連した遺伝子(C3トランスポーター、ZRM)を検出し、メチル化による制御を受けていることを証明した。さらに、メチル化パターンは培養細胞の分化に伴って変化しうることも明らかにした。これらの発見は応用動物学における生殖生物学領域に貢献しているところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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