学位論文要旨



No 114445
著者(漢字) 篠塚,淳子
著者(英字)
著者(カナ) シノヅカ,ジュンコ
標題(和) マウスのリンパ・造血系組織におけるT-2トキシン誘発アポトーシスに関する研究
標題(洋) Studies on T-2 toxin-induced apoptosis in the lymphoid and hematopoietic tissues of mice
報告番号 114445
報告番号 甲14445
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2053号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 T-2トキシンはFusarium属真菌により産生される有害代謝産物(トリコテセン系マイコトキシン)の一種であり、ヒト、家畜、家禽に、リンパ・造血機能の抑制、消化器症状、神経症状、繁殖障害などの中毒症状を引き起こすことが知られている。このマイコトキシンに汚染された食物、飼料の摂取によるヒトおよび家畜の中毒事例は、例えば、ヒトの食中毒性無白血球症および赤カビ中毒症、牛の出血性症候群、馬の豆殻中毒症等、世界各地で報告されており、公衆衛生ならびに家畜衛生上重要な問題となっている。これまでに、Fusarium属カビ毒の毒性解明を目的として、多数の動物種で様々な実験がなされているが、その細胞障害のメカニズムについては不明な点が多い。そこで、筆者はT-2トキシンによる病変発現のメカニズムを解明する目的で、T-2トキシン投与マウスのリンパ系および造血系組織を検索し、その毒性発現にアポトーシスが関与していることを初めて明らかにした。本論文は4章から成るが、以下に各章の要旨を記載する。

第1章:T-2トキシン誘発リンパ球のアパトーシス

 T-2トキシンを経口的に投与したマウスのリンパ系組織を病理組織学的に検索し、観察された細胞死について形態学的および生化学的検索を行った。T-2トキシン投与マウスでは、胸腺重量および脾重量の減少が認められた。病理組織学的検索では、胸腺皮質幅の狭小化および脾濾胞の萎縮が認められ、これらリンパ組織内のリンパ球に核濃縮や核崩壊像が観察された。DNA断片化を検出するin situ DNA end labeling法(TUNEL法)では、これらの細胞の核に一致して陽性反応が示され、電顕的観察では核クロマチンの凝集、核の断片化などの特徴的変化が観察された。TUNEL陽性細胞数は、胸腺ではT-2トキシン投与6時間後から増加し、24時間後にピークに達し、48時間後に減少したのに対し、脾濾胞では、投与9時間後から増加して48時間後にピークに達し、中枢リンパ系組織である胸腺と末梢リンパ系組織である脾濾胞(白脾髄)との間に差が認められた。また、胸腺から抽出したDNAアガロース電気泳動では180-200bp間隔のラダーが検出された。以上の形態学的および生化学的所見から、T-2トキシン誘発リンパ球細胞死はアポトーシスによるものであることが明らかになった。これらの臓器における増殖細胞核抗原(PCNA)に対する抗体を用いた免疫組織化学による細胞増殖活性の評価では、T-2トキシン投与直後よりPCNA陽性細胞数は著明に減少し、T-2トキシンは主に分裂活性の高い幼若細胞を傷害するものと考えられた。

第2章:T-2トキシン誘発造血細胞アポトーシス

 リンパ系組織とならんでT-2トキシンの主要標的組織の一つである造血系組織におけるアポトーシス誘発の有無を調べた。T-2トキシン投与マウスの血液検査で、末梢血白血球数の著明な減少、とくにリンパ球の減少が認められた。T-2トキシン投与マウスの骨髄および赤脾髄では、造血細胞密度の著しい低下が認められた。また、骨髄塗抹標本におけるblebbing細胞の出現、TUNEL陽性細胞の増加、電顕所見、アガロース電気泳動法によるDNAラダーの検出等の結果から、T-2トキシンによる造血系組織の病変の発現にもアポトーシスが関与していることが示された。骨髄と赤脾髄における造血細胞のアポトーシス誘導はリンパ系組織に先行し、TUNEL陽性細胞数のピークは投与6時間後であった。この時期の骨髄細胞百分率では、赤芽球系細胞、未熟顆粒球およびリンパ球が減少していたが、成熟骨髄球には変化は認められなかった。また、骨髄では間質細胞が骨髄微小環境を形成し、造血細胞の分化・成熟・増殖に重要な役割を示すことが知られているが、T-2トキシン投与マウスの骨髄では毛細血管内皮細胞や間質細胞の傷害も認められ、アポトーシスの発現には、T-2トキシンの直接作用に加え、微小環境への障害を介した間接的な作用も重要であることが示された。

第3章:アポトーシス関連遺伝子の発現と蛋白合成阻害薬の影響

 T-2トキシン投与マウスの胸腺にみられる皮質リンパ球アポトーシス誘発のメカニズムを解明する目的で、細胞膜上の特異レセプターおよびアポトーシス関連遺伝子の動態と蛋白合成阻害薬前処置の影響を調べた。RT-PCR法を用いてFas,p53,c-myc,bcl-2およびc-fosのmRNAの発現量を調べたところ、T-2トキシン投与後早期から、アポトーシスの発現に先立って転写因子であるc-fosの持続的な発現量の増加が認められた。他のアポトーシス関連遺伝子の発現量には変化は認められなかった。近年、ある種のアポトースの誘発に先立ち、c-fos発現量の増加が認められることが報告されており、T-2トキシンによる胸腺リンパ球のアポトーシスの発現にもc-fosを介したアポトーシス誘発系が関与している可能性が示唆された。また、Fas欠損ミュータントlpr/lprマウスとp53ノックアウトマウスにT-2トキシンを投与したところ、アポトーシスの抑制は認められず、上述したRT-PCR法の結果と同様に、T-2トキシンによって誘発されるリンパ球のアポトーシスにはFasおよびp53は関与していないものと考えられた。一方、蛋白合成阻害薬の影響を調べたところ、シクロヘキサマイドの前処置によってT-2トキシンによる胸腺リンパ球のアポトーシスが抑制された。このことは、T-2トキシン投与によって持続的なc-fos mRNAの発現量の増加が起こり、これによる蛋白合成がアポトーシス発現に関与している可能性を示唆するものと考えられた。

第4章:カルシウム阻害剤とPKC阻害剤の影響

 マウス胸腺初代培養細胞を用いて、T-2トキシンによるアポトーシスの誘発の有無およびアポトーシスの発現とc-fos mRNAの発現レベルとの関連について検索した。Con A刺激マウス胸腺初代培養細胞にT-2トキシンを添加すると、添加3時間後より細胞数の減少および断片化DNA率の増加が認められ、in vivoと同様に、in vitroの系においても、アポトーシスの誘導が認められた。RT-PCR法を用いてc-fos mRNAの発現量を調べたところ、in vivoの系と同様に、c-fosの持続的な発現量の増加がアポトーシスの誘導に先行して認められた。ところで、c-fosを含む最初期遺伝子群の発現には主にセカンドメッセンジャーである細胞内カルシウムイオンやPKCの活性化が関与しているといわれている。そこで、T-2トキシン添加後のc-fos mRNA発現に関わる経路を明らかにするために、細胞内・外のカルシウムイオンのキレーターあるいはPKCインヒビターの前処置によるを影響を調べた。細胞外カルシウムキレーター(EGTA)の前処置ではT-2トキシンによるc-fosの発現になんら影響を及ぼさなかったが、細胞内カルシウムイオンキレーター(BAPTA/AM、Quin/AM)と一部のPKCインヒビター(H-7)を前処置することによって、T-2トキシンによるc-fosの発現の抑制が認められ、T-2トキシンによるc-fos誘導には細胞内カルシウムイオン濃度の上昇および一部にPKCの経路の関与が示唆された。また、細胞内カルシウムイオンキレーターの前処置によって、T-2トキシンによるアポトーシスの誘導も抑制された。

 以上の結果から、T-2トキシンはリンパ球や造血細胞のような細胞増殖活性の高い細胞に直接あるいは微小環境の変化を介して2次的に作用し、アポトーシスを誘発することが示された。組織間でのアポトーシスの発現と進行の差は、T-2トキシンに高感受性を示す幼若細胞の分布密度の差および標的細胞を囲む微小環境の差によるものと考えられた。また、T-2トキシンによるアポトーシスの誘導には細胞内カルシウムイオン濃度の上昇と転写因子であるc-fosの発現が重要な役割を果たすことが示された。細胞内カルシウムイオンの上昇はカルシウム依存性エンドヌクレアーゼを活性化し、核の断片化等のアポトーシスの形態的変化を引き起こすものと考えられる。最近では、細胞内カルシウムイオン濃度の増加がc-fosの発現量を持続的に上昇させ、それがheat shock proteinの合成を促進し、アポトーシスを誘導するという系も報告されており、T-2トキシンによるリンパ球および造血細胞のアポトーシスの発現にも同様な系が関与している可能性が示された。

 本研究の成果はT-2トキシン中毒のメカニズムの解明のみならず、広く化学物質によるアポトーシスの発現機構を解明するための基礎資料として極めて重要であると考えられる。

審査要旨

 T-2トキシンはFusarium属真菌により産生されるトリコテセン系マイコトキシンである。このマイコトキシンに汚染された食物、飼料の摂取によるヒトおよび家畜の中毒事例が世界各地で報告されており、公衆衛生ならびに家畜衛生上重要な問題となっている。これまでFusarium属カビ毒の毒性解明のために、様々な実験がなされているが、その細胞障害のメカニズムについてはまだ不明である。申請者はT-2トキシンによる病変発現のメカニズムを解明する目的で、T-2トキシン投与マウスのリンパ系および造血系組織の検索を行った。本論文は以下の4章から成る。

第1章:T-2トキシン誘発リンパ球アポトーシス

 T-2トキシン投与マウスでは、胸腺皮質幅の狭小化や脾濾胞の萎縮が認められ、これらリンパ組織内のリンパ球に核濃縮や核崩壊像が観察された。in situ DNA end labeling法(TUNEL法)では、これらの細胞の核に一致して陽性反応が示され、電顕的観察では核クロマチンの凝集や断片化などの特徴的な変化が観察された。また、胸腺から抽出したDNAアガロース電気泳動では180-200bpのラダーが検出され、T-2トキシン誘発リンパ球細胞死はアポトーシスによるものであることが初めて明らかになった。胸腺でのアポトーシス誘発は脾濾胞に先行し、その程度も強かった。抗増殖細胞核抗原(PCNA)抗体を用いた免疫組織化学的検索では、T-2トキシン投与直後よりPCNA陽性細胞は著明に減少し、T-2トキシンは主に分裂活性の高い幼若細胞を傷害するものと考えられた。

第2章:T-2トキシン誘発造血細胞アポトーシス

 T-2トキシン投与により、骨髄および赤脾髄で造血細胞密度の著しい低下が認められた。骨髄では、赤芽球系細胞、未熟顆粒球およびリンパ球が減少していたが、成熟骨髄球には変化は認められなかった。TUNEL陽性細胞数の増加、電顕所見、DNAラダーの検出等の結果から、T-2トキシンによる造血系組織の病変の発現にもアポトーシスが関与していることが初めて示された。また、造血系組織のアポトーシス誘導はリンパ系組織に先行していた。骨髄では毛細血管内皮細胞や間質細胞の傷害など微小環境への障害も認められた。

第3章:アポトーシス関連遺伝子の発現と蛋白合成阻害薬の影響

 RT-PCR法を用いてFas,p53,bcl-2,c-mycおよびc-fosのmRNAの発現量を調べたところ、T-2トキシン投与後早期から、アポトーシスの発現に先立って、転写因子であるc-fos mRNA発現量の持続的な増加が認められた。他のアポトーシス関連遺伝子の発現量には変化は認められなかった。また、lpr/lprマウスとp53ノックアウトマウスを用いた実験からも、Fasおよびp53の関与は否定された。一方、蛋白合成阻害薬シクロヘキサマイドの前処置によってT-2トキシンによる胸腺リンパ球のアポートシスが抑制され、アポトーシス関連蛋白合成の可能性が示唆された。

第4章:カルシウム阻害剤とPKC阻害剤の影響

 Con A刺激マウス胸腺初代培養細胞にT-2トキシンを添加すると、細胞数の減少および断片化DNA率の増加が認められ、in vivoと同様にアポトーシスが誘発された。また、c-fos mRNA発現量の持続的な増加もアポトーシスの誘発に先行して認められた。これらの変化は、細胞内カルシウムイオンキレーター(BAPTA/AM、Quin/AM)と一部のRKCインヒビター(H-7)により抑制され、T-2トキシンによるc-fos誘導には細胞内カルシウムイオン濃度の上昇および一部にPKC経路の関与が示唆された。

 以上の結果から、T-2トキシンはリンパ球や造血細胞のような細胞増殖活性の高い細胞に、アポトーシスを誘発することが明らかにされた。組織間でのアポトーシスの発現と進行の差は、主としてT-2トキシンに高感受性を示す幼若細胞の分布密度の差によるものと考えられた。また、T-トキシンによるアポトーシスの誘導には、細胞内カルシウムイオン濃度の上昇と転写因子であるc-fosの発現が重要な役割を果たすことが示された。本研究はT-2トキシンによる細胞障害のメカニズムを初めて明らかにしたもので、T-2トキシン中毒の本態の解明およびその治療法の開発に資するところ大である。したがって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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