学位論文要旨



No 114481
著者(漢字) 匂坂,敏朗
著者(英字)
著者(カナ) サキサカ,トシアキ
標題(和) ホスファチジルイノシトール4、5二リン酸ホスファターゼがアクチン細胞骨格系を制御する
標題(洋) Phosphatidylinositol 4,5-Bisphosphate Phosphatase Regulates the Rearrangement of Actin Filaments
報告番号 114481
報告番号 甲14481
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1401号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 助教授 平井,久丸
 東京大学 助教授 菅野,純夫
内容要旨 はじめに

 受容体型チロシンキナーゼは外界シグナルによって活性化され、種々の細胞機能を制御している。現在、受容体型チロシンキナーゼが関与している細胞内情報伝達系において、SH2およびSH3ドメインを有する一群の蛋白質(アダプター蛋白質)が重要な役割を果たしていることが明らかになりつつある。アダプター蛋白質は、SH2ドメインを介して活性化された受容体型チロシンキナーゼに、SH3ドメインを介してプロリンに富む配列を有する蛋白分子に結合し、二つの蛋白質を物理的および機能的に結び付けている。私の所属する研究室では、数年前に新規のアダプター蛋白質としてAsh/Grb2を見い出し、Ash/Grb2がEGFおよびPDGF受容体とRas低分子量G蛋白質の活性制御蛋白質であるSosとの間のアダプター蛋白質として機能していることを明らかにしている。さらに、Ash/Grb2がRas以外の経路で細胞膜のラッフルズを制御していることも明らかにしている。このことから、Sos以外のAsh/Grb2結合蛋白質が細胞膜のラッフルズの制御に関与している可能性が高くなっている。

 そこで、本研究において、私は、新規のAsh/Grb2結合蛋白質をウシ大脳から精製してその一次構造を決定した。この新規のAsh/Grb2結合蛋白質はホスファチジルイノシトール4,5-二リン酸(PIP2)ホスファターゼ活性を有しており、同じ頃全く別の方法で見い出されたラットシナプトジャニンのウシホモログであった。また、Grb2を介して活性型細胞膜受容体に結合したシナプトジャニンは、PIP2の加水分解を介してアクチン調節蛋白質によるアクチン細胞骨格の再編成を制御し、細胞膜のラッフルズを引き起こした。

方法と結果

 Ash/Grb2結合蛋白質を同定する目的で、Ash/Grb2とグルタチオン-S-トランスフェラーゼ(GST)との融合蛋白質であるGST-Ash/Grb2をグルタチオンビーズに結合させてAsh/Grb2-アフィニティーカラムを作成した。このAsh/Grb2-アフィニティーカラムにウシ大脳細胞質画分をかけたところ、Ash/Grb2に特異的に結合する蛋白質が4つ認められた。そのうち、SDS-PAGE上、分子量が約150kDaの蛋白質(p150)を精製してその一次構造を決定したところ、ラットシナプトジャニンのウシホモログであった。シナプトジャニンは、SAC1相同領域、OCRL相同領域、プロリンに富む領域を有している。SAC1は分泌とアクチン細胞骨格を制御していると考えられており、OCRLは伴性劣性遺伝を示すLowe症候群の原因遺伝子産物であり、PIP2ホスファターゼ活性を有することが明らかになっている。そこで、シナプトジャニンの生化学的性状について検討した。シナプトジャニンは、SAC1相同領域とOCRL相同領域を介してアクチンに結合し、プロリンに富む領域を介してAsh/Grb2が結合した。シナプトジャニンは、OCRLと同様PIP2ホスファターゼ活性を有していた。一方、シナプトジャニンの基質となるPIP2は、-アクチニンなどのアクチン調節蛋白質に結合し、アクチン細胞骨格の再編成を制御していることが明らかになっている。また、PDGF刺激によって細胞膜辺縁にラッフルズが起る際、-アクチニンに結合しているPIP2が減少してアクチンの脱重合が起ることが明らかになっている。以上のことから、PIP2ホスファターゼ活性を有するシナプトジャニンが、アクチン調節蛋白質に結合しているPIP2に作用してアクチン細胞骨格の再編成を制御している可能性が高い。そこで、シナプトジャニンのアクチン細胞骨格の再編成に対する影響を検討した。シナプトジャニンをCOS7細胞にトランスフェクションしたところ、アクチンストレスファイバーが消失して多核になり細胞膜辺縁にリング状のラッフルズが認められた。さらに、EGF刺激によって引き起されるラッフルズが増強され、シナプトジャニンはEGF刺激依存性にAsh/Grb2を介してEGF受容体に結合した。しかし、シナプトジャニンのホスファターゼ活性欠損変異体をCOS7細胞にトランスフェクションしてもそのような変化は認められなかった。次に、-アクチニンによるF-アクチンの線維束形成におよぼすシナプトジャニンの影響をfalling ball assayにて検討したところ、シナプトジャニンは-アクチニンによるF-アクチンの線維束形成を阻害した。また、シナプトジャニンのPIP2ホスファターゼ活性に対するアクチン調節蛋白質の影響を検討したところ、シナプトジャニンのPIP2ホスファターゼ活性は-アクチニンなどのアクチン調節蛋白質によって変化しなかった。

考察

 細胞の増殖・分化、細胞運動、細胞接着などの種々の細胞現象に、アクチン細胞骨格の再編成が関与していることが明らかになっている。PIP2は、このアクチン細胞骨格の再編成を制御する因子の一つであり、アクチン調節蛋白質に結合してアクチンの重合脱重合を制御している。PIP2は、PI4-kinaseとPI5-kinaseにより2個のリン酸がPIに結合することで合成される。合成されたPIP2は、PLCによってIP3とジアシルグリセロールとに加水分解されるか、または、PIP2ホスファターゼによってPIPへと加水分解される。現在、これらのPIP2の合成および分解に関与する酵素がPIP2を介してアクチン細胞骨格の再編成を制御している可能性が高くなっており、チロシンキナーゼ系によって活性化されたPLCがアクチン調節蛋白質に結合したPIP2を分解することが明らかになっている。本研究において、私は、ウシ大脳においてPIP2ホスファターゼ活性を有する新規のAsh/Grb2結合蛋白質(シナプトジャニン)を見い出し、シナプトジャニンがプロフィリンやコフィリン、-アクチニンなどのアクチン調節蛋白質に結合しているPIP2を分解することを明らかにした。さらに、PIP2ホスファターゼ活性領域を欠損していないシナプトジャニンが、EGF刺激によりAsh/Grb2を介してEGF受容体に結合して細胞膜辺縁においてラッフルズを引き起こすことも明らかにした。また、私は、Ash/Grb2がシナプトジャニンのPIP2ホスファターゼ活性に影響をおよぼさないことを明らかにした。以上のことから、チロシンキナーゼ-PLC系以外にアクチン調節蛋白質に結合したPIP2を分解する細胞内情報伝達系として、受容体型チロシンキナーゼ-Ash/Grb2-シナプトジャニン系が存在しており、この細胞内情報伝達系においてシナプトジャニンの有するPIP2ホスファターゼ活性がアクチン細胞骨格の再編成の制御に重要であるとが明らかになった。さらに、シナプトジャニンが、EGFの刺激により活性化されたEGF受容体にAsh/Grb2を介して結合し、EGF受容体近傍のアクチン細胞骨格の再編成を制御している可能性が高くなった。

 一方、Rhoファミリー低分子量G蛋白質はアクチン細胞骨格の再編成を制御していることが知られている。このRhoファミリーに属するRacが、PIP2の合成・分解に関与しているPI-5-キナーゼやPI-3-キナーゼに作用し、アクチン細胞骨格の再編成を制御していることが明らかになりつつある。現在、シナプトジャニンのPIP2ホスファターゼ活性の制御機構については不明であるが、RacがシナプトジャニンのPIP2ホスファターゼ活性の活性制御にも関与している可能性がある。今後、アクチン細胞骨格の再編成におけるRacを含めたRhoファミリーによるシナプトジャニンの活性制御機構について検討していきたいと考えている。

審査要旨

 本研究は、チロシンキナーゼ系の下流で働くアダプター蛋白質であるAsh/Grb2の細胞骨格系への影響を明らかにするために、Ash/Grb2結合蛋白質をウシ大脳から精製し、その結合蛋白質が細胞骨格系にどう関与しているかを解析したものであり、以下の結果を得ている。

 1.Ash/Grb2結合蛋白質を同定する目的で、Ash/Grb2とグルタチオン-S-トランスフェラーゼ(GST)との融合蛋白質であるGST-Ash/Grb2をグルタチオンビーズに結合させてAsh/Grb2-アフィニティーカラムを作成した。このAsh/Grb2-アフィニティーカラムにウシ大脳細胞質画分をかけたところ、Ash/Grb2に特異的に結合する蛋白質が4つ認められた。そのうち、SDS-PAGE上、分子量が約150kDaの蛋白質(p150)を精製してその一次構造を決定したところ、ラットシナプトジャニンのウシホモログであった。

 2.シナプトジャニンは、SAC1相同領域、OCRL相同領域、プロリンに富む領域を有している。SAC1は分泌とアクチン細胞骨格を制御していると考えられており、OCRLは伴性劣性遺伝を示すLowe症候群の原因遺伝子産物であり、PIP2ホスファターゼ活性を有することが明らかになっている。そこで、シナプトジャニンの生化学的性状について検討した。シナプトジャニンは、SAC1相同領域とOCRL相同領域を介してアクチンに結合し、プロリンに富む領域を介してAsh/Grb2が結合した。シナプトジャニンは、OCRLと同様PIP2ホスファターゼ活性を有していた。

 3.シナプトジャニンをCOS7細胞に発現させたところ、アクチンストレスファイバーが消失して多核になり細胞膜辺縁にリング状のラッフルズが認められた。

 4.シナプトジャニンを発現しているCOS7細胞にEGF刺激を加えると、ラッフルズが増強し、シナプトジャニンはEGF刺激依存性にAsh/Grb2を介してEGF受容体に結合した。しかし、シナプトジャニンのホスファターゼ活性欠損変異体を発現しているCOS7細胞では、そのような変化は認められなかった。

 5.-アクチニンによるF-アクチンの線維束形成におよぼすシナプトジャニンの影響をfalling ball assayにて検討したところ、シナプトジャニンは-アクチニンによるF-アクチンの線維束形成を阻害した。また、シナプトジャニンのPIP2ホスファターゼ活性に対するアクチン調節蛋白質の影響を検討したところ、シナプトジャニンのPIP2ホスファターゼ活性は-アクチニンなどのアクチン調節蛋白質によって変化しなかった。

 以上、本論文は、アクチン調節蛋白質に結合したPIP2を分解する細胞内情報伝達系として、受容体型チロシンキナーゼ-Ash/Grb2-シナプトジャニン系が存在し、この細胞内情報伝達系においてシナプトジャニンの有するPIP2ホスファターゼ活性がアクチン細胞骨格の再編成の制御に重要であることを明らかにした。本研究は、受容体型チロシンキナーゼ系の下流に存在する新たなアクチン細胞骨格の制御機構を見い出したものであり、チロシンキナーゼ系の細胞内情報伝達系の研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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