学位論文要旨



No 114497
著者(漢字) 望月,修一
著者(英字)
著者(カナ) モチヅキ,シュウイチ
標題(和) 波動型人工心臓のポンプ拍出量およびポンプ揚程推定のためのモデル構築
標題(洋)
報告番号 114497
報告番号 甲14497
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1417号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,瞭
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 矢崎,義雄
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 満渕,邦彦
内容要旨 1.研究の背景および目的

 埋込型完全人工心臓(以下TAH)は心臓移植とともに、今後難治性の心臓病の治療法の一つとして重要な役割をはたすと考えられ、その開発においては様々なアイデアの下で各国がしのぎを削っている。しかしながらその実現のためには装置の小型化や制御方法をはじめとして、多くの問題点が存在している。

 この埋込型完全人工心臓を実現するために、われわれの研究室では波動型完全人工心臓の開発を行っている。この人工心臓の血液ポンプ(波動ポンプ)の基本構造を図1および図2に示す。ポンプは流入口と流出口の間に仕切を有する円形のハウジング、仕切に噛み合うように切り欠きを有するドーナツ状の円板と、円板の中央に設けたクランク軸(undulation shaft)及び軸をシールする一対の膜によって構成される。円板はこのクランク軸によってある一定の角度を持って設置され、円板とポンプハウジングとの間で近接した部分を作る。軸を回転させることにより、円板は揺動運動を行い、これに伴い円板とポンプハウジングの近接点が円周方向に移動する。この近接点の前後では、血液の吸引と圧排が同時に起こるため、血液はポンプの流入口から吸引され、軸が一回転することによりポンプ室内に充填され、次の一回転で流出口へと移動し、吐出される。この流れは円板の両面で180度の位相差をもって現れるため、出口では両者が加算されて連続流となる。このポンプは直径75mm厚さ20mm内部容量26ml全容量88mlの大きさで、120mmHgの後負荷に対して1800回転で10L/min程度の駆出能力を持ち人工心臓ポンプとして十分な性能がある。現在、このポンプを2つ使用し、それぞれのポンプに1つずつブラシレスDCモータを接続した構造とし、左右独立にポンプ拍出量を制御できる埋込型完全人工心臓(以下、波動型完全人工心臓)の研究開発を進めている。

図1 波動ポンプの構造図2 波動ポンプの原理

 いっぽう、完全人工心臓の拍出量を生体の要求に応じてどう制御するかも古くから解決し得ていない難しい問題である。しかし、われわれは最近人工心臓装着動物の抹消抵抗の変化に応じて拍出量を自動的に変えてやる制御方法(1/R制御)を考案し動物実験を行っている。このシステムではバイオフィードバックの現象を利用することによってヤギが自ら末梢抵抗を変化させて心拍出量を選択できるようになっており、空気駆動型の完全人工心臓ヤギにこの制御方法を適用して532日間の世界最長生存を得、従来見られていた種々の病態も見られなくなっている。波動型完全人工心臓にもこの方法を用いる予定であるがそれにはポンプ拍出量と動静脈血圧の差圧の計測が不可欠である。また他施設で開発されている人工心臓システムにおいても、必ず心拍出量と血圧の計測が必要である。しかし、電磁流量計と半導体圧力センサーを用いた現在の計測装置は長期間の安定性や抗血栓性に問題を有し、また体内埋込に際しては大きさの点でも大きな問題となり、センサーを用いない計測システムの開発が急務とされている。

 本研究は電流値など電気駆動型人工心臓の入出力特性を利用して波動型完全人工心臓の連続流駆動下における流入出差圧(水頭)および拍出量をセンサーなしに推定するための波動ポンプのモデルを構築することを目的とする。

2.方法

 波動ポンプは基本的にはシリンダーポンプと同じ容積型であるが、円板とハウジングの間に隙間がありポンプ内に逆流が存在する。このような波動ポンプの特性を考慮した上で、一般的なシリンダーポンプにおける性能推定法を適応することにより、次のような定常流下での波動ポンプのモデルを導出した。

 

 

 

 

 ここで、Tm:モータトルク、Vo:有効ポンプ体積、P:ポンプ流入出差圧、Cf:回転摩擦定数、Cd:流路抵抗定数、N:モータ回転数、:流体粘度、Sc:ポンプクリアランス係数、Ki:モータトルク係数、I:モータ電流、Kr:モータ回転数係数である。

 波動ポンプを接続した模擬循環回路を用いて、モータ回転数と後負荷を変化させてポンプ特性の計測を行い、(1),(2-1),(2-2),(3)式中の定数を算出した。次に算出された定数を用いて、(3)式よりモータ駆動電流Iと回転数Nからモータ軸トルクTmを算出し、(1)式を用いて流入出差圧Pを推定した。さらにこれを(2-1),(2-2)式に当てはめポンプ拍出量Qを推定した。この際ポンプ特性の計測には、38℃において血液と同等の粘度をもつグリセリン水溶液を用いた。

 また成ヤギに波動型人工心臓装着し、自然心臓を細動状態にすることによって、完全人工心臓として作動させ定常流下で駆動させた際のポンプ拍出量と動静脈差圧の推定を行った。さらに胸腔内に埋め込んだ場合についても実験を行った。また埋め込んだ場合は左房圧(LAP)を0〜20mmHgとする制御を行った。

3.結果

 模擬循環回路を用いての計測結果を(1),(2-1),(2-2),(3)式にあてはめてVo,Cf,Cd,Tc,Ki,Krを求めた。この結果以下のように式中の定数が決定した。

 

 

 図3にこれらの係数を用いて式(1),(2-1),(2-2),(3)から推定した流入出差圧、拍出量と実際の計測値を比較したグラフを示す。この結果ヘマトクリット値7%から42%に相当する範囲の粘度において、流入出差圧は相関係数0.985、標準偏差8.16mmHgで良く一致した。また、拍出量に関しては相関係数0.956、標準偏差0.547L/minと数値的には満足な相関が得られた。さらに実測拍出量と推定拍出量との差から逆流量がある場合と無い場合に分けて推定を行った。この結果、逆流が無い場合、流入出差圧は相関係数0.991、標準偏差3.27mmHg、拍出量は相関係数0.997、標準偏差0.13L/minで推定が可能であった。また逆流がある場合は同様に、流入出差圧は相関係数0.979、標準偏差4.88mmHg、拍出量は相関係数0.979、標準偏差0.30L/minで推定が可能であった。以上より逆流の有無について場合分けを行った場合は、拍出量については相関係数が向上、標準偏差が低下し、圧については数値的には大きな変化は見られなかったが、ばらつきの減少が見られた。

 またヤギを用いた実験では、逆流があるものとして推定を行った。この結果を図4から6に示す。流入出差圧については平均誤差1.97mmHg標準偏差1.79mmHgで推定が行え、また拍出量については平均誤差0.21L/min,標準偏差0.30L/minで推定が行えた。図6ではadrenaline 1mgを静注した場合の変化を見ることにより、血管抵抗の急激な変化にも十分追従出来ることがわかった。

4.考察

 波動ポンプはその動作様式や構造が複雑で流体力学的な構造解析もようやく着手した段階である。このため拍動流などの複雑な駆動様式では、その解析は困難であろうと予測されていた。ところが定常流下ではこのような比較的単純なモデルでも、人工心臓制御に必要十分な精度で推定が可能であることが示された。これは今後の拍動流における解析に対しても大きな可能性を与えるものである。しかし今回の結果は逆流の有無が結果に対して大きな影響を及ぼすことを示しており、今後逆流量についてもなんらかのモデルを作成することによってより高精度の推定が行えるようにする必要がある。

 1例目の急性動物実験では差圧および拍出量について一部一致しない部分が見られた。すなわち流入出差圧については左房圧が高い部分(-10mmHg以上)では良い一致が見られたが、左房圧が低い部分では推定値が測定値より高めに算出され、差圧が高いほど差が大きくなる傾向が認められる。拍出量については、左房圧が高い部分ではやはり良い一致が見られたが、左房圧が低い部分で推定値が測定値より低めに算出されている。この現象は次のように説明できる。この左房圧が低い部分は循環血液量が低下し、左心房への血液還流が不十分なため左心房が流入カニューレに吸着し流入障害が起きている状態を示している。肉眼的にはキャビテーションは確認できなかったが、このような条件では目に見えないような微少なキャビーテーションが発生し、モータにより加えられた仕事の一部がキャビテーションとして消費されていると考えられる。このことは流入出差圧が大きいほど誤差が大きくなることからも示唆される。このためモータ電流は、キャビテーションを起こすのに使われた仕事の分だけ大きく計測される。モータ電流が増加すると推定モータトルクが増加し、ひいては推定流入出圧が実際の流入出差圧よりも増加する。また推定流入出圧が増加すると(2-2)式より逆流量が増加し、推定拍出量は実際の拍出量に比べて減少することになる。

 この吸着に関しては波動型完全人工心臓の慢性動物実験でも問題になっている点であり、(1)モータ電流を監視することにより、吸着時の電流波形から吸着状態を検出しモータを低回転状態にすることにより吸着を解除する、(2)心房圧を監視し心房圧が一定範囲内になるようにモータ回転数を制御する、という方法をとることにより、ほぼ解決の目処が立っており、実際に2例目の動物実験ではこの手法を用いることにより、十分な精度で推定が出来ることが証明された。

 今後の課題としては、逆流の推定モデルの構築、拍動流下での推定法の開発、長期安定性の検討が挙げられる。逆流量の推定モデルに関しては、ある程度のところまで進んでいるが、現在のところ波動ポンプが手作りであるため成型時の誤差、抗血栓性材料の被覆の厚さの相違、組立時の誤差などが重なって実際の逆流量は一つ一つのポンプによって微妙に異なり、これが種々の係数の決定を難しくしているのが現状である。これらの問題は、将来ポンプの製作が自動化されるとともに解決されると考えられる。拍動流モデルについては当初は非常に難しいと考えられていてが、今回の定常流におけるモデルが極めて小さな推定誤差で流入出差圧と拍出量を推定できたことから考えて、モデルの構築はそれほど困難ではないと考えられる。長期の安定性については、現状で慢性動物実験での19.8日の最長生存が得られた状態で、長期間使用した場合のポンプの構造変化についてはまだ未知である。この検出方法やキャリブレーションの方法についても今後検討する必要があると考えられるが、ポンプの開発過程における長期間の構造変化の検討にこのモデルが有用であると考えられる。すなわち構造が変化した際のパラメータを調べることにより、ポンプのどの部分がどのように変化したかを見ることができ、開発の効率化が可能となる。最終的にはこのような過程を経ることにより安定なポンプの製作を目指している。

 方法論としてこの手法を見ると、まずポンプの構造モデルを構築し、そのモデルの正当性を実際のポンプを用いて評価した。さらにその結果を用いて動物実験での評価を行っている。従来の遠心ポンプやプッシャープレート型のポンプにおいては類似のものが工業的に確立されているため、このような手法は必要ない。しかし波動ポンプのような全く新しい原理のポンプの場合、この手法に基づくのがよいと考えられる。

 この手法を用いることにより、構造が複雑で流体力学的な解析が困難な開発途上のポンプにおいても、その解析の手段を与えるともに、開発の効率化を進めることが出来るようになると考えられる。

5.結論

 複雑な構造をもつ波動ポンプをシリンダーポンプと見なすことによって多項式からなる単純なモデルを構築した。このモデルを用いることにより、定常流下において波動型完全人工心臓の流入出差圧および拍出量を、駆動用モータの電流および回転数から推定出来ることを確認した。この手法を用いることにより定常流下では十分実用となりうる精度で、流入出差圧と拍出量がモータ駆動電流と回転数から推定可能となり、長期間の抗血栓性や信頼性に限界がある血圧や血流量センサーを使用する必要がなくなった。このことは、埋込型完全人工心臓システムのエネルギー消費量の節減、信頼性の向上および小型化を進める上で極めて意義深いものである。また、今回の結果は次の段階としての拍動流下における推定モデルの構築の可能性を示唆するものでもあった。さらに開発途上にある人工心臓ポンプをより効率的に解析・開発する手法を与えるものとして意義があると言える。

図3 模擬循環回路による実測値と推定値の比較 図4 動物実験における実測値と推定値の比較図5 埋込実験での実測値と推定値の比較図6 血管抵抗を変化させた場合の比較
審査要旨

 本研究は人工心臓開発で重要な役割を果たす生体計測系において、駆動源(モータ)の情報(モータ電流およびモータ回転数)から血液ポンプの動作状況(ポンプの流入出差圧およびポンプ拍出量)を推定する方法を構築するために、人工心臓血液ポンプ部分の数値モデル化を行うことを試みたものであり、波動型人工心臓という新しいポンプを用いた人工心臓について上述の解析を行い下記の結果を得ている。

 1.波動型人工心臓のポンプ部分である波動ポンプは非常に複雑な構造をもち、その運動形式も複雑なポンプである。このポンプをその構造からシリンダーポンプを用いてモデル化した。この際円板とハウジングの間に隙間がありポンプ内に逆流が存在するという波動ポンプの特性を考慮した上で、次のような定常流下での波動ポンプのモデルを導出した。

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 ここで、Tm:モータトルク、Vo:有効ポンプ体積、P:ポンプ流入出差圧、Cf:回転摩擦定数、Cd:流路抵抗定数、N:モータ回転数、:流体粘度、Sc:ポンプクリアランス係数、Ki:モータトルク係数、I:モータ電流、Kr:モータ回転数係数である。

 2.波動ポンプを接続した模擬循環回路を用いて、モータ回転数と後負荷を変化させてポンプ特性の計測を行い、(1),(2-1),(2-2),(3)式中の定数を以下のように算出した。

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 次に算出されたこれらの定数を用いて、(3)式よりモータ駆動電流Iと回転数Nからモータ軸トルクTmを算出し、(1)式を用いて流入出差圧Pを推定した。さらにこれを(2-1),(2-2)式に当てはめポンプ拍出量Qを推定した。この際ポンプ特性の計測には、38℃において血液と同等の粘度をもつグリセリン水溶液を用いた。

 この結果ヘマトクリット値7%から42%に相当する範囲の粘度において、流入出差圧は相関係数0.985、標準偏差8.16mmHgで良く一致した。また、拍出量に関しては相関係数0.956、標準偏差0.547L/minと数値的には満足な相関が得られた。

 3.さらに実測拍出量と推定拍出量との差から逆流量がある場合と無い場合に分けて推定を行った。この結果、逆流が無い場合、流入出差圧は相関係数0.991、標準偏差3.27mmHg、拍出量は相関係数0.997、標準偏差0.13L/minで推定が可能であった。また逆流がある場合は同様に、流入出差圧は相関係数0.979、標準偏差4.88mmHg、拍出量は相関係数0.979、標準偏差0.300L/minで推定が可能であった。以上より逆流の有無について場合分けを行った場合は、拍出量については相関係数が向上、標準偏差が低下し、圧については数値的には大きな変化は見られなかったが、ばらつきの減少が見られた。

 4.成ヤギに波動型人工心臓装着し、自然心臓を細動状態にすることによって、完全人工心臓として作動させ定常流下で駆動させた際のポンプ拍出量と動静脈差圧の推定を行った。さらに胸腔内に埋め込んだ場合についても実験を行った。また埋め込んだ場合は左房圧を0〜20mmHgとする制御を行った。これらの動物実験については逆流があるものとして推定を行った。

 流入出差圧については平均誤差1.97mmHg標準偏差1.79mmHgで推定が行え、また拍出量については平均誤差0.21L/min,標準偏差0.30L/minで推定が行えた。左房圧制御を行った埋込実験では、駆動条件を変化させた場合、流入出差圧については平均誤差1.01mmHg標準偏差3.07mmHg、また拍出量の推定については平均誤差0.0481L/min,標準偏差0.451L/minで推定が可能であった。同様にadrenaline 1mgを静注し血管抵抗を変化させた場合は、流入出差圧については平均誤差0.917mmHg標準偏差7.72mmHgで、また拍出量の推定については平均誤差0.198L/min,標準偏差0.498L/minで推定が可能であった。

 5.以上の実験より構築したモデルがポンプ構造を十分に表現できていることがわかった。またこのような手法を用いてポンプ解析を行うことにより、開発途上の構造が未知のポンプの開発が効率的に行える可能性が示された。

 以上、本論文は人工心臓の血液ポンプの開発において、ポンプのモデル構築を行いその結果を模擬循環回路および動物実験にて検証することに成功した。また波動型人工心臓については定常流下においてモータ電流およびモータ回転数からポンプの流入出差圧およびポンプ拍出量を推定する方法を確立した。本研究は構造が未知のポンプ開発おいて、これまで試行錯誤的に進めるしかなかったポンプ設計法に新しい手法を提案し、血液ポンプの設計開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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