学位論文要旨



No 114501
著者(漢字) 坂井,克之
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,カツユキ
標題(和) 手続き学習の神経機構 : 前補足運動野を中心に
標題(洋)
報告番号 114501
報告番号 甲14501
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1421号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉下,守弘
 東京大学 教授 桐野,高明
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 桐谷,滋
内容要旨

 我々は新しい行動パターンを獲得する際、最初のうちは一つ一つの場面ごとに試行錯誤をしながら正しい動作を選択する。ところが同じ動作を繰り返すにつれて、各場面ごとに正しい動作を行なえるのみならず、次第に先の場面までを想定できるようになり、一連の動作をスムースに行えるようになる。このような繰り返しによる一連の行動の、注意に基づく処理から自動的処理への移行を手続き学習と呼び、認知的プロセスが宣言的段階から手続き的段階へと移行することによるものと考えられている。それではこのような学習の過程は脳内のどのようなメカニズムで起こっているのだろうか。脳は現在機能局在の考えに基づき多くの領域に細分化され、それぞれが固有の機能を有していると考えられる。ところが実際の我々の日常の行動は、1つの脳領域の単独の機能のみで行われることはあり得ず、個々の領域の相互作用で生成される機能によって営まれていると考えられる。特に学習は、各領域が担う情報が他の領域に伝達、統合、変換されていく動的相互作用の産物である。本論文は、学習に伴って脳活動がどのように変化していくかを解析することにより、学習における脳内のダイナミックな情報処理過程を明らかにすることを目的とする。ここで脳内情報処理過程を正しく理解するためには、単独の方法論のみでは限界がある。本研究ではヒトを対象とした機能的核磁気共鳴画像(fMRI)実験、及びサルを対象とした神経細胞活動記録実験を併用した。前者では脳全体の活動の測定が可能であり、脳のどの領域が学習に関係しているかを明らかにすることができる。一方後者ではその学習関連脳領域内の神経細胞活動を記録することにより、学習における情報処理が個々の神経細胞でどのように実現されているかを解析することが可能である。さらに動物実験において障害実験を行い、その脳領域が学習に際して必須であるかどうか、いわゆる"functional relevance"の検証を行なった。

 まずヒトを対象としたfMRI実験を行い、学習関連脳領域を同定した。行動課題として用いた手続き学習課題は、10種類の視覚刺激それぞれに対応した正しいボタンの押し方を試行錯誤により学習し、この10種類の刺激が一定の順序で繰り返し提示されることにより、一定のボタン押し系列動作を獲得していく課題である。すなわちこの課題では視覚運動連合学習の要素と系列学習の要素が含まれている。この課題を学習している際の脳活動を、どのような順序でボタンを押してもよいコントロール条件の脳活動と比較することにより、学習に関連した脳活動を解析した。その結果、背外側前頭前野、前補足運動野、頭頂葉内側部(楔前部)及び頭頂間溝後部の少なくとも4つの大脳皮質領域が手続き学習に関連していることが明らかとなった。これらの領域は互いに線維連絡をもち、学習のための脳内ネットワークを構成すると考えられる。次に各被験者の学習成績に基づいて、学習段階を初期、中期、後期と分けて脳活動の推移を追ったところ、これら4つの領域はそれぞれに異なった時系列活動変化を示すことが明らかとなった。すなわち背外側前頭前野は学習の初期に、前補足運動野は学習初期と中期に、楔前部は中期、頭頂間溝後部は学習中期と後期といったように、それぞれが学習の異なった段階で強く活動した。このような前頭葉から頭頂葉への脳活動の推移は、学習における認知的プロセスの宣言的段階から手続き段階への移行を反映するものと考えられた。またこの学習のための脳内ネットワークは固定した活動を示すものではなく、学習に伴い動的にその回路の中の比重を変化させるものであることが示された。

 ところが、ここで用いた手続き学習課題には視覚刺激に対して正しい反応を獲得する連合学習の要素と順序を学ぶ系列学習の要素が含まれている。そこで次に、先に挙げた学習関連脳領域のうち前補足運動野に焦点をしぼって、この領域が連合と系列のどちらに関係しているかの検討を行なった。この実験では運動系列学習課題、視覚系列学習課題及び視覚運動連合学習課題を用いた。この3つの課題はともに連合学習の要素を含むが、系列の要素は前二者の課題にのみ含まれる。ヒトを対象としたfMRI実験により、学習中の前補足運動野の時系列活動変化を解析したところ、系列学習が含まれる場合には学習に伴い次第に活動が減少するのに対して、連合学習のみの課題では一定の活動が持続した。系列の要素がなくても前補足運動野の活動がみられたことから、この領域は系列よりも視覚運動連合の要素に関わっていると考えられる。これに系列学習の要素が加わると、一連の視覚あるいは運動情報処理過程の手続き化が行われることにより、視覚運動連合の読み出しの過程が自動化されることにより前補足運動野の活動が低下すると考えられた。従ってさらに言うならば、前補足運動野は視覚運動連合の記憶に対する意識的な操作、すなわちその獲得及び意識的な読み出しに関与していると考えられる。

 次に以上のfMRI実験により観察された脳活動の変化が本当に神経細胞活動の変化を反映しているかどうかを確認するために、サルを用いた動物実験を行った。サルにヒトと同様の手続き学習課題を行うように訓練し、前補足運動野及びその後方部に位置する固有補足運動野より神経細胞活動記録を行なった。前補足運動野の神経細胞の30.2%は、fMRI実験の結果と全く同様に新しい系列動作を学習する際に顕著な活動を示し、学習が進むにつれてその活動が減少した。また完全に習熟した系列動作を行う際には、前補足運動野の3.7%に活動がみられるに過ぎなかった。これに対して固有補足運動野では、新しい系列動作に特異的に反応する細胞は10%、習熟した系列動作に反応する細胞は7.7%と、両者で差が見られなかった。これらの結果は、細胞レベルでも前補足運動野が新たな手続きの獲得に関係していることを示すものであり、またfMRI実験の結果と同様に学習に伴って活動が減少することが明らかとなった。さらに前補足運動野の細胞は、視覚刺激に対してボタン押し動作を選択する時点で発火しており、このことは前補足運動野が視覚運動連合に関係しているという前項の推論を支持する。さらにこれらの細胞が特定の視覚刺激ではなく、すべての視覚刺激パターンに対して同じように反応することは、この領域が視覚運動変換そのものではなく、この変換を行なうためのより高次な認知的要素に関与していることを示唆する。このことは、先に主張した連合の記憶に対する意識的操作という考えに一致する。

 さらに、学習課題遂行中のサルの前補足運動野及び固有補足運動野に対して、抑制性神経伝達物質類似薬(muscimol)を注入し局所神経活動阻害実験を行った。これらの領域のブロックにより、サルが新しい系列動作を学習する際の誤りの数は増加したが、前補足運動野をブロックした場合の方が学習障害効果は有意に大きかった。このことは前補足運動野が学習に必須であることの証明となる。一方、習熟した系列動作の遂行に際しては、双方の領域のブロック共に効果がみられなかった。このことは系列動作がいったん習得されてしまった後では、前補足運動野は重要な役割を演じていないことを示唆しており、fMRI実験でも神経細胞活動記録実験でも学習後期に前補足運動野の活動が減少を示したことと一致する。

 以上の結果から、前補足運動野は連合反応の獲得、すなわち正しい動作の選択に関与していることが示された。ところが学習の初期においては、すでに述べたように注意に基づく情報処理が行なわれている。そこで問題になるのは、前補足運動野の活動が非特異的な注意に関与しているだけではないかという疑問である。そこで正しい反応の選択に加えて、運動のタイミングの調節を要する選択反応課題を用いた実験を行なった。反応の種類あるいは反応のタイミングが予測不可能な場合には、予測できる場合に比べてより注意が必要とされると考えられるが、両者を独立に操作することにより、前補足運動野の活動が反応選択のみに関連しているのか、時間制御にも関与する非特異的な注意を反映したものかを明らかにすることが可能となる。fMRI実験により脳活動を計測したところ、前補足運動野の活動は反応選択の過程にのみ影響され、時間制御の過程には影響されなかった。逆に小脳後葉外側部の活動は時間制御の過程にのみ影響されることが示された。このことは前補足運動野が、非特異的な注意ではなく反応選択に特異的に関与していることを示唆する。

 以上、本論文では手続き学習における脳活動の動的変化について前補足運動野を中心に述べた。前補足運動野は、学習に関わる前頭頭頂連合野のネットワークの一部を構成し、特に視覚運動連合の獲得およびその意識的な読み出しに関わっていることが明らかとなった。またこの前補足運動野の活動は連合反応に選択的に関与し、時間的側面の運動制御とは独立して働いていることを示した。さらに、系列学習が進み一連の動作の手続き化が行われると、前補足運動野は学習に関与しなくなることが示された。こういった学習に伴う脳活動の変化は、連合から系列へ、あるいは注意に基づく処理から自動的処理へと推移する学習による情報処理の効率化を反映していると考えられる。

審査要旨

 本研究は手続き学習に際しての脳活動、特に前補足運動野の活動及びその果たす役割を明らかにするため、ヒトを対象とした機能的核磁気共鳴画像(fMRI)実験、さらにサルを対象とした神経細胞活動記録実験及び脳領域不活化実験を行ない以下の結果を得ている。

 1。正常ヒト被験者に、連続して提示される視覚刺激に対応した正しいボタン押しの順序を試行錯誤しながら学習する手続き学習課題を行なわせた。この際の脳活動をfMRIを用いて計測したところ、背外側前頭前野、前補足運動野、頭頂葉内側部(楔前部)及び頭頂間溝後部の少なくとも4つの大脳皮質領域が手続き学習に関連していることが明らかとなった。また学習に伴う脳活動の推移を追ったところ、背外側前頭前野は学習の初期に、前補足運動野は学習初期と中期に、楔前部は中期、頭頂間溝後部は学習中期と後期と、それぞれが学習の異なった段階で強く活動することが明らかとなった。このような前頭葉から頭頂葉への脳活動の推移は、学習における認知的プロセスの宣言的段階から手続き段階への移行を反映するものと考えられた。

 2。前補足運動野が手続き学習に必要とされる視覚運動連合の要素と系列の要素のどちらに関係しているかを正常ヒト被験者を対象としたfMRI実験により検討した。系列の要素がなくても前補足運動野の活動がみられたことから、この領域は系列よりも視覚運動連合の要素に関わっていると考えられた。これに系列学習の要素が加わると、前補足運動野の活動は次第に低下した。このことから前補足運動野は視覚運動連合に対する意識的な処理に関与していることを示唆する。

 3。サルにヒトと同様の手続き学習課題を行うように訓練し、神経細胞活動記録を行なった。前補足運動野の神経細胞は、新しい系列動作を学習する際に顕著な活動を示し、学習が進むにつれてその活動が減少した。この結果は、細胞レベルでも前補足運動野が新たな手続きの獲得に関係していることを示すものである。さらに前補足運動野の細胞が特定の視覚刺激ではなく、すべての視覚刺激パターンや運動パターンに対して同じように反応することより、この領域が視覚運動変換そのものではなく、この変換を行なうためのより高次な認知的処理に関与していることが示唆された。

 4。学習課題遂行中のサルの前補足運動野に対して、抑制性神経伝達物質類似薬(muscimol)を注入し局所脳領域不活化実験を行った。前補足運動野のブロックにより有意に学習障害効果が認められたことより、前補足運動野が学習に必須であることが証明された。一方、習熟した系列動作の遂行に際しては不活化の効果はみられず、系列動作がいったん習得されてしまった後では、前補足運動野は重要な役割を演じていないことを示唆した。

 5。前補足運動野の活動が非特異的な注意を反映しているのか、あるいは反応選択のみに関連しているのかを明らかにするために、正常ヒト被験者を対象としたfMRI実験を行なった。前補足運動野の活動は反応選択の過程にのみ影響され、時間制御の過程には影響されなかった。逆に小脳後葉外側部の活動は時間制御の過程にのみ影響されることが示された。このことは前補足運動野が、非特異的な注意ではなく反応選択に特異的に関与していることを示唆する。

 以上、本論文では手続き学習の神経機構について特にその動態的側面に焦点を当て、学習に伴って脳活動が前頭葉から頭頂葉に推移すること、また特に学習初期に活動する前補足運動野が視覚運動連合に対する意識的処理に関与していることを明らかにした。本研究は、最近その存在が明らかにされた前補足運動野の機能の解明に重要な貢献をなすと考えられる。さらに脳活動の動態的側面の解析という斬新なアプローチから、ヒトを対象とした(fMRI)実験とサルを対象とした神経細胞活動記録実験及び脳領域不活化実験を組み合わせて総合的な解釈をするという魅力的な試みがされており、今後の神経科学の研究の発展に寄与するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54713