学位論文要旨



No 114469
著者(漢字) 内田,以大
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,イダイ
標題(和) 文字刺激に対するヒト視覚野活動の機能的核磁気共鳴画像法による解析
標題(洋) Activation of Visual Areas during Orthographic Processing Studied with fMRI
報告番号 114469
報告番号 甲14469
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1389号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 杉下,守弘
 東京大学 助教授 伊良皆,啓治
 東京大学 助教授 竹島,浩
 東京大学 講師 小野寺,加代子
内容要旨

 文字の形態的な認識(正字法的認識)は、視覚による言語認識過程の最も基礎的な局面であり、視覚と言語記憶の連合の出発点に当たる重要な側面である。英語圏においては、既にいくつかの正字法的認識活動に関する機能画像を用いた研究がある。我が国では、文字認識に関しては視覚情報処理との接点となる、低次な成分に関しては比較的関心が薄く、正字法的認識に的を絞った脳機能画像研究は、あまり行われてこなかった。以上の状況に鑑み、本研究では機能的磁気共鳴画像法(1.5T,GE-EPI)を用い、正常成人における漢字の文字形態の認識(正字法的認識)に伴う視覚野の活動について検討した。漢字刺激に対する反応と、照度、コントラスト、網膜像の大きさ、視覚的な複雑さを注意深くマッチングさせたコントロール刺激(スクランブル漢字)に対する反応とを比較することにより、文字形態認識にかかわる反応領域について検討し、文字認識の最初期の段階としての、正字法的認識に関わる脳活動について検討した。また、漢字刺激への反応と、ブランクスクリーン(無地黒色の画面)刺激への反応とを比較した実験を行い、低次視覚野での反応を観察することによって、スクランブル漢字がコントロール刺激として十分機能していることを確かめた。

[方法]

 被験者は20才から32才までの健康な右利きの男女6人(男性5人、女性1人)である。被験者は仰臥位になり、プリズム眼鏡を通して足下の透過型スクリーンに映し出された視覚刺激を見る。機能画像撮影は1.5T MRI装置(MRH-1500H、日立メディコ製)上にて、GE-EPI法(TR=2.0s,TE=20ms,flip angle=90,pixel size=3.0×3.0mm2,slice thickness 6.0 mm)を用いた。撮影範囲は、高次視覚野をできるだけ広くカバーするように、Talairachの座標系で、y=53.7mm〜89.7mmの範囲にスライス位置を設定した(要旨図-1)。頭部の動きを検出するために、4撮影単位毎に、T1強調のスピンエコー像を撮影した。太い血管の影響を除くため、MRI血管撮影を行った(3次元フェーズコントラスト、TR=40ms、TE=16ms、フリップ角20度、フェーズシフト=10cm/s、スライス厚さ1.5mm、バルク厚さ36mm)。漢字として用いた刺激は教育漢字1006文字である。スクランブル漢字は、平均の明るさ、コントラストを元の漢字画像と一致させるために、元の漢字画像を縦横3×3の9個のブロックに分割し、それを並べ替えることによって作った。ブロックの移動の際には、網膜上の大きさが変わらないように、元の漢字の外周に接していた部分が、スクランブル漢字でも外周に接するようにし、その範囲でランダムに移動、回転した(要旨-図2)。

要旨-図1要旨-図2:刺激として呈示した漢字、スクランブル漢字の例

 刺激は0.5秒間提示され、0.5秒間のインターバルのあと、次の刺激が提示される。漢字刺激への反応とスクランブル刺激への反応を比較する課題、漢字-スクランブル漢字課題(K-SK課題)の場合、1試行は12秒で、前半の6秒でスクランブル漢字6枚、後半の6秒で6文字の漢字刺激が提示される。前半に呈示されるスクランブル漢字は、後半に呈示される漢字から作られた物となるようにする。漢字刺激への反応とブランクスクリーン刺激への反応を比較する課題、漢字-ブランク課題(K-B課題)の場合、1試行は12秒で、前半の6秒はブランクスクリーンを呈示し続け、後半の6秒で6文字の漢字刺激が提示される。1run(一回に連続して撮影する画像の単位)は12試行からなり、1回の実験で12run加算する。1回の実験で撮影する12runのデータを平均して求められた、1run分の平均データに対し、単純なサイン曲線を標準関数としてgeneral linear model(Worsley and Friston,1995)を適用し、有効自由度と、各voxelごとのt値を求め、有意度を計算した。hemodynamic response functionとして、FWHM=6.6sのガウス関数を仮定した。P<0.001のvoxelを有意なvoxelとし、有意なvoxelが4つ以上連続したとき有意な活性化領域とした。グループ解析を行う際は、各被験者の機能画像を、左半球、右半球を独立に一次変換することによって、脳表とテント面が標準画像に一致するように変形し、全員のデータを平均することによって標準のデータを1run分作成し、上記の方法に従って、個別のデータと同様解析した。

[結果]

 漢字と、対応するスクランブル漢字に対する反応を比較する課題、即ち漢字-スクランブル課題(K-SK課題)により、六人の被験者全てに、左下後頭回付近に、強く反応する領域が見出された。2人の被験者については、両側の下後頭回が活性化していた。個々の被験者では、他に横後頭溝(1名左のみ、2名右のみ、1名両側)、上側頭溝(1名)の活性化が認められたが、全員に共通して活性化が見られた領域は、下後頭回のみであった。さらにこれを確かめるため、グループ解析により、被験者全員のデータによって有意に反応する領域を求めると、左下部後頭回に一致して、唯一の有意な反応領域が認められた(x=-35,y=-80,z=-14、19野)(要旨-図3)。より低次な視覚野には反応は見られなかった。一方コントロールとしてブランクスクリーンを用いた実験、即ち漢字-ブランク課題(K-B課題)では、低次視覚野を含めはるかに広い領域で活性化が認められた。両側の下後頭回の他、両側の鳥距溝、紡錘状回、外側後頭回、舌状回の後半部が活性化した。K-SK課題で活性化されたvoxelは、ほとんどがK-B課題によっても活性化することが確かめられた。K-SK課題とK-B課題に共通して活性化するvoxelに着目すると、K-SK課題における反応は、K-B課題における反応の半分以下であった(要旨-図4の例では、K-SK課題、K-B課題の両方で活性化された左下後頭葉の反応領域内のvoxelの平均画素値の変化率は、K-B課題で1.33%、K-SK課題では0.61%であった)。より低次な視覚野に属する、K-B課題に反応するvoxelを見ると、これらのvoxelはK-SK課題に於いてはほとんど変化が見られなかった。これらにより、スクランブル漢字によるコントロールは、低次の視覚刺激の適切なコントロールとなっていることが確かめられた。

要旨-図3:被験者6人の漢字-スクランブル漢字(K-SK)課題の平均データ。要旨-図4:K-B(漢字-ブランク)課題の活性化マップ。中段のグラフは、画素値の変化率のグラフである。黒がK-B課題、灰色がK-SK課題を示している。

 活性化領域の左右差は、K-B課題では、認められなかったが、K-SK課題では、左半球の活性化領域は、右半球の活性化領域より有意に広かった(p<0.03)。グループ解析に於いては、右半球には有意な活性化領域は認められず、左半球のみに活性化が認められた。

[結論]

 これらの結果は、左下後頭回が、漢字の正字法的な処理に関与していることを示している。

審査要旨

 本研究は視覚による言語認識過程の最も基礎的な局面であると考えられる正字法的認識に伴う脳活動を明らかにするため、機能的磁気共鳴画像法施行しながら、健康成人に視覚的に漢字認知課題を課す系において、文字認識に特異的な脳活動の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.漢字と、対応するスクランブル漢字に対する反応を比較する課題、即ち漢字-スクランブル課題(K-SK課題)により、被験者全てに、左下後頭回に、強く反応する領域が見出された。2人の被験者については、両側の下後頭回が活性化していた。個々の被験者では、他に横後頭溝、上側頭溝の活性化が認められたが、全員に共通して活性化が見られた領域は、左下後頭回のみであった。さらにこれを確かめるため、グループ解析により、被験者全員のデータによって有意に反応する領域を求めると、唯一の有意な反応領域が左下部後頭回に一致して認められた。これらにより、左下後頭回が漢字認識に関与することが示された。

 2.コントロールとしてブランクスクリーンを用いた実験、即ち漢字-ブランク課題(K-B課題)では、低次視覚野を含めはるかに広い領域で活性化が認められた。両側の下後頭回の他、両側の鳥距溝、紡錘状回、外側後頭回、舌状回の後半部が活性化した。K-SK課題で活性化されたvoxelは、ほとんどがK-B課題によっても活性化することが確かめられた。K-SK課題とK-B課題に共通して活性化するvoxelに着目すると、K-SK課題における反応は、K-B課題における反応の半分以下であった。より低次な視覚野に属する、K-B課題に反応するvoxelを見ると、これらのvoxelはK-SK課題に於いてはほとんど変化が見られなかった。これらにより、スクランブル漢字によるコントロールは、低次の視覚刺激の適切なコントロールとして機能していることが確かめられた。

 3.活性化領域の左右差は、K-B課題では、認められなかったが、K-SK課題では、左半球の活性化領域は、右半球の活性化領域より有意に広かった(p<0.03)。グループ解析に於いては、右半球には有意な活性化領域は認められず、左半球のみに活性化が認められた。これによって、正字法的認識特異的な下後頭回の活性化は、強く左優位であることが示された。

 以上、本論文は機能的磁気共鳴画像法を用い、健康なヒト成人において文字認識に特異的な活性化領域を検討することによって、左下後頭回が漢字の正字法的な処理に関与していることを明らかにした。本研究は、これまで比較的注目されてこなかった漢字認識と視覚的な認識の関係について新しい知見を示すことにより、言語認知および視覚認知に関する研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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