学位論文要旨



No 114524
著者(漢字) 大橋,健
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,ケン
標題(和) アポB欠損症の遺伝子解析 : 無リポ蛋白血症と家族性低リポ蛋白血症
標題(洋)
報告番号 114524
報告番号 甲14524
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1444号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 講師 橋本,佳明
内容要旨

 アポB含有リポ蛋白、特にLDLの増加は、動脈硬化性疾患の主要な危険因子である。アポB含有リポ蛋白の合成・分泌過程については依然未知の点が多いが、近年、アポBと脂質のassemblyのメカニズムの解明が進み、アポBとともに重要な役割を担う蛋白として、ミクロソームトリグリセライド転送蛋白(MTP)が注目されている。MTPは、肝細胞および小腸上皮細胞のミクロソームに存在し、細胞内でのトリグリセライドやコレステリル・エステルの転送を行う。アポB含有リポ蛋白粒子の合成過程では、MTPがアポB分子に脂質を転送していくことによりリポ蛋白粒子が構築される。この過程が障害されるとリポ蛋白粒子が形成されないだけでなく、フリーのアポB分子は速やかに分解されることが明かとなった。さらに、この過程がアポB含有リポ蛋白の分泌を調節する重要なステップであることが証明されつつある。

 アポB欠損症は、先天的にアポBおよびアポB含有リポ蛋白が欠損ないしは減少する病態であり、代表的な疾患として、無リポ蛋白血症と家族性低リポ蛋白血症がある。患者は脂肪吸収障害、脂溶性ビタミンの吸収障害、有棘赤血球症、網膜色素変性、脊髄小脳変性など多彩な病像を呈しうる。家族性低リポ蛋白血症は常染色体共優性遺伝性疾患であり、1987年、異常な短縮型アポBの発見を契機にアポB遺伝子の異常が同定され、アポB遺伝子の異常によって起こることが明らかになった。今日まで、約30の短縮型アポBが同定されている。一方、無リポ蛋白血症は常染色体劣性遺伝で、その原因遺伝子は長らく不明であった。しかし、1993年になって本症でMTP遺伝子の変異が同定され、アポB含有リポ蛋白の合成過程におけるMTPの重要性を裏付ける結果となった。

 アポB欠損症の病因を分子遺伝学的に明らかにすることは、その的確な診断と治療に不可欠であるのみならず、アポB含有リポ蛋白の合成分泌過程の解明、ひいては高脂血症の治療や動脈硬化の予防に通じる重要な意義を持つ。そこで本研究では、アポB欠損症が疑われた3名の患者について遺伝子解析を行い、無リポ蛋白血症2例および家族性低リポ蛋白血症ホモ接合体1例を同定、その遺伝子変異を決定した。いずれの疾患についても本邦の症例で遺伝子変異を同定したのはこれが最初の報告である。

[1]リポ蛋白血症におけるMTP遺伝子変異の同定

 <症例1>32歳女性。会社検診で著明な低脂血症を指摘された。幼少時より脂肪分の多い食事で下痢をしやすく、自然に避けるようになっていたという。両親はいとこ婚である。一般理学所見は正常だが、下肢深部腱反射の減弱とRomberg徴候を認めた。視野異常、夜盲などの眼症状は見られなかった。血清総コレステロールは42mg/dl、トリグリセライドは0.2mg/dl、HDLコレステロールは36mg/dlであった。血中アポBは1.9mg/dlと極めて低値であった。また、脂溶性ビタミンであるビタミンEは感度以下、ビタミンAも低値であった。貧血はないが、末梢血塗沫標本にて多数の有棘赤血球を認めた。上部消化管内視鏡検査では、十二指腸粘膜は白色霜降り状で、いわゆる"snow white duodenum"の外観を呈した。生検病理組織像では、絨毛上皮細胞に脂肪蓄積による多数の空胞を認めた。いずれも無リポ蛋白血症に合致する所見であった。

 <症例2>27歳男性。生来健康で、運動選手として活躍。22歳の入社時健康診断より著明な低脂血症を指摘されており、精査のために受診。下痢傾向や脂肪性食物嫌いはない。両親は血族結婚。一般理学所見ならびに神経学的所見とも明かな異常はなく、眼科的異常も認められなかった。血清総コレステロール34mg/dl、トリグリセライド2.6mg/dl、HDLコレステロール23mg/dlであった。血中アポBは0.6mg/dlと極めて低値であり、ビタミンEは感度以下、ビタミンAも低値であった。貧血はないが、症例1同様末血に多数の有棘赤血球を認めた。肝機能は正常であったが、腹部超音波検査にて軽度の脂肪肝を認めた。

 両例では、血清脂質レベルより無リポ蛋白血症が疑われた。同様の脂質レベルをきたしうるホモ型家族性低リポ蛋白血症を鑑別するため、まずMTP遺伝子およびアポB遺伝子についてハプロタイプ解析を行った。すなわち、MTP遺伝子イントロン10のCA repeatおよびアポB遺伝子の3’VNTRを含む領域をそれぞれの多型性マーカーとしてPCRで増幅し検討した。両例ともMTPはホモ、アポBはヘテロであり、臨床像と合わせMTP遺伝子異常の存在が示唆された。そこで、MTP遺伝子の全エクソンおよびエクソン-イントロン接合部についてPCR法により全塩基配列を決定し、それぞれ異なる変異を同定した。

フレームシフト変異の同定

 症例1では、エクソン11、cDNA1385-1389の5連続のアデニンの一つが欠失しており、462番目のコドンの後でフレームシフトを来たし、477番目でストップコドンが出現することが判明した。その結果、活性部位が想定されるC末端領域が完全に欠如した不完全な蛋白が生成されるものと考えられた。

ミスセンス変異の同定

 症例2では、エクソン16、cDNA2338番目のA→T置換を認め、Asn780がTyrに置換されるミスセンス変異を認めた。この変異が単なる遺伝子多型ではなく、実際にMTPを不活化させることを確認するために、COS-1細胞を用いた一過性発現系で検討した。正常あるいは本変異を導入したMTP発現ベクターを構築し、COS-1細胞にトランスフェクトして、細胞抽出液のMTP発現量と活性を比較した。この結果、変異蛋白もイムノブロット上、正常MTPと同レベルの発現を認めるにも関わらず活性はほとんど消失しており、このミスセンス変異が症例2の責任変異であることが証明された。MTP遺伝子のミスセンス変異は世界で2例目であり、未だ不明な点の多いMTPの機能ドメインを検討する上で重要と考えられる。

[2]家族性低リポ蛋白血症におけるアポB遺伝子変異の同定(アポB38.7)

 <症例>57才女性。肝腫瘍のため精査中、低脂血症と有棘赤血球症を指摘された。小児期より夜盲がある。20年前に診断された糖尿病でインスリン治療中であり、他に出血性緑内障による右眼失明、胆石、気管支拡張症の既往がある。家族歴では血族結婚の有無は不明だが、息子2人とも総コレステロール120mg/dl程度と低脂血症を認める。145cm、37.5kg、両側眼底に網膜色素変性を認めた。また、深部腱反射消失、glove-stocking型の知覚低下ならびにRomberg徴候を認めた。血清総コレステロール98mg/dl、トリグリセライド66mg/dl、HDLコレステロール77mg/dl。ビタミンEは7g/ml(正常下限)であった。内視鏡上、十二指腸粘膜は正常で、光顕レベルでは粘膜上皮細胞への脂質の蓄積は明かでなかったが、電顕では脂肪滴の存在が確認された。肝腫瘍は血管腫であった。また、腹部CT上、主要な動脈の著明な石灰化がみられた。本例は、家族に低脂血症を認めることから、家族性低リポ蛋白血症を疑った。[1]で述べた方法によりハプロタイプ解析を行うと、アポB遺伝子はホモ型、MTP遺伝子はヘテロ型であり、臨床所見と合わせアポB遺伝子異常の存在が示唆された。さらに、患者血漿リポ蛋白のSDS-PAGEによる分析では、正常のアポB100、アポB48はともに検出されないが、分子量約195kDaの異常バンドがVLDL、LDLおよびHDL分画に認められた。これはアポB38前後の短縮型アポBと推定され、アポB遺伝子の相当する領域の塩基配列をPCR法により決定した。その結果、cDNA5472番目にC→T変異を認め、Gln1755→stopとなるナンセンス変異のホモ接合体であることが判明した。息子2人は同変異のヘテロ接合体であった。これによりアポB100の38.7%の長さに相当する短縮型アポB、アポB38.7を生じることが明かとなった。また、本例ではこれまでの報告例に比べ、HDLコレステロールが高値であるため、CETP欠損症の合併の可能性も検討したが、CETP活性は正常であり、本邦で頻度の高いCETP遺伝子のイントロン14スプライシング変異およびAsp442Gly変異も認められなかった。本例は糖尿病をはじめ多彩な合併症を持つ特異な病像を呈した。低脂血症に関わらず動脈壁の著明な石灰化を認める点は、糖尿病合併症として脂質の上昇を介さない血管壁石灰化のメカニズムの存在が示唆され、興味がもたれる。

審査要旨

 アポB欠損症は、先天的にアポBおよびアポB含有リポ蛋白が欠損する病態であり、著明な低脂血症をきたす。アポB欠損症の病因を分子遺伝学的に明らかにすることは、その的確な診断と治療に不可欠であるのみならず、アポB含有リポ蛋白の合成分泌過程の解明、ひいては高脂血症の新たな治療法の開発に通じる重要な意義を持つ。本研究は、アポB欠損症が疑われた3症例の臨床像を詳細に記述し、その分子遺伝学的解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.アポB欠損症には、遺伝型式の異なる無リポ蛋白血症(abetalipoproteinemia;ABL)と家族性低リポ蛋白血症(familial hypobetalipoproteinemia;FHBL)がある。FHBLは常染色体共優性遺伝性疾患であり、1987年、異常な短縮型アポBの発見を契機にアポB遺伝子の異常が同定され、アポB遺伝子の異常によって起こることが明らかになった。一方、ABLは常染色体劣性遺伝で、その原因遺伝子は長らく不明であった。しかし、1993年になって本症でミクロソームトリグリセライド転送蛋白(MTP)遺伝子の変異が同定され、アポB含有リポ蛋白の合成過程におけるMTPの重要性が注目されている。両疾患ともホモ接合体では著明な低脂血症をきたすが、ABLのヘテロ接合体は脂質レベル正常、FHBLでは中程度の低脂血症を示す。申請者はまず、遺伝子レベルで両疾患を鑑別するために、MTPおよびアポB各遺伝子について各々の多型性マーカーを用いてハプロタイプ解析を試みている。すなわち、MTP遺伝子イントロン10のCA repeatおよびアポB遺伝子の3’VNTRを含む領域をそれぞれの多型性マーカーとしてPCRで増幅し検討した。2例はMTPがホモ、アポBはヘテロであり、臨床像と合わせMTP遺伝子異常の存在が示唆された。逆にもう1例はMTPがヘテロ、アポBがホモであり、アポB遺伝子異常が疑われた。

 2.MTP遺伝子異常が疑われた2例につき、MTP遺伝子の全エクソンおよびエクソン-イントロン接合部についてPCR法により全塩基配列を決定し、それぞれ異なる変異を同定した。1例は、エクソン11、cDNA1385-1389の5連続のアデニンの一つが欠失するフレームシフト変異で、活性に重要なC末端領域を完全に欠如した不完全な蛋白が生成されるものと考えられた。もう1例は、エクソン16、cDNA2338番目のA→T変異によりAsn780がTyrに置換されるミスセンス変異であった。我が国のABL症例としては遺伝子変異が同定されたのははじめてのことであり、人種を越えてMTP欠損がABLの原因であることを明らかにした。

 3.このミスセンス変異が実際にMTPを不活化させることを確認するために、COS-1細胞を用いた一過性発現系で検討している。正常あるいは本変異を導入したMTP発現ベクターを構築し、COS-1細胞にトランスフェクトして、細胞抽出液のMTP発現量と活性を比較した。イムノブロット上、変異MTPは正常MTPと同レベルの発現を認めるにも関わらず、活性はほとんど消失しており、本変異がMTP不活化の原因であることが証明された。未だ不明な点の多いMTPの機能ドメインを検討する上で重要な知見である。MTP遺伝子のミスセンス変異は世界で2例目であり、極めて貴重な報告となっている。

 4.アポB遺伝子異常が疑われた症例では、アポ蛋白のSDS-PAGEにより約195kDaの異常な短縮型アポBを見い出した。これよりGln1755→stopとなるナンセンス変異を同定している。本変異の短縮型アポBはB38.7と命名された。本例はそのホモ接合体であったが、FHBLのホモ接合体は世界でこれまで数例の報告しかなく、やはり貴重な症例であった。

 以上、本論文はアポB欠損症3例について臨床的な検討を行い、遺伝子レベルでその病因を同定している。2例はいずれも新たなMTP遺伝子変異による無リポ蛋白血症、1例はやはり新たなアポB遺伝子変異による家族性低リポ蛋白血症であった。これらの変異の同定は、アポB含有リポ蛋白の合成過程の解明に重要な貢献をなすものであり、それらの臨床像を詳細に記載した意義も大きい。

 よって、学位の授与に値するものと認められる。

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