学位論文要旨



No 114482
著者(漢字) 長野,光司
著者(英字)
著者(カナ) ナガノ,コウジ
標題(和) ホスホリパーゼC(PLC)4の新規スプライシングアイソフォームはPLCの負の制御因子である。
標題(洋) A novel phospholipase C (PLC)4splicing isoform as a negative regulator of PLC.
報告番号 114482
報告番号 甲14482
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1402号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 池田,日出男
 東京大学 助教授 古市,貞一
 東京大学 助教授 井上,純一郎
内容要旨

 ホスホリパーゼC(PLC)は、ホスファチジルイノシトール-4,5-ビスリン酸(PIP2)を加水分解して、イノシトール-1,4,5-三リン酸(IP3)およびジアシルグリセロール(DAG)を産生する酵素である。受容体刺激によるPLCの活性化により産生されたIP3は細胞内カルシウム濃度を上昇させ、DAGはPKCを活性化する。この経路はイノシトールリン脂質シグナリングにおける一つの主要なシグナル伝達経路として知られており、イノシトールリン酸ホスファターゼによるIP3の脱リン酸化およびDAGキナーゼによるDAGのリン酸化がこのシグナル伝達経路を終了させると考えられている。しかしながら、PLCによって2つのシグナルは同時に伝わるので、これらの経路を同時に終了させるもの、すなわちPLCの負の制御機構も存在する可能性が示唆される。

 PLC4は発現している組織や細胞が限局されており、増殖因子などの刺激によって、発現が誘導されるといった特徴を持つ。またALTI、ALTIIという2つのスプライシングアイソフォームが存在することも知られている。本研究ではこうしたスプライシングアイソフォームの存在意義を解明するため、PLC4の活性制御機構にどう関与しているかを解析することを試みた。まず別の新たなアイソフォームの存在を検討した。5’末端および3’末端の非翻訳領域の配列をもとにプライマーを作製し、PLC4の発現量が多い精巣のtotal RNAをテンプレートとして、RT-PCRを行い、シーケンス解析した。その結果、今までに報告されているPLC4,ALTI,ALTIIの他に新しいアイソフォームをコードするクローンを得ることができた(ALTIII)。ALTIおよびALTIIは、触媒領域であるXドメインとYドメインの間のリンカー部位に32アミノ酸および14アミノ酸がそれぞれ挿入されているのに対し、ALTIIIでは触媒領域のXドメインの後半から、リンカー部位をほとんど含む63アミノ酸がALTIの32アミノ酸からなる挿入配列に置き換わっていた。これまでにも、PLCの中でスプライシングアイソフォームを持つものとして、ショウジョウバエのPLCであるnorpAやplc21、またPLC1,PLC4などが報告されているが、これらは全て、触媒領域の外でスプライシングによる変化が起きている。従って、ALTIIIは触媒領域の中でスプライシングによる変化が起こっている初めての例である。

 ALTIIIの発現量はほとんどの組織、細胞においてPLC4に比べて低いが、マウス神経芽腫細胞であるN1E-115細胞においては顕著に高く、またマウス胚性腫瘍細胞であるp19においては、通常、発現量は低いが、レチノイン酸で神経細胞に分化させたものでは顕著にその発現量が高くなっていた。このことからALTIIIはある種のがん化した神経細胞で特異的な役割を果たしていることが示唆される。

 ALTIIIが触媒領域にスプライシングを受けていることから予想されるように、ALTIIIは実際に酵素活性を持っていなかった。またCOS7細胞に過剰発現させたPLC4の酵素活性は、ALTIIIを共発現させることによって阻害された。一方、これまでに単離されているALTIやALTIIでは阻害されなかった。

 また、in vivoにおいても同様の阻害効果がみられるのかを解析するため、レトロウイルスによる発現系を用いて、NIH3T3細胞にPLC4を過剰発現することによるIP3量の増加がALTIIIの共発現によって阻害されるかどうかを検討した。その結果、ALTIIIはin vivoにおいてもPLC4の活性を阻害することが見い出された。さらに、この阻害効果はPHドメインを単独で発現させただけでも完全に抑制されたが、PHドメインを欠いた変異体では、全く阻害されなかった。このことから、ALTIIIによる阻害作用にはPHドメインが必要かつ十分であることが示された。

 PHドメインはイノシトールリン脂質に結合することによって、膜へ局在させる働きを持つことが知られており、PHドメインをもつタンパク質が機能する上で非常に重要な役割を担っている。また、さまざまなタンパク質のPHドメインはそれぞれ異なったイノシトールリン脂質に対する結合の特異性を持っており、その特異性の違いによって、いくつかのグループに分けられる。例えば、PLC1のPHドメインはPIP2,IP3に選択的に結合し、PIP2との結合によって膜へ局在することで活性化し、IP3との結合によって膜から離れて、不活化することが知られている。ALTIIIのPHドメインによるPLC活性の阻害にもイノシトールリン脂質との結合が重要であると考えられたので、次にALTIIIPHドメインのイノシトールリン脂質およびイノシトールリン酸に対する結合能を検討した。ALTIIIのPHドメインをコードするGST融合組み換えタンパク質を大腸菌を用いて発現させて、解析したところ、PIP2およびPIP3に対して選択的に結合することが明らかとなった。一方、PI,PIP,IP3,IP4に対しては全く結合しなかった。従って、ALTIIIによるPLC活性の阻害はPHドメインを介したPIP2との結合による競合的な阻害によるものである可能性が考えられた。実際、バキュロウイルスを用いて発現させたPLC4,ALTIIIタンパク質あるいは大腸菌を用いて発現させたALTIIIPHドメイン,X-Yドメイン,さらにPIP2に対する親和性が低いALTIIIPHの変異体R36Gを用いて、in vitroにおける阻害効果を検討したところ、in vivoの結果と同様、ALTIIIおよびALTIIIPHがPLC4の酵素活性を阻害したが、一方でR36G変異体は全く阻害しなかった。このことからALTIIIの阻害作用にはPHドメインへのPIP2の結合が、必要不可欠であることが明らかとなった。

 さらに、ALTIIIが他のPLCを阻害するかについて検討した。まず、牛脳から精製したPLC1,1,1を用いてin vitroにおける阻害効果を解析したところ、PLC1の活性を阻害し、PLC1の活性を若干抑制し、PLC1に対しては影響がないことが見い出された。。このことから、ALTIIIはPLCタイプを特異的に阻害することが明らかになった。PLCのアイソザイムによって感受性が異なることから、ALTIIIによる阻害は単に基質としてのPIP2を競合的に阻害することによるものではないと考えられる。各アイソザイムに対する阻害効果の違いは、おのおののPHドメインのPIP2結合能を反映している。すなわち、PLC1はPIP2に対する親和性が高く、PLC1はPIP2よりもPIP3に親和性が高い。一方、PLC1はイノシトールリン脂質に対する結合の特異性がない。従って、ALTIIIは、おそらくPHドメインにPIP2が結合することによるPLC1の活性化を主に阻害しているのであろう。言い換えれば、PLC1のPIP2依存的な活性化機構がALTIIIに対する高い感受性を生み出しているのであろう。

 次にin vivoにおいても同様の結果が得られるか検討するため、レトロウイルスを用いて、NIH3T3細胞にPLC1を過剰発現させ、これに対するALTIIIの共発現の影響を調べたところ、PLC1を過剰発現させることによるIP3量の増加はALTIIIにより阻害されることが見い出された。このことから、ALTIIIはPLC1の酵素活性をin vitroおよびin vivoどちらにおいても阻害することが明らかとなった。一方、PLCを活性化することが知られている、ブラジキニンあるいはPLCを活性化することが知られている血小板由来増殖因子(PDGF)の刺激によるIP3量の増加が、ALTIIIの過剰発現によって抑制されるかどうか検討したところ、in vitroの結果とは対象的に、ALTIIIはブラジキニン、PDGF刺激によるPLCの活性化を抑制した。in vitroにおける結果から、ALTIIIがPLCおよびを直接阻害することは考えにくいため、in vivoにおける抑制は、間接的にこれらのPLCに影響を与えた結果であろう。すなわち、PIP2依存的に膜へ局在する分子がALTIIIにより阻害され、結果としてこれらのPLCの活性を抑制したものと推察できる。以上の結果より、本研究においてPLC4の新規スプライシングアイソフォームALTIIIはPLCを直接あるいは間接的に負に制御する因子として働き、その作用にはPHドメインが必要不可欠であることが示された。ALTIIIの発現パターンから、この働きはある種の神経細胞に特異的に起こっている現象であると推察できる。

審査要旨

 本研究はホスホリパーゼC(PLC)4の新規スプライシングアイソフォーム(ALTIII)を単離し、これがPLCの活性制御機構にどう関与しているかを解析したものであり、以下の結果を得ている。

 1.PLC4の5’末端および3’末端の非翻訳領域の配列をもとにプライマーを作製し、PLC4の発現量が多い精巣のtotal RNAをテンプレートとしてRT-PCRを行い、シーケンス解析したところ、今までに報告されているPLC4,ALTI,ALTIIの他に新しいアイソフォームをコードするクローンを得ることができた(ALTIII)。ALTIIIは触媒領域のXドメインの後半から、リンカー部位をほとんど含む63アミノ酸がALTIの32アミノ酸からなる挿入配列に置き換わっているものであった。

 2.PLC4アイソフォームの組織、細胞における発現をウエスタンブロッティングおよびRT-PCRにより解析したところ、ALTIIIの発現量はほとんどの組織、細胞においてPLC4に比べて低いが、マウス神経芽腫細胞であるN1E-115細胞においては顕著に高く、またマウス胚性腫瘍細胞であるp19においては、通常、発現量は低いが、レチノイン酸で神経細胞に分化させたものでは顕著にその発現量が高くなっていることが見い出された。このことから、ALTIIIはある種の神経細胞においてなんらかの機能を担っていることが推察された。

 3.ALTIIIが触媒領域にスプライシングを受けていることから予想されるように、ALTIIIは実際に酵素活性を持っていなかった。またPLC4を過剰発現したときの酵素活性は、これまでに単離されているALTIやALTIIを共発現させても影響はなかったが、ALTIIIを共発現させることによってin vitroおよびin vivoにおいて阻害されることが見い出された。

 4.ALTIIIの阻害効果はPHドメインを単独で発現させただけでも完全に抑制されたが、PHドメインを欠いた変異体では、全く阻害されなかった。このことからALTIIIによる阻害作用にはPHドメインが必要かつ十分であることが示された。

 5.ALTIIIPHドメインのイノシトールリン脂質およびイノシトールリン酸に対する結合能を検討するため、ALTIIIのPHドメインをコードするGST融合組み換えタンパク質を大腸菌を用いて発現させて解析したところ、PIP2およびPIP3に対して選択的に結合することが明らかとなった。一方、PI,PIP,IP3,IP4に対しては全く結合しなかった。

 6.バキュロウイルスを用いて発現させたPLC4,ALTIIIタンパク質あるいは大腸菌を用いて発現させたALTIIIPHドメイン,X-Yドメイン,さらにPIP2に対する親和性が低いALTIIIPHの変異体R36Gを用いて、in vitroにおけるALTIIIの阻害効果を検討したところ、in vivoの結果と同様、ALTIIIおよびALTIIIPHがPLC4の酵素活性を阻害したが、一方でR36G変異体は全く阻害しなかった。このことからALTIIIの阻害作用にはPHドメインへのPIP2の結合が、必要不可欠であることが明らかとなった。

 7.ALTIIIが他のPLCを阻害するかについて検討するため、牛脳から精製したPLC1,1,1を用いてin vitroにおけるALTIIIの阻害効果を解析したところ、PLC1の活性を阻害し、PLC1の活性を若干抑制し、PLC1に対しては影響がないことが見い出された。このことから、ALTIIIはPLCタイプを特異的に阻害することが明らかになった。一方、in vivoにおいてはALTIIIはPLC-,-,-タイプのいずれのアイソザイムも阻害することが明らかになった。

 以上、本論文はPLC4の新規スプライシングアイソフォームALTIIIを単離し、これがPLCの負の制御因子として働くことを明らかにした。本研究はPLCの新たな負の制御機構を見い出したものであり、イノシトールリン脂質シグナリングに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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