学位論文要旨



No 114452
著者(漢字) 山際,大志郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤマギワ,ダイシロウ
標題(和) マイルカ科鯨類における系統学的及び比較形態学的研究
標題(洋)
報告番号 114452
報告番号 甲14452
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2060号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 国立科学博物館動物研究部動物第一研究室 研究官 遠藤,秀紀
内容要旨 はじめに

 "マイルカ科鯨類の持つ生物学的多様性から進化の道筋の一端を探る"ことが本論文のテーマである。

 "くじら"は哺乳類でありながら陸上生活を捨て海に戻った変わり種であり、太古の昔から特異な存在として人間の興味を惹いてきた。にもかかわらず"水"という障壁に阻まれてくじらに対する人間の知識はなかなか集積せず、状況は科学の発展したといわれる現代においても何ら変わるものではない。マイルカ科はこのような未知の部分の多い鯨類の中でも最大の科で17属31種からなり、分類の"ごみ箱"と言われるほど多種多様なものが含まれる。このような多種多様な集団は当然バラエティーに富んだ生き方をしているが、ある一定の共通点を持った生物群=共通の祖先を持つ生物群として認識されている。マイルカ科が一つの共通祖先を持つのであれば、いかなる事が彼らに起こり、現在のような多様性を身につけたのであろうか?この謎つまり進化の道筋を探る事は非常に興味深い。この疑問の一端を解決すべく、伝統的な頭蓋の計測と近年主流のDNA解析を同時に行い、分類とそれに対する意味付けを行った。

第1章

 マイルカ科鯨類がのもつ多様性を示すためには、まずマイルカ科の他の哺乳類に対する特異性(特徴)を論じなければならない。そこでまず生物の特徴をもっとも顕著に表していると信じられている頭部を用いて精査を進めた。その後で国立科学博物館所蔵の頭蓋標本約500個体を用いてマイルカ科内各種の特徴(各種間の差異)を明らかにした。マイルカ科の代表としてはハナゴンドウを選んだ。その理由はサイズが手ごろである事と、新鮮な標本を比較的手に入れやすい事である。ハナゴンドウを精査する過程で、頭蓋諸骨諸点の解剖学名を決定した。ハナゴンドウ(ひいてはマイルカ科)の頭蓋における特徴は、1)鼻孔が左方へ変移する。2)テレスコーピングが見られる。3)鼓室-岩様骨が頭蓋から分離している、4)吻基部背法にメロンを容れるメロン窩を見る、5)鼓室に続く含気洞が発達するため頭蓋底に複雑な凹凸を認める、6)頬骨が非常に退化的である、7)鼻道の背方への変移に起因する咽喉頭部の特異な形に合わせ、翼状骨、口蓋骨、鋤骨、蝶形骨、上顎骨で形成される内鼻孔周辺の骨性複合体が複雑な形をする、殊に咽頭切痕と底後頭稜が存在する、8)メロンの発達に起因する眼窩背孔(眼窩下孔)の複数化と発達が見られる、9)同形歯をもつ、10)挙立せず前後に直線状の下顎骨 11)下顎骨における下顎骨窩の存在、などが挙げられた。

 次に各種間の差異と、それによる鑑別点、鑑別方法を詳しく述べた。各種間の差異が大きく出る部位は、1)吻の形と長さ、2)歯の形と大きさ、3)頭蓋頭頂部と鼻孔の背端で作る頭頂隆起の形と大きさおよび角度。4)後頭鱗の発達と後背方への突出の程度、5)メロン窩の形と大きさおよび角度、6)側頭窩の発達の程度とそれに伴う側頭稜の形状、7)側頭骨頬骨突起の形と大きさ、8)翼状突起の形と大きさ、9)前眼窩突起の形と大きさ、等であった。

 これらの結果から、頭蓋のプロポーションを変えている要因として、多くの点が餌を採取する事に関連したものである事が考察された。

第2章

 マイルカ科の分類は伝統的に頭蓋を比較する事で行われてきたが、これは純粋に血縁関係を反映したものではないので、厳密には系統分類とは呼べない。マイルカ科鯨類が共通祖先からどこでどのように変わってきたかを論じるためには、マイルカ科各種間の血縁関係を明確にしないと、頭蓋に見られる変化が血の濃淡によるものなのか、環境への適応によるものなのか判断できない。近年の遺伝子解析技術の発達に伴い系統学の分野にもこの技術が導入され、生物の近縁関係を遺伝子で物語れるようになってきた。これを鑑み、ミトコンドリアDNAの塩基配列を比較する事により、血縁関係の枝=系統樹を作成した。

 この結果によると、マイルカ亜科がはっきりと区別できる一つのグループを作り、その中ではバンドウイルカ属とマイルカ属が近縁でそれに次いでスジイルカ属が近かった。この亜科と近くにセミイルカ亜科が存在し、セミイルカ属間は近かった。またこれとは明瞭に離れて、ゴンドウ亜科が存在し、ゴンドウ亜科の中ではハナゴンドウ属とゴンドウ属が近縁であった。ひときわ興味深い結果を示したのはカマイルカ属の数種のイルカであり、中でもダンダラカマイルカはネズミイルカ科よりも外に飛び出してしまう結果となった。またハナジロカマイルカが同様にカマイルカ属から飛び出してしまう結果も出ていて、カマイルカ属に関しては属の定義を再考する必要がある。

第3章

 1章では頭蓋の形態を事細かに記載したが、2章の結果とこれを比較するためには各種頭蓋の質的形態の差異を客観化しなくてはならない。本研究ではここで三次元デジタイザーを導入した。従来のノギスを使った方法では形質の差あるいは特徴を一次元である2点間の距離に置き換えていたが、三次元デジタイザーを使うと、形質を三次元で扱えるので、よりその生物の形質を説明できる利点がある。この新しい方法で頭蓋の150点あまりのランドマークを計測してやり、そこから重心、角度、固有ベクトル、面と面のなす角度、等を各種間において比較した。

 結果としてマイルカ科鯨類は大きく3つのグループに分かれた。一つは吻が長く、メロンを容れる骨の角度が狭く、窩が相対的に小さいもの。もう一つは吻が短く、メロン窩の角度は広く、窩も大きいもの。最後の一つは形質的には両者の中間だが吻が太く歯が大きく発達したものである。最初のグループにはすべてのスジイルカ属とセミイルカ属およびマイルカ属が入り、二番目のグループにはハナゴンドウ属、ゴンドウ属が入る結果となった。最後のグループにはシャチ属とオキゴンドウ属が入り、割とこれに近いものでカマイルカ属が存在した。

 これらの結果と餌生物の種類およびその摂餌行動との相関を考えてみた。これによると大体の傾向として、はじめのグループのものはあまり深くは潜らず、魚を主体に食する種類のイルカが多く、これらに共通してみられるのは吻が長くメロンの半径が小さいことであった。二番目のグループに属するものは割と深く潜り、イカを主体に食べるものが多く、これらに共通してみられる特徴は吻が短く広く、メロンの半径が大きい事であった。最後のグループのものは明らかにプレデターであり、吻は短めだが厚く、メロンの半径は中程度のものであった。

 これらの結果を系統関係と比較してみると、血はきわめて近縁であるスジイルカ属、セミイルカ属、マイルカ属、バンドウイルカ属、サラワクイルカ属の中でバンドウイルカ属とサラワクイルカ属が一番目のグループから外れていた。この二属は割と浅いところに生息しより大きな物を食する方向に向いて、その他の属は遠海で小魚を獲る方向に別れつつある可能性がある。またカマイルカ属は有意に第二グループに近づいており、本研究の解釈ではイカ食性の深く潜るタイプに近づいていると言えた。この属のものの血縁が遠いとするならば、これらのものは摂餌という環境に対する収斂をよく説明している。

審査要旨

 "マイルカ科鯨類の持つ生物学的多様性から進化の道筋の一端を探る"ことが本論文のテーマである。マイルカ科は未知の部分の多い鯨類の中でも最大の科で17属33種からなるが、単系統である。これらにいついかなる事が起こり、現在のような多様性を身につけたのであろうか?この進化過程を探ることは非常に興味深い。この疑問の一端を解決すべく、伝統的な頭蓋の計測と近年主流のDNA解析を同時に行い、両者の比較から進化過程の説明を試みた。

 第1章 まずハナゴンドウを用いてマイルカ科の頭蓋の特徴を論じ、頭蓋諸骨諸点の解剖学用語を決定した。頭蓋における特徴は、1)鼻孔の左方変移、2)テレスコーピング、3)鼓室-岩様骨の頭蓋からの分離、4)メロン窩、5)鼓室に続く含気洞を容れる頭蓋底の凹窩、6)細い頬骨、7)垂直鼻道と咽喉頭部の特異な形状、殊に咽頭切痕と底後頭翼、8)眼窩下孔の複数化、9)同形歯、10)直線状の下顎骨、11)下顎骨窩、の存在などが挙げられた。

 次にマイルカ科12属17種の頭蓋標本約500個体を用いて、各種の特徴を明確にした。頭蓋において種間の差異が大きく出る部位は、1)吻、2)歯、3)頭頂隆起、4)メロン窩、5)側頭窩、6)側頭骨前頭頬骨突起、7)前眼窩突起、の形状であった。

 これらの結果から、頭蓋の"かたち"を変化させている要因として、多くが摂餌に関連したものであると考察された。

 第2章 マイルカ科の進化を論じるためには、各種間の遺伝的関係を明確にしないと、頭蓋の差異が遺伝的関係によるものなのか、環境への適応によるものなのか判断できない。そこでミトコンドリアDNAの解析により、遺伝的関係の枝=系統樹を作成した。その結果、マイルカ科は5グループに分類された。第1グループにはシワハイルカ、第2グループにはマイルカ、ハシナガイルカ、スジイルカ、マダライルカ、バンドウイルカ、サラワクイルカ、第3グループにはセミイルカ、シロハラセミイルカ、カマイルカ、ハラジロカマイルカ、第4グループにはカズハゴンドウ、ハナゴンドウ、コビレゴンドウ、オキゴンドウ、第5グループにはシャチが区分された。ダンダラカマイルカとハナジロカマイルカが解析方法によって、他と遺伝的に離れて位置した以外は、各グループの構成種は一定で、各グループ内の鯨種同士が遺伝的にごく近縁であり、他のグループとは明確に距離をもっていることが示された。

 第3章 "かたち"と遺伝的関係を比較するため、3Dデジタイザーを用いて各種頭蓋の質的形態の差異を客観化し、重心、角度、固有ベクトル、等をSuper imposing法および主成分分析を用いて検討した。結果としてマイルカ科は5グループに分かれた。第1グループ(マイルカ、ハシナガイルカ、シワハイルカ)は吻が長く、メロンが小さく、小魚を食する。小さなメロンは聴覚の近視を意味し、吻近くの小魚を正確に"聴く"ための適応結果と考察された。第2グループ(スジイルカ、マダライルカ、バンドウイルカ、サラワクイルカ、カズハゴンドウ、セミイルカ、シロハラセミイルカ)は中程度の吻とメロンをもち、多様な餌を食する。このグループは変化に富んだ環境に生活し、それに柔軟に対応できる中間的な形質をもつと考察された。第3グループ(カマイルカ、ハラジロカマイルカ、ダンダラカマイルカ)は短い吻と中程度のメロンをもち、比較的深く潜水し、多様な餌を食する。このグループは比較的深水域での摂餌のため、聴覚の遠視に傾いた傾向にあると考えられた。第4グループ(ハナゴンドウ、コビレゴンドウ)は短めの吻と大きなメロンを持ち、深海域のイカを食する。大きなメロンは深海域を広く聴くための遠視的な適応と考察された。第5グループ(シャチ、オキゴンドウ)は短めな吻と、大きめなメロンを待ち、鯨類をも含めた大きな餌を食する。短い吻と大きな歯は咀嚼力の強化への適応であると考えられた。

 第4章 第2、3章の結果すなわち遺伝的関係と形態の分類を比較検討した。その結果、遺伝的に近縁な同一グループの各鯨種が、食性に関する"かたち"から見ると異なったグループに属したり、逆に遺伝的には距離があるにも関わらず、食性の"かたち"では同一グループに分けられる結果となった。このことから、前者は摂餌といった環境に対する分化、あるいは放散を良く示していて、後者は摂餌環境の類似に対する収斂あるいは並行進化を示していると説明できた。

 本研究ではマイルカ科の進化過程を、ミトコンドリアDNAによる遺伝的関係と、摂餌方式に関わる吻及びメロンの形態の差異から説明することを試み、両者の比較により進化過程の一部を説明できるとの結論に達した。進化を考察する一つの切り口として両者の比較は有用な手段であるといえよう。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の論文として価値あるものと認めた。

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