学位論文要旨



No 114455
著者(漢字) 鄭,燦
著者(英字) Zheng,Can
著者(カナ) ズン,ツァン
標題(和) ブタ乳汁中遊離アミノ酸の生理的意義
標題(洋) Physiological Significance of Free Amino Acids in Porcine Milk
報告番号 114455
報告番号 甲14455
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2063号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 澤崎,徹
 東京大学 教授 酒井,仙吉
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 西原,眞杉
内容要旨

 哺乳類においては、新生仔は生後の一定期間、母体から分泌される乳汁を唯一の栄養源として成長する。乳汁は新生仔の成長に必要な全ての栄養素を含む完全栄養食であるが、その成分は常に一定ではなく、仔の成長に伴う生理的要求量の変化に合わせて変化する。中でも、出生直後に分泌される初乳は、以降に分泌される乳汁とは栄養学的にも免疫学的にも大きくその成分が異なる。ブタ、ウシ、ウマなどの家畜においてはヒトと異なり、母体血中の免疫グロブリンは胎盤を経由して胎仔に移行することはなく、抗体は全て初乳を通して新生仔に供給される。そのため、これらの動物では抗体の消化酵素による分解を防ぐため初乳中に高濃度のトリプシン抑制物質が含まれるほか、生後24〜36時間の間は消化管は未消化のタンパク質を取り込む能力をもっている。一方、初乳や乳汁中には遊離のアミノ酸が含まれているが、とくにタンパク質分解酵素抑制物質の活性が高い時期においては、消化管内環境の調節やあるいはアミノ酸要求を満たす直接的な栄養源として、遊離アミノ酸の果たす役割は大きいものと考えられる。さらに、乳汁中にはタンパク質には含まれないアミノ酸であるタウリンなども存在し、遊離アミノ酸はそれ自体独自の意義を持つ可能性が考えられる。

 成長の早さや飼料効率の高さから極めて重要な食資源動物となっているブタは、消化吸収機構や代謝機構のヒトとの類似性から、栄養学あるいは医学の分野においても重要な実験モデル動物として頻用されている。一方で、ブタは人とは異なり多胎であり、多数の乳頭を持ち、仔ブタ間で乳頭をめぐって競争が行われるという興味深い現象が見られる。より優位の仔ブタは恐らくより「よい乳頭」を選択し、より成長が促進するものと考えられる。多胎であるブタにおいては、乳頭選択の過程で優秀な仔ブタを選抜し劣位の仔ブタを淘汰するという生殖戦略が採られているのではないだろうか。仔ブタが何を基準として「よい乳頭」を選択しているのかは、生殖生物学的にも極めて興味のある問題である。

 以上のような背景から、本論文においてはブタのそれぞれの乳頭から分泌される初乳および乳汁中の遊離アミノ酸に着目し、哺乳期間中の各アミノ酸の動態を詳細に解析した。なお、本論文では分娩後2日までのサンプルを初乳、3日以降のサンプルを乳汁とした。そして、各乳頭から分泌される乳汁の量や遊離アミノ酸の組成が仔ブタの乳頭選択にどのように関与しているかを検討した。さらに、本研究において初乳や乳汁中にはタウリンおよびグルタミンが特に高濃度含まれていることが明らかとなったので、新鮮牛乳を基礎とした代用乳にこれらを加えることにより、仔ブタの生理機能にこれらのアミノ酸がどのような影響を与えているかを追究した。

 第1章では、各乳頭から経時的に採取した初乳および乳汁中の遊離アミノ酸濃度を測定した。その結果、初乳中ではタウリンがもっとも高く (1-2mmol/l)、以降離乳まで高値を保った。他のアミノ酸は初乳中では極めて低値であったが、乳汁中には検出されるようになり、中でもグルタミンは25日間の哺乳全期間にわたってタウリン以外ではもっとも高値であり、また15日以降にはタウリンよりも高値となった(約2mmol/l)。その他のアミノ酸では、グリシンとグルタミン酸が比較的高濃度で推移した(0.7-1.2mmol/l)。初乳においては、乳頭間に遊離アミノ酸濃度の差は認められなかった。しかし、日が経つにつれ、その濃度には乳頭間で次第に大きな差が見られるようになった。乳汁中では、総アミノ酸濃度と、グルタミン、グルタミン酸、およびグリシンの各アミノ酸濃度との間には、いずれも正の相関が認められた。さらに、仔ブタの体重と、その仔ブタが選択した乳頭から分泌される乳汁量、およびその総アミノ酸濃度との間にも正の相関が認められた。すなわち、より大きな仔ブタは、より多量の乳汁、およびグルタミン、グルタミン酸、グリシンなどのアミノ酸が供給される乳頭を選択していることが分かった。これらのことは、乳汁中の遊離アミノ酸が、仔ブタの乳頭選択に大きな役割を果たしていることを示唆している。

 第2章においては、乳頭選択における乳汁中遊離グルタミンの意義について、自動哺乳装置を作成してさらに検討した。この自動哺乳装置は4個の乳頭を持ち、1時間に1回、合図の音の後に10分間乳汁を漏出する。同腹の4頭の仔ブタを用いて、まず2週間1頭づつ特定の乳頭から代用乳を飲ませた(訓練期間)。次いで、4頭を一緒にし、自由に乳頭を選択させた。乳頭選択に際しては、2個の乳頭からは代用乳を、残りの乳頭からはそれぞれ0.25%、および0.5%のグルタミンを含む代用乳を漏出させた。訓練期間の終了後、24時間にわたって仔ブタの行動を観察したところ、最も体重の重い仔ブタは最も頻繁に異なる乳頭を訪れ、最終的に0.5%のグルタミンを含む代用乳出す乳頭を選択した。このことは、仔ブタは乳汁中の遊離グルタミン濃度の違いを識別することができ、最もグルタミン濃度の高い乳汁を好むことを示している。本実験は、乳汁中遊離グルタミンが乳頭選択における生理的シグナルとなっていることを強く示唆するものである。

 第3章では、初乳中の最も高濃度の遊離アミノ酸であるタウリンの新生仔ブタの生理機能に対する意義について検討した。仔ブタは初乳を飲む前に母ブタから離して2群に分け、自動哺乳装置を用いて1群には代用乳を、他群には代用乳にタウリンを0.5%となるように混入したものを与えた。なお、代用乳のタウリン濃度は0.2mmol/l(0.0025%)であった。その結果、最初の胎便の排泄が、タウリン処置群で有意に早かった。さらに、生後2日間における排便回数がタウリン処置群では有意に多かった。それ以降においても、タウリン非処置群ではタウリン処置群と較べて成長の遅延が認められ、また被毛の発育不全が観察された。タウリンは胆汁の主要成分であるタウロコール酸の合成に必須であり、乳汁中のタウリンはタウロコール酸の消化管への分泌を介した脂質の消化促進など、消化管の機能や発達の促進に重要な役割を果たしているものと考えられた。さらに、タウリン欠乏状態ではシステインからタウリンへの代謝が促進されるためシステイン欠乏に陥り、被毛中のタンパク質のSS結合が影響を受けるため被毛の発育不全が起こるのではないかと考えられた。

 第4章においては、最終的に乳汁中で最も高濃度の遊離アミノ酸となるグルタミンの、仔ブタ消化管粘膜の発達に対する影響について検討した。仔ブタを初乳を飲む前に母ブタから離して2群に分け、自動哺乳装置を用いて1群には代用乳にタウリンを0.5%となるように混入したもの、他群にはそれにさらにグルタミンを0.5%となるように加えたものを与えた。仔ブタは下痢の状態を観察してスコア化するとともに、生後14日目に屠殺して消化管の組織標本を作成した。その結果、グルタミン非処置群では頻繁に下痢が起こったが、グルタミンの添加は有意に下痢を抑制する事が分かった。またグルタミン処置群では非処置群と較べて消化管の絨毛が高く、さらに粘膜下のリンパ組織が充実していた。これらの結果より、乳汁中の遊離グルタミンには消化管粘膜上皮細胞の増殖を促進するともに免疫系細胞を活性化し、仔ブタに特有な下痢症を抑制する作用があることが示唆された。

 以上のような本研究の結果より、ブタの初乳および乳汁中に含まれる遊離アミノ酸は、仔ブタの乳頭選択や成長に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。特に初乳において濃度の高いタウリンは新生仔の消化管機能を促進するとともに、以降の体成長の促進にも関与することが示唆された。一方、乳汁においてもっとも高濃度となるグルタミンは、乳頭選択の指標となるとともに、直接消化管機能を促進する作用があるものと考えられた。優位にある仔ブタは比較的早期に高グルタミンの乳汁を分泌する乳頭を選択し、以降は強い吸乳刺激がその乳頭につながる乳腺を刺激し、より質の良い乳汁分泌を促進するというサイクルが成立するのではないだろうか。本研究により得られた多胎のブタにおける初乳・乳汁中遊離アミノ酸の意義に関する知見が、他の単胎や双胎の家畜、あるいはヒトに敷延できるか、比較生物学的な解析を行いたいと考えている。

審査要旨

 哺乳類の新生仔は,生後の一定期間母体から分泌される乳汁を唯一の栄養源として成長する.乳汁は新生仔の成長に必要な全ての栄養素を含む完全栄養食であり,その成分は仔の成長に伴う生理的要求量の変化に合わせて変化する.成長の早さや飼料効率の高さから極めて重要な食資源動物となっているブタは,消化吸収機構や代謝機構のヒトとの類似性から,栄養学あるいは医学の分野においても重要な実験モデル動物として頻用されている.一方で,ブタはヒトとは異なり多胎であり,多数の乳頭を持ち,仔ブタ間で乳頭をめぐって競争が行われるという興味深い現象が見られる.より優位の仔ブタは恐らくより「よい乳頭」を選択し,より成長が促進するものと考えられる.本研究は「多胎であるブタにおいては,乳頭選択の過程で優秀な仔ブタを選抜し劣位の仔ブタを淘汰するという生殖戦略が採られている」との作業仮説をたて,この仮説の当否を検討することを目的に行われた.

 第1章では,各乳頭から経時的に採取した初乳および乳汁中の遊離アミノ酸濃度を測定している.初乳では,乳頭間に遊離アミノ酸濃度の差は認められなかったが,泌乳期が進むにつれ次第に大きな差が見られるようになった.初乳中ではタウリンがもっとも高く(1-2mmol/l),以後離乳まで高値を保った.他のアミノ酸は初乳中では極めて低値であったが,乳汁中には検出されるようになり,中でもグルタミンは25日間の哺乳全期間にわたってタウリン以外ではもっとも高値であり,15日以降にはタウリンよりも高値となった(約2mmol/l).各乳頭から採取したサンプル中の総アミノ酸濃度とグルタミン濃度との間には,正の相関が認められ,さらに,仔ブタの体重とその仔ブタが選択した乳頭から分泌される乳汁量と総アミノ酸濃度あるいはグルタミン濃度との間にも正の相関が認められた.すなわち,より大きな仔ブタは,より多量の乳汁と,総アミノ酸濃度あるいはグルタミン濃度が供給される乳頭を選択していることが分かった.

 第2章では,乳頭選択における乳汁中遊離グルタミンの意義について検討している.自動哺乳装置を作成して生後2週間の体重が異なる4頭の子ブタに4個の乳頭を自由に選択させた.2個の乳頭からは代用乳を,残りの乳頭からは0.25あるいは0.5%のグルタミンを含む代用乳を供給した.24時間にわたっで仔ブタの行動を観察したところ,最も体重の重い仔ブタは,最終的に0.5%のグルタミンを含む代用乳出す,端に位置する乳頭を選択し,以下体重に応じて中央の0.25%のグルタミン,端のグルタミン無し,中央のグルタミン無しの乳頭が選択された.仔ブタは乳汁中の遊離グルタミン濃度の違いを識別することができ,最もグルタミン濃度の高い乳汁,さらに競争者が片方にしか存在しない端に位置する乳頭をを好むと解釈できる成績が得られた.

 第3,4章では,初乳中の最も高濃度の遊離アミノ酸であるタウリン,および最終的に乳汁中で最も高濃度の遊離アミノ酸となるグルタミンの新生仔ブタにおける生理的意義について検討している.仔ブタは初乳を飲む前に母ブタから離して2群に分け,自動哺乳装置を用いてタウリンについては1群には代用乳を,他群には代用乳にタウリンを0.5%となるように混入したものを与え,グルタミンについて1群には代用乳にタウリンを0.5%となるように混入したもの,他群にはそれにさらにグルタミンを0.5%となるように加えたものを与えた.その結果,タウリン非処置群では胎便の排泄が遅れ,生後2日間における排便回数が減少し,成長の遅延が認められた.タウリンは胆汁の主要成分であるタウロコール酸の合成に必須であり,乳汁中のタウリンはタウロコール酸の消化管への分泌を介した脂質の消化促進など,消化管の機能や発達の促進に重要な役割を果たしているものと考えられた.一方非処置群では頻繁に下痢が起こり,生後14日目に屠殺した消化管の組織標本では消化管の絨毛が短く,粘膜下のリンパ組織の発達が極めて悪く,乳汁中の遊離グルタミンには消化管粘膜上皮細胞の増殖を促進するともに免疫系細胞を活性化し,仔ブタに特有な下痢症を抑制する作用があることが示唆された.

 以上のように本研究は,ブタの初乳および乳汁中に含まれる遊離アミノ酸が仔ブタの乳頭選択や成長に重要な役割を果たしていることを始めて明らかにした.すなわち,優位にある仔ブタは比較的早期に高グルタミンの乳汁を分泌する乳頭を競争選択し,以降は強い吸乳刺激がその乳頭につながる乳腺を刺激し,質量とも優れた乳汁分泌を促すことにより,生き残りの機会を増しているものと考えられた.本研究は仔ブタ下痢症の予防など,実用面で大きな示唆を与えるとともに,多胎大型動物としてのブタの生殖戦略に新しい解釈を与えるものとして比較生物学的見地からも高い評価が与えられた.よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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