気管支喘息(bronchial asthma)は慢性気管支炎、肺気腫とともに代表的な慢性閉塞性肺疾患(COPD)の一つであり、その発症率の高さ(日本人約3%、米国人約7%)、患者に与える苦痛の大きさ、治療の困難さの点で現在最も重要な臨床的意義を持つ呼吸器疾患の一つである。喘息を特徴づける最も基本的な性質は「気道過敏状態」であることが明確にされている。すなわち、正常者では気道の収縮にいたらないような軽度の粘膜刺激に対しても、過剰に反応して気道収縮を強く起こす結果、呼吸困難を生じるというものである。気道過敏症の形成に関与する要因は多面的であり、このような要因を一つ一つ解析することが、気管支喘息の治療法に関しての有用な情報を提供することに結びつくものと思われる。 一方、今回我が国で初めて開発された自発性気道過敏性モルモット2系統(BHS系、BHR系)は、遺伝的な素因に基づく気道過敏性を発現するとされており、これまでの正常動物を用いた気道過敏症モデル動物とは本質的に異なる性質を有している。BHS系およびBHR系モルモットは、気道過敏性の基礎的研究に有用なモデル動物であると考えられる。本論文では、これらの動物を研究材料として、呼吸生理学的、神経生理学的ならびに薬理学的方法論に基づく基礎研究を行うことにより気道過敏性を形成する要因を明らかにすることをを目的として行われた。 第1章では、序論として、気管支喘息の基礎病態としての気道過敏症の重要性と気道の神経支配、気道過敏性モデル動物作出の意義に関して、概説するとともに、本論文で中心的に使用された気道過敏性モデル動物、すなわちBHS系(気道過敏系)およびBHR系モルモット(非気道過敏系)の系統作出経過、ならびにこれらのモデル動物に関して現在までに明らかになっている性状を紹介した。 第2章では、BHS系とBHR系の気道収縮反応における差異を確認する目的で、麻酔下でHistamine(0.5〜8.0g/kg)およびACh(2.0〜32.0g/kg)を静脈内投与し、気道収縮反応(気管内圧、呼吸気流曲線)を両系統間で比較検討した。HistamineおよびAChの静脈内投与により、両系統間に用量依存性の気道収縮反応が認められた。静脈内投与されたHistamineによる気道収縮反応はBHS系がBHR系に比較して高い傾向が認められたが有意差は認められなかった。しかしながら、AChの静脈内投与では、BHS系がBHR系に比べて有意に高い気道収縮反応を示した。正常なモルモットであるHartley系は、Histamine収縮で他の2系統よりもやや低く、ACh収縮ではBHR系と同程度の収縮を示したが、いずれも有意な差ではなかった。AChの静脈内投与によるBHS系およびBHR系の気道収縮反応の差には、少なくともムスカリン受容体の数あるいは親和性の相違が関与していることが推測された。 第3章では、両系統の選抜経過がAChおよびHisutamineのエーロゾルの吸入試験によってなされていることを考慮して、覚醒下のモルモットに対してAChおよびHistamineのエーロゾルを吸入させた際の気道収縮反応を明らかにした。1回換気量、気道抵抗などの呼吸機能指標をボディプレチスモグラフ法をもとに、20Hzの空気圧振動をモルモットの胸部に負荷することによって測定した。Histamine(0.01〜0.08%,w/v)およびACh(0.0125〜0.1%,w/v)のエーロゾル吸入により、両系統ともに用量依存性の気道収縮反応が認められた。いずれの薬物においても気道収縮反応は、BHS系がBHR系に比べて有意に高かった。Hartley系は両薬物ともBHR系との間に明瞭な差は認められなかった。さらに、Histamineエーロゾルによる気道収縮反応は、BHS系、BHR系ともに0.2%のアトロピンエーロゾルの吸入により有意に抑制されたが、とくにBHS系では気道抵抗の上昇がBHR系に比較してより大きく抑制された。この結果より、AChおよびHistamineエーロゾルの吸入による気道収縮反応はBHS系がBHR系、Hartley系に比べて明らかに高いが、少なくともHistamineでは気道収縮反応の発現において迷走神経反射が大きく関与していることが明らかになった。 第4章では、気道の侵害受容器であるC線維を刺激することによる気道収縮反応を各モルモットで調べた。刺激方法としてはC線維の選択的刺激剤であるカプサイシン(Capsaicin)の静脈内投与(2.5〜20g/kg)を用いた。また、上記のCapsaicin誘発気道収縮反応における迷走神経反射の影響を調べるために、両側迷走神経切断を行ったモルモットを作出し、Capsaicin投与に対する気道収縮反応を測定した。さらに、C線維の脱感作を行う目的で、Capsaicin(50g/kg)を本実験の1週間前より全身麻酔下で数回にわけて腹腔内投与し、上記のCapsaicin刺激に対する反応性の変化を観察した。Capsaicinの静脈内投与により両系統ともに用量依存性の気道収縮反応を示した。BHS系はBHR系に比べて2.5,5,10g/kgの投与量で有意に高い気道収縮反応を示した。Hartley系では、比較的明瞭な気道収縮反応がみられたが、投与量が2.5g/kgと低い場合には収縮が認められなかった。両側迷走神経切断実験では、迷走神経非切断群に比較してBHS系では、2.5および5g/kgで有意な気道収縮反応の減少を示したが、BHR系およびHartley系では、すべての投与量で有意な変化は生じなかった。一方、Capsaicin前処置によるC線維の脱感作モルモットでは、すべての系統でCapsaicinの投与による気道収縮を発現しなかった。なお、脱感作モルモットにおいてもHistamineの静脈内投与に対する気道収縮反応は維持されていた。これらの結果から,気道収縮はC線維の刺激によっても誘発されるが、C線維に対する刺激度が比較的弱い場合には、気道収縮の大部分が中枢を介した迷走神経反射によって発現し、C線維への刺激が強い場合には、末梢における何らかの収縮機序、とくに軸索反射機構が関与している可能性が示唆された。 第5章では、C線維への刺激作用と気道滑筋に対する直接収縮作用を合わせ持つと考えられるブラジキニン(BK)(0.1〜20g/kg)の静脈内投与による気道収縮反応を各系統間で比較検討した。また、第4章におけると同様に両側迷走神経切断ならびにCapsaicin前処置による脱感作モルモットでBKの静脈内投与に対する反応性を調べた。BKの静脈内投与によって、BHS系、BHR系ともに用量依存性の気道収縮反応を示した。投与量が0.5〜20.0g/kgの間で、気道収縮反応はBHS系においてBHR系に比べて有意に高かった。この気道収縮反応はCapsaicinによる脱感作処置ではほとんど抑制されず、迷走神経の切断によってBHS系でのみ有意に抑制された。これらの結果から、C線維の脱感作後にもBKに対する気道収縮反応が生じ、その一部はとくにBHS系においては中枢が関与する迷走神経反射によって生じる可能性が示された。 第6章では、蒸留水のエーロゾル投与に対する気道収縮反応を各系統間で比較検討した。蒸留水は塩素イオンを欠くことや低浸透圧であることが刺激要因となって、気道粘膜に存在する気道受容器を刺激し、反射性の気道収縮をもたらすことが知られている。蒸留水エーロゾルの吸入によって、BHS系のみに有意な1回換気量の減少、気道抵抗の上昇が認められた。また、BHS系における蒸留水エーロゾルで誘発された1回換気量の減少および気道抵抗の上昇は、アトロピンの前処置で有意に抑制された。これらの結果から、BHS系では迷走神経反射による気道収縮反応の効果が顕著に現れることが明らかになった。 以上の成績および考察から、本研究成果を要約すると以下のとおりである。 1.BHS系モルモットは、BHR系およびHartley系モルモットと比較して、非特異的な刺激に対して、気道収縮を起こすための刺激閾値が低く、かつ気道収縮反応性が高い。 2.気道収縮の発現には気道平滑筋自身の感受性の差が存在するが、それらを修飾する要因として、迷走神経ならびにC線維の軸索反射機構が重要に関わっている。 3.とくに、気道過敏系のモルモットであるBHS系では気道過敏症の発現に、迷走神経反射が大きく関わっており、非特異的、生理的刺激因子によっても明瞭な喘息様気道収縮が起こりうることが明らかになった。 4.上記の点から、今回研究対象として用いた気道過敏性モルモットにおける気道収縮機序の一端が明らかになったとともに、喘息の病態発現を考察する上で有益な情報を得ることができた。 |