学位論文要旨



No 114547
著者(漢字) 廣井,久彦
著者(英字)
著者(カナ) ヒロイ,ヒサヒコ
標題(和) エストロゲン応答遺伝子EREG1(Estrogen Responsive Element associated Gene 1)の同定と解析
標題(洋) Molecular cloning of a novel Estrogen Responsive Gene,Estrogen Responsive Element associated Gene 1(EREG1)
報告番号 114547
報告番号 甲14547
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1467号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 助教授 山田,信博
 東京大学 助教授 鳥羽,研二
 東京大学 講師 本間,之夫
 東京大学 講師 五十嵐,隆
内容要旨 目的:

 アラキドン酸代謝物、血小板活性化因子(以下PAF)、リゾホスファチジン酸(以下LPA)等の化合物を総称して、生理活性脂質と呼ぶ。アラキドン酸代謝物やPAF等の神経系における合成やその作用などについては既に多くの研究がなされているが、脳をはじめ多くの細胞で産生されるLPAの中枢神経系(神経細胞、グリア細胞)における受容体の存在やその生物作用はほとんど知られていない。そこで、これらを解明する糸口として以下の二つの研究を行った。(1)LPAをはじめとする種々の生理活性脂質がNMDA受容体のチャネル活性をどの様に調節するかを、アフリカツメガエル卵母細胞発現系を用いで解析した。(2)ラット脳初代培養系を用いて、LPA受容体の存在を確認し、さらに最も多く発現しているアストロサイトにおけるいくつかの機能について解析した。

方法:(1)アフリカツメガエル卵母細胞発現系

 アフリカツメガエル卵母細胞にマウスNMDA受容体(1,2,1サブユニット)のmRNAを微量注入し、卵母細胞原形質膜上に1/1,2/1ヘテロマーチャネルをそれぞれ発現させた。ボルテージクランプ法を用い、電気生理学的にリガンド刺激により惹起されるNMDA受容体電流を測定し、種々の生理活性脂質(アラキドン酸、PAF、LPAなど)による修飾作用をサブユニット別に解析した。PAFに関しては、その受容体をNMDA受容体と共発現させた際の効果も調べた。また、これらの修飾作用におけるリン酸化の関与を調べるため、各種プロテインキナーゼ阻害剤の効果も検討した。

(2)ラット脳初代培養系1)細胞培養

 妊娠後期ウィスターラットより胎児(胎生15-18日)を取り出し、森らの方法に従い、大脳半球をアストロサイトの培養に、また海馬をニューロンの培養に用いた。また、別に大脳半球の培養よりミクログリアを採取した。

2)細胞内Ca2+濃度測定

 ラットアストロサイト、ニューロンあるいはミクログリアをそれぞれカバーグラス上に培養し、Fura-2/AM;5Mを所定の時間負荷した後、蛍光顕微鏡下に汎用画像解析装置Argus-50で励起光340nmと380nmの2波長の蛍光強度の比から細胞内Ca2+濃度を測定した。アストロサイトのマーカー蛋白であるGFAPに対する抗体で免疫染色し、LPAに反応した細胞の同定を行った。

3)チミジン取り込み

 24ウェルプレートにてアストロサイトを培養し、subconfluencyに達した後、血清濃度を10%から0.5%に減らし、24時間培養し、各種濃度のLPA刺激を行った。刺激後16時間培養し、3Hチミジンを1Ci/well加え、さらに6時間反応後、取り込まれた3Hの放射活性を測定した。

4)ノザンブロッティング

 アストロサイトを2週間培養し、confluentに達した後、血清濃度を10%から0.5%に減らし、24時間培養し、LPA10M刺激後、時間経過を追ってそれぞれ総RNAをIsogenにて回収した。総RNAを分光学的に定量した後、1%アガロース/1.2Mホルムアルデヒドゲルに泳動し、Chomzynskiの方法に従い、これをGeneScreen Plusメンブレンに転写した。メンブレンをLPAに反応すると思われる種々の遺伝子に対するcDNAプローブとハイブリダイズさせた。洗浄後、メンブレンをオートラジオグラフィーにかけ、mRNA量の変化を解析した。

結果(1)NMDA受容体電流に及ぼす生理活性脂質の修飾作用

 アラキドン酸はNMDA電流に対する直接的な弱い増強作用を示した。またサブタイプによる増強作用の違いが明らかとなった。即ち、1/1チャネルの方が2/1チャネルよりアラキドン酸に対する感受性は高く、1M前後の濃度域で最も強く増強することがわかった。一方、PAF受容体を共発現させたところ、強いPAF刺激では抑制を、弱いPAF刺激では増強を生じる二相性の作用が認められた。一方LPAでは刺激強度にかかわらず増強作用が認められた。また、PAF,LPAのいずれも2/1チャネルにおいてより顕著な効果が認められた。さらに、これらの修飾作用のメカニズムを探るため、プロテインキナーゼ阻害剤実験を行ったところ、LPAによる増強作用には一部、受容体あるいは関連タンパクのリン酸化が関与していることが示唆された。

(2)LPAのラット脳初代培養細胞における作用

 細胞内カルシウム濃度測定の結果、LPA受容体はラット脳において、主にアストロサイトに豊富に存在していることが判明した。

 さらにLPAはアストロサイトのチミジン取り込み能を有意に増強し、アストロサイトに対して増殖刺激作用を有することがわかった。この増殖刺激作用は百日咳毒素の処理により用量依存的に抑制された。

 また、前初期遺伝子(c-fos,c-jun,COX-2)、神経栄養因子(NGF)、サイトカイン(IL-1,IL-3,IL-6)などの種々の遺伝子発現をそれぞれ異なる時間経過で増強、誘導することも明らかとなった。なお、これらの作用には、いずれもMオーダーの濃度が必要であった。

 最近クローニングされた2種類のLPA受容体(PSP24,vzg-1)のmRNAは、いずれもアストロサイトに発現していた。

考察(1)NMDA受容体電流に及ぼす生理活性脂質の修飾作用

 アラキドン酸のNMDA受容体電流に対する増強作用は既に培養小脳顆粒細胞において報告されているが、今回の結果より、リコンビナントNMDA受容体においても増強作用が再現され、さらにサブタイプによる増強作用の違いが明らかとなった。

 作用機序に関しては、以前に提唱されているNMDA受容体の脂肪酸結合ドメインなどに作用している可能性が推測されるが、厳密な機序は現在のところ不明である。

 PAF受容体を共発現させた際、PAFによる二相性の作用が認められたことより、ポストシナプスにおいてPAFがNMDA受容体活性を調節しうることが強く示唆された。この弱いPAF刺激による増強作用は、プロテインキナーゼ阻害剤実験の結果より、なんらかのリン酸化を介した機構が示唆された。一方、強いPAF刺激による抑制作用に関しては、既に報告されているような高濃度の細胞内カルシウム、脱リン酸化酵素活性化、ホスホリパーゼCを介するNMDA受容体活性抑制作用などによるものが考えられた。このような二相性の作用は、おそらくリン酸化と脱リン酸化との微妙なバランスの上に成り立っているのではないかと推測される。

 LPAは、刺激強度に関わらずNMDA受容体電流を増強することがわかったが、その作用機序として、プロテインキナーゼ阻害剤実験の結果、なんらかのタンパクのリン酸化の関与が示唆された。正リン酸ラベルによる免疫沈降法を試みたところ、抗NMDA受容体抗体とクロスして沈降する内在性蛋白の著明なリン酸化が認められたが、NMDA受容体自体のリン酸化は証明することができなかった。アクチン細胞骨格とNMDA受容体活性との関連を示唆する報告があるが、LPAによるこのような細胞骨格成分などを介した調節作用も推測される。

(2)LPAのラット脳初代培養細胞における作用

 LPAは様々な細胞において、多彩な生理活性を有することが報告されている。LPAはグリセロールリン脂質の一種であり、PAFと同様にG蛋白共役型受容体を介してその作用を発揮すると考えられている。また、臓器別では、脳にLPAおよびその結合部位(受容体と考えられる)が豊富に存在することが報告されており、褐色細胞腫や神経芽細胞種を用いた神経系細胞へ及ぼす作用も散見されるが、その中枢神経系における機能に関しては非常に知見が少ない状況である。今回の実験結果よりアストロサイトに機能性受容体が豊富に存在することが判明し、LPAはアストロサイトの機能と密接に関わっていることが示唆された。すなわち、LPAはアストロサイトに対して、細胞内のカルシウムイオン濃度を増加させると共に、増殖刺激作用や、前初期遺伝子、神経栄養因子、サイトカインなどの遺伝子発現誘導作用を有することがわかった。LPAは、中枢神経系の発達や、成熟後における種々の病態(脳外傷、脳血管障害、炎症、グリオーマなど)、損傷治癒、神経再生といった問題と関わっていることが強く示唆された。

 ごく最近、アメリカのグループにより2種類のLPA受容体(PSP24,vzg-1)がクローニングされた。実際、どちらの受容体遺伝子もアストロサイトに存在することをノザンブロッティングで確かめた。

結語

 (1)LPA、PAFなどの生理活性脂質はNMDA受容体電流を活性化することが明らかとなった。この活性化には受容体あるいは関連タンパクのリン酸化が関与していると考えられた。

 (2)ラット脳初代培養を用いた実験より、LPAはアストロサイトに特に多く受容体を持つことが初めて明らかとなった。LPAはアストロサイトの細胞内カルシウムイオン濃度を増加させる他、チミジン取り込みの増加、種々の遺伝子発現を行うことが明らかとなった。

 (3)今後、クローン化された二つのLPA受容体(PSP24,vzg-1)とこれらの機能との関連、さらにLPAと種々の病態、神経再生などとの関連を明らかにしたい。

審査要旨

 本研究は生体内で多彩な作用をしているエストロゲンの機能をより深く理解するためにエストロゲン受容体が特異的に結合するゲノムDNAを単離する方法(Genomic binding-site cloning法)により新たなエストロゲン応答遺伝子EREG1(Estrogen Responsive Element associated Gene 1)をクローニングし、その解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

 1.Genomic binding-site cloning法により得たゲノムDNA断片(E1 fragment)をプローブとして用いて、HeLa細胞のcDNAライブラリよりcDNAをクローニングし、全長のシークエンスを決定した。この遺伝子は新規遺伝子であり、cDNAの全長は約1.7kbで、シークエンスから予測される最長のOpen Reading Frame(ORF)は100bp-841bpで247アミノ酸をコードしていると予測された。E1 fragmentの全長は3’非翻訳領域内に存在しており、perfect palindromic ERE(estrogen responsive element)も存在していた。

 2.EREG1のcDNAをプローブとしたNorthern blot法により、2-kbのtranscriptがhumanの大腸、脾臓、ヒト子宮由来の細胞株(HeLa細胞、HHUA細胞、ISHIKAWA細胞)に、また、6-kbのtranscriptが脾臓、大脳、末梢血リンパ球に認められた。同じくEREG1のcDNAをプローブとしてhumanのゲノムDNAを用いたSouthern blotを行ったところ、single geneを示唆するような結果が得られているので、humanの臓器・細胞株のNorthern blotで認められた複数の長さのバンドはalternative splicingによるものと考えられる。

 3.予測されるアミノ酸配列を用いて、データベースサーチをしたところ、Caenorhabditis elegansの遺伝子であるEEED8.8のコードする蛋白に高い相同性があることが分かった。EREG1とEEED8.8のidentityとsimilarityはそれぞれ28%と39%であった。EEED8.8はC.elegansのゲノムプロジェクトにより見いだされた遺伝子であり、その機能は未だ分かっていない。アミノ酸配列で保存されている領域が2カ所認められ、この部位は機能は不明であるが、何らかの機能を持ったドメインであると考えられる。さらに興味深いことに、EREG1とEEED8.8のアミノ酸配列にはMutTコンセンサスモチーフが存在していることが分かった。これは大腸菌のmutator遺伝子であるmutTに認められる配列で、このモチーフを持つ一群の遺伝子群はMutT familyと呼ばれ、核酸の代謝に関与していると考えられている。EREG1とEEED8.8もこのfamilyの持つ機能を持っているものと考えられる。

 4.EREG1の3’UTRにあるperfect palindromic EREにエストロゲン依存性エンハンサー活性があるかどうか調べるため、CAT assayを行った。CAT assay法により、EREG1のEREには約3倍のエストロゲン依存性のエンハンサー活性が認められた。さらに、EREG1のエストロゲン応答性を確認するため、エストロゲン受容体(ER)を定常的に発現するHeLa細胞を構築した。この新たに構築した細胞にエストロゲンを添加しNorthern blotを行いエストロゲン応答性を確認した。エストロゲンにより、8時間後に約3.7倍の発現の増加が認められ、EREG1 mRNAがエストロゲンにより、転写が調節されていることを示した。

 5.EREG1のcDNAをプローブとして、独立したゲノムクローンを2個単離し、シークエンスにて確認した。これらを用いて、Fluorescence in situ hybridization(FISH)法による染色体マッピングを行ったところ,EREG1の遺伝子は21q22.2-22.3に存在することが分かった。この領域付近にはダウン症候群、bipolar disorder、myoclonus epilepsyの責任領域があり、これらの疾患へのEREG1の関与の可能性が考えられた。

 以上、本論文は新たなエストロゲン応答遺伝子をクローニングし、その解析により、MutT family属する遺伝子であることが示された。生体内で多彩な作用を示すエストロゲンの機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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