学位論文要旨



No 114437
著者(漢字) 坂内,慎
著者(英字)
著者(カナ) バンナイ,マコト
標題(和) 視床下部腹内側核におけるGABA作動性ニューロンの役割
標題(洋)
報告番号 114437
報告番号 甲14437
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2045号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 高等動物の生体機能の包括的な理解のためには、生体機能制御中枢としての脳の理解が不可欠である。脳の働きは、入力された情報をニューロンが処理し出力することによって維持されている。ニューロン間の情報伝達は神経伝達物質を介して行われるが、それには興奮性のものと抑制性のものの2種類がある。哺乳類の中枢神経系における主要な抑制性神経伝達物質であるGABAは、中枢神経系の約30%のシナプスにおいて神経伝達物質として情報伝達を担っている。GABAを神経伝達物質として放出するGABA作動性ニューロンは、視床下部においても主として介在ニューロンとしてその機能発現に重要な役割を果たしているものと考えられている。

 GABA合成の律速酵素であるグルタミン酸脱炭酸酵素(GAD)には、異なる遺伝子によってコードされている2種のアイソザイム(GAD65、GAD67)が存在する。一方、GABA受容体にもGABAA受容体とGABAB受容体の2種類が存在する。これらのアイソザイムや受容体の組み合わせにより、中枢神経系におけるGABA作動性ニューロンは従来考えられているよりもはるかに多元的な制御機構を構築している可能性が考えられる。本研究は視床下部腹内側核(VMH)におけるGADアイソザイムおよびGABA受容体サブタイプの意義や分布について、行動学的および組織化学的研究手法を用いて検討を行い、VMH機能の発現に関わるGABA作動性ニューロンの回路網を提示し、その役割を明らかにしようとしたものである。

 本論文は三章から構成されており、第一章ではVMHの支配する行動発現に対する各GADアイソザイムの関与を検討するため、それぞれのアイソザイム遺伝子に対するアンチセンスオリゴデオキシヌクレオチド(以下アンチセンスオリゴと省略)をVMHに注入し、摂食行動と自発運動量に対する効果を検討した。第二章においては、走行運動発現におけるGABAA受容体とGABAB受容体の関与について検討するため、それぞれのアゴニストあるいはアンタゴニストのVMH投与の走行運動に対する効果を調べた。第三章においては、免疫組織化学法を用いてVMHにおけるGADアイソザイムおよびGABA受容体サブタイプの分布および細胞内局在について詳細な検討を行った。

 第一章では、GADアイソザイムのアンチセンスオリゴを用いて、それぞれのアイソザイムによって生成されるGABAの摂食、自発運動発現に対する役割を検討した。ここではカチオニックリポソームと不活性化させたセンダイウイルスの複合体を担体とするHVJ-リポソーム法を用いて細胞へのアンチセンスの取り込み効率を上昇させることにより、少なくとも7日間は注入部位近傍でアンチセンスオリゴが検出されることが示された。また、VMH培養系においてアンチセンスオリゴによってGADタンパク質量が減少することが確認できた。このようなアンチセンスオリゴをVMHに投与したところ、摂食量に対しては両アンチセンスオリゴともに抑制的効果を示したが、特にGAD65アンチセンスオリゴの方が効果が大きく持続的に作用した。さらに、両アンチセンスオリゴの同時投与も摂食量を抑制したが、その効果はGAD65アンチセンスオリゴ単独投与の効果よりも小さく、むしろGAD67アンチセンスオリゴ単独投与の効果に近いものであった。

 VMHは通常、持続的に摂食を抑制しており、破壊によりその抑制が解除された場合に過食となる。そこで、VMHには摂食抑制ニューロンの存在を仮定することができる。本実験の結果は、摂食抑制ニューロンの興奮性をGABA作動性ニューロンが持続的に抑制していることを示唆している。上述のように、摂食抑制効果がGAD65の方が強力であったことは、摂食の抑制にはGAD65の方がGAD67よりも大きな役割を果たしていることを示している。また、両アンチセンスオリゴを同時に投与した群では、摂食抑制効果がGAD65アンチセンスオリゴ単独投与の効果よりも小さくなったが、このことは仮にGAD65とGAD67が別々のニューロンに発現し、GAD65ニューロンがGAD67ニューロンによって抑制を受けるような回路が存在すると考えると解釈できる。

 自発運動量は、GAD65アンチセンスオリゴ投与群では1日後に有意に上昇し、この増加は主に暗期の自発運動量の増加に起因していた。VMHには夜間の走行運動を誘起する走行ニューロンの存在が示唆されているが、この走行ニューロンがGAD65を発現するGABAニューロンによって抑制がかかっており、その解除によって自発運動量が増加したものと考えられる。一方、GAD67アンチセンスオリゴ投与群において、投与3日後以降、主として明期の自発運動量の減少が認められた。このこともGAD65ニューロンがGAD67ニューロンによって抑制を受けるような回路が存在すると仮定すると、解釈できる。すなわち、明期には通常GAD67ニューロンの興奮性が低下することによりGAD65ニューロンの興奮性が高まり、自発運動量が低下するものと考えられる。

 第二章ではVMHにおけるGABA受容体サブタイプおよびカイニン酸(KA)型グルタミン酸受容体の走行運動発現に対する関与について検討した。GABAA受容体アンタゴニストであるBMI、あるいはKA型グルタミン酸受容体アゴニストであるKAをVMHに投与することによって激しい走行運動が誘起された。一方、GABAB受容体アンタゴニストSACによっても走行運動は誘起されたが、その効果は極めて小さいものであった。BMIまたはKAによって誘起される走行運動は、いずれもGABAB受容体アゴニストであるSKFによって強く抑制された。

 従来、BMIによって走行が誘起されること、およびKAにより誘起される走行運動はGABAによっては抑えることが出来ないことより、走行ニューロンを興奮させるグルタミン酸作動性ニューロンの神経終末にGABAA受容体が存在し、グルタミン酸の放出を減少させることにより走行ニューロンを抑制する神経回路が考えられていた。本研究において、GABAB受容体を介する強い走行運動の抑制が認められたことから、この神経回路に加えて、走行ニューロンに直接シナプス結合しGABAB受容体を介して走行ニューロンの興奮性を低下させるGABA作動性ニューロンの存在が新たに示唆された。

 第三章ではGADアイソザイム、GABA受容体サブタイプ、およびKA型グルタミン酸受容体の分布を検討した。VMHにおいてはGAD67を発現する細胞体は全体にわたって数多く認められるものの、GAD65を発現する細胞体はVMH内側部に少数見られるのみであった。両者を同時に発現する細胞はごくわずかしか見られなかった。一方、GAD67を発現する軸索終末とGAD65を発現する軸索終末はともにVMH全体にわたって認められた。また、VMHではGAD65を発現している細胞体にGAD67を発現している軸索終末がシナプスを形成していると思われる像が随所に見られた。このことは、第一章において仮定したGAD65ニューロンがGAD67ニューロンによって抑制を受けるような回路が実際に存在することを示唆している。

 GABAA受容体はVMHでは主として外側部に認められ、一方、GABAB受容体を発現する細胞はVMH全体に見られた。なお、KA型グルタミン酸受容体を発現する細胞は、VMHでは背内側部および腹外側部に多く見られた。全ての受容体を発現しているのは外側部であるから、摂食抑制ニューロンおよび走行ニューロンを制御する神経回路は、VMH腹外側部に存在する可能性が高い。

 以上の三章の結果を併せて考えると、走行ニューロンを制御するGABA作動性ニューロンの神経回路について、次のような仮説が成り立つ。KA型グルタミン酸受容体の神経終末に存在するGABAA受容体は、GAD65ニューロンによって生成されるGABAを受容し、さらにそのGAD65ニューロンはGAD67ニューロンによって抑制を受けている。このGAD67ニューロンとGAD65ニューロンからなるGABA作動性ニューロンの直列の神経回路は、明期にはGAD67ニューロンの興奮性が低下し、暗期にはGAD65ニューロンの興奮性が低下することで、本能的な走行運動の日内リズムを形成することに関与しているのではないだろうか。一方、走行ニューロンにはこの回路とは別に、恐らくGAD67ニューロンによりGABAB受容体を介して強い抑制を受けるような神経回路の存在も想定される。このGAD67ニューロンは大脳皮質などからの入力により興奮し、意図的な走行運動の抑制に関与している可能性が考えられる。

 GABA作動性ニューロンは従来考えられていたような一元的なものではなく、GADアイソザイムやGABA受容体サブタイプを縦横に使い分けたダイナミックなGABA作動性ニューロンからなる神経回路網を形成しており、VMHではこのような神経回路網が行動の発現を制御しているものと考えられた。

審査要旨

 脳の働きは,興奮性あるいは抑制性の神経伝達物質を介して入力された情報をニューロンが処理し,再び神経伝達物質を介して出力することによって維持されている.哺乳類の中枢神経系における主要な抑制性神経伝達物質であるGABAは,中枢神経系の約30%のシナプスにおいて神経伝達物質として情報伝達を担っており,視床下部においても主として介在ニューロンとして重要な役割を果たしている.

 GABA合成酵素であるグルタミン酸脱炭酸酵素(GAD)には,2種のアイソザイム(GAD65,GAD67)が存在し,一方GABA受容体にもGABAA,GABAB受容体の2種類が存在する.本研究は様々な行動発現を制御していることが知られている視床下部腹内側核(VMH)におけるGADアイソザイムおよびGABA受容体サブタイプの意義や分布について行動学および組織化学的研究手法を用いて検討し,VMH機能の発現に関わるGABA作動性ニューロンの回路網を提示しようとしたものである.

 第1章では行動発現に対する各GADアイソザイムの関与を検討するため,それぞれのアイソザイム遺伝子に対するアンチセンスオリゴデオキシヌクレオチド(AODN)をVMHに注入し,摂食行動と自発運動量に対する効果を検討している.まず,リポソームと不活化センダイウイルス複合体を担体とするHVJ-リポソーム法により,7日間は注入部位近傍でAODNが検出されること,また,VMH培養系においてそれぞれのAODNによってそれぞれのGADタンパク量が減少することを確認した.

 VMHには摂食抑制機能を持つニューロンの存在が仮定されるが,AODNのVMHへの投与(GABA合成の減少)の結果は,GABA作動性ニューロンが摂食抑制ニューロンの興奮性を持続的に抑制していること,またGAD65がより大きな役割を果たしていることを示唆した.さらに同時投与によって,単独投与の効果が減弱したことから,GAD65ニューロンをGAD67ニューロンが抑制する回路の存在を推定している.一方,自発運動量の変化の解析からは,ラットの夜間の走行運動を誘起するVMHに存在する「走行ニューロン」はGAD65を発現するGABAニューロンによって抑制を受けていること,さらに,GAD65ニューロンがGAD67ニューロンにより抑制を受ける回路が存在することも推定している.

 第2章ではVMHにおけるGABA受容体サブタイプ,およびカイニン酸(KA)型グルタミン酸受容体の走行運動発現に対する関与について検討している.まず,従来から考えられていた,走行ニューロンのKA型受容体にシナプスする興奮性のグルタミン酸作動性ニューロンの神経終末にGABAA受容体が存在し,走行ニューロンを抑制する神経回路が形成されていることを確認した.そこでGABAB受容体アンタゴニスト(SAC),GABAB受容体アゴニスト(SKF)の投与を行い,その結果を解析することで,新たにこの神経回路に加えて,走行ニューロンに直接シナプス結合し,GABAB受容体を介して走行ニューロンの興奮性を低下させるGABA作動性ニューロンの存在を示唆した.

 第3章ではVMHにおいてはGAD67を発現する細胞体は全体にわたって数多く認められるものの,GAD65を発現する細胞体はVMH内側部に少数見られるのみであること,両者を同時に発現する細胞はわずかしか見られないこと,一方GAD67を発現する軸索終末とGAD65を発現する軸索終末はともにVMH全体にわたって存在することを見いだしている.GAD65を発現している細胞体にGAD67を発現している軸索終末がシナプスを形成していると思われる像が随所に見られ,これが第1章で推定したGAD65ニューロンとGAD67ニューロンによる直列回路の実像かと思われた.

 GABAA受容体はVMHの外側部に認められ,一方,GABAB受容体を発現する細胞は全体に見られた.KA型グルタミン酸受容体を発現する細胞は,VMHでは背内側部および腹外側部に多く見られた.これら全ての受容体を発現しているのは外側部であるから,摂食抑制ニューロンおよび走行ニューロンは,VMH腹外側部に存在する可能性が高いと提案している.

 以上の結果に基づき,特に走行ニューロンについて以下のような提案を行っている.KA型グルタミン酸受容体の神経終末に存在するGABAA受容体は,GAD65ニューロンによって生成されるGABAを受容するが,このGAD65ニューロンはさらにGAD67ニューロンがシナプスして直列の神経回路を形成している.そして,走行ニューロンにはこの回路とは別に,GAD67ニューロンによりGABAB受容体を介して強い抑制を受けるような神経回路の存在を新たに提案している.

 以上本研究は,幾つかの最新の技術を導入して,従来殆ど未知の分野であったVMHにおけるGABA作動性ニューロンの意義を多角的に解析したもので,走行ニューロンを中心に一定の神経回路網を提案した功績は高く評価される.走行ニューロンには,多彩な自律神経活動が密接にリンクしていることを考えれば,視床下部を介する動物の行動と代謝の制御という,応用動物科学分野での大きな挑戦に道を開いた研究としても高く評価される.よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク