学位論文要旨



No 114495
著者(漢字) 菅生,康子
著者(英字)
著者(カナ) スガセ,ヤスコ
標題(和) 霊長類側頭葉皮質のニューロンによる顏に関する情報表現の時間的特性
標題(洋) Dynamic encoding of facial information represented by neuronal responses in the primate temporal cortex
報告番号 114495
報告番号 甲14495
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1415号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 教授 桐野,高明
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 神谷,瞭
内容要旨 [序論]

 ヒトあるいはサルにおいて顔は他個体とのコミュニケーションに重要な役割を果たしている。例えば我々は顔から複数の種類の情報を得ることが出来る。まずそれが顔であるとか、ヒト(サル)の顔である、といったおおまかな情報を、さらに個体識別や表情に関する、より詳細な情報も得ることができる。このような顔の情報を脳内でどのように処理しているかについては、1970年代から神経科学的研究が進められてきた。

 まず、Bruceら(1973)が麻酔下のサルで、Perrettら(1979)が覚醒サルで、顔に反応するニューロンを側頭葉の上側頭溝領域に発見した。また、Perrettら(1982)は、これらのニューロンのなかに髪や目や口などの顔を構成する要素にも反応するものがあることを示し、側頭葉で顔の構成部分の情報分析と特徴抽出が行われていることを示唆した。Yamaneら(1988)は、覚醒サルで下部側頭葉皮質に顔を構成する要素間の距離の比に相関を示すニューロンが存在することを明らかにし、下部側頭葉が顔構成要素の空間的情報処理に、また上側頭溝領域が顔の既知性の識別に関与することを示した(YoungとYamane、1992)。一方、Hasselmoら(1989)は覚醒サルで、特定の個体に選択的に反応するニューロンは主に下部側頭回に、特定の表情に選択的に反応するニューロンは上側頭溝領域に存在することを報告している。しかし従来の研究は、顔の持つ情報の中のあるものに焦点をしぼってその脳内処理が検討され、複合した情報の脳内処理という観点から、また、脳内処理の時間的関係についても、ほとんど研究されてこなかった。

 そこで本研究は、顔を刺激として呈示してサルの側頭葉の単一ニューロン活動の反応を調べた。その際、顔情報を種々のレベルで分類し、単一ニューロン活動にコードされるそれら複数の顔情報の情報量を経時的に解析した。そして、顔の複合情報が時間的にどのようにニューロンで表現されているのか究明した。

[結果および考察]覚醒サルを用いた側頭葉単一ニューロン活動の記録

 ニホンザルに注視タスクで、サルとヒトの表情の異なる顔画像を28枚、形と色の異なる図形を10枚、計38枚をランダムに1枚づつ350ミリ秒間呈示し、各刺激画像に対する側頭葉の単一ニューロン活動を記録した。2頭のサルの3つの半球で、合計1793個の単一ニューロンの活動を調べたところ、144個(8%)が顔画像に反応した。これらのニューロンは、上側頭溝の上壁、下壁、及び側頭葉下部に分布していた。

 顔画像に反応したニューロンのうち82個についてさらに詳細に解析を行った。図1にニューロン活動の1例を示す。このニューロンはほとんどのサルの顔とヒトの顔画像に対し、潜時が80ミリ秒前後の一過性の反応を示した。刺激画像によってはさらに持続的な反応が続いた。一方、図形画像には殆ど反応しなかった。

図1 単一ニューロンの刺激に対する反応の例サルの顔(個体M1とM2),ヒトの顔(個体H1とH2),単純図形(丸(C)と四角(R))に対する反応を示す.上段はraster plotで,ニューロンの発火を点でプロットしてある.下段はその反応のspike density plot(反応のヒストグラムに=10ミリ秒のGaussian filterをかけたもの)である.刺激呈示期間(350ミリ秒)を横軸の下に引いた太い横線で示す.
単一ニューロンの活動にコードされる刺激分類情報の情報量の経時的解析

 これら82個のニューロンについて、その発火パターンがおおまかな情報(顔(サルとヒト)か図形かの分類や、サルかヒトかの分類)をコードしているか、さらに表情や個体を分類する(より詳細な)情報もコードしているかどうかを調べるため、ニューロン活動にコードされる情報量を計算した。ここでいう情報量とは、呈示した複数の視覚刺激をニューロンの発火によってどのぐらいの確かさで分類しうるか、の値であり、次の式で定式化した(式1)。

 

 I(S;R);相互情報量

 S; 刺激sのセット

 R; 神経活動rのセット

 P(s|r);神経活動がrの時の刺激クラスsの条件付確率

 P(s);刺激sのアプリオリな確率

 〈 〉r;全神経活動の平均

 時間をくぎって経時的に情報量を計算することにより、各々の区間での刺激分類に関する確かさから、情報量の経時的変化を求めた。すなわち、刺激呈示から509ミリ秒までの間の情報量を各視覚刺激に対する反応の50ミリ秒間のスパイク数を用いて8ミリ秒毎に計算し、情報量が時間とともにどのように変化していくかを解析した。この際、刺激画像の8種類の分類について、情報量を算出した。8種類の分類のうち4つは「おおまかな分類情報」とし、顔(サルとヒト)対図形、サル対それ以外、ヒト対それ以外、サル対ヒト、とした。残りの4つは「詳細な分類情報」とし、サルの個体、サルの表情、ヒトの個体、ヒトの表情、とした。また、それぞれの分類に応じて(例えば顔か図形かによって)ニューロンのスパイク数が有意に異なるかどうかも経時的にカイ二乗検定により検定し(Kitazawaら、1998)、その情報の有意性を判定した(有意水準0.05)。刺激呈示開始時から初めて有意であると判定されるまでの時間を潜時とした。おおまかな分類情報は、刺激グループの組み合わせであるので、4つの分類のうちの複数が有意となることがあった。各々は独立した情報ではないので、ピーク時の情報量が最大になるものをおおまかな分類情報とした。詳細な分類情報については、4つがそれぞれ独立であるので、そのような選別は行わなかった。

 図1に示したニューロンの情報量解析の結果を図2に示す。このニューロンは、5つの有意な分類情報をコードしていた。それらの情報のうち、顔か図形かを分類する情報量の時間的変化(太線)はニューロン反応の立ち上がりの一過性の増大とよく対応していた。それに対して、サルの表情(太点線)や個体(細点線)を分類する情報量やヒトの個体(破線)や表情(細線)を分類する情報量は、立ち上がりの一過性反応の後に上昇することがわかった。このニューロンは、まずおおまかな分類情報(顔対図形)をコードし、それに続いて詳細な分類情報(サル表情、ヒト個体、ヒト表情、サル個体)をコードすると考えられた。

図2 刺激分類情報の情報量の経時的変化図1に示したニューロンについて有意であった分類情報を示す(「顔vs.図形」(太線)、「サル個体」(細点線)、「サル表情」(太点線)、「ヒト個体」(破線)、「ヒト表情」(細線))。各々の情報について、初めて有意と判定された区間を白抜きの矢頭で示す。灰色のヒストグラムは、すべての刺激に対するニューロンの50ミリ秒間の平均発火頻度を、8ミリ秒毎に求めたものである。ニューロン反応のヒストグラムの有意レベルは、右縦軸の右側の矢頭で示す(刺激呈示前154ミリ秒間の発火を自発放電とみなして、その平均値と標準偏差の2倍の和を有意レベルとした)。刺激呈示期間(350ミリ秒)を横軸下の太い横線で示す。

 同様の解析を82個の側頭葉ニューロンについて行った結果、68個のニューロン(83%)が8つの分類情報のうちのいずれかをコードしていた。うち、33個のニューロン(49%)がおおまかな分類あるいは詳細な分類のどちらかの情報をコードしていた。一方、残りの35個のニューロン(51%)はおおまかな分類と詳細な分類の両方の情報を複合してコードしていた。

 さらにこの複合分類情報をコードしていた35個のニューロンについて、おおまかな分類と詳細な分類の潜時の比較を検討した。その結果、詳細な分類情報の潜時がおおまかな分類情報の潜時に有意に遅れていた(平均約53ミリ秒)。従って、詳細な分類情報はおおまかな分類情報に遅れてコードされることが明らかとなった。

 また、ニューロンの反応の潜時とおおまかな分類情報の潜時を比較した結果、両者にはほとんど差がなく(平均8ミリ秒)、おおまかな分類情報はニューロンの反応の立ち上がりの部分からコードされると思われた。

 おおまかな分類が詳細な分類に先行するというこの傾向は、有意な情報をコードしていた全68個のニューロンでも確かめられた。それら全ニューロンについては、詳細な分類がおおまかな分類に約40ミリ秒遅れてコードされることが示された。

 これら顔に関する情報をコードしていたニューロンの解剖学的位置について調べたところ、主に上側頭溝の下壁と下部側頭葉回に分布しており、上側頭溝の上壁には少数しか確認できなかった。また、コードしている情報の違いによってニューロンの分布に片寄りは認められなかった。

[まとめ]

 従来一意的にしか調べられていなかった顔情報について、多次元に分類された複数の情報に拡張して調べることにより、顔に関する複数の情報がサル側頭葉のニューロンの発火パターンにコードされていることがわかった。さらに、発火パターンには複数の情報が時間をわけてコードされていた。すなわち、反応の開始時からおおまかな分類情報が、それに遅れて詳細な分類情報がコードされていることが明らかになった。

審査要旨

 本研究は、霊長類のコミュニケーションに重要な役割を果たしていると考えられる顔が、サル脳の高次視覚野である側頭葉のニューロン活動にどのように表現されているのか究明する試みであり、下記の結果を得ている。

 1.覚醒サルに注視タスクで、サルとヒトの表情の異なる顔画像を28枚、形と色の異なる図形画像を10枚、合計38枚の刺激画像をランダムに1枚づつ呈示し、側頭葉の単一ニューロン活動を記録した。2頭のサルの3半球で、合計1793個の単一ニューロン活動を調べたところ、144個(8%)が顔画像に反応した。

 2.顔画像に反応したニューロンのうち82個について、ニューロン活動の時間的パターンに顔の情報がどのようにコードされているか、時間をくぎって経時的に情報量を計算した。顔の情報として、刺激画像の8種類の分類の各々について計算をした。そのうち4種類の分類は「おおまかな分類情報」に属し、顔対図形、サル対それ以外、ヒト対それ以外、サル対ヒト、であった。残りの4種類は「詳細な分類情報」で、サルの個体、サルの表情、ヒトの個体、ヒトの表情、の分類であった。68個のニューロン(83%)が8つの分類情報のうちのいずれかをコードしていた。うち、33個のニューロン(49%)がおおまかな分類あるいは詳細な分類のどちらかの情報をコードしていた。一方、残りの35個のニューロン(51%)はおおまかな分類と詳細な分類の両方の情報を複合してコードしていた。さらに複合情報をコードしていた35個のニューロンについて、おおまかな分類と詳細な分類の潜時の比較を検討した。その結果、詳細な分類情報の潜時がおおまかな分類情報の潜時に有意に遅れていた(平均約53ミリ秒)。従って、詳細な分類情報はおおまかな分類情報に遅れてコードされることが示された。また、ニューロンの反応の潜時とおおまかな分類情報の潜時を比較した結果、両者にはほとんど差がなく、おおまかな分類情報はニューロンの反応の立ち上がりの部分からコードされると思われた。おおまかな分類が詳細な分類に先行するというこの傾向は、有意な情報をコードしていた全68個のニューロンでも確かめられた。それら全ニューロンについては、約40ミリ秒詳細な分類がおおまかな分類に遅れてコードされることが示された。

 3.これら顔に関する情報をコードしていたニューロンの解剖学的位置について調べたところ、主に上側頭溝の下壁と下部側頭回に分布しており、上側頭溝の上壁には少数しか確認できなかった。また、コードしている情報の違いによってニューロンの分布に片寄りは認められなかった。

 以上、本論文は、従来一意的にしか調べられてこなかった顔情報について、多次元に分類された複数の情報に拡張して調べることにより、顔に関する複数の情報がサル側頭葉のニューロン活動にコードされていることを示し、さらに、おおまかな分類情報に遅れて詳細な分類情報がコードされていることを明らかにした。本研究は視覚情報の脳内処理の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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