悪性黒色腫は表皮基底膜細胞層または歯肉上皮細胞のメラノサイト由来の悪性腫瘍であり、ヒトや犬、猫以外にマウス、ハムスター、ウサギなどの実験動物においても報告されている。本腫瘍は一般に口腔粘膜、体幹部、眼球内に多く原発し、しばしば早期に周囲組織への浸潤あるいは所属リンパ節や肺などに転移するため、治療は著しく困難であり、極めて死亡率の高い腫瘍として知られている。また本腫瘍は化学療法や放射線治療に対しても抵抗性であり、ヒトにおいても最も悪性度の高い腫瘍の一つと考えられている。 一般に悪性腫瘍においては、一旦転移が生じると治癒率は急激に低下する。転移はしばしば多発性に発生するため外科的治療は困難であり、またその多くは原発巣よりも化学療法に高い耐性を示す。そのため、早期発見による原発巣の広汎な切除が予後を大きく左右する。しかし犬における悪性黒色腫は特に口腔内に多いため、飼い主の発見が遅れる場合も多く、初診時にはすでに病期が進行し、治療不可能なことも多い。したがって転移の阻止は原発巣の治療と同様にきわめて重要な課題である。 一方、AD1はラット好塩基球性白血病細胞株(RBL2H3)においてIgEとそのレセプターとの結合、および細胞増殖に関連する膜糖蛋白として報告された。その後、これは血小板活性化分子CD63/Pltgp40と同一のものであることが報告され、またCD63は、ヒト悪性黒色腫において報告されたME491と同じものであることが確認されている。 CD63/ME491/AD1は悪性黒色腫細胞のライソソーム上に認識される53kDaの糖蛋白であり、腫瘍進行の初期において高い発現を示すが、進行した悪性黒色腫や転移巣においてはほとんど発現しないステージ特異的抗原であるといわれている。その構造は膜を4回貫通するという特徴を持ち、同じような構造を持つ、CD9、CD37、CD53、CD81、CD82などと共にtransmembrane 4superfamily(TM4SF)に分類されている。これらはシグナルトランスダクション、細胞発達の制御、分化、接着、運動能に関連することが示唆されている。 近年、AD1がインテグリンに関連して機能することにより腫瘍細胞の運動能に深く関わっていることが示されており、AD1が悪性黒色腫の転移においても、何らかの役割を果たしている可能性は高い。このことは前述した腫瘍ステージによる悪性黒色腫細胞上のAD1の発現の有無と関連する可能性があり、その可能性を確かめる一つの方法としてモノクローナル抗体を作製し、転移との関連を検討することが考えられる。AD1に対するモノクローナル抗体としては、ヒトのCLB/Gran12、H5C6などが報告されているが、犬AD1に対するモノクローナル抗体の報告はない。 本研究においては、まず犬悪性黒色腫細胞株の樹立を試みた。次いで犬悪性黒色腫の転移機構の解明を最終目標とし、その細胞を用いてAD1を始めとする犬悪性黒色腫に対するモノクローナル抗体を作製し、その性状の解析を試みた。 樹立された細胞株は合計4株であった。CMeC-1は皮膚原発巣由来細胞をヌードマウス皮下に移植、その移植部位に形成された腫瘤に由来し、CMeC-2は同ヌードマウス肺転移巣由来、KMeCは口腔内原発巣由来、LMeCは口腔内原発症例のリンパ節転移巣由来であり、それぞれが異なった背景を持つ細胞株として樹立された。増殖速度などはこれまでに報告された細胞株に比べてやや遅かった(34〜58時間)。形態学的にこれらの細胞はいずれも紡錘形であり、またこれらの由来腫瘍は全てメラニン顆粒を有していたものの、継代を繰り返すうちにメラニン顆粒はほとんど存在しなくなった。しかし電子顕微鏡レベルにおいては顆粒が確認されており、細胞が未分化な状態にとどまっているものと考えられる。一方これらの細胞株にはX線照射したヌードマウスへのへテロトランスプランテーションが可能なものとそうでないものがあった。in vitroにおける細胞増殖形態においてもpile upする能力や無血清培地における増殖にもかなりの差が見られたことから、これらの細胞株は今後犬の悪性黒色腫、特に局所環境や接着因子との関連を研究するのにきわめて有用な材料と思われた。 モノクローナル抗体の作製にはCMeC-1細胞株を使用した。この細胞によって免疫されたマウスの脾臓細胞とP3-X63.Ag.8.653ミエローマ細胞とをポリエチレングリコールにより融合させ、ハイブリドーマ細胞を作製した。これをモノクローナル化した上でハイブリドーマの上清を採取し、この抗体を含んだ上清を使用して今回樹立した犬悪性黒色腫細胞株4株、ラット好塩基球性白血病細胞株(RBL2H3)、犬骨肉腫細胞株(POS)、猫乳腺癌細胞株(NAC)に対してELISA、FITC assayを行い、陽性であるか否かの判定を行った。さらにその中から悪性黒色腫細胞株およびRBL2H3に対してのみ陽性を示す2つのクローンを選んだ。2つのモノクローナル抗体はそれぞれCMAA-1およびCMAA-2と命名した。CMAA-1はIgM抗体、CMAA-2はIgG3抗体であった。 この2つの抗体を使い、犬の悪性黒色腫組織を中心に各種犬腫瘍組織に対して免疫染色を行った。用いた腫瘍は悪性黒色腫組織は33例(犬29例、前述のCMeC-1およびLMeCを移植されたマウス組織2例、猫2例)、および肥満細胞腫6例(犬5例、犬肥満細胞腫細胞株LuMCを移植されたマウス組織1例)、平滑筋肉腫、移行上皮癌など多様な腫瘍組織16例を含む計55例であった。抗体を含むハイブリドーマ上清を一次抗体とし、陰性コントロールとしては抗体を含まない培地の濃縮液を使用した。また核染色にはギムザ染色を用いたが、肥満細胞腫に関してはギムザ染色により顆粒が染まることを避けるためにヘマトキシリン染色を使用した。 通常、IgM抗体は非特異反応が多いとされており、モノクローナル抗体としては扱いにくいが、CMAA-1については非特異反応はそれほど多くは見られなかった。悪性黒色腫組織のホルマリン固定標本(23例)、カルノア固定標本(10例)に対してCMAA-1はそれぞれ65.2%、50%の陽性率を示し、両者をあわせた陽性率は60.6%であった。また、これらの中には同一症例の原発組織と転移組織がペアで含まれているものがあったため、犬の原発組織のみを検査したところ、染色陽性率は81.8%ときわめて高い値を示した。染色される部位は腫瘍細胞の細胞質全体にほぼ均一であった。また悪性黒色腫細胞以外には腫瘍内の血管基底膜細胞や上皮細胞などの正常細胞の細胞質も染色される例が認められた。 その他の腫瘍については鼻腔腺癌1例中1例、移行上皮癌2例中1例、悪性巨細胞腫2例中2例に対して陽性を示した。 一方CMAA-2のホルマリン固定標本に対する陽性率はわずか24.2%であった。しかしながらカルノア固定標本に対しては50%において陽性を示したことから、ホルマリンによる架橋により抗体の認識部位がマスクされるものと考えられた。この抗体において悪性黒色腫以外に陽性と判定された組織は、悪性巨細胞腫2例中2例と、平滑筋肉腫2例中1例のみであり、悪性黒色腫に対する特異性はCMAA-1よりやや高いと考えられた。またしばしば腫瘍細胞そのものよりも悪性黒色腫組織周囲の正常結合組織中に陽性を示した。 一方、同一悪性黒色腫症例の原発巣と転移巣のペア7組に対するCMAA-1による免疫染色においては、7例中4例(57.1%)が転移巣のみ陽性を示すという結果であった。またこの抗体は犬肥満細胞腫に対しても50%において陽性を示した。肥満細胞腫には皮膚型と腸管型が存在するが、皮膚型5例における陽性率は60%であり、染色されなかった2例については手術以前にプレドニゾロンによる加療を受けており、化学療法による何らかの修飾を受けていた可能性も考えられた。なお、肥満細胞における染色部位は、すべて細胞質であった。AD1は悪性黒色腫および肥満細胞腫における発現が報告されている膜蛋白であり、また原発巣と転移巣で異なる染色性が存在したことから、CMAA-1にはAD1等の転移関連物質を認識している可能性が高いと考えられる。今回の研究では残念ながら認識部位の特定ができなかったが、CMAA-1と腫瘍の転移、浸潤能あるいは運動能の関連については、今後十分に検討する価値のあるものと考えられる。また、CMAA-1はホルマリン固定標本でも十分な反応が得られたが、従来悪性黒色腫に対するこのような犬抗体の報告は少なく、臨床診断上もきわめて有用と考えられる。また、CMAA-2は悪性黒色腫に対する特異性が高いことから、これらのモノクローナル抗体はいずれも臨床上有意義なモノクローナル抗体と考えられた。 本研究により、さまざまな背景を持った犬悪性黒色腫細胞株が4株樹立され、今後本腫瘍の研究に有力な材料となると考えられた。また本腫瘍に対する特異的モノクローナル抗体が作製された。残念ながらその性状や認識部位は特定できなかったが、転移関連物質を認識する可能性が高く、今後これらの機序の解明、ならびに臨床例の予後判定や治療に本モノクローナル抗体が貴重な手段となり得ると考えられた。 |