学位論文要旨



No 114525
著者(漢字) 上,昌広
著者(英字)
著者(カナ) カミ,マサヒロ
標題(和) 造血器悪性腫瘍患者におけるアスペルギルス感染症の検討
標題(洋)
報告番号 114525
報告番号 甲14525
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1445号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 小島,荘明
 東京大学 助教授 齋藤,英昭
 東京大学 講師 米山,彰子
内容要旨

 アスペルギルス感染症は、好中球減少症例における重大な合併症であり、その頻度は増加傾向にある。化学療法後のアスペルギルス感染症の好発臓器は肺であり、多くは浸潤性肺アスペルギルス症(invasive pulmonary aspergillosis,IPA)という形態をとる。血管浸潤をおこしやすいのが特徴で、肺の出血性梗塞という病理像を呈する。確定診断は病変部の病理診断でなされるが、骨髄抑制期間には侵襲的検査は困難である為、多くの場合は胸痛、血痰などの臨床症状、胸部画像検査、アスペルギルス抗原検査などを組み合わせて診断されてきた。

 IPAの診断では、胸部computed tomographic scanning(CT)に代表される画像検査と、アスペルギルス細胞壁の構成成分であるガラクトマンナン抗原が末梢血中を循環することを利用した血清学的検査が独立に開発され、評価されてきた。おのおの検査の特異度・感度については多くの報告がなされているが、IPAのどの時期に陽性化するかについては一定した見解はない。これらの検査がIPAのどの時期に病変を検出でき、治療方針決定に貢献できるかを評価することは重要である。私は東大病院旧第3内科に化学療法目的に入院した造血器悪性腫瘍症例120例を対象に、アスペルギルス抗原検査と胸部CT検査のいずれが早期に病変を検出するかをprospectiveに検討した。この結果、抗原検査の感度は53%で、抗原検査陽性となった症例でも、検査が陽性化するのは胸部CT検査よりも約10日間遅延することがわかった。多くの症例ではIPAの早期に胸部CTで病変を検出でき、病状が進行して初めて抗原検査が陽性化することが示唆された。アスペルギルスのような特定の臓器への指向性が強い病原体を、血液培養、或いは抗原検査で診断することは原理的に困難を伴うと考える。

 私は、この研究中にアスペルギルス抗原検査が非IPA症例でもしばしば陽性となることに着目し、この原因を検討した。今回の検討では、アスペルギルス抗原検査偽陽性は好中球低下時に出現する事が多く、これは統計的に有意であった。このため、好中球低下時にはアスペルギルス抗原検査の特異度が低下し、その結果、陽性的中率は低下した。最もIPAが発症しやすい好中球低下時にこの検査は信頼度が低下することになる。偽陽性の原因として、汚染・交叉反応・好中球低下それ自体の影響を鑑別したが否定的であった。さらにアスペルギルス抗原検査は無熱で、臨床的にいかなる感染症の存在を示唆する所見もない症例でも陽性となることがあり、その様な症例は6例存在した。この内、5症例は好中球が500/ulに低下した時に偽陽性を呈していた。2症例で血清が保存されていたため、アスペルギルス特異的プライマーを用いたPCR法を行ったところ、両検体でアスペルギルス特異的DNAを検出した。PCRと抗原検査は、別の真菌成分を検出する為、この結果は一過性であれアスペルギルス菌体構成成分が血中に存在した事を強く示唆する。この為、アスペルギルス抗原検査の偽陽性は、アスペルギルス菌体成分が血中に存在するが、IPAへは進行しないために生じるということになる。

 私は、この様な状態を「一過性アスペルギルス抗原血症」と名付け、その臨床的意義を検討した。今回の検討では、6症例が「一過性アスペルギルス抗原血症」を呈した。IPAを発症しなかったという意味で偽陽性と判断された症例は、「一過性アスペルギルス抗原血症」症例以外に5症例存在し、また、IPA診断以前に抗原検査陽性となった症例は2症例存在した。これらの症例はアスペルギルス感染を示唆する所見が抗原検査のみという点で同じである。現在、このような症例のIPA発症の危険性や対処方法は確立されていない。しかし、今回の症例を発病した群と偽陽性と診断された群に分割して比較した場合、好中球低下期間に差をみとめた。IPA2症例はいずれも原病が治療に反応せず、好中球低下期間は平均28.4日と遷延した。一方、偽陽性と判断された症例の好中球低下期間は22.6日であり、特に「一過性アスペルギルス抗原血症」の症例では好中球低下期間は平均18.3日間であった。このように、IPAの発病と好中球低下期間には関連を有する可能性がある。好中球低下症例ではアスペルギルス抗原血症、おそらくアスペルギルス真菌血症が高頻度に生じ、患者の免疫不全状態が遷延した場合に発病すると考えられる。

 私はさらにアスペルギルスの侵入門戸について検討した。これまで、アスペルギルス症は経気道感染が感染経路の主役で、鼻腔にアスペルギルスのコロニーを有する症例はIPAのhigh risk症例であると考えられてきた。しかし、当科での鼻腔のScreening cultureでアスペルギルスのコロナイゼーションを証明された症例はなかった。近年、アスペルギルスに代表される糸状菌のコロニー形成には水分が必須であり、シャワーや恒温槽を介し院内感染することが報告されている。当科では中心静脈を介して行った採血で(1→3)--D-glucan値が高値をとる事を日常的に経験しており、中心静脈カテーテルがアスペルギルス感染の原因となりうるか検討した。中心静脈カテーテルを介して採取したサンプル、ヘパリンでロックされているラインより採取したサンプルの(1→3)--D-glucan値は、それぞれ28.0±16.3pg/ml、69.3±37.0pg/mlで、コントロールとして採取した末梢血の14.6±7.0pg/mlより高い傾向を認め、また中心静脈より採血したサンプルではアスペルギルス抗原をELISA法、ラテックス凝集反応にて確認した。この事は、従来の経気道感染にくわえ、中心静脈ラインを介したアスペルギルス感染症が存在することを示し、アスペルギルス症は院内感染症としての対応を要する事を示唆する。

 造血器悪性腫瘍症例におけるアスペルギルス感染の好発部位として、肺以外には中枢神経が挙げられる。これまで、中枢神経アスペルギルス症は、剖検、開頭生検、或いは経皮針生検によりなされてきた。予後の極めて不良な疾患であるが、近年、早期に病理診断を下し、治癒に成功した症例報告がなされている。私は髄液を用いたアスペルギルス抗原検査・PCR法が中枢神経アスペルギルス症の特異的診断法となりうるか検討した。髄液は骨髄抑制期間でも比較的容易に採取可能であるため、早期診断に有用である可能性がある。剖検、或いは臨床的に中枢神経アスペルギルス症と診断された5症例を対象とし、神経症状出現時、或いは剖検時の髄液検体を用いて、アスペルギルス抗原検査・アスペルギルス特異的PCR法の有効性を検討した。この結果、5症例すべてがPCR法にてアスペルギルス特異的DNAを検出し、4症例でアスペルギルス抗原検査が陽性となった。対象として、白血病中枢神経浸潤の5症例、ウイルス性髄膜炎の1症例を検査したが全例陰性であった。中枢神経アスペルギルス症は出血性脳梗塞、脳膿瘍を生じることが多く、髄膜播種の頻度は少ないとされてきた。しかし、高感度の検査を用いれば、多くの中枢神経アスペルギルス症例で髄膜播種を認め、髄液検査により本疾患の質的診断が行える可能性があることがわかった。

 PCR法は高感度で迅速に感染の有無を検討できるため、アスペルギルス感染症の診断に有用である可能性がある。前述したように、好中球低下が遷延すると予想される症例でアスペルギルス抗原が陽性なった場合、IPAへ進行する可能性が高いと考えられ、この様な症例で血中に存在するアスペルギルスを高感度に検出できれば、IPAの有効な予防・empiric therapyが可能となる。この様な理由で、私は血液を用いたアスペルギルスの遺伝子診断の系の確立を開始した。しかし、血液を用いたアスペルギルスの遺伝子診断は非常に困難であった。特にアスペルギルスは頑強な細胞壁を有するため、検体よりのDNA抽出のステップが問題となった。臨床検体では含有される真菌量は少ないことが予想され、このような真菌含有量の少ないサンプルよりのDNAを抽出する場合、その効率は低下することが予想された。私はガラスビーズ法を改良してDNAを抽出する系を確立し、感度の向上の為にnested PCRを行った。この条件では、抗原検査のLA法の1000倍、ELISA法の100倍の感度を確保でき、原理的には高感度の血清診断が可能となった。この方法を用いれば、サンプル中に存在する102fgのオーダーの真菌DNAの検出が可能である。しかし、nested PCRを用いた場合、偽陽性検体が増加し検査の信頼性が低下した。アスペルギルスは常在真菌であり、nested PCR法により研究室内に存在する菌体を検出してしまうためと考えている。常在菌をnested PCRを用いて検査する際には、コンタミネーションの問題がつきまとい、大量の臨床検体を取り扱うのは困難である。現在、nestを用いないreal time automated PCRの系を用いて、アスペルギルスDNA量の定量を試みている。この方法では少なくともPCR産物のコンタミネーションのリスクは低下し、定量化することでコンタミネーションと感染の鑑別に有用である可能性がある。また、感染アスペルギルス菌体量の推移も評価できるため、臨床的にも有用である。(3875文字)

審査要旨

 本研究は造血器悪性腫瘍患者の重大な合併症であるinvasive pulmonary aspergillosis(IPA)の疫学・早期診断方法について検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.IPAの早期診断目的として、胸部CTと血中アスペルギルス抗原検査(LA)・-D-グルカン定量(BDG)が用いられてきた。今回の研究では胸部CTとアスペルギルス抗原検査の有用性を比較するため、19症例のIPA症例を対象としたprospective studyを行った。その結果、血液検査の感度はいずれも50-60%で、胸部CTより陽性化が10日程度遅延することが明らかとなった。好中球低下症例では、10日間の治療の遅延は致命的である。

 2.LAはIPAと診断されない症例でも、しばしば陽性化する事がしられていた。今回の研究ではこのようなサンプルの出現が好中球低下期に集中している事を証明した。また、LA法陽性となった保存検体を用いて、一部の検体ではアスペルギルス特異的DNAの存在をPCR法にて証明した。この結果、好中球低下時期にはIPAと診断されない症例でもアスペルギルスが一過性に血中に進入することがあり、これは患者の免疫力の回復とともに除去されることが示唆された。

 3.IPAを血液を用いて高感度に診断するために、血液検体を用いたPCR法の確立を試みた。しかし、アスペルギルスは細胞壁を有するため、臨床検体の様な真菌含有量が少ない検体ではDNAの抽出効率が低下することが証明された。このため、感度を上げるためにはnested PCRを行うことが必須であることが示唆された。本研究で血液を用いたnested PCRの系の確立に成功したが、今後はそのDNA量の定量化が問題となる。

 4.中枢神経アスペルギルス症の非侵襲的診断法として、髄液を用いた抗原検査・PCR法の有用性を証明した。

 5.アスペルギルスの侵入源を検討した。従来、アスペルギルス症は経気道的に感染すると考えられてきたが、我々は抗原検査を用いることにより、カテーテルを介した医源性の感染が生じうることを示唆した。

 以上、本論文は造血器悪性腫瘍症例でのアスペルギルス感染症の早期診断法についてその有用性・欠点を明らかにした。アスペルギルス感染症の頻度は増加傾向にあるが、その診断方法についての研究は少なく、今回行ったようなpprospective studyは報告されていない。また、血液を用いたPCRの系の確立・中枢神経系アスペルギルス症の非侵襲的診断方法・カテーテルを介したアスペルギルスの感染など、いずれも初の報告であり、アスペルギルス感染症の克服に大きな貢献をしたと考える。このため学位の授与に値すると思われる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54715