リーシュマニア症は、熱帯から温帯にかけて世界的に広く分布し、皮膚病変から致死的な内臓病変まで幅広い病態を示す原虫性疾患である。本症は、イヌ科動物および齧歯類を保虫宿主とする人獣共通感染症でもある。原虫感染症に対する組み換えワクチンの開発は、世界中で積極的に進められているにも関わらず、その開発は成功していない。これは、原虫感染症に対する獲得免疫が、生きた原虫の持続感染(プレミュニション)を必要とするためである。リーシュマニア原虫は、媒介昆虫体内では有鞭毛型虫体として、脊椎動物宿主マクロファージ(M)内では無鞭毛型虫体として生存・増殖する。同様な食細胞である好中球では貪食後速やかに殺虫される。リーシュマニア症の病変部位では、Mの浸潤と感染Mが多く観察されるが、好中球の浸潤はほとんど観察されない。そこで、リーシュマニア原虫感染において、M内で原虫の緩やかな増殖を許容し、一方で好中球によるリーシュマニア原虫の殺滅が促進できれば、リーシュマニア症に対する感染防御能を宿主に付与することが可能であると考えた。そこでこの仮説に従い、リーシュマニア症に対する遺伝子改変生ワクチンの開発を最終目的として、まず基盤技術となる外来遺伝子導入リーシュマニア原虫の作製を行い、遺伝子導入原虫前接種によるマウス皮膚リーシュマニア症発症予防の検討を行った。本症のコントロール戦略上、イヌリーシュマニア症の予防法の開発が重要と考えられるので本研究ではイヌのサイトカインであるIL-8を導入遺伝子として用いた。第一章では、イヌIL-8(cIL-8)遺伝子導入リーシュマニア原虫の作製について、第二章では、宿主体内の発育型である無鞭毛型虫体での遺伝子導入原虫によるcIL-8蛋白質産生の検討、第三章では、cIL-8遺伝子導入原虫前接種による皮膚型リーシュマニア症の発症予防について検討を行った。 第一章:生物活性を有するcIL-8蛋白質を産生する遺伝子導入リーシュマニア原虫の作製を目的として、cIL-8遺伝子をリーシュマニア原虫に導入した。IL-8は、好中球を活性化し、遊走能を増進するサイトカインである。cIL-8cDNAを鋳型としてPCRを行い、得られた正向きおよび逆向きの増幅産物をツニカマイシン耐性遺伝子を含むリーシュマニア原虫用発現ベクターp6.5に組み込み、導入用コンストラクト(p6.5-cIL-8Sおよびp6.5-cIL-8R)を構築した。得られたコンストラクトをLeishmania amazonensis(MPRO/BR/72/M1845;LV78クローン株C1/12およびC1250)の後期対数増殖期の有鞭毛型虫体に電気的に導入した。また、コントロールとしてp6.5ベクターのみを導入した原虫を作成した。遺伝子導入原虫は、ツニカマイシン(TM)添加199培地で、段階的にTM濃度を上げることにより薬剤選抜を行った。コンストラクト導入の成否を検討する目的で、染色体外DNAを回収し、cIL-8に特異的なプライマーを用いてPCRを行った。また、蛋白産生を検討するため、ウエスタンブロットを行った。さらにcIL-8の生物活性を検討するため、イヌ末梢血多形核白血球(PMN)を用いた遊走能試験を行った。マウスではIL-8の存在は未確認であるが、IL-8受容体が既に報告され、またヒトおよびウサギIL-8がマウスPMNを活性化することが報告されている。そこで、cIL-8のマウスPMNに対する生物活性の検討も同時に行った。PCRの結果、目的の330bpのバンドが確認され、cIL-8の虫体への導入が確認された。ウエスタンブロットの結果、p6.5-cIL-8Sを導入したC1/12SおよびC1250Sでのみ目的の8.8kDのバンドを得、蛋白産生を確認した。さらに遺伝子導入原虫培養上清を用いた遊走能試験の結果、C1/12S培養上清に対するマウスおよびイヌPMNの遊走距離は、それぞれ69.8±26.2m、47.3±3.5mを示した。一方、C1/12培養上清に対するマウスおよびイヌPMNの遊走距離は、それぞれ21.4±1.8m、2.8±1.8mを示した。このことから、C1/12S培養上清は、有為に高いPMN遊走活性を有することが示された。以上の結果より、作製した遺伝子導入用コンストラクトp6.5-cIL-8SがL.amazonensisに導入され、PMN遊走活性を有するcIL-8を産生することが明らかにされた。また本研究の結果は、リーシュマニア原虫による、外来哺乳動物由来生理活性蛋白質の産生が可能であることを示した。 第二章:cIL-8遺伝子導入原虫接種により、免疫を修飾することでリーシュマニア症発症の予防を目的とするので、作製した遺伝子導入原虫が、脊椎動物宿主体内での発育型である無鞭毛型虫体でcIL-8を産生することが必要条件となる。そこで、cIL-8遺伝子導入原虫の無鞭毛型虫体における生理活性を有するcIL-8の産生を検討する目的で、実験を行った。LV78強毒株由来の有鞭毛型虫体に第一章で作製したp6.5-cIL-8S(正向きのcIL-8組み込み)およびp6.5-cIL-8R(逆向きのcIL-8組み込み)を導入し、LV78SおよびLV78Rを作製した。遺伝子導入法及び薬剤選抜法は第一章に準じた。無鞭毛型虫体は、以下の2つの方法で得たものを実験に用いた。(1)遺伝子導入原虫の有鞭毛型虫体をJ774G8M細胞株へ感染させ、感染24時間後の感染Mから無鞭毛型虫体を回収した。(2)遺伝子導入原虫の有鞭毛型虫体を昆虫細胞用培地中で33℃で培養し、純培養無鞭毛型虫体を得た。遺伝子導入原虫の有鞭毛型虫体が無鞭毛型虫体に変態後も、遺伝子導入用コンストラクトを保持するかを検討するため、cIL-8に特異的なプライマーを用いPCRを行った。cIL-8蛋白産生を検討するため、純培養無鞭毛型虫体を用いてウエスタンブロットを行い、また生物活性を検討するため、マウスおよびイヌPMNを用いた遊走能試験を行った。PCRの結果、M細胞株から回収した遺伝子導入原虫の無鞭毛型虫体および純培養無鞭毛型虫体で、330bpのバンドを得、遺伝子導入用コンストラクトが無鞭毛型虫体内に保持されていることが確認された。ウエスタンブロットの結果、LV78Sの純培養無鞭毛型虫体でのみ、およそ8.8kDのバンドを得、cIL-8蛋白の産生が確認された。遊走能試験の結果、LV78S培養上清に対するマウスおよびイヌPMNの遊走距離は、それぞれ43.3±4.8m、73.5±2.3mを示した。一方、LV78培養上清に対するマウスおよびイヌPMNの遊走距離はそれぞれ15.3±1.9m、23.0±1.6mを示した。このことから、LV78S培養上清は、有為に高いPMN遊走活性を有することが示された。以上のことから、cIL-8遺伝子導入原虫は無鞭毛型虫体においてもPMN遊走活性を有するcIL-8蛋白質を産生することが示された。また、遺伝子導入原虫の接種により、生体内でもcIL-8蛋白質を産生する可能性が示唆された。 第三章:遺伝子導入原虫のマウスに対する病原性およびマウスへの遺伝子導入原虫接種によるPMNの誘導を検討するため、BALB/cマウスに遺伝子導入原虫を接種した。また遺伝子導入原虫前接種マウスにおける獲得性免疫の有無を検討するため、LV78強毒株の再接種を行った。マウス尾根部皮内にLV78S有鞭毛型虫体1x107/マウスを接種し、接種部位の観察及び病変の観察と測定を行った。また遺伝子導入原虫接種部位は、感染後1、7、35日目に採取し、ホルマリン固定後、HE染色を行い、病理組織学的に検討した。その結果、LV78S接種群では、接種35日目まで肉眼的に病変は観察されなかった。病理組織学的検索では、LV78S接種群の感染1及び7日目の皮膚で、多数のPMN浸潤とPMNによる原虫の貪食像および少数の感染Mが観察された。接種35日目では、細胞浸潤は観察されなかった。つぎに、LV78S前接種マウスへLV78強毒株を接種し、接種部位の観察と病変の観察を行った。また、強毒株接種時の免疫応答について検討するため、血中IFN-、IL-4濃度およびリーシュマニア抗原特異的抗体価の測定を行った。LV78強毒株接種後、LV78S前接種マウスでは、病変形成が有為に抑制された。リーシュマニア抗原特異的1gGアイソタイプ抗体価について、LV78S前接種群では,IgG2a抗体力価は、LV78S接種群、対照群でそれぞれ47,500±7,500、8,200±1,800を示し、LV78S接種群は対照群に比べ有為に高い価を示した。また血中IFN-濃度は、LV78S前接種群で、LV78強毒株感染後2日目に96.68±28.49pg/ml、7日目に124.02±54.25pg/mlを示したが、IL-4は両群とも検出限界以下であった。以上の結果から、作成したcIL-8遺伝子導入原虫は、肉眼的に病変形成しないが、病理組織学的には、遺伝子導入原虫がMに感染後無鞭毛型虫体に変化し、cIL-8の産生によりPMNを誘導することが示された。また遺伝子導入リーシュマニア原虫は、LV78強毒株接種に対して、マウス皮膚リーシュマニア症発症遅延および病変を抑制し、本来リーシュマニア感染においてTh2型の免疫応答が誘導されるBALB/cマウスの免疫系をTh1型優位に誘導していることが示唆された。 以上のことから、cIL-8蛋白質を産生するcIL-8遺伝子導入リーシュマニア原虫の作製とcIL-8遺伝子導入リーシュマニア原虫前接種によるマウス皮膚リーシュマニア症の発症抑制に成功したと考える。よって,リーシュマニア症に対するサイトカイン遺伝子導入生ワクチン開発に大きく貢献し得たと考える。 |