血圧を決定する重要な因子として血管径がある。本態性高血圧のような全身性高血圧には全身での血管の径の減少が関与する。一方、肺高血圧は肺血管に限局された高血圧であり、全身血圧は正常であることが多く、肺血管だけの異常に起因する。肺高血圧は重篤な疾患であるにも関わらず有効な治療法が少ない。これは肺血管に特異的に作用する血管拡張薬がほとんどなく、一般的な抗高血圧薬では正常な全身血圧までも低下させること、そして肺高血圧時の血管系の変化やその病態形成機構の詳細が明らかになっていないことが要因である。これまで肺高血圧モデルラットにおいて肺血管平滑筋の細胞膜が脱分極していること、生体内においてすでに肺血管が収縮状態にあることが示唆されている。また、内皮依存性弛緩反応が肺高血圧患者およびモデル動物において減弱していること、内皮細胞型NO合成酵素(eNOS)のノックアウトマウスにおいては肺血圧が高いことなどからも、NO産生量の減少が肺高血圧の病態に深く関与していることが示唆されている。しかし、これらの変化がどのような機構によって起こっているかを明らかにした報告は少ない。本研究ではモノクロタリン(MCT)誘発肺高血圧モデルラットを用い、血管内皮細胞ならびに血管平滑筋細胞の機能異常とその原因を明らかにすることを目的とした。 血管内皮細胞機能の変化 方法:肺高血圧はMCT(60mg/kg)をラット皮下に単回投与することにより誘発し(MCT処置群)、対照動物には同量の溶媒を投与した(対照群)。投与3週間後に左右外肺動脈を摘出し実験に供した。 内皮細胞の組織学的所見:光学顕微鏡下における観察では、対照群とMCT処置群の肺動脈の内膜においては内皮細胞は内弾性板に付着しており内皮細胞の剥離、消失は観察されなかった。 内皮依存性弛緩反応と細胞内cGMP量:内皮保持標本における受容体作動薬カルバコールによる内皮依存性弛緩反応はMCT処置群において有意に減弱していた。またカルバコールによる細胞内cGMP量の増加もMCT処置群において有為に減弱していた。MCT処置群肺動脈におけるカルバコールによる内皮依存性弛緩反応の減弱はL-アルギニンおよび活性酸素消去薬であるスーパーオキサイドディスムターゼの前処置によって変化しなかった。 Ca2+イオノフォア、イオノマイシンによる内皮依存性弛緩反応、およびイオノマイシンによる細胞内cGMP量の増加もカルバコール刺激時と同様に有意に減弱していた。静止時における内皮保持標本の細胞内cGMP量はMCT処置群において少なかった。 内皮細胞内Ca2+濃度:Fura-PE3を内皮細胞に負荷し、内皮細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)を測定したところ、カルバコールによる内皮細胞の[Ca2+]iの上昇は対照群と比較して、MCT処置群において小さかった。静止時の[Ca2+]iは対照群、MCT処置群の間で差は見られなかった。 eNOSの発現量:内皮保持肺動脈標本より採取したtotal RNAを用いて、定量的RT-PCRによってNOSのmRNA発現量について検討した。MCT処置群において、eNOSのRNAシグナルは対照群に比べて、より少ないサイクル数において出現した。一方、誘導型NO合成酵素(iNOS)およびGAPDHのRNAシグナルはMCT処置群と対照群で差がなかった。以上の結果から、MCT処置ラットの肺動脈内皮細胞においてeNOS発現量が増加していることが示唆された。 血管のNO感受性:内皮剥離標本においてNOドナーであるニトロプルシド(SNP)の収縮抑制作用とcGMP蓄積作用を検討した。フェニレフリン収縮に対するSNPの最大抑制はMCT処置群において小さかった。一方、KCl収縮に対するSNPの最大抑制はMCT処置群において大きかった。内皮剥離標本の静止時におけるcGMP量は両群の間で差はなかった。SNP刺激によって時間依存性に細胞内cGMP量は増加した。SNP刺激によるcGMP量の増加は両群の間で差はなかった。 以上の結果から、MCT処置群において血管平滑筋のNO感受性の低下は見られなかった。従って、MCT処置群において観察された内皮依存性弛緩反応の減弱および内皮依存性のcGMPの蓄積量の低下は内皮細胞におけるNO合成量の低下によることが示唆された。内皮細胞におけるNOの合成は[Ca2+]iによって調節されており、[Ca2+]iの増加はNO合成を促進する。MCT処置群の肺動脈においてみられたNO産生量の低下の機構の一つとして、内皮細胞の受容体が活性化されてもNOを合成するのに十分量の[Ca2+]iの上昇が起こらず、NO合成量が減少している可能性が示唆された。また、[Ca2+]iを十分に増やすイオノマイシンによる弛緩反応とcGMPの蓄積が低下していたこと、および静止時の[Ca2+]iがMCT処置群と対照群の間で同程度だったにもかかわらずcGMP量がMCT処置群において少なかったことからeNOSのCa2+感受性の低下が起こっていること示唆された。 以上の成績から、MCT誘発肺高血圧ラットにおいて内皮細胞内におけるCa2+増加の抑制とeNOSのCa2+感受性の低下が起こっており、この結果として起こるNO合成能の低下から内皮依存性弛緩反応の低下が起こっていることが示唆された。eNOS発現量が増加していたのはNO合成機構の抑制に対する代償機構としての可能性が考えられるが、上記の異常を補償し、NO合成能を完全に回復するには至っていないものと考えられた。 肺動脈の自発性血管緊張度 肺動脈平滑筋の機能的変化について、内皮剥離標本を用いて検討を行った。MCT処置群の肺動脈において、非刺激時に自発性血管緊張度が観察された。この張力の大部分はL型Ca2+チャネル遮断薬、ベラパミルの投与によって抑制された。また、収縮張力と[Ca2+]iの同時測定において、対照群の肺動脈ではベラパミルの投与によって収縮張力と[Ca2+]iの減少は認められなかったのに対し、MCT処置群の肺動脈においてはベラパミルによって収縮張力と[Ca2+]iは大きく抑制された。この血管緊張度はCl-チャネル阻害薬であるDIDSによって抑制され、DIDSによる血管緊張度の抑制の後にベラパミルを投与しても、それ以上の抑制は見られなかった。 以上の結果からCl-チャネルの恒常的な活性化が細胞外へのCl-イオンの排出を亢進しその結果おこる脱分極がベラパミル感受性のL-型Ca2+チャネルを活性化している可能性が示唆された。近年、一時的な血圧の増加が血管平滑筋細胞のCl-チャネルを活性化し、細胞膜の脱分極によって、血管径が調節される機構が報告されている。従って、肺高血圧時の慢性的な血圧の上昇が恒常的なCl-チャネルの活性化を引き起こすのかもしれない。Cl-チャネルの血管病態への関与はこれまで明らかにされていないが、本研究の結果から、肺高血圧ラット肺動脈平滑筋細胞のCl-チャネルの恒常的な活性化が自発性血管緊張度を引き起こしている可能性が示唆された。 内皮細胞由来のNOによる自発性血管緊張度の抑制 MCT処置群肺動脈における内皮細胞と血管平滑筋の相互作用を明らかにするために、内皮保持標本と内皮剥離標本における自発性血管緊張度の大きさを比較した。内皮保持標本における血管緊張度は、内皮剥離標本で見られた血管緊張度より小さかった。NO合成酵素阻害薬であるL-NMMAを投与したところ、内皮保持標本において、ゆっくりとした収縮が発生し、その収縮張力の大きさは内皮剥離標本における血管緊張度と同程度であった。L-NMMAによる収縮が一定になった後、ベラパミルを投与するとその収縮の大部分は抑制された。内皮剥離標本でL-NMMAによる収縮は見られなかった。 以上の結果から、MCT処置ラット内皮剥離肺動脈において見られた血管緊張の大部分は、内皮保持標本においては内皮細胞由来のNOによって抑制されていることが明らかになり、内皮細胞由来のNO量は低下していたにも関わらず、そのNOは平滑筋の血管緊張度の大部分を抑制し、肺高血圧を緩和する方向に働いていることが示唆された。また、内皮細胞からのNOによって抑制されない残存する一部の自発性血管緊張度が肺高血圧の増悪の重要な因子として、肺高血圧の進行に関与する可能性が示唆された。 結論 本研究の結果から、MCT誘発肺高血圧ラット肺動脈において、内皮細胞からのNO合成量の低下が確認され、その機構に受容体作動薬による細胞内でのCa2+上昇の低下、およびNO合成系におけるCa2+感受性の低下が関与していることが示唆された。また、MCT誘発肺高血圧ラット肺動脈では自発性血管緊張度があること、その収縮は恒常的なCl-チャネルの活性化による脱分極に伴うL型Ca2+チャネルを介したCa2+流入によるものであることが示された。一方、内皮細胞からのNO放出量は減少していたにもかかわらず、肺動脈の自発性血管緊張度の一部は抑制されていたことからNOは肺高血圧時にも血管収縮を抑制し、肺高血圧を緩和させる働きを維持していることが明らかになった。NO合成能の低下によって、血管収縮の抑制および細胞増殖抑制をはじめとする、NOの持つ抗高血圧作用が解除されることが、肺高血圧症の発生および悪化に関わっている可能性がある。おそらくは内皮細胞からのNO産生量の減少は肺高血圧症の発生要因の一つとして働き、平滑筋細胞におけるCl-チャネルの開口による血管収縮が肺高血圧症の増悪因子として働いているのであろう。これら本研究の成果は今後の肺高血圧治療の展開に寄与するものと考えられる。 |