はじめに 血管内皮細胞増殖因子VEGFは血管透過性因子VPFとも呼ばれ、種を越えてよく保存されている。二量体として形成され、分子量は34〜46kDaである。VEGFは主に、血管内皮細胞に特異的に発現している受容体Flt-1とKDR/Flk-1に作用することにより、血管新生と血管透過性を促進すると考えられている。 血管新生は性周期などの生理的状況や、創傷治癒、腫瘍の進展などの病的状態において必須の事象である。多くの固形腫瘍でVEGF遺伝子の高発現が報告されている。しかも、一部の腫瘍ではVEGF mRNAレベル、腫瘍血管新生の密度、腫瘍転移能および患者の死亡率の間に、緊密な相関関系の存在が観察されている。さらに、動物モデルで抗VEGF療法により固形腫瘍の増殖と転移が抑制されると同時に腫瘍関連血管の密度や血管透過性も下がる例が数々報告されている。一方、VEGFは一部の腹水腫瘍で発現が報告されているが、具体的にVEGFがどれほど重要であるか、未だはっきりしていない。そのために、本研究ではこの点についてマウス腹水癌モデルを用いて分子生物学的及び分子治療学的検討を行い、以下の知見を得ることができた。 1.マウスVEGF測定法の開発 本研究の始まった時点では、マウスVEGFの簡便な測定法がなかったため、まずマウスVEGF測定法の開発を試みた。マウスVEGFのN末端側(APTTEGEQKSHEVIKFMDVYQRSYC)に対するポリクローナル抗血清を調製したのち、アフィニティクロマトグラフィーによる精製を行い、マウスVEGFに特異的に認識する抗体を得た。この抗体を96ウエルプレートに吸着させ、ブロッキング緩衝液によりブロックさせた後、段階的に2倍希釈されたVEGF標準溶液(0〜3,000pg/ml)、又は希釈された腹水溶液を反応させた。反応終了後、125I-Flt(ヒトFlt-1蛋白質細胞外ドメイン)溶液を分注し、ウエルプレートに抗VEGF抗体により捕獲されたVEGFと結合させ、最後に線カウンターにより各ウエルの放射線量の測定を行った。 以上のように作成したラジオレセプターVEGF測定法は特異性が高く、また高感度であった。CV値は6%より以下で、感度は6pg/mlである。 2.マウス癌性腹水中のVEGFの検出 上記の方法を用いて、13種マウス癌性腹水中のVEGFの測定を行ったところ、すべての腹水サンプルからVEGFが検出された。高濃度(168〜850ng/ml)VEGFの腫瘍は7種:肉腫5種、癌腫2種であった;中濃度(38〜83ng/ml)VEGFの腫瘍は2種:癌腫1種、形質細胞腫1種であった;低濃度(6〜23ng/ml)VEGFの腫瘍は4種:リンパ種2種、白血病1種、肥満細胞腫1種であった。興味ある点は、癌腫と肉腫由来の腹水癌細胞株においてはVEGFレベルが非常に高いのに対して、血液腫瘍由来の株においてはVEGFレベルが相対的に低いことであった。 以上の測定結果は抗マウスVEGF抗体で行った免疫沈降-Western Blottingの結果と一致した。さらに血管内皮細胞増殖測定法及び血管透過性測定法(Mile’s assay)により、乳癌由来のMM2と形質細胞種のX5563腹水から粗精製したVEGFは生物活性を持つことが確認された。 3.癌性腹水中のVEGFの由来及び特徴 癌性腹水中に蓄積したVEGFはどこから分泌されたかを調べるために、抗マウスVEGF抗体にて腫瘍cell lysateの免疫沈降-Western Blottingを行った。全例の腫瘍cell lysateにVEGF蛋白質の存在が認められた。さらにNorthern blot法とRT-PCR法により全例の腫瘍細胞にVEGF遺伝子の発現が認められた。以上の結果より癌性腹水中に蓄積したVEGFの大部分は腫瘍細胞から産生されたことが明らかとなった。 次にVEGF遺伝子の発現がほとんどの固形腫瘍細胞のように低酸素状態で誘導されるかについて予備実験を行った。幾つかの腫瘍の上清中又はcell lysate中のVEGFレベルを腫瘍細胞が腹腔内で増殖する場合と正常酸素(20%)でin vitro培養する場合とでを比較したところ、顕著な差がなかった。癌性腹水の中晩期の腹腔内は低酸素状態とされているので、この予備実験の結果は腹水腫瘍と固形腫瘍におけるVEGF遺伝子の発現調節の違いを反映している可能性が示唆された。 マウスVEGFはスプライシングの差により3種のサブタイプ、VEGF120、VEGF164、VEGF188が存在する。VEGF120は遊離型で、VEGF164は細胞表面のヘパリン様物質に結合する膜結合型で、VEGF188はVEGF120とVEGF164との中間タイプである。腹水中に蓄積したVEGFのヘパリン結合性や腫瘍細胞VEGF遺伝子の定量的RT-PCRの結果より、腹水腫瘍と固形腫瘍におけるVEGF遺伝子の発現パターンはほぼ同様であることが明らかとなった。すなわち、VEGF164は主要で、VEGF120はその次で、VEGF188は極めて少ない。 4.腹水中のVEGFの濃度と担癌マウス腹壁の血管密度との相関 腹水中のVEGFの濃度は担癌マウス腹壁の血管密度との間に基本的に相関関系が存在するが、例外もあった。例えば、肝癌MM2と肉腫S180はいずれも腹水中のVEGFの濃度が高いにもかかわらず、その担癌マウス腹壁の血管密度はそれほど高くない。一方、肥満細胞腫P815の腹水中のVEGFの濃度が相対的に低いのに、その担癌マウス腹壁の血管密度は意外に高い。これは腹水中のVEGFの濃度と担癌マウス腹壁の血管新生の間に複雑な関係が存在することを示唆している。 5.マウス癌性腹水におけるVEGFの役割の特定 これまでに、マウス癌性腹水中に活性のあるVEGFが存在することを示したが、腹水中のVEGFの濃度に腫瘍により大きな差が認められ、またほかの血管透過性因子の関与などの可能性があるので、マウス癌性腹水においてVEGFがどれほど重要であるか、という疑問が未だ残っている。そこでマウス癌性腹水におけるVEGFの役割を直接的に証明するために、同系マウス腹水癌の2株、すなわち、腹水中に高濃度のVEGFが蓄積し、腹壁浸潤性の弱い乳癌MM2と、低濃度のVEGFが蓄積し、浸潤性の強いGardnerリンパ腫OGを対象として、抗VEGF中和抗体の治療効果を検討した。 まず、二つの腫瘍モデルで、腫瘍細胞をマウス腹腔内に移植してから、腹腔内に蓄積した腹水量、VEGF量及び腫瘍細胞数の三者の経時的変化を調べた。三者とも時間が経つにつれて相関的に増えたことが判明した。 そして、抗VEGF中和抗体はMM2とOGのcell-free腹水による血管内皮細胞増殖促進及び血管透過性亢進活性を抑制するかどうかを検討した。抗VEGF中和抗体はMM2のcell-free腹水による血管内皮細胞増殖促進及び血管透過性亢進活性を相当に抑制できたが、完全ではなかった。これに対して、抗VEGF中和抗体はOGのcell-free腹水による血管内皮細胞増殖促進及び血管透過性亢進活性をほぼ完全に抑制した。 最後に、抗VEGF中和抗体がMM2とOG細胞に対して、全く毒性がないことを確認した上、中和抗体によるMM2とOGの治療を試みた。上記に調べた腹腔内に蓄積してきたVEGF量の20(MM2)または40(OG)倍(モル比)の中和抗体又は対照とするIgGを腹腔内に8日間連続投予した。その結果、期待通り抗VEGF中和抗体はMM2腹水癌に対して強い抑制効果を示したが、驚いたことに、OG腹水癌においては、その有効性がほとんど認められなかった。これらの効果の相違は腹水中に存在するVEGFが抗体に中和される程度や抗体に対する宿主免疫反応の差異によるものではないことが判明した。 結論 本研究において、私は感度の良いマウスVEGF測定法を開発し、検討したすべてのマウス癌性腹水中に活性のあるVEGFが蓄積していることを見い出した。二つの腫瘍モデルで抗VEGF中和抗体の治療効果から、癌腫由来などの浸潤性の弱い腫瘍の腹水貯留においては、VEGFによる透過性亢進が重要であるが、浸潤性の強いリンバ腫の腹水貯留においては、VEGFだけでなく、VEGF以外の要因も重要であることが強く示唆された。 |