学位論文要旨



No 114536
著者(漢字) 星野,仁彦
著者(英字)
著者(カナ) ホシノ,ヨシヒコ
標題(和) 後天性免疫不全症候群におけるサイトメガロウイルス感染症の臨床研究
標題(洋)
報告番号 114536
報告番号 甲14536
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1456号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 助教授 菅野,純夫
内容要旨 a.研究の背景と目的

 ヒトサイトメガロウイルス(CMV)によるCMV diseaseは後天性免疫不全症候群(AIDS)において頻度の高い日和見感染症の一つである。特にAIDS患者ではCMV網膜炎として初発することが多く失明の危険があるために、CMV diseaseを早期診断することは重要な課題である。そこで私は以下の4点に焦点を絞り解析を行った。

1)(解析-1)

 CMVの体内活動性を測る指標として末梢多核白血球のCMV抗原陽性細胞をモノクローナル抗体で染色しその数を測定するCMV抗原血症法(CMV-Ag法)がある。私はCMV-Ag法をAIDS患者のCMV diseaseの早期診断の指標にできるかどうか、また維持療法中の再発診断の指標にできないかどうか検討した。

(解析-2)

 東京大学医科学研究所附属病院の剖検例においてCMV diseaseの最多検出部位は副腎(92%)であるが、いままで生前に副腎機能の評価はなされていなかった。AIDS患者に対して副腎皮質機能検査を施行し、副腎機能異常の頻度を検討した。また経過観察を施行した。

(解析-3)

 前述の剖検例ではCMVの中枢神経浸潤は45%にあり4番目に多い。画像診断で正常である症例からもCMVの脳感染が報告されており、いままで過小診断されていた可能性がある。HIV感染者およびAIDS患者に対してproton magnetic resonance spectroscopy(MRS)検査を施行し、脳代謝異常の頻度およびそれらのCMV脳炎との関連を検討した。

(解析-4)

 HIVのプロテアーゼ阻害薬を含む強力な治療(HAART)が施行できなかったころは維持療法を施行していても殆どの症例でCMV diseaseは再発していた。その原因としては(1)維持量ではCMVの活動性を抑えることができないことあるいは(2)抗CMV薬を連続的に使用することで薬剤耐性株が出現したことのいずれかの可能性が考えられる。また抗CMV薬使用中にCMV脳炎を生じる例が報告されているが、その発症機序としては(1)髄腔内のCMVが薬剤耐性となるため使用中の抗CMV薬ではウイルスを排除できないことあるいは(2)通常の導入量の抗CMV薬では髄腔内の薬剤濃度はCMVを阻止するほどは高くないことのいずれかが考えられる。これらを解析するために2例の臨床的薬剤耐性患者の保存血清および病理組織を使用し薬剤耐性に関わるCMV遺伝子を解析した。

b.研究の対象と方法(解析-1)

 対象はCD4数150/l未満の51例のAIDS患者である。CMV-Ag検査を1ヶ月毎に施行した。CMV diseaseが診断された患者は導入療法を施行し、寛解後は全身維持療法あるいは局所維持療法を施行した。抗CMV薬としてはガンシクロビル(GCV)、フォスカネット(PFA)、シドフォビル(CDV)を使用した。

(解析-2)

 CD4数50/l未満の30例のAIDS患者に対して副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)としてコートロシンを静注する迅速ACTH試験を施行した。コルチゾールの反応性により副腎皮質機能を検討した。研究登録時に眼底検査、CMV-Ag検査を施行した。

(解析-3)

 CD4数500/l未満の61例のHIV感染者およびAIDS患者に対してMR imaging(MRI)検査およびMRS検査を施行した。MRS検査ではn-アセチルアスパラギン酸(NAA)とクレアチン(Cr)の比(NAA/Cr)を測定した。NAA/Crの低下は神経細胞の消失を示すといわれている。MRS検査の2週間以内に神経内科学的検査を施行した。患者は3ヶ月以上経過観察をされた。

(解析-4)

 1例目はGCVの導入療法施行中に、2例目はPFAの導入療法施行中にCMV-Ag値が上昇した症例である。薬剤耐性に関係のあるCMVのUL97、UL54遺伝子を経時的にシークエンスした。

c.結果(解析-1)

 CMV-Ag検査陰性であった症例からはCMV diseaseになった者はいなかった。CMV-Ag検査陽性になった症例のうち11例はCMV diseaseを生じなかった(1群)が、9例はCMV網膜炎を生じた(2群)。1群と2群間ではCMV-Agの最大値に統計学的有意差が認められ、2群の方が高かった(Mann-Whitney’s U test,p<0.05)。CMV-Ag検査でCMV diseaseを予測できるかを予測指数として表した。閾値(10陽性細胞/15万多核白血球)を採用した場合、感度は56%、特異度は94%、陽性的中度は71%、陰性的中度は89%であった。維持療法においては全身維持療法9回のうち8回、局所維持療法7回のうち2回はCMV-Ag検査が再発時陰性であった。このことは統計学的に有意であり(Fisher’s exact test,p<0.05)、全身維持療法に際してはCMV-Ag検査が陰性であってもCMV diseaseの再発に十分に注意する必要がある。再発診断の指標としては、閾値を採用しない場合も感度は40%、特異度は100%、陽性的中度は100%、陰性的中度は64%と悪く、閾値を採用するとさらに増悪した。

(解析-2)

 CMV網膜炎患者の方が有意に副腎皮質機能異常が認められた(Fisher’s exact test,p<0.005)。CMV-Ag検査陽性者でも同様の結果であった。また副腎機能異常者の方が有意にCMV-Ag値が高値であった(Mann-Whitney’s U test,p<0.001)。副腎皮質機能異常が認められた11例のうち6例は既に副腎皮質機能不全であり、全員電解質異常や低血圧を認めていた。経過観察中に残りの4例も副腎皮質機能不全となった。

(解析-3)

 MRI検査で局所病変が存在した8例を除外し、53例について解析した。8例においてNAA/Crが異常低値を示した。この8例のうち7例にCMV diseaseが存在し、全例がCMV-Ag検査で陽性であった。経過観察中にCMV diseaseの既往があった7例は神経学的異常が出現した。7例ともCMV脳炎と診断された。残り1例は呼吸不全のためMRS検査1週間後に死亡された。この1例と生前CMV脳炎と診断された4例を病理解剖できたが、5例ともCMV脳炎を示唆する病理像であった。

(解析-4)

 (症例1)GCVで導入療法を続けたにも関わらず、CMV-Ag値が上昇した時期の血清のCMVはGCV耐性であった。末梢組織である脾臓のCMV、中枢神経系である大脳のCMVはいずれもGCVとPFA両耐性となっていることが示唆された。(症例2)GCVで維持療法を続けて、CMV-Ag値が上昇した際のCMVはGCV耐性ではなかった。PFAで導入療法を続けたにも関わらず、CMV-Ag値が上昇した時期の血清のCMVはPFA耐性であった。PFA耐性になる前にCMV脳炎の診断がされた。末梢組織である腎臓のCMVはGCVとPFA両耐性に、中枢神経系である小脳のCMVはGCVとPFA両感受性となっていることが示唆された。

d.考察(解析-1)

 この解析でCMV-Ag検査が未治療期間ではCMV diseaseの予知因子となることを示した。閾値を設けることで感度は悪くなるが、比較的良好な特異度、陽性的中度、陰性的中度を得ることができた。閾値を越えた7名の患者のうち5名が57.0±51.9日後にCMV網膜炎を発症している。閾値を越えた患者には明らかなCMV diseaseの所見を示す前に治療を始めた方がよいのかもしれない。経過観察中にCMV脳炎、CMV大腸炎、CMV多発根神経炎、CMV副腎炎を生じた患者がいたが、CMV-Ag値は陰性か閾値以下でありこれらの疾患を予知できなかった。よって網膜炎以外のCMV diseaseには他の方法で早期診断しなければならないだろう。

(解析-2)

 今回の解析ではCMV網膜炎患者の64%、CMV-Ag検査陽性者の82%が副腎皮質機能異常を認めた。末期AIDS患者は非特異的な全身倦怠感、発熱、下痢を訴えることがあるがその一部は副腎不全で生じることが明らかになった。この場合はホルモンを補充することで症状の改善が見込まれるので、副腎不全を診断することは重要であると考えられる。CMV網膜炎患者、CMV-Ag検査陽性者には副腎機能検査を施行すべきであろう。

(解析-3)

 MRS検査で53例中7例のCMV脳炎患者において症状が出現する2-3ヶ月前に脳代謝機能異常を検出することに成功した。CMV網膜炎患者、CMV-Ag検査陽性者で統計学的に有意にCMV脳炎を認めた。1例の偽陽性症例を経験したが剖検組織はCMV脳炎に合致していた。臨床症状出現前にMRS検査異常が生じたのかもしれない。CMV網膜炎患者およびCMV-Ag検査陽性者にはMRS検査を施行すべきであろう。

(解析-4)

 導入量でCMV-Ag値が上昇しているときは血清のCMVは薬剤耐性となっていることが示唆された。しかし維持量でCMV-Ag値が上昇しているときは血清のCMVは薬剤感受性であった。症例1では死亡時末梢組織、中枢組織のCMVとも両薬剤耐性であり、症例2では死亡時末梢組織は両薬剤耐性であった。中枢組織は両薬剤感受性であった。従ってPFAを使用した場合は中枢組織は薬剤の聖域となる可能性が示唆された。

審査要旨

 本研究は後天性免疫不全症候群(AIDS)患者に高い頻度で合併する日和見感染症であるサイトメガロウイルス(CMV)感染症をより明確に把握するため、以下に述べる4つの臨床研究を施行し、AIDS患者のCMV感染症(CMV disease)の解析を試みたものであり下記の結果を得ている。

 1.CMV抗原血症法(CMV-Ag法)を使用し、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染者のCMV diseaseの早期診断の指標あるいは維持療法中の再発診断の指標にできないか検討した。感度、特異度、陽性的中度、陰性的中度の算定より、CMV-Ag検査はCMV diseaseの早期診断には有用であるが、維持療法中の再発診断には有用ではないことが示された。特に全身維持療法中は局所維持療法中に比べ統計学的に有意にCMV-Ag値が陰性化することが示された。

 2.30名のHIV感染者に対して副腎機能検査を施行した。そして、CMV副腎炎を起こすhigh risk groupはCMV網膜炎の既往者あるいはCMV-Ag検査陽性者であることを統計学的に初めて示した。また副腎皮質機能異常者の方がCMV-Ag値が統計学的に有意に高値であることを示した。また経過観察を施行し機能異常患者が時間経過とともに副腎皮質機能不全となることを示した。

 3.61名のHIV感染者に対してCMV脳炎を早期診断する目的でプロトン磁気共鳴スペクトログラフィーを施行した。磁気共鳴画像で局所病変が存在した8例を除外し、53例について解析が施行されたが、そのうち8例にNAA/Cr値の異常低値を認めた。全例経過観察がなされたが、NAA/Cr値の異常を認めた7例は3ヶ月以内に神経学的異常を認めた。このうち4例は病理解剖で組織学的にCMV脳炎を示唆する所見を示していた。CMV脳炎のhigh risk groupはCMV網膜炎の既往者あるいはCMV-Ag検査陽性者であることを統計学的に示した。

 4.抗CMV薬を導入量で投与しても病状およびCMV-Ag値が改善せず、病理解剖で全身性CMV感染症が検出された2例のHIV感染者は臨床的抗CMV薬耐性と考えられる。これらの患者より経時的に採取された血清と病理標本から抗CMV薬耐性に関連するCMVのUL97遺伝子とUL54遺伝子のDNAシークエンスを行った。

 その結果抗CMV薬による導入療法施行時にCMV-Ag値が上昇する場合はUL97遺伝子やUL54遺伝子に変異が生じているが、維持療法施行時のCMV-Ag値の上昇は変異は生じていない事を見出した。

 以上、本論文はAIDS患者におけるCMV diseaseにおいて、CMV-Ag検査が早期診断に使用できるが、経過観察には使用しにくいこと、CMV網膜炎やCMV-Ag検査陽性者はCMV副腎炎やCMV脳炎のriskが高くなること、導入療法中にCMV-Ag値が上昇する場合は薬剤耐性となっている可能性が高いことを明らかにした。本研究は今まで不可能に等しかったCMV副腎炎、CMV脳炎の早期診断法をはじめて示したばかりでなく、普及している検査方法であるCMV-Ag法がCMV diseaseの早期診断に使用できることを示した。また抗CMV薬の耐性検査としてCMV-Ag法を使用する簡便な方法を見出した。これらの知見は、HIV感染者のCMV diseaseの診断・治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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