学位論文要旨



No 114465
著者(漢字) 陳,志宏
著者(英字) Chen,Zhihong
著者(カナ) チェン,ジホン
標題(和) 卵巣がんにおける抗がん剤誘導アポトーシスのシグナル伝達の解析
標題(洋) Study on Mechanisms of Chemotherapy-induced Apoptosis in Ovarian Cancer Cells
報告番号 114465
報告番号 甲14465
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1385号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 鈴木,紀夫
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 平井,久丸
内容要旨

 化学療法剤や放射線照射など、DNA損傷により癌細胞はアポトーシスを起こして死ぬことが明らかにされてきているが、その分子機構は十分に理解されてはいない。がん細胞の中には、抗がん剤の刺激によって容易にアポトーシスを起こすものと起こさないものがある。一般に白血病細胞は抗がん剤によりアポトーシスを起こしやすく抗がん剤が効きやすいが、固形がん細胞は抗がん剤によるアポトーシスに抵抗性で、臨床においても抗がん剤が効きにくい傾向があることが知られている。このことから、固形がんにおけるアポトーシスのシグナル伝達経路を明らかにすることが、より効果的ながん化学療法の開発に寄与するものと考えられる。本研究では、卵巣がん細胞株OVCAR-3を用いて、抗がん剤によるアポトーシスシグナル伝達にアクチン切断活性を持つcaspase-3が関与すること、また、Mitogen-activated protein kinase(MAPキナーゼ)ファミリーであるapoptosis signal-regulating kinase(ASK1)が抗がん剤によるアポトーシスを制御していることを明らかにした。

1.卵巣がん細胞におけるアクチン切断活性を持つCaspase-3の活性化の関与

 ヒト白血病細胞U937は、抗がん剤処理によってアポトーシスを起こすこと、また、アポトーシスの進行に伴い、細胞質画分にアクチンの切断活性(ACA)が認められることが知られている。そこで私は、抗がん剤刺激によってアポトーシスを起こす固形がん細胞をスクリーニングした。その結果、ヒト卵巣がん由来細胞株OVCAR-3がシスプラチン(cDDP)、エトポシド(VP-16)処理によりアポトーシスを起こすことを見いだした。一方、他の卵巣がん細胞、OVCAR-8は、アポトーシスを起こさなかった(Fig1)。つぎに、OVCAR-3のアポトーシスの際に、U937と同様にACAが検出されるかを検討した。cDDP処理をしたOVCAR-3細胞の細胞質画分を調製し、ACA活性を測定したところ、アポトーシスの進行に伴ってACA活性の上昇が認められた(Fig2)。一方、アポトーシスを起こさないOVCAR-8細胞は、ACA活性が認められなかった。つぎに、ACA活性が何に起因するものかを同定するために、各種caspase阻害剤を用いて、cDDP処理によるACA活性化とアポトーシスの誘導に与える影響を検討した。その結果、caspase阻害剤Z-EVD・Z-VADによってACAおよびアポトーシスの進行が抑制された。この抑制効果は、caspase-1に選択性の高いZ-VADよりcaspase-3に選択性の高い阻害剤Z-EVDのほうが強いことから、ACA活性にcaspase-3が関与していることが予想された(Fig3)。この可能性を検証するために、cDDP処理したOVCAR-3細胞の細胞質分画を抗caspase-3抗体で免疫吸収をおこなうことでACA活性に変化があるかを検討した。その結果、ACA活性の大部分が抑制されたことから、ACA活性は主にcaspase-3に起因するものであると結論された(Fig4)。

2.MAPキナーゼファミリータンパク質ASK1による抗がん剤誘導アポトーシスの制御

 これまでに、いくつかの実験系においてMAPキナーゼファミリーであるJunキナーゼ(JNK/SAPK)やp38MAPKがアポトーシスのシグナル伝達において重要であることが示されている。しかし、これとは異なった結果を報告するグループもあり、現状ではJNK/SAPKやp38MAPKの役割について統一的な見解が得られていない。最近報告された、新規のMAPキナーゼキナーゼキナーゼ(MAPKKK)であるASK1は、少なくとも2つのMAPキナーゼキナーゼ(MAPKK、すなわち、SEK1/MKK4・MKK3MKK6)を活性化する。活性化したSEK1/MKK4・MKK3MKK6は、それぞれJNK/SAPK・p38MAPKをリン酸化して、下流にシグナルを伝達する。ASK1は、腫瘍壊死因子(TNF-)によるアポトーシスの際にアポトーシスのシグナル伝達を行うことが示されている。本研究では抗がん剤による固形がん細胞のアポトーシスにおけるこれらのキナーゼカスケードの関与を検討した。

 前述のとおり、卵巣がん細胞OVCAR-3は、cDDP処理によりアポトーシスを起こす。アポトーシスの進行に伴って、caspase-3のプロセシングが起こり、活性化することが認められた(Fig5)。そこで、アポトーシスの際のASK1、およびその下流に存在するSEK1、MKK3、JNK/SAPK、p38MAPKの活性を調べたところ、caspase-3の活性化に先んじてこれらのキナーゼ活性が上昇していることが示された(Fig6)。また、caspase阻害剤Z-Aspによりアポトーシスを抑制しても、これらのキナーゼ活性化は抑制されなかった。つぎに、ASK1の活性化がアポトーシスの進行やcaspase活性化に与える影響を検討するために、ASK1のキナーゼ活性のドミナントネガティブ変異体を作製し、ヒト腎由来細胞株293Tに導入した。そのトランスフェクタントをcDDPで処理し、ASK1、及びその下流に存在する一連のキナーゼの活性変化を検討した。その結果、cDDP刺激によるASK1、およびSEK1、MKK3、JNK/SAPK、p38MAPKの活性化が、ASK1変異体導入により抑制された(Fig7)。また、同時にcaspase-3の活性化やアポトーシスの進行も抑えられることが示された(Fig8)。これらの結果から、ASK1の活性化は、その下流のSEK1、MKK3、JNK/SAPK、p38MAPKや、caspaseの活性化を制御することで抗がん剤によるアポトーシスのシグナル伝達を行っているものと結論された。

まとめ

 本研究により、抗がん剤によるアポトーシスにおいてASK1を起点としたキナーゼカスケードが重要な役割を果たしていることがわかった。また、このキナーゼカスケードはcaspaseの上流で機能し、最終的にcaspaseの活性化を介して細胞にアポトーシスを起こすことが示された。このように、抗がん剤によるアポトーシスのシグナル伝達を理解することにより、これらアポトーシスを制御する分子を標的にした新しい抗がん剤の開発や、より効果的な化学療法の創成が期待される。

参考文献1.Chen Z.et al.,Cancer Research 56,5224-5229(1996)2.Chen Z.et al.,Oncogene 18,173-180(1999)Fig 1.cDDP induced apoptosis in human ovarian carcinoma OVCAR-3 cellsFig 2.cDDP induced actin-cleavage activity(ACA)in OVCAR-3 cellsFig 3.Z-EVD potently inhibited the actin-cleage activity(ACA)in OVCAR-3 cells induced by cDDPFig 4.Anti-CPP32(caspase-3)immunoprecipitation attenuated the actin-cleage activity (ACA)in OVCAR-3 cells induced by cDDPFig 5.cDDP induced caspase-3(CPP32)activation in OVCAR-3 cellsFig 6.cDDP induced ASK1 pathway kinases activation in OVCAR-3 cellsFig 7.ASK1(KR)inhibited ASK1 pathway kinases activationFig 8.ASK1(KR)inhibited cDDP-induced caspase-3 activation and apoptosis
審査要旨

 多くの抗がん剤は、がん細胞にDNA損傷を誘導し、アポトーシスを起こさせることがその作用機序と考えられている。しかし実際のがん細胞は、抗がん剤の誘導するアポトーシスに耐性を示していることが多く、このことががんの化学療法の問題点の一つとなっている。一般に白血病細胞は抗がん剤によりアポトーシスを起こしやすく抗がん剤が効きやすいが、固形がん細胞は抗がん剤によるアポトーシスに抵抗性で、臨床においても抗がん剤が効きにくい傾向があることが知られている。このことから、固形がんにおけるアポトーシスのシグナル伝達経路を明らかにすることが、より効果的ながん化学療法の開発に寄与するものと考えられる。本研究では、卵巣がん細胞を用いて、抗がん剤によるアポトーシスシグナル伝達に関する研究を行い、以下の結果を得た。

 1.ヒト卵巣がん由来細胞株OVCAR-3がシスプラチンなどの抗がん剤を処理することによりアポトーシスを起こすことを見いだした。一方、他の卵巣がん細胞、OVCAR-8は、アポトーシスを起こしにくいことが分かった。

 2.シスプラチン処理によりアポトーシスを誘導したOVCAR-3細胞の細胞質分画は、ヒト白血病細胞U937で先に報告されていたのと同様にアクチンを切断する活性を持つことが示された。また、アポトーシスに耐性を示すOVCAR-8細胞の細胞質分画は、そのような活性を示さなかった。

 3.シスプラチン処理したOVCAR-3細胞の抽出液からcasapase-3を免疫吸収すると、アクチン切断活性が抑制されたことから、この活性は主にcaspase-3に依るものであることがわかった。また、caspase阻害剤Z-EVDを処理することによりアポトーシスが抑制されることから、OVCAR-3細胞のアポトーシスはcaspase依存的であることが示された。

 4.ヒト白血病U937細胞のアポトーシスの過程においてcaspaseの活性に先立ちJNK/SAPKの活性化が起こることが報告されていたが、本研究ではASK1シグナル伝達経路の卵巣がん細胞のアポトーシスにおける関与を検討した。その結果、ASK1や、その下流に存在するSEK1、MKK3、JNK、p38の活性化がアポトーシスの進行に先立って起こることが示された。

 5.caspase阻害剤存在下、シスプラチンによるOVCAR-3細胞のアポトーシスは抑制されるが、ASK1 pathway kinasesの活性化は抑制されなかった。逆に、ASK1のドミナントネガティブ変異体を一過的に細胞に導入することにより、シスプラチンの誘導するアポトーシスが抑制され、同時にcaspaseの活性化も阻害された。また、下流のSEK1、JNKの活性化も抑制された。このことからASK1シグナル伝達経路がcaspaseの上流で抗がん剤によるアポトーシスに関与することが示された。

 以上のように本論文では卵巣がん細胞の抗がん剤によるアポトーシスにASK1シグナル伝達経路が関与すること、また、この細胞死はcaspase依存的であり、アクチン切断活性を伴うことが示された。以上の結果は、これまであまり研究の進んでいなかった卵巣がん細胞のアポトーシスシグナル伝達の解明に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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