学位論文要旨



No 114523
著者(漢字) 藍,耿欣
著者(英字)
著者(カナ) ラン,ケンシン
標題(和) アデノウイルスベクターを用いたヒトCEA産生胃癌の腫瘍特異的な遺伝子治療
標題(洋) Adenovirus-mediated Tumor-specific Gene Therapy for Human Carcinoembryonic Antigen-producing Gastric Carcinoma
報告番号 114523
報告番号 甲14523
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1443号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 助教授 平井,久丸
 東京大学 助教授 北村,聖
内容要旨 [背景と目的]:

 胃癌の治療法としては外科的切除、放射線治療、化学療法などが行われているが、外科的切除の適応とならないような進行した癌には必ずしも有効な治療法がないのが現状である。原因の一つに、放射線治療及び化学療法が癌細胞と正常細胞との増殖の差を利用したものであり、癌への特異性に乏しいことがあげられる。そのため、これらの治療法は正常細胞への副作用が大きく、癌細胞を完全に殺傷するのに十分量の薬物、放射線量を投与できないばかりでなく、獲得耐性が起きやすくなるなどの問題が生じている。このような難治性癌に対しては癌細胞の生物学的特性を利用した全く新しい治療法の開発が急務である。胃癌においては約半数において血清中の胎児性癌抗原(CEA)の値が上昇することが報告されている。CEAの遺伝子発現に関する研究からCEA遺伝子上流約400bpがその発現に重要であることが報告されていたため、我々はCEA遺伝子のプロモーター(CEAプロモーター)により自殺遺伝子である大腸菌のシトシンデアミナーゼ遺伝子(Cytosine Deaminase;CD)を発現するアデノウイルスベクター(CEAプロモーター/CDと略す)を構築した。シトシンデアミナーゼはシトシンのピリミジン環に働く酵素であり、5-Fluorocytosine(5-FC)を生体内で5-Fluorouracil(5-FU)に変換可能である。哺乳類動物は内因性のシトシンデアミナーゼを持っておらず5-FCを代謝できないため、正常細胞への5-FCの毒性は極めて低いと考えられる。しかしシトシンデアミナーゼ発現細胞に5-FCを投与すると毒性の強い5-FU(実際の臨床の場で胃癌などに用いられている)を細胞内で産生し、細胞死を誘導する。我々はアデノウイルスベクターでCEAプロモーター/CDをCEA発現細胞に導入し、さらに、プロドラッグとして5-FCを投与することにより癌細胞を選択的に殺傷し得るか、胃癌培養細胞株と胃癌腹膜播種ヌードマウスを用いてCEA産生胃癌に対する遺伝子治療の基礎的研究を行った。

[方法]:

 CEAプロモーターでlacZ及びCD遺伝子を発現するアデノウイルス(AdCEAlacZ,AdCEACD)、非特異的で強力なCAGプロモーター(cytomegalovirus immediate earlyエンハンサーとchickenベータアクチンのプロモーターからなる)によってlacZ及びCD遺伝子を発現するアデノウイルス(AdCAlacZ,AdCACD)を作製した。(In Vitro)(1)ヒト胃癌CEA産生株MKN45,MKN28及び非産生株MKN1にアデノウイルスベクター(AdCEAlacZ,AdCAlacZ)を感染、X-gal染色でlacZ発現細胞を検出することにより遺伝子の導入効率及びCEAプロモーターの特異性を検討した。(2)胃癌細胞に、AdCEACDを感染させて、細胞内で発現しているCD活性をトリチウムラベルされた5-FCから5-FUへの変換能で測定した。さらに、細胞内で変換された5-FUは細胞膜を通して培養液中に分泌されることが知られているので、トリチウムラベルされた5-FCを培養液中に加え、経時的に培養液中に分泌される5-FUを測定した。(3)自殺遺伝子を発現するAdCEACDを各細胞に感染させ、プロドラッグである5-FC存在下で培養し、MTTassayを行ってこれらCD遺伝子を導入された細胞のin vitroでの5-FCに対する感受性を調べた。また、新たに開発したTwo Chamber Systemを用いて、CD/5-FC Systemにおいてbystander効果の発現に細胞間の接触が必要かどうか検討した。(In Vivo)ヌードマウスを利用し、MKN45胃癌の皮下及び腹膜播種モデルを作製、(1)AdCEAlacZを皮下腫瘍及び腹腔内投与し、X-gal染色を行って、in vivoにおいても組み換えアデノウイルスで効果的に遺伝子が発現するかどうか調べた。(2)自殺遺伝子を発現するAdCEACDあるいはAdCACDをMKN45胃癌腹膜播種ヌードマウスの腹腔内に感染させ、RT-PCR(Reverse Transcriptase-Polymerase Chain Reaction)で、自殺遺伝子(CD)の各臓器での発現を検討した。(3)AdCEACD腹腔内+5-FC投与による腫瘍特異的な治療効果を残存腫瘍重量・血中CEAの値・生存曲線で検討した。また、アデノウイルスベクター治療の副作用の評価についてもマウスの血清生化学検査および各臓器の病理学的検査にて行った。

[結果]:

 (In Vitro)(1)非特異的なCAGプロモーターによってlacZ遺伝子を発現する組み換えアデノウイルス(AdCAlacZ)を感染させるとすべての細胞で同様にlacZ遺伝子は発現したが、AdCEAlacZ感染でCEA産生量依存的にlacZ遺伝子は発現することから、我々の用いたCEAプロモーターがCEA産生細胞特異的に働くことが明らかになった。(2)細胞内及び培養液中とも、AdCEACD感染でCEA産生量依存的にCDが発現によって5-FCが5-FUに変換された。(3)AdCEACD感染+5-FC添加によりCEA産生株で特異的な殺細胞効果がみられた。また、自殺遺伝子を導入された細胞が10%程度存在すれば80%の細胞が死滅することより、我々の開発したアデノウイルスベクターの系でも強力なbystander効果のあることが明らかになった。しかも、このNeighbor Cell Killing効果には細胞接着は必要なかった。(In Vivo)(1)AdCEAlacZをMKN45胃癌の皮下腫瘍及び腹膜播種ヌードマウスの腹腔内に投与することによって、in vivoにおいても組み換えアデノウイルスが効果的、しかも特異的にlacZ遺伝子を発現することがわかった。(2)非特異的CAGプロモーターによって自殺遺伝子(CD)を発現する組み換えアデノウイルス(AdCACD)を感染させるとマウスの多数臓器でCD遺伝子が発現したが、AdCEACDを感染させるとCEA産生腫瘍のみでCD遺伝子の発現がみられた。(3)ヒト胃癌腹膜播種マウスにAdCEACDと5-FCを腹腔内投与すると、未治療群と比べて著明な腫瘍縮小効果、低い血中CEA値及び長期生存が得られた。また、副作用もAdCACD治療群より著しく低いことが認められた。

[考察と結論]:

 最近になり、種々の消化器癌腫瘍マーカー遺伝子の転写調節機構が明らかにされてきており、この転写調節領域を用いることにより癌細胞にかなり特異的に目的遺伝子を発現できる可能性がある。従来のレトロウイルスを用いた遺伝子導入法では遺伝子の導入効率が低く現在のところin vivoでは効果が期待できない。したがって主に行われているものはex vivoによる方法である。本研究は腫瘍特異的CEAプロモーターを持つアデノウイルスベクターにより自殺遺伝子である大腸菌のシトシンデアミナーゼ遺伝子を発現させ、プロドラッグである5-FCを投与するいわゆるVDEPT(Virus-Directed Enzyme/Prodrug Therapy)を利用し、CEA産生胃癌の特異的治療の基礎研究を行ったものである。CEAプロモーターによって、in vitroおよびin vivoにてCEA産生胃癌特異的に自殺遺伝子の発現が認められた。また、この腫瘍特異的な自殺遺伝子を発現するアデノウイルスと非毒性プロドラッグ5-FCの投与によりヌードマウスのヒト胃癌腹膜播種の遺伝子治療に成功した。この系はヒトCEA産生胃癌の治療に応用できる可能性が高いと考える。

審査要旨

 本研究ではCacinoembryonic antigen遺伝子のプロモーター(CEAプロモーター)により自殺遺伝子である大腸菌のシトシンデアミナーゼ遺伝子(Cytosine Deaminase;CD)を発現するアデノウイルスベクター(CEAプロモーター/CDと略す)でCEAプロモーター/CDをCEA発現細胞に導入し、さらに、プロドラッグとして5-FCを投与することにより胃癌培養細胞株とCEA産生胃癌(MKN45)腹膜播種ヌードマウスを用いてCEA産生胃癌に対する遺伝子治療の基礎的研究を行った。下記の結果を得ている。

 1.非特異的なCAGプロモーターによってlacZ遺伝子を発現する組み換えアデノウイルス(AdCAlacZ)を感染させるとすべての細胞で同様にlacZ遺伝子は発現したが、AdCEAlacZ感染でCEA産生量依存的にlacZ遺伝子は発現することから、CEAプロモーターがCEA産生細胞特異的に働くことが明らかになった。

 2.細胞内及び培養液中とも、AdCEACD感染でCEA産生量依存的にCDが発現によって5-FCが5-FUに変換された。

 3.AdCEACD感染+5-FC添加によりCEA産生株で特異的な殺細胞効果がみられた。また、自殺遺伝子を導入された細胞が10%程度存在すれば80%の細胞が死滅することより、CD/5FCの系で強力なbystander効果のあることが明らかになった。しかも、このbystander効果には細胞接着は必要なかった(neighbor cell killing効果)。

 4.AdCEAlacZをMKN45胃癌の皮下腫瘍及び腹膜播種ヌードマウスの腹腔内に投与することによって、in vivoにおいても組み換えアデノウイルスが効果的、しかも特異的にlacZ遺伝子を発現することがわかった。

 5.非特異的CAGプロモーターによって自殺遺伝子(CD)を発現する組み換えアデノウイルス(AdCACD)を感染させるとマウスの多数臓器でCD遺伝子が発現したが、AdCEACDを感染させるとCEA産生腫瘍のみでCD遺伝子の発現がみられた。

 6.ヒト胃癌腹膜播種マウスにAdCEACDと5-FCを腹腔内投与すると、未治療群と比べて著明な腫瘍縮小効果、低い血中CEA値及び長期生存が得られた。また、副作用もAdCACD治療群より著しく低いことが認められた。

 以上、本論文は腫瘍特異的CEAプロモーターを持つアデノウイルスベクターにより自殺遺伝子である大腸菌のシトシンデアミナーゼ遺伝子を発現させ、プロドラッグである5-FCの投与を利用し、in vitroおよびin vivoにてCEA産生胃癌の特異的治療の基礎研究を明らかにした。この癌細胞で特異的に発現させて癌を縮小させる方法は、従来の治療法とは全く異なる原理に基づくものであり、従来の治療で助からない癌患者の治療に役立つ可能性があり、学位の授与に価するものと考えられる。

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