学位論文要旨



No 114487
著者(漢字) 辛,小蜜
著者(英字)
著者(カナ) シン,ショウミツ
標題(和) ヒト免疫不全ウイルス1型感染者からのウイルス分離に関する研究
標題(洋) Studies on the Isolation of HIV-1 from Patients
報告番号 114487
報告番号 甲14487
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1407号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 松島,網治
 東京大学 教授 金ヶ崎,士朗
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 助教授 北村,聖
内容要旨

 HIV(human immunodeficiency virus)は後天性免疫不全症候群(acquired immune defiviency syndrome,AIDS)の原因となるレトロウイルスであり、全世界的にHIV1型(HIV-1)が主に流行している。感染者からの臨床HIV-1株の分離は、HIV-1感染の最終確認であるとともに、疫学的に流行株のサブタイプや抗原性をいち早く知る上で重要である。また分離されるHIV-1の性質が、感染者の病態進行に伴って変化することが知られており、細胞宿主域や細胞傷害性の変化が感染者の病態進行と関連することから、臨床診断上でも重要である。さらに、抗HIV-1薬やワクチン開発の際、培養細胞での生育に順応した実験室株ではなく、臨床分離株を用いる必要性が指摘されている。そこで、感染者からのHIV-1の分離効率の改善を本研究の第一の目的とした。

 HIV-1は変異の多いウイルスであり、感染者体内では遺伝的に異なる多様な集団(quasi-species)として存在する。大きく分類すると、末梢血単核細胞とマクロファージに感染でき、多核巨細胞形成能を欠くマクロファージ向性株[macrophage(M)-tropic/non syncytium inducing(NSI)strain]と、マクロファージには感染できず、末梢血単核細胞と株化T細胞に感染し、多核巨細胞形成能の高いT細胞株向性株[T cell line(T)-tropic/syncytium inducing(SI)strain]に分けられる。感染初期にはNSI型が、病期が進むに従って末期にはSI型が優勢になる。HVI-1がヒトからヒトへ伝播する際にはNSI型ウイルスが優先的に感染する。従ってNSI型ウイルスの増殖をコントロールすることができれば、HIV-1の伝播を抑制することができるようになると考えられ、この型のウイルス株に関する情報は重要と考えられる。しかし多くの場合、NSI型とSI型が混在する感染者からはSI型のウイルス分離株だけが得られる。そこで、SIとNSIが混在する感染者からNSI型ウイルスを優先的かつ簡便に分離する方法を開発することを第二の目的とした。

1.ニューラミニダーゼを用いたHIV-1臨床分離株の高効率分離方法

 HIV-1のエンベロープ蛋白質には多くのアスバラギン結合型の糖鎖が存在する。HIV-1 IIIB株の場合、gp120部分に24ヶ所の糖鎖付加部位が存在し、生化学的にこれら全ての部位に実際に糖鎖が付加されていることが確認されている。これは他のエンベロープウイルス、例えば、麻疹ウイルスなどには認められない特徴である。gp120に存在する糖鎖のうち約半数は複合型の糖鎖であり、複合型糖鎖の末端には最低2個のシアル酸が結合している。シアル酸は糖鎖の主要な成分中で唯一陰性電荷を持つため、gp120に10本以上存在する複合型糖鎖末端のシアル酸は大量の陰性電荷をウイルス粒子表面に付与していると考えられる。我々は以前、HIV-1の実験室株であるNL43をニューラミニダーゼ(Neuraminidase,NA)で処理して、ウイルス粒子表面のシアル酸による陰性電荷を除去したところ、HIV-1の細胞への吸着効率が飛躍的に高まることを見い出して報告した。そこで、感染者からHIV-1を分離する際に培養液中にニュラミニダーゼを添加して、分離効率や分離株の力価が高まるか否かを検討した。

 28名のHIV-1感染者の末梢血から常法にしたがって末梢血単核細胞(peripheral blood mononuclear cells;PBMC)を調製し、105個あるいは106個の感染者PBMCと同数のHIV-1陰性ドナーのPBMCとを混合し、培地に0.03U/mlニュラミニターぜ(NA)を添加して、IL-2存在下で培養した。また28名中22名からはCD4陽性細胞を得て、ドナーのCD4陽性細胞と混合して同様に培養した。そして、培養上清中の逆転写酵素の活性或いはGag蛋白質p24の抗原量を経時的に測定した。合計41回の分離の試みのうち、NAを添加した場合には28回(68%)、NAを添加しない場合には19回(41%)、分離株を得ることに成功し、NA添加によりHIV-1臨床分離株の分離効率を上昇させ得ることが明らかになった。

 分離したウイルスの増殖活性がピークに達するまでの日数及びHIV-1が最初に検出されるまでの日数をNA添加した場合と添加しない場合と比較した。分離開始後、HIV-1が最初に検出可能になるまでNA添加では平均4.8日、非添加では平均7.4日と、大きな差が認められた(P<0.05)。また、逆転写酵素活性がピークに達するまでNA添加では平均16.4日、非添加では平均20.5日(P<0.01)であり、NA添加により分離に要する日数も大きく短縮できることが明らかになった。

 感染者体内ではごく少数を占めていたHIV-1が主要な分離株として選択されてくることがしばしば観察される。したがってNA存在下では特殊なウイルスが選択される危険性が考えられる。そこでNA添加と非添加両方でウイルス分離に成功した5症例について、NA存在下で得られたHIV-1と非存在下で得られたHIV-1株のEnv蛋白質V2からV3領域に対応するゲノムの塩基配列を比較した。その結果、どの症例でもNA存在下で得られたHIV-1は非存在下で得られたHIV-1と完全に一致するか、極めて良く似ていた。従って、NA存在下で分離されたウイルスは従来の方法で分離されたウイルスと少なくともV2とV3領域については大きな違いがないことが明かになった。

 最近、HIV-1の標準株としてこれまでの生化学的、生物学的、血清学的な研究に用いられてきたIIIB株などの実験室株と、感染者から得られた臨床分離株との間に、細胞宿主域、中和抗体との反応性、ウイルス粒子上のgp120の安定性等の性質に大きな隔たりが存在することが明らかになり、臨床分離株を解析し直す必要性が指摘されている。従って、培養液中にNAを添加するだけで、分離効率、分離に要する時間、分離株の示す力価、ともに従来の方法と比較して大きな改善が認められる本方法は、HIV-1臨床株の分離の際に極めて有用と考えられる。

2.SDF-1によるHIV-1 NSI株の選択的分離

 多くの感染者体内ではSI型とNSI型のHIV-1が混合して存在する。最近SI型とNSI型HIV-1はそれぞれCXCR4とCCR5をセカンドレセプターとして使用して細胞に侵入することが明らかになった。間質細胞由来因子(Stromal cell derived factor-1;SDF-1)はCXCR4の生理的リガンドであり、SI型臨床分離株の増殖を競合的に阻害する。そこで培養液中にSDF-1aを添加することでSI型HIV-1の増殖を阻害し、NSI型分離株を優先的に分離できるか否かを検討した。

 SI型HIV-1を持つことが確認されている感染者を研究対象にした。まず、SDF-1aを添加せずに通常のPBMC混合培養から得られたHIV-1株について、Env蛋白質V3領域に対応するゲノムの塩基配列を解析した。V3領域は細胞宿主域や細胞傷害性の決定基として知られ、11番目あるいは25番目のアミノ酸が塩基性である場合にSI型と考えられる。これらの感染者から通常の方法で得られたHIV-1株はいずれも11番目あるいは25番目のアミノ酸が塩基性であり、SI型HIV-1と推定された。事実、これらのHIV-1はいずれも分離の過程で、巨細胞形成を示した。

 これらのHIV-1感染者の血清からRNAを抽出し、逆転写の後、PCRで増幅してクローン化し、独立したクローン最低6個の塩基配列を決定してV3領域のアミノ酸の配列を決定した。その結果、これらの感染者の血清中にはSDF-1非添加時に得られたSI型のHIV-1とともに、NSI型と推定されるHIV-1が検出され、SIとNSIとの混合からSIが優先的に分離されることが改めて確認された。

 一方、これらの感染者から250ng/mlのSDF-1を添加してHIV-1分離を行なったところ、すべての分離は成功したが、SDF-1を添加することにより、HIV-1の増殖は10分の1に抑制された。そして、これらのHIV-1株のEnv蛋白質V3領域のアミノ酸配列を調べたところ、いずれもNSI型と推定された。

 以上の結果から、HIV-1臨床分離株を分離する際に培養液中にSDF-1を添加することによって、NSI型ウイルス株が優先的に分離できることが明らかになった。この方法により、感染者から非感染者へ優先的に伝播するもののSI型と比較して遅れているNSI型HIV-1の研究が進展するものと期待される。

審査要旨

 本研究はヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1)感染者からのHIV-1の分離方法の改善を目的として行なわれ、以下の結果を得ている。

 1.著者らは、以前、HIV-1粒子表面のシアル酸をニューラミニダーゼ(NA)により除去すると、試験管内培養系においてHIV-1の増殖が飛躍的に高まることを見い出して報告した。そこで本研究は、NA添加によりHIV-1の分離効率が高まるか否かの検討を行なった。28名のHIV-1感染者の末梢血から常法にしたがって末梢血単核細胞(PBMC)を調製し、105個あるいは106個の感染者PBMCと同数のHIV-1陰性ドナーのPBMCとを混合し、培地に0.03U/mlのNAを添加して、IL-2存在下で培養した。また28名中22名からはCD4陽性細胞を得て、ドナーのCD4陽性細胞と混合して同様に培養した。そして、培養上清中の逆転写酵素の活性或いはGag蛋白質p24の抗原量を経時的に測定した。合計41回の分離の試みのうち、NAを添加した場合には28回(68%)、NAを添加しない場合には19回(41%)、分離株を得ることに成功し、NA添加によりHIV-1臨床分離株の分離効率を上昇させ得ることが明らかになった。

 2.分離したウイルスの増殖活性がピークに達するまでの日数及びHIV-1が最初に検出されるまでの日数をNA添加した場合と添加しない場合と比較した。分離開始後、HIV-1が最初に検出可能になるまでNA添加では平均4.8日、添加しない場合では平均7.4日と、大きな差が認められた(P<0.05)。また、逆転写酵素活性がピークに達するまでNA添加では平均16.4日、添加しない場合では平均20.5日(P<0.01)であり、NA添加により分離に要する日数も大きく短縮できることが明らかになった。

 3.感染者体内ではごく少数を占めていたHIV-1が主要な分離株として選択されてくることがしばしば観察される。したがってNA存在下では特殊なウイルスが選択される危険性が考えられる。そこでNA添加と非添加両方でウイルス分離に成功した5症例について、NA存在下で得られたHIV-1と非存在下で得られたHIV-1株のEnv蛋白質V2からV3領域に対応するゲノムの塩基配列を比較した。その結果、どの症例でもNA存在下で得られたHIV-1は非存在下で得られたHIV-1と完全に一致するか、極めて良く似ていた。従って、NA存在下で分離されたウイルスは従来の方法で分離されたウイルスと少なくともV2とV3領域については大きな違いがないことが明かになった。

 4.HIV-1は変異の多いウイルスであり、感染者体内で、マクロファージに感染でき多核巨細胞形成能を欠くNon-syncytium inducing(NSI)株から、株化T細胞に感染でき巨細胞形成能を持つSyncytium-inducing(SI)株へと変化する。また、HIV-1がヒトからヒトへ伝播する際にはNSI型が優先的に感染する。従ってNSI型のコントロールが重要であるが、多くの場合NSIとSIが混在する感染者からはSI型ウイルスだけが分離される。近年NSI型は細胞侵入の際にケモカインレセプターCCR5を、SI型はCXCR4をコレプターとして使用すること、CCR5やCXCR4の生理的リガンドがそれぞれのHIV-1の増殖を競合的に阻害すること、が明らかになった。そこでCXCR4のリガンドであるSDF-1を用いて、NSI型ウイルスが選択的に分離できるか否かを検討した。そのためSI型HIV-1を持つことが確認されている感染者を研究対象とした。まずSDF-1非添加のPBMC混合培養から得られたHIV-1株について、Env蛋白質V3領域に対応するゲノムの塩基配列を解析した。その結果、これらの感染者から通常の方法で得られたHIV-1株はいずれも11番目あるいは25番目のアミノ酸が塩基性であり、SI型HIV-1と推定された。一方、これらの感染者から得たPBMCに250ng/mlのSDF-1を添加してHIV-1分離を行なったところ、すべての分離は成功したが、SDF-1を添加することにより、HIV-1の増殖は10分の1に抑制された。そして、これらのHIV-1株のEnv蛋白質V3領域のアミノ酸配列を調べたところ、いずれもNSI型と推定された。この結果から、HIV-1臨床分離株を分離する際に培養液中にSDF-1を添加することによって、NSI型ウイルス株が優先的に分離できることが明らかになった。

 以上、本論文はHIV-1臨床分離株の分離方法について、1.ニューラミニダーゼ添加により分離効率、分離に要する時間、分離株の示す力価、ともに従来の方法と比較して大きな改善が認められること、2.SDF-1を培養液中に添加するだけで感染者から非感染者の伝播する重要なHIV-1株であるNSI型ウイルス株が優先的に分離できること、を明確に示している。従って本研究はHIV-1臨床分離株の分離方法の改善に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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