学位論文要旨



No 114513
著者(漢字) 岡,政志
著者(英字)
著者(カナ) オカ,マサシ
標題(和) 胃発癌物質N-methyl-N’-nitro-N-nitrosoguanidine投与後のラット胃幽門腺部粘膜細胞の遺伝子発現変化
標題(洋)
報告番号 114513
報告番号 甲14513
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1433号
研究科 医学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 講師 門脇,孝
内容要旨

 胃の発癌の系はSugimuraらによって初めて報告されたN-methyl-N,-nitro-N-nitrosoguanidine(MNNG)を用いた経口投与の系が知られている.この系は世界で初めて実験的に胃癌をつくるに至った古典的な系であるが,現在に至るも最も重要な胃発癌の系である.また,癌化した細胞の遺伝子変化は,発癌の過程を知る上で大変重要である.今までに様々の遺伝子発現変化が調べられている.発癌の過程では様々の遺伝子の発現の消長がからみあっており,それらの一つ一つを明らかにすることは発癌の全体像をとらえるに当たって望ましいことである.MNNGを投与したratはたとえその曝露が一回のみであっても,数ヶ月後に発癌する.すなわち,MNNG一回投与のみで,発癌に必要なDNA変化が得られるのである.その変化は細胞が癌化すればRNAレベルでの変化もやがて明らかになるが,発癌してmassとなった細胞ではあまりに多くの遺伝子が変化しているために,また,その遺伝子変化が細胞ごとに異なるために,癌部と非癌部での遺伝子発現の比較はあまりに多種多様で,発癌の過程で意味のある遺伝子を取りだすことは困難である.また発癌の初期のkeyとなる遺伝子はすでに癌化した細胞から取り出すのは困難である.また癌の一次予防の見地からすると発癌の初期に得られる遺伝子変化を取り出すことの意義は大きい.そこで,我々は発癌物質を与えて間もない時期のmRNAの発現変化を調べるために,differential display法を用いて,投与後の時間をいくつかに割り振ってmRNAの発現を比較した.differential display法は緩い条件でPCRを行い,多数ののbandを発現増加させ,複数の系間でそのfingerprinting像を比較することにより,mRNA発現を比較するものである.もともとoriginalな方法がRIを使用するものであったため,non RIを用いたいくつかの改良された方法が提案されている.そのなかで螢光色素を用いてdifferential displayを行う,Itoらのfluorescent differential display法を用いて前述のような発癌物質を与えて間もない時期の,投与後の時間をいくつか割り振った群間でbandを比較した.いくつかのbandが変化をすることがわかったが,その中でMNNG2週の短期投与群であるband(これはのちにMHC class II associated invariant chain(Ii)であることが判明した)の発現の増加が認められることがわかった.さらにこの発現はtumor promoterであるNaCl短期投与後には認められず,carcinogenであるMNNGに限られたものであった.そして,MNNG投与群ではIiに限らず,MHC class I,class II分子も発現増加していることがわかった.我々は次にIiの発現量の変化の理由を知るために,Iiの免疫染色を施行した.この結果,Ii陽性の細胞が間質への多数の浸潤をしており,これにより,MNNG短期投与後にIiの発現量が増えることがわかった.またこの細胞はmacrophageおよびdendritic cellのcommon markerであるED-1抗体,さらにdendritic cellのmarkerであるOX-62抗体にも陽性であることがわかった.これらのことから浸潤している細胞はdendritic cellであると考えられた.

 ところで,MNNGによる発癌の感受性はratのstrainによって異なっていることが知られている.ACI ratはBuffalo ratに比べ,発癌の感受性が高く,また,この形質はメンデル則にのっとり,優性遺伝することも知られている.すなわちF1では両親の中間の形質を示し,F2では3:1の比をもって親の形質と同様の形質発現をする表現型を示す.すなわち発癌感受性を司る遺伝子は一つの染色体上にあると考えられている.しかし発癌の感受性を支配する遺伝子については膨大な研究がなされているが,詳細は未だわかっていない.

 そこで上記で調べられたMHC class II associated invariant chain(Ii)の発現変化を調べたところ,ACI ratとBuffalo ratでは,Iiの発現量がMNNG投与後で数倍異なることがわかった.

 またMHC class II group[Ii,Ia,CD4 and IgM(B cell marker)]の遺伝子およびMHC class I group[MHC class I and CD8]の遺伝子についてRT-PCR,competitive RT-PCRおよびNorthern blot法で調べ,Iiと同様に発現増加ガ認められた.Ii,Ia,IgM,CD4,ED-1,OX-62,MHC class IおよびCD8のモノクローナル抗体によって染色し,各々の遺伝子を発現している細胞の機能について調べた.その結果,Iiにspecificなmonoclonal antibodyを用いた免疫染色では,間質にIi陽性細胞を多数認めた.またこの細胞はED-1,OX-62も陽性であり,これらよりIiがMNNG短期(2w)投与群で発現増強しているのはIi陽性細胞,すなわちdendritic cellの浸潤によるものであると考えられた.さらにdendritic cellによる抗原提示の別のルートであるB7-1,B7-2についてもまたその受容体であるT cellのCD28についても発現量の変化を調べ,同様の発現増加を認めた.

 以上の結果から,MNNG高感受性ratであるACI strainは,MNNG投与後のdendritic cellの間質への浸潤が少なく,MNNG低感受性ratであるBuffalo strainはdendritic cellの間質への浸潤が多いことがわかった.すなわちdendritic cellの間質への浸潤の多寡が発癌に対する感受性の低いまたは高いことに影響すると考えられた。

 また細胞増殖能と発癌との関連で,BrdU免疫染色による細胞増殖能の検討を行った.発癌物質の投与後は前述したごとくに細胞増殖能が亢進し,BrdU陽性細胞がふえることがある.これについてACI strainおよびBuffalo strainについてMNNG投与後の反応を比較して,細胞増殖能の変化について調べたが,MNNG投与後いずれも細胞増殖能は前述のごとく増加するが,strain間での差が認められず,発癌感受性のstrain間での差は細胞増殖能の差によるのではないことがわかった.

 以上のことより,dendritic cellがMNNG投与時の発癌抑制に関わっている可能性が示唆された.Dendritic cellがどのようにMNNGによって誘導され,それがどのように発癌に対して抑制的に作用するかについては詳細はわかっていない.Dendritic cellの働きは現時点ではわかっていることは抗原提示能のみであり,貪食作用は少ないとされている.したがって現時点での知見に基づくとdendritic cellの発癌抑制能はdendritic cell自身の貪食によるものではないということになる.現時点でわかっていることをふまえて推論すると,おそらくdendritic cellからMNNG投与により癌化して異常な蛋白を発現している細胞をcytotoxic T cell(CTL)を含むT cellに抗原提示し,その後,細胞障害的に,この発癌した異常な細胞が排除されるものと思われる.どのようなしくみでdendritic cellが初期の化学発癌に対して作用するかを調べることは今後の重要な課題である.

 Dendritic cellによる発癌抑制作用は今後,癌に対する誘導などの臨床応用なども考えられ,大変興味深いテーマであり,今後さらに重要度を増すと思われる.

審査要旨

 本研究は胃癌の発癌初期における遺伝子発現変化を調べるために,胃発癌物質N-methyl-N’-nitro-N-nitrosoguanidine(MNNG)を投与したラット胃幽門腺部粘膜細胞においてfluorescent differential display(FDD)を用いて遺伝子発現の検索を行い,その結果,免疫関連遺伝子の発現増加を示し,さらに免疫染色などにより,その発現増加はdendritic cellの間質浸潤によることを示したものである.

 1.はじめにMNNGを与えて間もない時期のmRNAの発現変化を調べるために,FDD法を用いて,投与後の時間をいくつかに割り振ってmRNAの発現を比較した.いくつかの変化したbandの中でMNNG2週の短期投与群であるbandの発現の増加が認められることが示された.この遺伝子はMHC class II associated invariant chain(Ii)であることが示された.さらにこの発現はtumor promoterであるNaCl短期投与後には認められず,carcinogenであるMNNGに限られたものであることが示された.

 2.さらにRT-PCR法を用いた結果,MNNG投与群ではIiに限らず,MHC class I,class II分子も発現増加していること示された.次にIiの発現量の変化の理由を知るために,Iiの免疫染色を施行した結果,Ii陽性の細胞が間質への多数の浸潤をしており,これにより,MNNG短期投与後にIiの発現量が増えることが示された.またこの細胞はmacrophageおよびdendritic cellのcommon markerであるED-1抗体,さらにdendritic cellのmarkerであるOX-62抗体にも陽性であることが示された.これらのことから浸潤している細胞はdendritic cellであると示唆された.

 3.MNNGによる発癌の感受性はratのstrainによって異なっていることが知られていて,ACI ratはBuffalo ratに比べ,発癌の感受性が高く,また,この形質はメンデル則にのっとり,優性遺伝することも知られているが,これらのratにおいてMHC class II associated invariant chain(Ii)の発現変化を調べたところ,ACI ratとBuffalo ratでは,Iiの発現量がMNNG投与後で数倍異なることが示された.またMHC class II group[Ii,Ia,CD4and IgM]の遺伝子およびMHC class I group[MHC class I and CD8]の遺伝子についてRT-PCR,competitive RT-PCRおよびNorthern blot法で調べ,Iiと同様に発現増加が認められた.

 4.さらにdendritic cellによる抗原提示の別のルートであるB7-1,B7-2についてもまたその受容体であるT cellのCD28についても発現量の変化を調べ,同様の発現増加を認めた.

 5.また細胞増殖能と発癌との関連で,BrdU免疫染色による細胞増殖能の検討を行い,これについてACI strainおよびBuffalo strainについてMNNG投与後の反応を比較して,細胞増殖能の変化について調べたが,MNNG投与後いずれも細胞増殖能は前述のごとく増加するが,strain間での差が認められず,発癌感受性のstrain間での差は細胞増殖能の差によるのではないことが示された.

 6.以上の結果から,MNNG高感受性ratであるACI strainは,MNNG投与後のdendritic cellの間質への浸潤が少なく,MNNG低感受性ratであるBuffalo strainはdendritic cellの間質への浸潤が多いことが示された.すなわちdendritic cellの間質への浸潤の多寡が発癌に対する感受性の低いまたは高いことに影響すると考えられた。以上のことより,dendritic cellがMNNG投与時の発癌抑制に関わっている可能性が示唆された.

 以上,本論文はラット胃幽門腺部粘膜において,発癌物質MNNGによって惹起される遺伝子発現変化とそれがdendritic cellの間質浸潤によることを明らかにした.そして発癌防御機構についてひとつのモデルを提唱した.本研究はこれまで未知に等しかった発癌初期の免疫関連遺伝子の発現変化について新たな領域を開発したと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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