学位論文要旨



No 114505
著者(漢字) 菊地,優子
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,ユウコ
標題(和) マウス放射線誘発胸腺リンパ腫の重篤度の線量依存性に関する実験的検討 : 病理組織学的視点に着目して
標題(洋)
報告番号 114505
報告番号 甲14505
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1425号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 助教授 真鍋,重夫
 東京大学 講師 小野木,雄三
 東京大学 講師 酒井,一夫
内容要旨 1.研究目的

 放射線影響としての確率的影響のひとつである放射線誘発ガンは、放射線防護・安全の視点からは発生確率は線量に依存するが、ガンの重篤度は線量に依存しないと仮定されている。しかし、この仮定の生物学的根拠となっている単一細胞のDNA損傷が発ガンの原因であるとする単純な仮説が近年疑問視されており、現に、ヒトの放射線誘発皮膚癌では被ばく線量が高いほど悪性度の高い扁平上皮ガンが多いことが報告されている。これらのことから、確率的影響の線量反応関係、線量影響関係についての再検討が必要と考え、本研究では、C57BL/6Jマウスの胸腺リンパ腫(TL)に着目して、放射線誘発ガンの重篤度の線量依存性を実験的に検証するために病理組織学的に観察し、検討を行った。

2.研究方法(1)放射線照射

 TLを高頻度に誘発させるために、Kaplan等により確立された手法を用い、生後33日令のC57BL/6Jマウスに、8日おきに4回の分割照射を行った。線源は137Cs線を用い、1回当たりの線量は、1.0Gy、1.5Gy、2.0Gyとした。

(2)病理解剖

 TLやその他の腫瘍の発育の時間的経過を正確に観察するために、病理解剖は初回照射日より50日、75日、100日、125日、150日、175日、200日、250日、300日と経時的に行った。各観察時に、マウスを屠殺し、マウス体重、臓器重量(胸腺、脾臓)、各臓器の肉眼的な異常、腸間膜やリンパ節の異常、胸水や腹水の有無、などを観察した。

(3)HE染色病理組織標本の観察

 病理解剖後、各マウスから胸腺、肺、肝臓、脾臓の各臓器を摘出し、ブアン固定後、通常の方法でパラフィン包埋を行った。パラフィン包埋した組織から、5mの組織切片をつくり、HE染色を行い、HSR液で封入後、観察用組織標本とした。組織標本は、30倍〜1500倍の光学顕微鏡下で観察し、胸腺組織内での腫瘍細胞の増殖の程度、TLの肺、肝臓、脾臓での浸潤の程度、リンパ節の腫大の程度、などTLの広がりの程度を臓器毎で5段階、リンパ節で4段階に判定し(Class)、それらの結果と臓器肥大の程度などを元にTLの総合重篤度(Severity Index)を判定した。Severity Indexは今回新しく重篤度を判断する方法として導入した指標で、TLの重篤度を、TLの原発臓器である胸腺の状態のみでなく、肝臓、肺、脾臓への転移の程度やリンパ節への腫大の程度を考慮し、TLを総合的に評価しようとしたものである。

(4)p53免疫組織染色標本の観察

 腫瘍の有無の判断の難しい早期のTLを定量的に評価することを目的として、観察日の早い75日群、100日群のマウスに対し、ヒトでは臨床的に使われているp53免疫組織染色を行った。p53免疫組織染色をマウスに適用した事例はほとんどないためヒトに用いられている手法を改善した。組織切片は、脱パラフィンした後、p53のepitopeの回復のためマイクロウェーブ処理をし、p53の抗体M-19を用いて免疫組織染色を行い、カウンター染色を行った。マイクロウェーブの処理時間を約80分にしたこと、および一次抗体の反応時間を2晩にしたのが、主とした改善点である。p53陽性の染色程度(Labeling Index)の評価は、p53陽性細胞の染色数(%)と染色強度(4段階)を用いて判定した。測定は600倍の光学顕微鏡下で行い、測定箇所は各臓器ごとに4箇所とし、臓器毎に平均したものの和をその個体の総合染色程度(Total Labeling Index)とした。

3.研究結果3-1.HE染色組織標本観察結果(1)胸腺リンパ腫の発生率と潜伏期の線量依存性

 観察した616匹のマウスの内、154匹がTLを発症した。TLの発生率を雌雄別にFig.1に示す。雌雄ともにTLの発生率の線量依存性が認められた。発生率には雌雄差が認められ、雌のTL発生率が雄よりも有意に高かった(p<0.05)。発生率の線量反応の仕方にも雌雄差が認められた。また、TLの最小潜伏期に線量依存性、雌雄差は認められず、初回照射後50日から75日に発症していることが認められた。TLの発生は線量に関わらず、初回照射後150日までにその80%が発症していることがわかった。

(2)胸腺リンパ腫の重篤度の線量依存性

 胸腺、肺、肝臓、脾臓、および、リンパ節でのClassを判定し分布をみたところ、いずれの臓器および組織においても日令の増加とともに、進行度の高いClassが観察された。また、同じ観察日で臓器、リンパ節間の比較をした場合、肝臓、リンパ節などに比べて、胸腺、脾臓、肺で進行度の高いClassが観察された。これよりTLは、肝臓、リンパ筋よりも脾臓、肺に早く転移をすることがわかった。TLのSeverity Index(SI値)を線量別にFig.2に示す。SI値が1に近い程、より重症なTLを示す。線量の増加とともにより高いSI値が認められ、TLの重篤度に線量依存性が認められた。線量の高い群でのTLの進行が線量の低い群に比べて速いことが認められた。重篤度には雌雄差は認められなかった。

3-2.p53染色組織標本観察結果

 p53陽性反応個体の割合をFig.3に示す。どの線量群においても100日群において陽性反応個体の割合の増加が認められた。また、75日群から100日群の増加割合は、1.0Gy群、1.5Gy群、2.0Gy群でそれぞれ、14.2%、23.8%、50%であり、線量の高い群ほど急激な増加が認められた。p53陽性反応個体の割合に線量依存性が認められた。また、陽性反応個体の割合には雌雄差は認められなかった。p53のTotal Labeling Index(TLI値)をFig.4に示す。74〜184.7という高いTLI値が線量の高い1.5Gy群、2.0Gy群で認められ、TLI値の線量依存性が認められた。

3-3.HE染色組織標本観察結果、p53染色組織標本観察結果の比較(1)染色結果の比較

 HE染色とp53染色の結果の比較をTable1に示す。44個のTLの内、21個(47.7%)がp53染色陽性であった。p53により染色されなかったTLのSI値は低く、p53が重篤度の低いTLでは検出されないことがわかった。

(2)Severity IndexとTotal Labeling Indexの相関

 SI値とTLI値の相関をFig.5に示す。TLI値は、SI値が0.4以上になると急激に増加し、SI値の増加とともにTLI値の増加が認められた。

4.考察4-1.放射線誘発胸腺リンパ腫の発生率、潜伏期、重篤度、について

 (1)発生率 放射線誘発TLの発生率、およびその線量依存性については、先行研究においてもすでに報告されているが、多くの先行研究が死亡時点でTLの発生を確認しているのに対して、本実験では経時的にマウスを解剖した上で病理組織学的にTLの発生を確認しているので、照射後、早い時期での発生率が他の先行研究よりも高い。また今回、TLの発生率には雌雄間で違いがあるだけでなく、線量反応の仕方にも雌雄差が認められ、更には、発症した腫瘍の重篤度に関しては、雌雄間で差がないことがわかった。

 (2)潜伏期 先行研究の最小潜伏期間の長さは、縦隔や末梢のリンパ節の肥大が死の2、3日前に検出されるという理由で、死亡時をリンパ腫発症の時期としたために線量に関わらず最初の照射日より数えて約100日〜120日である。本研究では、最小潜伏期が線量に関わらず50日から75日の間であることが認められた。各臓器の標本の観察により、リンパ節肥大が起こる前に、脾臓、肺などへのTL細胞の転移が認められており、先行研究のように死亡時をTL発症時とすると正確な潜伏期が観察されないものと思われる。また、放射線誘発TLの発生過程で、前がん細胞である前リンパ腫細胞は照射後4日〜8日に胸腺内に生じ、照射後21〜31日目には63%以上の個体の胸腺に検出されるという報告があり、病理学的観察により最小潜伏期の長さが50日から75日であるということは妥当な結果であると考えることができる。

 (3)重篤度 本研究では、TLの発症してくる時期的な違いが線量間で認められないにも関わらず、どの観察日に発症したTLも、線量の高い群の重篤度がより高いことが認められた。これは、従来の放射線防護上の仮定である、確率的影響の重篤度には線量依存性が認められない、に相反する結果である。ガン化までに要する最少の時間は線量に関係なく一定で、ガン化してからの進行のスピード、すなわち重篤度に線量間で差があるということは、今回用いた線量の範囲内においては、放射線のガン化に至るまでの過程に対する影響は同じで、ガンの進行に関する影響が異なるということになる。これについては、ガン化やガンの進行に関係する細胞の変化を量的・質的に更に検討する必要がある。

4-2.p53免疫組織染色の有用性

 マウスTLのp53免疫組織染色の手法は確立されていない。本研究で、抗体濃度、マイクロウェーブ処理時間、一次抗体反応時間、などのさまざまな改善を加え、ブアン固定、パラフィン包埋処理した組織でも定量的に観察が可能な染色標本を作成する手法を考案した。このp53免疫組織染色を用いて、HE染色標本でTLの発症の有無の判断が難しい際に、定量的に腫瘍の有無を判断することを試みたが、SI値が0.4以上のTLにならないと、TLI値が大きく増加しないことがわかった。しかし、高い線量群では、より大きいTLI値が認められ、線量の増加とともにp53の量も増加することがわかった。

4-3.経時的観察の意義

 従来、発ガンに関する動物実験の大部分は生涯飼育で行われてきた。しかし、本研究では、経日的に屠殺し観察することによって、TLの発症時期、腫瘍の転移など進行の実態、腫瘍の重篤度の経日変化など貴重な情報を得ることができた。生涯飼育で観察されるマウスは、終末期の状態であるため、ガンの進行の変化に関する情報を得ることは難しい。また、線量の低い実験群では発症してくるガンの数が少ない上に、今回の実験でも観察されたようにガンがゆっくり進行するので、発症してから死に至るまでの時間も長くかかり、生涯飼育では長期的な観察日時が必要となる。以上のことから考えて、TLのように照射後比較的早い時期より発生してくる腫瘍については、飼育期間を決めた経時的観察が望ましいと考える。

5.結論

 本研究では、C57BL/6Jマウスを用いて、放射線誘発TLの発生率および重篤度の線量依存性について、病理組織学的手法を用いて検討した。その結果、放射線誘発TLには、発生率および重篤度に線量依存性が存在することがわかった。TLの発生率では雌雄差が存在し、その線量反応の仕方にも違いが認められた。TLの重篤度については雌雄差は認められなかった。p53陽性を示す個体割合、およびp53の染色程度には線量依存性が認められた。p53陽性個体割合、p53染色程度ともに雌雄差は認められなかった。また、初期のTLに対しては、p53は陽性反応を示さなかった。

Fig.1 Probability of thymic lymphoma in relations to the observing day.Fig.2 Severity Index of thymic lymphoma in each dose groupFig.3 Incidence of mice with positive p53Fig.4 Total Labeling Index of p53 in each miceFig.5 Relationship between Severity Index and Total Labeling IndexTable 1.Comparison between the histo-pathological analysis of the HE staining and immunostaining of p53.
審査要旨

 本研究は、近年疑問視されている放射線防護上の確率的影響に対する仮定を再検討するために、C57BL/6Jマウスに照射を行い、胸腺リンパ腫を誘発させ、その重篤度を経時的に病理組織学的に評価することによって、重篤度の線量依存性を実験的に検証することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.実験に供した616匹のマウスの内、胸腺リンパ腫を発症した154匹のマウスを観察した結果、雌雄ともに従来の確率的影響の仮定と同じく、胸腺リンパ腫の発生率の線量依存性が示された。また、発生率には雌雄差が認められ、雌の胸腺リンパ腫発生率が雄よりも有意に高い(p<0.05)ことが示された。発生率の線量反応の仕方にも雌雄差があることが示された。

 2.胸腺リンパ腫の最小潜伏期には線量依存性、雌雄差は認められず、初回照射後50日から75日に発症していることが示された。また、胸腺リンパ腫の発生は線量に関わらず、初回照射後150日までにその80%が発症していることが示された。

 3.胸腺リンパ腫の発症において時期的な違いが線量間で認められないにも関わらず、どの観察日に発症した胸腺リンパ腫も、線量の高い群の重篤度がより高いことが示された。これは、従来の放射線防護上の仮定である、確率的影響の重篤度には線量依存性が認められない、に相反する結果である。また、腫瘍の経時的解剖により線量の高い群での胸腺リンパ腫の進行が線量の低い群に比べて速いことが示された。今回用いた線量の範囲内においては、ガン化に至るまでの過程に対する放射線の影響は同じで、ガンの進行に関する放射線の影響が異なることが考えられる。重篤度に雌雄差は認められなかった。

 4.ブアン固定、パラフィン包埋したマウス胸腺リンパ腫組織でも染色可能となるp53免疫組織染色の手法を考案した。線量の増加とともにp53陽性個体割合、およびp53染色程度が増加し、p53陽性反応量に線量依存性があることが示された。p53陽性個体割合、p53染色程度ともに雌雄差は認められなかった。また、初期の胸腺リンパ腫に対して、p53は陽性反応を示さなかった。

 5.経時的にマウスを屠殺し観察することによって、胸腺リンパ腫の発症時期、腫瘍の転移など進行の実態、腫瘍の重篤度の経日変化など貴重な情報を得ることができることが示された。いずれの臓器および組織においても日令の増加とともに、胸腺リンパ腫の進行が確認された。また、肝臓、リンパ節などに比べて、脾臓、肺で胸腺リンパ腫細胞の進行が早く認められ、胸腺リンパ腫は、肝臓、リンパ節よりも脾臓、肺に早く進展することが示された。

 以上、本論文は、C57BL/6Jマウスの照射後、経時的な病理組織学的検査によって、胸腺リンパ腫の発症時期、発生率、悪性度の進展などを詳細に追跡した研究であり、確率的影響の従来の仮定に反して、放射線誘発胸腺リンパ腫の重篤度の線量依存性を明らかにした。多数の個体を使用し経時的に細かく調査しており、放射線誘発ガンの放射線防護上の評価に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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