学位論文要旨



No 114484
著者(漢字) 今井,順一
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,ジュンイチ
標題(和) 転移巣におけるc-met遺伝子の発現上昇
標題(洋)
報告番号 114484
報告番号 甲14484
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1404号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 丸,義朗
 東京大学 助教授 中村,義一
内容要旨 【序文】

 近年、細胞の癌化が複数の遺伝子の異常によって引き起こされることが、分子レベルで明らかとなってきており、細胞の癌化に関連した遺伝子産物の同定やそれぞれの機能解析が著しく進んできた。しかし、癌の臨床上、治療上の最大の問題点である癌細胞の転移に関しては、早期発見およびその予測に直接結びつくような遺伝子発現変化はあまり報告されていない。癌の転移は、(1)原発巣で増殖した癌細胞の離脱と血管内への遊離、(2)癌細胞の血管内での移動、(3)癌細胞の抹消血管内皮細胞への接着、(4)癌細胞の基底膜および結合組織内への浸潤による転移巣の成立、という4つの複雑な段階を経て成立すると考えられている。これらの各ステップにおける遺伝子発現の変化、あるいは、転移能の異なる細胞間、すなわち低転移細胞株と高転移細胞株との間での遺伝子異常の解析が進められており、現在までに発現レベルで転移能と相関して差を認める遺伝子は多数報告されている。しかしながら、転移巣の形成はすべての散布された組織に起こるのではなく、それぞれの癌細胞に特有の限られた組織でのみ起こる。これは、癌転移の成立が最終的には転移巣の臓器と癌細胞との相互作用に依存することを示唆するものであり、そのような相互作用に伴って、転移巣では様々な遺伝子の発現変化が起こっているものと考えられる。これらの遺伝子の発現変化を理解することは、癌の転移機構を理解するうえで大変重要であり、将来、癌転移の診断、治療、および予防に応用できる可能性がある。そこで、われわれは、癌の転移巣において癌細胞とその臓器との相互作用に伴い発現の変化する遺伝子の探索をDifferential Display法を用いて行った。

【方法と結果】

 MC-1 fibrosarcoma細胞(5×105個)を8週齢のC57BL/6マウスへ尾静脈より注射した。14日後に解剖し、転移結節のできた肺を無菌的に摘出し、total RNAを抽出した。それとは別に、正常肺、および培養MC-1細胞よりtotal RNAを抽出した。これら3つのサンプル間でDifferential Displayを行い、癌転移に伴って発現変化する遺伝子の探索を試みた。

 現在までに52種類のプライマーセットを用いることによりDifferential Display上で異なる泳動パターンを示す42個のDNA断片を検出できた。それらの中で13個のDNA断片をサブクローニングした後、塩基配列を決定し、ホモロジー検索を行った。その結果、既知遺伝子と一致したクローンが5個存在し、それらはc-met proto-oncogene、proliferating cell nuclear antigen (PCNA)、lysosomal sialidase、Rhoatekin、NADH oxidoreductase subunit MWFEと一致していた。また、ヒトやラットと相同性の高かったクローンが4個存在し、それらはHuman nebulin(約90%)、Human Rab5c like protein (約80%)、Rat mitochondrial proton/phosphate symporter(約90%)、Rat -globin(約83%)であった。その他のクローンについては2個の遺伝子がマウスのESTと一致し、残りの2個の遺伝子が新規遺伝子であった。

 それらのクローンのうち、c-met、PCNA、lysosomal sialidase、Rhotekin、-globinおよびマウスのESTと一致した遺伝子について、ノーザンブロット解析により転移巣における発現の変化を検討した。その結果c-metおよびlysosomal sialidaseは正常肺での発現は低く、MC-1細胞には発現が認められたが、転移巣においてその発現の上昇が認められた。また、PCNAおよびRhotekinはMC-1細胞において発現が高く、転移巣においては発現が低下しており、正常肺では発現がほとんど認められなかった。また、-globinは正常肺において発現が高く、転移巣においては発現が低下しており、MC-1細胞では発現がほとんど認められなかった。なお、これらの中でDifferential Display上のパターンとノーザンブロット解析による結果が一致したものはc-met、Rhotekin、および-globinであり、PCNA、lysosomal sialidaseは一致しなかった。また、マウスのESTと一致した2つのクローンについては、ノーザンブロットによる解析においては、その発現は検出できなかった。その他のクローンについては、ノーザンブロット解析による発現変化の検討は行っておらず、今後検討していく予定である。

 c-met遺伝子はHGF/SFの受容体をコードしており、リガンドであるHGF/SFが増殖促進に加え、抗アポトーシス活性、細胞の遊走促進、形態形成誘導活性、血管新生因子としても機能する多機能因子であることから、転移巣におけるc-met遺伝子の過剰発現は癌転移と何らかの相関性を持つ可能性が強く示唆されたた。そのため、本研究では癌転移に伴うc-met遺伝子の発現変化について、より詳細な解析を試みた。

 転移巣におけるc-met遺伝子の過剰発現の部位を検討するために、肺転移巣の組織切片を作成し、抗c-Met抗体による免疫染色およびin situ hybridizationを行った。その結果、c-met遺伝子の発現は腫瘍細胞に認められた。

 リガンドであるHGF/SFがc-Metに結合すると、c-MetのC末端近傍のチロシン残基の自己リン酸化が引き起こされ、各種細胞内情報伝達系が活性化されることが知られていため、c-Metが転移巣で活性化されているか否かを検討した。正常肺、転移肺およびMC-1細胞より調製したcell lysatesに対し、抗c-Met抗体により免疫沈降した後、抗c-Met抗体あるいは抗リン酸化チロシン抗体によりイムノブロット解析を行った。その結果、タンパク質レベルでもc-Metの量は上昇しており、また、c-MetはMC-1細胞ではチロシンリン酸化されていないのに対し、正常肺および転移巣においてc-Metのチロシンリン酸化が認められた。

 次に、転移巣におけるc-met遺伝子の過剰発現がMC-1細胞の集団の中でc-met遺伝子を発現している細胞が選択された結果であるのか、あるいは、転写レベルでその発現が誘導されているのかを検討した。転移結節のある肺を無菌的に摘出した後、転移巣の腫瘍細胞を再び培養した(L1-MC-1細胞)。さらに、L1-MC-1細胞を同様にしてマウスに尾静脈注射後、転移巣の腫瘍細胞を培養した(L2-MC-1細胞)。これらの細胞のc-met遺伝子の発現をノーザンブロット解析により検討したところ、これらの細胞のc-met遺伝子の発現量はMC-1細胞とほぼ同程度であった。このことより、転移巣におけるc-met遺伝子の過剰発現は、転写レベルで制御されていることが示唆された。

 また、転移巣におけるc-met遺伝子の過剰発現がMC-1細胞に特異的な現象かどうか検討するために、B16メラノーマ細胞を用いて同様の実験を行ったところ、MC-1細胞を用いた場合と同様に転移巣においてc-met遺伝子の過剰発現が認められた。このことから、転移巣におけるc-met遺伝子の過剰発現がMC-1細胞だけに見られる現象ではないことが示された。

 c-met遺伝子の発現誘導がIL-1、IL-6、TNF-あるいはTGF-によって誘導されるという報告があったため、転移巣におけるそれらの発現をRT-PCR法によって検討したところ、それらの発現は転移巣において認められ、特にTNF-においては転移巣において過剰発現していることが明らかとなった。

【考察】

 本研究ではDifferential Display法を用いて、転移巣において発現変化している遺伝子クローニングを試み、シークエンスおよびホモロジー検索を行うことにより、その候補となる遺伝子をいくつかクローニングすることに成功した。lysosomal sialidaseはシアル酸の量を制御していることが明かとなっているが、細胞の癌化時にシアル酸の質的および量的変化が、癌細胞の浸潤・転移能と関連していることが示唆されており、転移巣における発現変化は興味深い。また、Rhotekinはtwo-hybrid screeningによりRhoA、RhoB、およびRhoCの標的タンパク質をコードする遺伝子として単離・同定された遺伝子であり、Rhoが細胞運動、細胞接着、癌細胞の浸潤・転移に関与していることからも、Rhotekinの転移巣における発現変化も興味深い。このようにクローニングされた遺伝子の中には、癌転移と関連が示唆されている遺伝子も存在したが、その他の遺伝子については癌転移との関連は必ずしも強くなく、今後の解析が必要である。

 c-met遺伝子は胃癌、肝臓癌、大腸癌、甲状腺癌などの癌組織で過剰発現が起こり、癌の進行に深く関わっていることが示唆されており、また、ここ数年来の研究からHGF/SFが臓器組織の間葉系細胞で産生され、癌-間質相互作用のメディエーターとして様々な癌の悪性化に関与することが明らかにされていたため、癌転移との関連が強く示唆された。HGF/SFが正常肺に発現しており、転移肺の癌組織でc-met遺伝子の過剰発現およびc-Metの自己リン酸化が認められたことから、HGF/SF-Metのシグナルが癌の肺転移と何らかの関与がある可能性ある。正常組織におけるHGF/SFの発現が、肺、腎臓および肝臓で比較的多いことは、癌転移の臓器特異性とc-met遺伝子の発現変化との相関性がある可能性があり、今後の検討が必要である。

 c-met遺伝子の発現誘導が、IL-1、IL-6、TNF-あるいはTGF-によって引き起こされる誘導するという報告があり、転移肺においてこれらのサイトカインの発現が認められたことは興味深い。特にTNF-が転移巣において過剰発現していたことより、肺の転移巣におけるc-metの過剰発現がTNF-と関連している可能性がある。

 転移巣におけるc-met遺伝子の過剰発現がMC-1細胞特異的な現象ではなく、B16メラノーマ細胞にも認められたことから、転移巣においてc-met遺伝子の過剰発現は癌転移に重要な役割を果たす可能性が示唆された。

【結論】

 Differential Display法により、転移巣において発現変化している遺伝子をいくつかクローニングした。その中で癌転移との関連が強く示唆されたでc-met遺伝子が転移巣において過剰発現していることを見い出した。c-met遺伝子の過剰発現は、c-met発現細胞が転移に伴い選択されたためではなく、転移巣において転写レベルで発現誘導されるためであることが示唆された。また、c-metの過剰発現および活性化は癌転移に何らかの役割を果たしている可能性が考えられた。最後に、この方法による探索および解析を続けることによって、さらに多くの癌転移関連遺伝子の検出が期待できる。

審査要旨

 本研究は癌の転移形成において癌細胞と宿主臓器との相互作用に伴う遺伝子発現変化を明らかにするため、マウス経尾静脈癌転移モデルおよびDifferential Display法を用いることにより、癌の転移巣において発現の変化する遺伝子の探索および発現解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.マウス経尾静脈癌転移モデルにより作成した転移肺と正常肺、および培養MC-1細胞の間でDifferential Display法を用いることにより、転移巣において発現の変化している候補遺伝子がいくつかクローニングされた。

 2.Differential Displayでクローニングされた遺伝子の中で、肝細胞増殖因子(HGF/SF)のレセプターをコードするc-met proto-oncogeneについての発現解析をNorthern blot解析により行った結果、c-met遺伝子が転移肺で過剰発現していることを見出した。

 3.転移肺の組織切片を用い、in situ hybridizationおよび免疫染色を行うことによりc-met遺伝子の過剰発現部位を検討した結果、c-met遺伝子の過剰発現は宿主臓器ではなく腫瘍細胞に認められた。

 4.肺にc-MetのリガンドであるHGF/SFが発現していることがNorthern blot解析により示され、また、HGF/SFによりc-Metがチロシンの自己リン酸化を受け、活性化されることが知られているため、抗c-Met抗体を用いて免疫沈降法を行い転移肺におけるc-Metのチロシンリン酸化を検討した結果、c-MetはMC-1細胞ではチロシンリン酸化されていないのに対し、転移肺ではチロシンリン酸化されていることが明らかとなった。

 5.MC-1細胞を用いて作成した転移結節のある肺を無菌的に摘出した後、転移巣の腫瘍細胞を再び培養し(L1-MC-1細胞)、さらに、L1-MC-1細胞を用い同様にして作成した転移巣の腫瘍細胞を再び培養し(L2-MC-1細胞)、これらの細胞のc-met遺伝子の発現をNorthern blot解析により検討した結果、これらの細胞のc-met遺伝子の発現量はMC-1細胞とほぼ同程度であることが示された。この結果により、転移巣におけるc-met遺伝子の過剰発現は、c-met遺伝子高発現細胞が癌転移に伴い選択された結果ではなく、転写レベルで制御されていることが示唆された。

 6.B16メラノーマを用いて同様の実験を行った結果、B16メラノーマでも転移巣においてc-met遺伝子の過剰発現が認められたことから、転移巣におけるc-met遺伝子の過剰発現はMC-1細胞だけに見られる現象ではないことが示された。

 7.c-met遺伝子の発現制御が示唆されているIL-1、IL-6、TGF-、TNF-について転移巣における発現量の変化をRT-PCRにより検討することにより、それらサイトカインの発現は転移巣において発現量が上昇しており、特にTNF-が転移巣において過剰発現していることが示された。

 以上、本論文はDifferential Display法により、転移巣において発現変化している遺伝子のクローニングに成功し、特にc-met遺伝子の解析から、転移巣におけるc-met遺伝子の発現誘導および活性化が癌転移になんらかの関与を示唆する結果を得た。本研究はこれまで未知に等しかった、癌の転移巣における癌細胞と宿主臓器との相互作用に伴う遺伝子発現変化および癌の転移機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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