はじめに Mismatch repair遺伝子は遺伝性非polyposis性大腸癌(HNPCC)の原因遺伝子として知られている。HNPCCでは、二塩基配列の繰り返しからなるmicrosatellite lesionの長さに体細胞性の変化が生じている。一方、大腸菌や酵母では以前からDNAの複製error等によって生じる様々な不適合塩基対を修復するMismatch repair遺伝子群が知られており、この遺伝子群に異常を有する酵母株では二塩基繰り返し配列が変化する。これらの事からhMSH2、hMLH1等のHNPCC原因遺伝子が大腸菌や酵母のMismatch repair遺伝子のヒトにおける相同遺伝子としてcloningされた。その後Mismatch repair遺伝子群はさらに多数の遺伝子からなる事が分かり、現在ではmicrosatellite lesionの変化、つまりmicrosatellite instability(MSI)がMismatch repair遺伝子群の異常の指標とされている。 HNPCC発癌機構にはMismatch repair遺伝子の異常と、その標的遺伝子の異常と言う2段階の遺伝子異常が関与している。Transforming growth factor-(TGF-)type II receptor遺伝子(TGF- RII)、BAX遺伝子、Insulin-like growth factor II receptor遺伝子(IGFIIR)等の標的遺伝子はexon内にmicrosatellite lesionを持ち、これらの部位に生じた異常が修復されないと、その正常な機能が発揮されず発癌に至るとと考えられている。 一方microsatellite lesionの変化は散発性大腸癌の一部にも見られ、これらの癌は右側大腸に多いなど、部分的にHNPCCと同じ特徴を示す。そこで、これらの癌で標的遺伝子に異常が生じていることを示せば、散発性大腸癌でも一部ではHNPCCと同じ発癌機構が作用していることを明らかにすると考えられた。我々はまず、大腸癌を含む各種消化器癌でMSIと標的遺伝子の分析を行い、この仮定が大腸癌に限られるものか否かを検討し、さらに大腸癌の前駆病変と考えられる大腸polypの分析を行った。 方法 大腸癌でHNPCC Japanese clinical criteriaを満たさない99例、胃癌41例、肝細胞癌17例、胆嚢癌4例でMSIと、4種類の標的遺伝子(TGF- RII、BAX遺伝子、hMSH3、IGFIIR)を分析した。使用したmicrosatellite lesionはD2S136、D3S1067、D18S58のCA repeat markerと、BAT-25、BAT-26のPoly-A markerである。次に99人の患者の大腸polyp136病変でTGF- RIIを分析した。正常組織の標本が利用可能な25人の36病変では、MSIも同時に検討した。 結果 各種消化器癌において、MSI陽性例は大腸癌で11例(11.1%)、胃癌で3例(7.3%)が認められたが、肝細胞癌、胆嚢癌には認められなかった。これらの陽性例の内、大腸癌で10例(90.1%)、胃癌で3例(100.0%)に標的遺伝子の異常が認められた。BAX遺伝子異常は4例、hMSH3遺伝子異常は2例、IGFIIR遺伝子異常は1例であった。これらの例の非腫瘍部組織やMSI陰性例で標的遺伝子に異常を呈した例は無かった。MSI陽性例は50歳台に1例の胃癌症例を認めた以外はいずれも60歳台以上の高齢者であった。MSI陽性大腸癌は、回盲部8/31(25.8%)、上行結腸1/12(8.3%)、横行結腸2/6(33.3%)、下行結腸0/3(0.0%)、S状結腸0/22(0.0%)、直腸0/25(0.0%)で、全て右側大腸癌であった。 polyp136病変を分析し、上行結腸polypの中にTGF- RII遺伝子に異常を持つ病変を1例ではあったが見い出した。この病変を持つ患者は複数のpolypを持つ40歳の男性で、既に上行結腸に癌を有していた。MSIの分析で陽性を呈していた2病変はいずれもこの患者の病変で、そのうち一病変がTGF- RII遺伝子に異常を有していた病変であった。この患者のpolypのうちの一つと癌からは同じTGF- RII遺伝子異常が検出された。3個のpolypの組織像ではMSI陽性かつTGF- RII遺伝子異常を呈したpolypが最も異型度が高く、MSI陰性かつTGF-RII遺伝子正常polypが最も異型度が低かった。 考察 Mismatch repair遺伝子異常の指標であるMSIは大腸癌と胃癌に認められたが、肝細胞癌、胆嚢癌には認められなかった。既報と比較して胃癌がやや低頻度であった原因は一般にMSI陽性例が多いと言われるpoorly differentiated adenocarcinomaの割合が少なかったためと思われる。肝細胞癌に対する関与は小さいと考えられた。そこでMSI陽性の散発性癌でもHNPCCと同じ発癌機構が作用していることを明らかにするため、実際に標的遺伝子に異常が生じているか否かを検討した。標的遺伝子異常は胃癌、大腸癌共にMSI陽性例中のみに、しかも高頻度に認められた。従って散発性であっても一部の症例では、各種標的遺伝子の変異が修復されなくなり発癌に至ると言うHNPCCと同様の発癌機構が働いている可能性が明らかとなった。 MSI陽性例は50歳台に1例の胃癌症例を認めた以外はいずれも60歳台以上の高齢者であり、若年者に多いとする既報とは逆であったが、既報中の家族性と考えられる症例を除くと、散発例では高齢者に多いと考えて良いと思われた。MSI陽性大腸癌の占拠部位は全て右側大腸で、右側に多いとする既報と一致した。MSI陽性例14例中BAX遺伝子異常は4例、hMSH3遺伝子異常は2例、IGFIIR遺伝子異常は1例で、TGF- RII遺伝子異常よりかなり少なかった。TGF- RII遺伝子はMSIを良く反映し、さらにmicrosatellite markerとは異なり、発癌過程に直接関与することから、Mismatch repair遺伝子異常のスクリーニングに有用と思われた。 Adenoma-carcinoma sequence説によればpolypoid growth typeの大腸癌は隆起型polypを経て発生すると考えられている。これに対するMismatch repair遺伝子の関与を明らかにするため、136polypにおいてMismatch repair遺伝子異常のスクリーニングとしてTGF- RII遺伝子を検討した。正常組織の標本が利用可能な36病変ではMSIも検討した。TGF- RII遺伝子は136病変中1病変のみで異常を呈し、この1病変を有する患者は3個のpolypと1個の上行結腸癌を持つ40歳の男性であり、家族歴、発生部位、発症年齢からHNPCC Japanese clinical criteria B群に相当する患者である事が判明した。以上の事から、散発性大腸polypにおけるTGF- RII遺伝子異常は稀であると考えられた。一方大腸癌では10%でTGF- RII遺伝子異常が認められた事と考えあわせると、Adenoma-carcinoma sequence説とMismatch repair遺伝子は別の発癌経路であると思われた。 今日、HNPCCの診断は臨床的特徴と家系調査によって為されているが、先進諸国では1家族の構成人数の減少のため、今後困難化すると思われる。しかしHNPCCは若年性発症、異時性、異所性大腸癌の発症、他臓器重複癌の発症等から早期のスクリーニングが重要である。TGF- RII遺伝子異常は今回明らかになった様に散発性大腸polypでは稀である点、HNPCCではpolypでも高頻度と言われている点、Mismatch repair遺伝子そのものより遥かに分析が容易な点などから、まだpolypのみが発症している段階でのスクリーニングに有用と思われた。 結語 一部の散発性悪性腫瘍ではMismatch repair遺伝子の標的遺伝子に異常が生じるHNPCCと同じ発癌機構が働いている可能性が示唆された。その様な症例は高齢者に多く、さらに大腸癌では右側に多い。そしてこの機構はAdenoma-carcinoma sequence説とは別の発癌経路である可能性が示唆された。また、TGF- RII遺伝子異常は癌発症前のHNPCCにおけるMismatch repair遺伝子異常の簡便なスクリーニングとして有用と思われた。 |