学位論文要旨



No 114472
著者(漢字) 佐藤,智美
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,トモミ
標題(和) 新たなストラテジーを用いた行動に関わるゼブラフィッシュ遺伝子の遺伝的地図作成とクローニング
標題(洋) Genetic Mapping and Cloning of a Zebrafish Locomotion-Behavioral Gene by a Novel Strategy
報告番号 114472
報告番号 甲14472
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1392号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 中福,雅人
 東京大学 助教授 竹島,浩
 東京大学 講師 真鍋,俊也
内容要旨 I.序論

 脳・神経系の機能は、精密な神経回路網の形成と密接に関連している。脊椎動物の脳・神経系は高度に組織化され、複雑に絡まった神経細胞のネットワークから構築されており、神経細胞から個体そのものに至るまでの階層的構造を反映した、様々なレベルで解析が行われている。しかし、生体内における脳・神経系の機能の分子機構を明らかにするためには、個体を用いた解析が重要であると考える。なぜなら、脳・神経系の機能そのものが、生体内での回路構造や生理的環境に依存していると考えられるからである。

 一方、遺伝学は様々な生命現象のメカニズムを深く理解する上で非常に有力な手法である。遺伝学的手法はDNA配列の相同性や遺伝子の発現パターンに依存することなく、変異によって失活する遺伝子産物の機能を個体の表現型として観察できる、機能的研究方法であるといえる。事実、いくつかの優れたモデル生物で、遺伝学的手法を用いてこれまでの多くの新たな遺伝子が単離され、様々な生物学的現象の分子機構が明らかにされつつある。

II.背景

 硬骨魚類ゼブラフィッシュは脊椎動物の脳・神経系の形成、機能を解析する上で優れたモデル生物である。ゼブラフィッシュは遺伝学的解析に適したいくつかの特性を備えている。近年、2つのグループによってN-ethyl-N-nitrosourea(ENU)を用いた大規模な変異体作成とスクリーニングが行われ、興味深い表現型をもつ多数の変異体が単離されている。しかし変異遺伝子のクローニングに関しては、既に報告されたいくつかの例を除いて、まだほとんどが実現されていない。なぜなら、ENUは点突然変異を優先的に引き起こす変異源であるため、変異部位の同定と変異遺伝子の単離には多大な時間と労力を要するからである。従って、ゼブラフィッシュを用いて脳・神経系の形成や機能に関わる遺伝子を系統的に探索していくためには、より簡便な遺伝子クローニングの手法を確立する必要があった。

 以上ような背景から、当研究室においてゼブラフィッシュを用いた新たな変異体作成法が確立された。変異源4,5’,8-trimethylpsoralen(TMP)は、Escherichia coliやCaenorhabditis elegansで比較的小さな欠失変異を引き起こすことが報告されている。安藤らにより、TMPはゼブラフィッシュにおいても変異源として有効に作用し、高頻度で変異を引き起こすことが示された。このことは、TMPが大規模な変異体作成をも行える有力な変異源であることを示唆している。また、欠失変異を引き起こし得るというTMPの作用特性は、変異部位を同定しさらには変異遺伝子を単離する上で、有用なマーカーをもたらす可能性があった。本研究では、TMP変異法によって単離されたゼブラフィッシュ変異体j12を用い、変異原因遺伝子をクローニングするための方法論の確立を行った。

III.結果(1)j12変異体の表現型

 j12変異体は、TMP変異法のパイロットスクリーニングにおいて接触応答反射に異常が見られる変異体として単離された。j12変異体は、受精後24時間で形態的には野生型と区別できないにもかかわらず、接触刺激に対する応答に顕著な異常がみられた。野生型では、接触刺激に反応して尾を規則的に左右に振り、体をくねらせる行動をとるのに対し、変異体では、同側のみに不規則に尾を動かした。受精後30時間では接触刺激に対し痙攣を示すようになり、さらに受精後約48時間から体壁筋の筋繊維にわずかな減少が観察された。

(2)GDRDA

 j12変異体から変異遺伝子をクローニングするため、まずTMPが欠失変異を引き起こす可能性に着目し、欠失部位由来のDNA断片を単離することを試みた。Genetically directed representational difference analysis(GDRDA)はPCRを用いたゲノムのサブトラクション法であるRDAを応用した方法である。GDRDAは、集めた野生型(Tester)と変異体(Driver)のゲノムDNAから一定の長さの制限酵素断片を増幅した"amplicon"を作成し(representation)、両ampliconDNA間で存在の異なる制限酵素断片、すなわちTesterにありDriverにないDNA断片(Target)のみを選択的に増幅する。その結果、変異部位に連鎖した領域に由来する制限酵素断片のみがGDRDA産物として単離される。このGDRDA法を行うことにより、制限酵素部位の多型に起因するDNA断片を、変異部位の遺伝的マーカーとして獲得できるだけでなく、直接変異部位由来のDNA断片を単離できる可能性があった。

 j12変異体を用いたGDRDAにより8つのGDRDA産物が単離され、そのうち6つの産物は、サザンブロット解析により、野生型DNAにあり変異体DNAにないという予想される存在パターンに加え、両者に共通したより長いDNA断片を検出するという結果を示した。この結果から、6つのGDRDA産物は、restriction fragment length polymorphism(RFLP)を認識するRFLPマーカーであることが結論された。

(3)j12変異部位の遺伝的地図作成

 GDRDAは変異部位に連鎖したマーカーを選択的に増幅する方法であるため、得られたGDRDA産物はj12変異の近傍マーカーであることが期待された。従って、これらのGDRDA産物について組み換え解析を行い、j12と5つのRFLPマーカーに関する遺伝的地図を作成した。各RFLPマーカーの野生型と変異体のalleleを識別し、j12変異体の中から野生型alleleをもつ組み換え体のみを特異的に検出する方法として、2種類のPCR法、allele-specific PCRとspecific amplified fragment length polymorphism(specific AFLP)を適用した。

 Allele-specific PCRは、多型を示す1塩基の置換を認識するように設定したプライマーでPCRを行う方法である。野生型alleleを特異的に認識するallele特異的プライマーを用いて個々の変異体DNAに対しPCRを行うと、野生型alleleをもった組み換え体でのみバンドが検出される。一方、specific AFLPは、通常ゲノムDNAのfingerprinting法として使われるAFLPプライマーの設計を、野生型alleleのGDRDA産物のみを特異的に増幅するように改良した方法である。従って、組み換え体DNAのみに存在する野生型allele由来のDNA断片を特異的に検出するはずである。

 以上2種類の組み換え解析法を用い、5つのRFLPマーカーについて689半数体ゲノムの遺伝子型を決定した。この結果からj12領域の連鎖地図を構築したところ、変異部位両側0.15cMの近傍に連鎖したRFLPマーカーが存在することが明らかとなった。ゼブラフィッシュでは、物理的距離と遺伝的距離の割合は平均600kb/cMであるため、j12遺伝子は約180kbのゲノム領域内に同定されたことになる。さらに、これら2つのj12近傍RFLPマーカーをプローブとしてゼブラフィッシュbacterial artificial clone(BAC)libraryをスクリーニングした結果、10BACクローンが得られている。

IV.考察

 以上の結果を踏まえると、GDRDAを用いた手法は、従来のポジショナルクローニングの手法よりも迅速に全ゲノム中から連鎖マーカーを単離し変異部位を同定することができる、より効率的な方法であると考える。この新たな手法は、以下に述べる変異遺伝子をクローニングする際のゼブラフィッシュにおける問題点を克服している。第一の問題点として、ゼブラフィッシュ遺伝的マーカーの密度の低さが上げられる。既存の遺伝的地図上のマーカーは、染色体歩行を行うには遺伝的距離が離れ過ぎているため、独自に連鎖マーカーを単離しなければならない。第二に、従来のポジショナルクローニングで連鎖マーカーの検索に用いられるAFLPやrandom-amplified polymorphic DNA(RAPD)法は、全ゲノムの検索に非常に多くのプライマーを必要とする上、ゼブラフィッシュ近交系ABのゲノム中に内在する非連鎖の多型をも検出してしまう可能性がある。一方、GDRDAは既存の遺伝的地図に依存せず、変異部位に緊密に連鎖したマーカーのみを単離することができる方法である。従って、GDRDA法はTMP変異法だけではなく、ENU変異法による変異遺伝子クローニングにおいても十分に有用である。さらにTMP変異法によって得られた変異体の場合、GDRDA法により変異部位由来の断片を直接獲得することができる可能性もある。以上の点を考慮すると、GDRDAを用いた変異遺伝子クローニングの手法は、ゼブラフィッシュにおいて脳・神経系の発生や機能に必須な遺伝子を系統的に単離していく上で非常に有効な手段であると考える。

審査要旨

 本研究は脳・神経系の機能や発生における分子機構を系統的に明らかにするため、4,5’,8-trimethypsoralen(TMP)変異法によって得られた運動に異常を示すゼブラフィッシュ変異体j12から、変異遺伝子をクローニングするための方法論確立を目指したものであり、下記の結果を得ている。

 [1]変異源TMPが欠失変異を引き起こす可能性に着目し、Polymerase chain reaction(PCR)を用いたゲノムサブトラクション法 Representational difference analysis(RDA)により欠失部位由来のDNA断片を単離することを試みた。マウスembryonic stem(ES)cellのゲノムDNAを用いたコントロール実験により、RDAが全ゲノム中から一カ所の配列の相違を検出するのに十分な1.5×107の濃縮を達成できることを示した。

 [2]野生型ゲノムをTester、j12変異体ゲノムをDriverとし、4種類の制限酵素を用いてGenetically directed RDA(GDRDA)を行ったところ、8つのGDRDA産物が単離され、そのうち6つの産物はサザンブロット解析によりrestriction fragment length polymorphism(RFLP)を認識するRFLPマーカーであることが判明した。GDRDAは変異部位の連鎖領域に存在する制限酵素部位の多型に由来する断片を選択的に増幅することから、得られたGDRDA産物はj12変異部位近傍の遺伝的マーカーであることが期待された。

 [3]2種類のPCR法、allele-specific PCRとspecific amplified fragment length polymorphism(specific AFLP)を用いた組み換え体解析を行い、j12locusとRFLPマーカーとの遺伝的距離を測定した。5つのRFLPマーカーについて689半数体ゲノムの遺伝子型を決定しj12領域の連鎖地図を構築したところ、変異部位両側0.15cMの近傍にRFLPマーカーが存在することが明らかとなった。ゼブラフィッシュでは、物理的距離と遺伝的距離の割合は平均600kb/cMであるため、約180kbのゲノム領域内にj12遺伝子を同定した。これら2つのj12近傍RFLPマーカーをプローブとしてゼブラフィッシュbacterial artificial clone(BAC)libraryをスクリーニングした結果、6BACクローンが得られた。

 以上、本論文はGDRDAを用いることによって、迅速に全ゲノム中から連鎖マーカーを単離し変異部位を同定できるより効率的な手法を確立した。GDRDA法は、ゼブラフィッシュにおける変異遺伝子クローニングの問題点を克服し、TMP変異法だけでなくN-ethyl-N-nitrosourea(ENU)変異法においても十分に有用であり、TMP変異法による変異体から欠失部位由来の断片を直接単離できる可能性もある。以上、本研究で開発された変異遺伝子クローニング法は、ゼブラフィッシュにおいて系統的に脳・神経系の機能に必須な遺伝子を単離し、分子機構を解明していく上で重要な貢献を果たすことが期待されるものであり、本論文は学位の授与に値するものと認められる。

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