学位論文要旨



No 114462
著者(漢字) 櫻井,佳子
著者(英字)
著者(カナ) サクライ,ヨシコ
標題(和) in vitro系を用いたGM-CSFシグナル伝達機構の解析
標題(洋) Analysis of GM-CSF signal transduction using in vitro system
報告番号 114462
報告番号 甲14462
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1382号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 客員教授 横田,崇
内容要旨

 顆粒球マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)は、未熟な造血前駆細胞の増殖、分化の促進、生存維持、あるいは種々の成熟血球細胞の機能亢進等、多くの生理活性を有するサイトカインである。GM-CSFの作用は細胞膜上に発現する特異的なレセプターを介して標的細胞内に伝達される。機能的な高親和性GM-CSFレセプターは、鎖および鎖で構成される。GM-CSFの刺激により、初期応答遺伝子c-fos、c-jun、egr-1、c-myc遺伝子の発現誘導、アポトーシスの抑制、細胞増殖の誘導等、様々な細胞応答が引き起こされる。これらのあらゆる細胞応答には、鎖の細胞内膜近傍領域のbox1と称されるモチーフに会合するチロシンキナーゼJAK2の活性化が必須であると考えられている。JAK2の下流のシグナル伝達経路のうち、JAK2により転写因子STAT5がリン酸化されるJAK-STAT経路と、c-fos/egr-1遺伝子の発現誘導に至るRas/Raf/ERK経路がよく知られている。それに対して、c-myc遺伝子の発現誘導、アポトーシスの抑制、細胞増殖の誘導に至るシグナル伝達経路については、いくつかのシグナル因子について関連が示唆されているのみで未だ明らかになっていない。

 本研究では、このような未知のシグナル因子の存在が考えられるシグナル伝達経路を、生化学的手法を用いて解明することを目指し、GM-CSF依存的なシグナル伝達の活性化を試験管内で再構成するin vitro系の開発を行った。GM-CSFレセプターを発現する細胞の膜画分を含む抽出液中で、GM-CSF依存的にシグナル伝達経路を活性化することができれば、抽出液をカラムクロマトグラフィー等により分画し、再構成することによって、そのシグナル伝達経路の活性化因子あるいは抑制因子を分離・精製し、同定することができる。さらに、シグナル因子に対する抗体や合成ペプチド等を抽出液に添加することにより、シグナル因子の機能を解析することが可能である。本研究では、このようなin vitro系の開発を目指し、これまでにJAK-STAT経路の活性化をin vitroで誘導する系を確立した。さらに、この系を用いて、STAT5の活性化機構の解析を行った。

結果1)GM-CSF依存的in vitro系の開発

 従来の細胞内シグナル伝達の研究では、細胞をサイトカイン等で刺激した後にその抽出液を調製し、シグナル因子の活性化を解析する(以下、これをin vivo系と呼ぶことにする)。それに対してin vitro系では、未刺激の細胞から細胞膜を含む抽出液を調製し、試験管内でリガンドに依存したシグナル因子の活性化を誘導する。これまでに、このようなin vitro系を用いたSTATファミリーの転写因子に関する研究がいくつか報告されている。そこで、GM-CSFによるSTAT5の活性化を指標に、in vitro系の開発における条件検討を行った。

 ヒトGM-CSFレセプターを発現させたマウスIL-3依存性細胞株BA/F3から、細胞膜と細胞質画分を含む無細胞抽出液を調製し、この抽出液にヒトGM-CSFを添加してin vitroでの刺激を行った。その後、-カゼイン遺伝子のプロモーター中のSTAT5結合配列をプローブに用いてゲルシフト解析を行い、STAT5のDNA結合能を指標にSTAT5の活性化を調べた。その結果、チロシンホスファターゼ阻害剤sodium orthovanadate、セリン/スレオニンホスファターゼ阻害剤sodium fluoride、およびATP存在下でGM-CSF依存的に、STAT5のDNAへの結合が誘導されることを見いだした。そこで、このin vitro系でのGM-CSFによるSTAT5の活性化が、in vivo(細胞をGM-CSFで刺激した場合)の反応を再現できているかどうか検討を行った。ヒトGM-CSFレセプターを発現していないBA/F3細胞から調製した抽出液では、ヒトGM-CSF添加によるSTAT5の活性化はみられなかった。従って、in vitroでのSTAT5の活性化は、発現させたヒトGM-CSFレセプターを介して誘導されていると考えられる。また鎖細胞内領域のすべてのチロシン残基をフェニルアラニンに置換した変異型鎖(Fall)を発現したBA/F3細胞の抽出液では、in vivoでの結果と同様、GM-CSFによるSTAT5の活性化が著しく減少していた。さらに、ヒトGM-CSFレセプター(野生型)を発現させたBA/F3細胞の抽出液に、GM-CSFレセプター鎖のbox1/box2領域に対する抗体を添加すると、GM-CSFによるSTAT5の活性化が阻害された。これらのことから、in vitro系でのSTAT5の活性化には、in vivo系と同様に鎖のチロシン残基とbox1/box2領域が関与していることがわかった。また抗リン酸化チロシン抗体の添加によりSTAT5の活性化が阻害されたことから、STAT5の活性化の過程に、チロシンリン酸化と、それを介した分子間相互作用が関与していると考えられる。

 JAK2とSTAT5は、チロシンリン酸化により活性化されることが知られている。in vitro系でのJAK2とSTAT5のチロシンリン酸化を調べると、いずれもGM-CSF依存的に誘導されていることがわかった。さらに、このin vitro系における他のシグナル因子の活性化の解析を行った。in vivo系では、GM-CSFによりチロシンホスファターゼSHP-2のチロシンリン酸化、およびそれにともなうGrb2/Ashとの結合が引き起こされ、これらの事象はRas/Raf/ERK経路の活性化につながると考えられている。in vitro系においては、GM-CSF依存的にSHP-2のチロシンリン酸化の誘導がみられたが、SHP-2とGrb2/Ashの結合やその下流のキナーゼRaf-1の活性化はみられなかった。

2)in vitro系を用いたSTAT5活性化機構の解析

 GM-CSFによるSTAT5の活性化機構について、in vitro系を用いてさらに解析を行った。まず、BA/F3細胞の抽出液を膜画分と細胞質画分に分画し、それぞれの画分でGM-CSFによるJAK2とSTAT5の活性化を検討した。膜画分ではJAK2のリン酸化は誘導されたが、STAT5の活性化はみられなかった。一方、細胞質画分ではJAK2、STAT5いずれの活性化も誘導されなかった。膜画分と細胞質画分を再び混ぜ合わせてGM-CSFを添加すると、STAT5を活性化することができた。STAT5は主に細胞質画分に局在することから、GM-CSFにより膜上でJAK2とGM-CSFレセプターの活性化がおこり、STAT5が細胞質から膜上に引き寄せられて活性化がおこると考えられる。

 これまでの鎖変異体を用いたin vivo系での解析から、STAT5の活性化には鎖細胞内領域のチロシン残基が重要であることが明らかになっている。鎖細胞内領域のすべてのチロシン残基をフェニルアラニンに置換したFall変異体では、STAT5の活性化のレベルは野生型に比べて極めて低いが、Fallに個々のチロシン残基を1つあるいは2つ戻した一連の変異体ではいずれもFallに比べて強いSTAT5の活性化が誘導される。STAT5は、チロシン残基にリン酸化依存的に結合するSH2ドメインを有していることから、鎖のチロシン残基がリン酸化されることによりSTAT5の結合部位として機能すると考えられているが、このことは直接には示されていない。そこで、鎖細胞内領域のチロシン残基を含む合成ペプチドを用いて、鎖のチロシン残基のSTAT5活性化における役割について検討を行った。鎖細胞内領域に存在する8カ所のチロシン残基それぞれについて、チロシンリン酸化型と非リン酸化型の合成ペプチドを作製し、BA/F3細胞の抽出液に添加してin vitro系でのSTAT5の活性化に対する影響を検討した。その結果、GM-CSF刺激前にペプチドを添加すると、すべてのリン酸化ペプチドにおいて、STAT5のDNA結合の阻害がみられた。一方、非リン酸化ペプチドでは阻害はみられなかった。これらのリン酸化ペプチドによるSTAT5のDNA結合の阻害は、GM-CSF刺激後にペプチドを添加した場合にもみられた。STATのDNA結合には、チロシンリン酸化部位とSH2ドメインを介した二量体形成が必要であるが、SH2ドメインに結合するリン酸化ペプチドの添加により、一度形成された二量体が解離しDNA結合が阻害されることが報告されている。従って、GM-CSF刺激後のリン酸化ペプチド添加ではSTAT5のチロシンリン酸化は阻害されず、DNA結合のみが阻害されている可能性が考えられた。そこでSTAT5のチロシンリン酸化について解析すると、予想された通り、リン酸化ペプチドをGM-CSF刺激前に添加した時はSTAT5のチロシンリン酸化が阻害されたが、GM-CSF刺激後に添加した時は阻害されなかった。GM-CSF刺激前のリン酸化ペプチド添加によるSTAT5のチロシンリン酸化の阻害は、STAT5のリン酸化に必要な鎖への結合を、ペプチドがSTAT5に結合することにより阻害するためであると考えられる。またGM-CSF刺激後、すなわちSTAT5がチロシンリン酸化を受けた後の、リン酸化ペプチドによるSTAT5のDNAへの結合の阻害は、リン酸化ペプチドがSTAT5のSH2ドメインに結合し二量体形成を阻害することによると考えられる。さらに、これらのペプチドをビーズに結合させ、BA/F3細胞の細胞抽出液からのpull down assayを行うと、すべてのリン酸化ペプチドにおいてSTAT5との結合がみられた。以上の結果から、鎖のチロシン残基がGM-CSFの刺激によりリン酸化を受け、STAT5の結合部位として機能すると考えられる。

孝察

 本研究では、GM-CSF依存的なシグナル伝達経路の活性化を試験管内で再構成するin vitro系の開発を行い、JAK-STAT経路の活性化をin vitroで誘導することに成功した。さらに、STAT5の活性化において、GM-CSFレセプター鎖細胞内領域のチロシン残基がSTAT5の結合部位として機能しうることを示した。様々なサイトカインにおいて、STATファミリーの活性化機構として、レセプターの特定のチロシン残基にSTATが結合することがJAKファミリーキナーゼによるSTATのリン酸化に重要であることが報告されている。STAT5については、JAK2と直接結合する例も報告されているが、GM-CSFによる活性化においては、鎖の複数のチロシン残基がリン酸化を受け、各々STAT5の結合部位として機能し効率的なSTAT5の活性化に寄与すると考えられる。

 今回JAK-STAT経路の活性化がin vitroで誘導できたのに対して、Ras/Raf/ERK経路については、SHP-2のリン酸化の誘導はみられたがその下流のシグナル因子の活性化はみられなかった。これらの因子のin vitroでの活性化には、STAT5とは異なる条件が必要であると考えられる。あるいは、細胞内の高次構造が活性化に必要とされるのかもしれない。今後、抽出液の調製法、反応条件等の検討を行うことにより、c-myc遺伝子の発現誘導、DNA合成、細胞周期の進行、アポトーシス抑制等のシグナル伝達経路のin vitro系を確立できれば、これらの経路の制御機構の解明につながると期待できる。

審査要旨

 顆粒球マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)は、多くの重要な生理活性を有するサイトカインである。GM-CSFの作用は、細胞膜上に発現する鎖と鎖で構成される特異的なレセプターを介して標的細胞内に伝達される。本研究は、GM-CSFレセプターからのシグナル伝達機構を解明するために、試験管内でGM-CSF依存的なシグナル伝達の活性化を誘導するin vitro系の開発を行ったものである。無細胞抽出液中で、GM-CSF依存的にシグナル伝達経路を活性化することができれば、抽出液をカラムクロマトグラフィー等により分画し、再構成することによって、そのシグナル伝達経路の活性化因子あるいは抑制因子を分離・精製し、同定するというアプローチが可能になる。さらに、抽出液に合成ペプチドやシグナル因子の抗体、精製蛋白質を添加することにより、シグナル因子の機能を解析することができるという利点がある。このような、従来のシグナル伝達の研究方法では困難な解析を可能にするin vitro系の開発を試み、下記の結果を得ている。

 1.ヒトGM-CSFレセプターを発現させたマウスIL-3依存性細胞株BA/F3から、未刺激の状態で細胞膜と細胞質画分を含む無細胞抽出液を調製し、これに試験管内でヒトGM-CSFを添加することによりシグナル伝達経路の活性化を誘導できるin vitro系の開発を行った。GM-CSFの刺激によりチロシンリン酸化を受け、活性化する転写因子STAT5のDNA結合能を指標に条件検討を行った結果、in vitroでGM-CSF依存的にSTAT5の活性化が誘導される条件を見いだすことに成功した。抗体を用いた阻害実験など種々の解析から、このin vitro系でのSTAT5の活性化は、in vivoでのそれをよく反映していることが確認された。

 2.これまでの変異型鎖を用いたin vivoでの解析から、GM-CSFによるSTAT5の活性化には鎖細胞内領域のチロシン残基が重要であることが明らかになっており、このことは本研究で確立したin vitro系においても確認できた。そこで、鎖細胞内領域に存在する8箇所のチロシン残基のSTAT5活性化における役割について、in vitro系を用いて解析を行った。8箇所のチロシン残基それぞれについて、チロシンリン酸化型と非リン酸化型の合成ペプチドを作製し、BA/F3細胞の抽出液に添加してin vitro系でのSTAT5の活性化に対する影響を検討した。その結果、GM-CSF刺激前にリン酸化型ペプチドを添加すると、STAT5のチロシンリン酸化およびDNA結合能が阻害された。これに対し、GM-CSF刺激後にリン酸化型ペプチドを添加した場合には、STAT5のチロシンリン酸化は阻害されなかった。さらに、これらのペプチドをビーズに結合させ、BA/F3細胞の細胞抽出液からのpull down assayを行うと、すべてのリン酸化型ペプチドにおいてSTAT5との結合がみられた。これらの結果から、STAT5の活性化において、鎖の各々のチロシン残基がGM-CSFの刺激によりリン酸化を受けてSTAT5の結合部位として機能し、STAT5はレセプターのチロシンリン酸化部位に結合した後にチロシンリン酸化を受け活性化されることが示唆された。

 以上、本論文は、GM-CSF依存的なシグナル伝達経路の活性化を試験管内で誘導するin vitroを開発し、GM-CSFによるSTAT5活性化において鎖のチロシン残基がSTAT5の結合部位として機能しうることを示した。本研究で開発されたin vitro系をさらに発展させることにより、これまでまだ明らかにされていない、GM-CSFによるc-myc遺伝子の発現誘導、DNA合成、細胞周期の進行、アポトーシス抑制等に至るシグナル伝達経路の解明につながると考えられる。従って、本研究は未解明の点が多いGM-CSFのシグナル伝達機構の解明に大きく貢献したと考えられ、学位の授与に価するものと考えられる。

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