学位論文要旨



No 114467
著者(漢字) 小澤,智
著者(英字)
著者(カナ) オザワ,サトシ
標題(和) ヒト組織球性リンパ腫細胞U-937におけるタモキシフェンによるアポトーシス誘導機構
標題(洋) Tamoxifen induces apoptosis in human histiocytic lymphoma U-937 cells.
報告番号 114467
報告番号 甲14467
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1387号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 吉田,光昭
 東京大学 教授 横田,崇
内容要旨 緒言

 タモキシフェンは乳癌のホルモン療法に多く使用されている抗エストロゲン剤であり、その作用機序は、エストロゲンレセプター(ER)と結合し、エストロゲンの作用を競合的に阻害することによりエストロゲン依存性の乳癌細胞の増殖を抑制すると考えられている。しかしERを欠く乳癌細胞に対しても増殖抑制効果を示すことから、ER非依存性の作用機序の存在が示唆されている。

 タモキシフェンによる増殖抑制にはアポトーシスの関与も報告されているが、ER依存性の作用機序での報告であり、ER非依存性のアポトーシス誘導については報告がない。また、タモキシフェン投与による白血球の減少例の報告があるが、その作用機序はERの関与等、詳細は未解明である。

 タモキシフェンによる白血球の減少には、ER非依存性のアポトーシス誘導の可能性もあり、本研究では、ERを発現していないリンパ腫細胞U-937を用いて、タモキシフェンのアポトーシス誘導能、およびその作用経路について解析した。

材料および方法

 U937細胞はRPMI1640+10%FCSで培養した。細胞を1×106個/mlの濃度で培養し、タモキシフェンを添加後、経時的に細胞を回収した。生細胞数の計測には、WST-1試薬による発色法を用いた。アポトーシス特有の断片化DNAの確認は、細胞から低分子量のDNAを選択的に抽出し、2%アガロースゲルで電気泳動を行い、エチジウムブロミド染色で検出した。カスパーゼ活性は細胞質抽出物に基質としてAc-DEVD-MCA(カスパーゼ-3特異的)あるいはAc-YVAD-MCA(カスパーゼ-1特異的)を用い、プロテアーゼ活性により生成する蛍光物質の量をマイクロプレートリーダーで測定し、pmol/mg proteinで表した。カスパーゼ-3の活性化の確認には、抗活性化カスパーゼ-3抗体を用いたイムノブロットをおこなった。細胞内還元型グルタチオン濃度は蛍光法を用いて計測した。ミトコンドリアにおけるシトクロムcの細胞質への流出はイムノブロットで確認した。また、細胞内での活性酸素種の生成、およびミトコンドリア膜電位の変化はそれぞれDCFDA、およびJC-1を用いた蛍光測定をフローサイトメトリー行った。

結果

 タモキシフェンをU937細胞に添加すると、濃度および時間依存的に生細胞数が減少した(図1-A)。タモキシフェンにより誘導される細胞死がアポトーシスであることは、アポトーシスに特徴的な断片化DNAの検出により確認された(図1-B)。さらに、アポトーシスにおける主要なプロテアーゼであるカスパーゼの活性化を確認するため、特異的基質を用いて調べた。Ac-DEVD-MCAを基質とするカスパーゼ-3の活性化は認められたが、Ac-YVAD-MCAを基質とするカスパーゼ-1の活性は検出されなかった(図2)。カスパーゼ-3の活性化については、活性化カスパーゼ-3特異的抗体を用いたイムノブロット法で、活性化されたP11断片が検出されたことによっても確認された(図3)。カスパーゼ-1はカスパーゼ-3の上流で作用し、カスパーゼ-3を活性化することでアポトーシスを誘導する機構が知られているが、タモキシフェンによるアポトーシス誘導においては、カスパーゼ-3の活性化は、カスパーゼ-1が関与しない経路によることが示唆された。

 タモキシフェンによるアポトーシス誘導では、タモキシフェンの標的分子であるエストロゲンレセプター(ER)を介した作用機序が考えられるが、エストロゲン自身ではアポトーシスは誘導されず、またタモキシフェン添加時にエストロゲンが共存しても競合阻害が認められないことから(図4)、タモキシフェンによるアポトーシス誘導は、ER非依存性であることが確認された。ERはリガンド依存的に遺伝子の転写調節を行う因子であることから、ER非依存性の経路とは、新たな遺伝子発現を伴わない経路である可能性が考えられる。RNA/タンパク質合成の阻害剤の存在下でもアポトーシスが誘導されたことから、タンパク質の新規合成は不必要であることが確認された。

 アポトーシス誘導に伴いミトコンドリアから細胞質へ流出したシトクロムcがカスパーゼの活性化を誘導することが知られているが、タモキシフェン処理後の細胞質内へのシトクロムcの流出を、イムノブロット法で確認したところ、図5に示すように、タモキシフェン添加15分後よりシトクロムcの流出が確認された。さらに、ミトコンドリアの膜電位の変化を調べたところ、タモキシフェン添加15分後には膜電位の低下が見られたことから、ミトコンドリアの膜機能に変化がもたらされている可能性が考えられた。さらに、細胞内の還元型グルタチオン(GSH)濃度の変化を調べたところ、タモキシフェン添加後、GSH濃度は急速に減少していた(図6)。GSH濃度の減少からは細胞内での活性酸素種の発生の可能性を示唆されるが、タモキシフェン添加後の活性酸素種の発生は検出されなかった。

 GSHあるいはN-アセチルシステインを添加することにより、タモキシフェンによるカスパーゼの活性化(図7)、DNAの断片化、およびシトクロムcの細胞質への流出(図8)は抑制された。

図1.タモキシフェンによる細胞死の誘導図2.カスパーゼの活性化図3.カスパーゼ-3の活性化図4.エストロゲンの効果図5.シトクロムcの細胞質への流出図6.細胞内GSH濃度の変化図7.GSHおよびNacによるカスパーゼ-3活性化の抑制図8.GSHおよびNacによるシトクロムcの細胞質への流出の抑制
まとめ

 タモキシフェンはU937細胞にアポトーシスを誘導することが判明した。このアポトーシスは、新規のタンパク質合成を必要とせず、エストロゲンレセプター非依存的に誘導されることが確認された。

 タモキシフェン誘導アポトーシスでは、カスパーゼ-3が活性化されること、その上流で作用するとされるカスパーゼ-1は活性化されないことが判明した。

 タモキシフェン誘導アポトーシスに伴いミトコンドリア内のシトクロムcの細胞質への流出、ミトコンドリアの膜電位の低下が観察されたことから、タモキシフェンの標的器官がミトコンドリアである可能性が示唆される。

 タモキシフェン添加後、細胞内のGSHが減少したが、活性酸素種の発生は認められなかったことから、GSHの減少は細胞内の酸化還元状態の変化以外に、GSHが細胞外へ排出された可能性も示唆される。GSHおよびN-アセチルシステインの添加によりタモキシフェン誘導アポトーシスは抑制されたことからも、GSHの減少がタモキシフェン誘導アポトーシスのキーイベントである可能性が示唆される。

 タモキシフェンによる細胞毒性は、本研究で明らかになったエストロゲンレセプター非依存性のアポトーシス誘導によって惹起される可能性があり、その作用経路はミトコンドリアの膜における機能的あるいは物理的な変化であると考えられる。ミトコンドリアに対するタモキシフェンの作用が直接的なものであるか、あるいはGSHを介した作用であるかについてはさらなる検討が必要である。

審査要旨

 本研究は、乳癌のホルモン療法に使用されている抗エストロゲン剤であるタモキシフェンの、副作用として報告される白血球の減少が、エストロゲンレセプター(ER)非依存的なアポトーシス誘導による可能性を明らかにするため、ERを持たない白血病細胞U-937を用いて、タモキシフェンのアポトーシス誘導能、およびその作用経路について解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.タモキシフェンをU-937細胞に添加すると、濃度および時間依存的に生細胞数が減少し、この細胞死がアポトーシスであることを、アポトーシスに特徴的な断片化DNAの検出により確認した。さらに、アポトーシスにおいて特徴的に活性化されるプロテアーゼであるカスパーゼの活性化を、特異的基質を用いた活性測定、および活性化カスパーゼ-3特異的抗体を用いたイムノブロット法で調べ、カスパーゼ-3の活性化を確認した。カスパーゼ-3の上流で作用するとされるカスパーゼ-1の活性は検出されなかったことから、タモキシフェンによるアポトーシス誘導においては、カスパーゼ-3の活性化は、カスパーゼ-1が関与しない経路によることが示された。

 2.エストロゲン自身ではアポトーシスは誘導されず、またタモキシフェン添加時にエストロゲンが共存しても競合阻害が認められないことから、タモキシフェンによるアポトーシス誘導は、ER非依存性の作用機所であることが示された。また、RNA/タンパク質合成の阻害剤の存在下でもアポトーシスが誘導されたことから、タモキシフェンによるアポトーシス誘導には、タンパク質の新規合成は不必要であることが示された。

 3.タモキシフェン添加15分後より、ミトコンドリアから細胞質内ヘシトクロムcが流出することが、イムノブロット法で示された。さらに、ミトコンドリアの膜電位の変化を調べ、タモキシフェン添加後の膜電位の低下が示された。また、細胞内の還元型グルタチオン(GSH)濃度の変化を測定し、タモキシフェン添加後、GSH濃度が急速に減少することが示された。しかしながら、タモキシフェン添加後の活性酸素種の発生は検出されなかったことから、GSHの減少は細胞内の酸化還元状態の変化以外に、GSHが細胞外へ排出される可能性が考えられた。

 4.タモキシフェンによるアポトーシス誘導時に、GSHあるいはN-アセチルシステインを添加することにより、タモキシフェンによるカスパーゼの活性化、DNAの断片化、およびシトクロムcの細胞質への流出が抑制されることが示された。GSHの減少はタモキシフェン誘導アポトーシスのキーイベントである可能性が考えられた。また、タモキシフェンの作用経路はミトコンドリアの膜における機能的あるいは物理的な変化であると考えられた。

 以上、本論文はU-937細胞において、タモキシフェンによるアポトーシスの誘導機構を解析し、その作用機所がエストロゲンレセプター非依存的で、直接的あるいは間接的にミトコンドリアに作用することを明らかにした。

 本研究はこれまで知見のなかった、タモキシフェンによる細胞毒性のメカニズムの解明に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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