[序論] センダイウイルス(SeV)は非分節のマイナス鎖RNAをゲノムとするモノネガウイルススーパーファミリー、パラミクソウイルス科、パラミクソウイルス亜科、レスピロウイルス属に分類されるウイルスである。SeVは自然宿主であるマウス、ラットに致死的な肺炎をひき起こし、そのためマウスパラインフルエンザウイルス1型(mPIV1)とも呼ばれている。SeVはそのゲノムの基本的構造さ、扱いの容易さ、感染する宿主細胞の多様さ、そして旺盛な増殖力ゆえに、ウイルスの生活環と病原性についての理解を得るためのモデルとしてウイルス学的研究がなされてきたばかりでなく、細胞融合の担い手として細胞工学的な道具として永年にわたって使われてきた。
ウイルス学的研究は、異なる宿主や温度条件での馴化、あるいは薬剤による変異体選択といった遺伝学的常套手段を用いた解析が長らく主流であった。その後、遺伝子工学という技術革新により個々の遺伝子を単離クローニングし、それぞれをウイルスの機能素子として解析する流れが確立した。これにより、ウイルスの蛋白質機能の多くが明らかにされた。ところが、素子としての遺伝子を単純に総和しても、それらがウイルス生活環の中で有機的にからみあった命あるウイルスとはなりえず、各遺伝子ごとに得られた知見には自ら限界を抱えていた。遺伝子をゲノム単位で取り扱うことにより、始めて生物という観点から個々の機能ができるようになる。
近年、モノネガウイルスにおいても、完全長のウイルスゲノムcDNAからウイルスを生成する技術が確立された。このことにより、ウイルスの生活環に関するいくつかの未解決の問題に対して、予め任意の変異を導入したゲノムcDNAから試験管内で感染性ウイルスを生成し、その表現型から変異の意味を理解するリバースジェネティクスが誕生し、モノネガウイルス研究は正に新世紀を迎えた。この先端技術の恩恵はウイルス学に関する我々の基礎的理解を広げることに留まらず、弱毒ワクチンを計画的に構築する手段としての応用医学、さらには、異種遺伝子を挿入した発現ウイルスベクターとするウイルス工学といった応用分野にまで及ぶものと考えられている。
本研究では、特にcDNAからのSeV生成技術の応用面に注目し、自然界に存在するSeVゲノムのサイズがウイルス粒子を形成する限界なのか、限界でないとすればどこに異種遺伝子を挿入するサイトを設けることが可能なのか、可能だとすればウイルスにとって不要な異種遺伝子は、ウイルスの中でどの程度安定に保たれるのか、を明らかにすることを目的とした。その結果、SeVの3’端第一遺伝子、蛋白質コード領域の直前に18ベースからなる制限酵素サイトをもった挿入部位を設けることができ、しかも、その位置にゲノム長の10%を超えるホタルのルシフェラーゼ遺伝子を挿入することができた。その結果、ウイルスのゲノムが粒子化するのには自然界に存在するの長さが限界ではないことが明らかになった。また、この遺伝子の発現が10代卵に経代しても安定に保たれていることが判明し、実用的なウイルス発現ベクターとして応用可能であることを明らかにした。
【結果と考察】 (1)センダイウイルス生成系と18塩基のウイルスゲノムへの挿入。裸のウイルスゲノムRNAはそれ自身まったく感染性がなく、鋳型活性は、RNAとヌクレオカプシド(N)蛋白質とRNAポリメラーゼを形成するラージ(L)蛋白質とリン酸化(P)蛋白質で被われたリボヌクレオ蛋白質(RNP)を形作したときにのみ見られる。この機能的に活性のあるRNPを細胞内で形成させるために、T7RNAポリメラーゼ(vTF7-3)を発現する組換えワクチニアウイルス発現系を用いて、プラスミッドから完全長のプラス鎖アンチゲノムRNAを産生させ、同時に最適化した量のN、PとL蛋白質を産生するヘルパープラスミッドを供給する系が、近年、当研究室で構築された。そこで、このセンダイウイルス生成系を用いて、15,374塩基から成るウイルスゲノムの長さがウイルスとして取り込まれる限界なのか、あるいは異種の遺伝子を取り込む余裕を持つものなのかを検討した。
SeVゲノム内には6個の遺伝子が直列に配置されており、それぞれの遺伝子は3塩基からなる介在(Intergenic,IG)配列で隔てられている。一方、ゲノムの3’端と5’端にはそれぞれリーダー(leader)、トレイラー(trailer)と呼ばれる何も蛋白質をコードしていない領域があり、RNAポリメラーゼはリーダー領域に存在するプロモーターを認識して、唯一ここに結合する。RNAに結合したポリメラーゼは、直鎖状に連なったそれぞれの遺伝子のつなぎ目に保存されている転写終結(Gene end,GE)配列と転写開始(Gene start,GS)配列を認識し、リーダーRNAと各々のmRNAをモノシストロニックな状態で産生する。しかし、3’から5’方向への転写効率はポリメラーゼが上流の遺伝子の転写を終え、下流の遺伝子の転写を再開始する頻度が完全ではないため、下流に向かうにしたがって転写の減衰がある。このような転写の極性効果のため、ユニークな制限酵素配列(NotI)を含む、短い長さ(18塩基)の異種遺伝子の挿入部位として、最も上流側に位置するN遺伝子内の3’側非翻訳領域を検討した。その結果、3’末端から75塩基番目の位置(aサイト)への挿入したcDNAからはSeVの生成は不可能であったが、Nコード領域の直前、3’端から119塩基番目(bサイト)に挿入したものからはSeV生成は可能であった。この生成されたSeV18bは基になった親株SeVと全く変わらない増殖を培養細胞レベルで示し、18塩基の挿入はなんらウイルスの生活環に影響を与えないこと、すなわち本来のウイルスゲノムのサイズが長さの限界ではないことが明らかとなった。
(2)レポーター遺伝子ルシフェラーゼの挿入。そこで、次に本来のゲノムにある6個の遺伝子が発現ユニットの数としての限界なのか否かを確かめるために、発現を知るレポーターとしてホタルのルシフェラーゼ遺伝子のORFを含むDNA(1653塩基)を新しく、GE-IG-GS配列と共に、このNのORFの上流に導入したサイトにカセット式に挿入したcDNAを構築した。これを、ウイルス生成系で検討したところ、高いルシフェラーゼ活性を示す組換えセンダイウイルス(SeV/luc)が得られた。SeV/lucのルシフェラーゼ蛋白質の発現は、細胞内で蛋白質の一部が凝集するほど高く、そのためルシフェラーゼ活性の最高値を正確に活性測定することができない程であった。また、発現したRNAをノーザン法で解析したところ、モノシストロニックなルシフェラーゼmRNAが確かに検出された。このことから、サイズだけでなく、発現ユニットの数においても、センダイウイルスのゲノムは本来の6個が限界ではないことが明らかになった。
(3)ルシフェラーゼ遺伝子を持ったセンダイウイルス(SeV/luc)の特徴。異種遺伝子挿入によりSeV/lucは親株SeVと比べて、感染細胞においてプラックサイズの減少とわずかながらの増殖速度の遅延並びにウイルス産生量の低下がもたらされた。また、マウス個体に接種した場合には親株に比べて、最高肺内ウイルス量の低下と、より早い肺からのクリアランスの傾向が認められた。これら培養細胞とマウス個体レベルでの知見はゲノムサイズの増加により、複製に時間がかかるようになったためであると理解された。
(4)ルシフェラーゼ発現の安定性。一般にRNAウイルスではRNAポリメラーゼの忠実度が低いために、ゲノムの変異が容易におこるとされている。従って、SeVを発現ベクターとして用いても、本来、ウイルスに不要な遺伝子である異種遺伝子には変異が容易に蓄積し、ただちに発現が損なわれることが予想された。そこで、得られたSeV/lucにおいて、どの程度発現が安定に保たれるのかを確かめる目的で、最もSeVがよく増える系の一つである発育鶏卵を用いて、連続継代試験を行った。希釈、継代を9代連続して行い、各々の継代時にウイルス力価とルシフェラーゼ活性を測定したところ、この継代期間中にはルシフェラーゼ活性は、ほとんど変化が認められなかった。この結果は、少なくとも□SeVでは挿入された異種遺伝子は継代によって、すぐにも失われるものではなく、安定に保持される事を示した。
以上の知見は、SeVに異種遺伝子を安定に、しかも高率よく発現させることができることを示しており、このことから、多くの宿主細胞で旺盛に増殖できるというSeVの特徴を生かした、新規のウイルスベクターとしてSeVが応用利用できる潜在能力を持つことを示したものと考えられた。ここに示した新規の転写ユニット(GE-IG-GS)を付加した異種遺伝子のNotIサイトへのカセット式挿入と発現方法は、1型ヒト免疫不全ウイルスエンベロープ蛋白質など数多くの異種遺伝子に応用されている。